複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.35 )
- 日時: 2016/11/04 03:37
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: HccOitOw)
アエローは異常なほど器用だ。
鳥と同じく空を飛ぶだけかと思いきや、俺達より尚速く地上を走り、極め付けは人を殺せるほどの鉄砲までも自前で持っている。器用さと言うか、戦場を疾駆する武力として見れば、アエローは最早生命ある存在をはるかに超越してしまっているに違いない。
これを作った人間は、この化け物じみた強さを一体何に使ったのだろう。戦場を翔け戦線を蹂躙し、他を力で制するためなら、何故これほどの強さにしなければならなかったのだろうか。
『遺物』、延いてはそれを作った人間。その感性と発想は、理解できない。
「寝床は別に探せ」
「ぐぇっ」
草木さえ頭を垂れ眠る深夜。小難しいことなど考えながらうつらうつらしていたら、いきなりアエローの翼上から投げ捨てられた。ほとんど寝かけていたところに前触れなく割り込まれ、猫の仔みたいに勢いよく放り投げられて、それでもちゃんと着地出来たのは奇跡だったと思う。
乱暴な手と声の主はベルダン。猫族の陣営まで戻る最中もアエローの一挙一動に神経を尖らせていたのに、これから更にまた何かするつもりでいるらしい。傍らに大きな木箱と大きな木綿の袋を降ろし、彼は動力炉の蓋を、木箱から引っ張り出した無数の工具でこじ開けていく。
……何時ぞやか錠前破りの達人の技を見たが、小道具を次々に使い分けてるトコと、傍から見ても何やってるかさっぱり分からないトコ、何となく似ている。
それに、手際の良さも錠前破りと一緒だ。あっという間に動力炉の外側の蓋を外し終えたベルダンを、俺はあんぐり口を開けたまま見上げていた。
降り積もる微細な静寂。打ち破るのは、溜息のようなしゃがれ声。
「エド」
「何だい?」
「貴様は、『遺物』が俺達の進化と発展に寄与できると思うか」
普段の彼なら、絶対に俺へしないであろう質問だった。ただ自分の意見をぶつけたいだけなのか、と思ったが、次の瞬間睨みつけてきた目の色は、明らかに俺へ返答を求めている。
だが、正直な所、ロレンゾ達ほど『遺物』を使いこなした智獣なんて見たことないし、あまりちゃんとしたことを考えたことはない。
それでも、何か答えないとドライバーを眉間に刺されそうだ。頭の中を言葉と意見が駆け巡る。
「俺、は……そう思うけど。そりゃま、出てきた『遺物』は物騒なものだとしても、そこに使われた技術は平和的に利用できると思うよ」
「フン、ロレンゾも似たようなことを言っていたが。だが、俺にはそうは思えない。人間は確実に、何かを滅ぼす為だけに磨いてきた技術を持っている」
そうでなければこんな化け物が作れるものか、と。吐き出される声には怒気さえ孕んでいた。
一体何に対してそんなに憤っているのか。全く理解出来ず、二の句が接げない。そうして黙り込んだ俺を、ロレンゾは何処か失望したような眼でちらと見下して、すぐに自身の手元へ視線を落とした。
「四十年前の事故で、何が起きたか。何故ロレンゾがあの形(なり)でいるのか。知っているか?」
瞬間、冷たい何かが、血のように全身を巡る。
ロレンゾの過去の話は、正直耳にタコが出来そうなほど何回も聞いてきた。だが、その内容はいつも、一番派手に活躍していた時のことだけだ。あれが軍を辞める前後の話は、思えば全く聞いたことがない。聞こうとも思わなかったし、聞いてはいけないとさえ思っていた。
けれど今、ベルダンはそれを、俺に語ろうとしている。
聞いて、いいのか。
何と答えればいい。
「俺に、そんなこと話していいのか……?」
「——四十年前の戦火を飛んだ飛空艇は、今のそれとは違う動力炉で動いていた。人間の発想と技術を以って作り出された『遺物』そのもの、設計から材質、細部のあらゆる形状に至るまで、人間が作った当時と全く同じものだ。断言してもいい」
震える声で紡いだ問いに、ベルダンは本題で返してくる。
無意味な問答など必要ない。支離滅裂な態度の裏で、俺を一顧だにしない空色の目と、ただ一瞬の遅滞もない手付きだけが声高にそう叫んでいた。
なら俺は応えるしかない。質問にくらい答えてくれてもいいだろ、と言いたくなったのをぐっと堪え、黙って続きを促した。
ベルダンはやはり俺を見ることなく、声は独り言のように。
「理論上、それは小指の先ほどの石ころ一つで、星の命と等しいほどの長きに亘って動き続ける。そして四十年前、アエローはそれをほぼ実証した。状況を加味した上で、俺が計算した連続耐用期間は最低でも五年だ」
「五年って、生き物の範疇超えてんじゃねぇか」
「嗚呼、何もかも。墜落し、沈黙しても尚、それは俺達に瑕を残し続ける」
——前言を撤回しよう。
彼の話は、此処からが本題なのだ。
「当時は誰も気付けなかった。危険さはおろか、存在自体にさえ」
張りつめる緊張の糸。
ベルダンの声が、それを切ることはない。
「『遺物』がその動力源として載せていたのは、生命の設計図に瑕(きず)を付け、生命の定義を脅かす死毒だ。墜落し動力炉が破損した時、厳重に封じ込めされていたそれは外へ漏れ出してしまった。……だがその時は、誰もその事実に気付ける者はいなかった。それに傷付けられたと知ったのは、俺と奴が肺を病んだ後だ」
「は……あんたが? 病気? ウソだろ」
「誤診で肺を一つ取られたとは思えないがな。少なくとも、血反吐を吐いて這いずった記憶があるのは確かだ」
酷く生々しい過去を語っているはずなのに、口調がまるで他人事だ。知らないことには感情移入出来ないのかもしれないが、それにしたって血を吐いた挙句肺を取ろうなんて事態になっておきながら、こうまで無関心に喋れるものなのだろうか。
内心ゾッとしながら、俺は浮かんだ疑問をそのままぶつける。
「あ……あんた等にも分からないものなのか?」
「俺達が手に取って観察できるものではないからな。太陽の光や稲妻と根底を同じくし、かつ見えないもの……人間が取り扱った以上、そう言った技術自体は存在するのだろうが、俺達の技術と知識ではその毒を直接知覚することは不可能だ。分かるとすれば、それは俺達のように病で倒れる者が出た後だろう」
「————」
目に見えない、手に取れない。存在を感知できない。
それでいて、触れたものの生命の定義を覆す。
人間の発想と技術は、これほどの化け物を作るために、そんな劇物を平然と使っていたと言うのか。そしてベルダン達も、そんなおぞましいものを頭上に据えて、四十年前には戦場を飛んでいたと言うのか。聞いただけで気が遠くなりそうだ。
しかし、それにしても——
「何であんた等、そんな毒(もの)に触れて生きてるんだ」
生命の設計図を傷付ける。それが学問的にどんな現象なのかは知らないが、少なくとも俺達命あるものにとって致命的な意味を持っていることくらいは分かる。
だが、そんな代物をごく身近に置きながら、尚彼等は六十を過ぎるまで、聞く限り病気らしい病気一つせず生きているのだ。俺の呈した疑問は、多分普通の人なら誰でも思うことだろう。
だが、ベルダンは一瞬、躊躇うように手を止めた。
「俺達生ける者には皆、多少傷をつけられようと、ある程度であれば元に戻す力がある。知っているな?」
「ん、まあ。放っておけば傷が勝手に治る的な奴だろ」
「それとこれとは若干違うが、似たようなものか。……して、その力の強さは種によって様々だが、俺達はそれが他より強い。流石にイモリだの渦虫(ウズムシ)だのには敵わんが、それでも、あの事故の時に喪った腕一本程度であれば元の通りに治すことも出来たのだろう」
——そんな力を、俺達はこの先を生きる為に使った。
——だが!
言葉は、小さく掠れ。
声から排された激情を代弁するかのように、工具を握り締める手は震えていた。
「あれから四十年経って尚、死毒が完全に抜けたわけでもなければ、付けられた瑕が全て癒えた訳でもない。嘗ての飛空艇を動かした劇毒(もの)は、最早この惑星の生命が取り扱って良い限界を超えてしまっていた」
「……それが、「何かを滅ぼす為に磨いてきた技術」だと?」
「いや……寧ろ、それを力に変え、一時は本当に制御してしまったことが、真に恐ろしいことだ」
——『科学』などと言う生易しい次元ではない。『魔法』などと安易に名前を付けられるものですらない。人間が生み出したものは、世界の理を歪める“秩序の怪物”だ。
——世界が世界たるものにさえ干渉し、支配する術を、人間は他を制圧する目的に使ってしまった。逆に言えば、その技術が武力による統制を目的としたものにできる可能性を、人間は実物で示してしまった。
——俺は、こんなものを平和利用できるとはとても思えん。
最後の方は、きっと俺に向けた言葉ではなかったのだろう。苦しげな顔で吐き捨てた後、ベルダンはハッとしたように俺を見た。
余計なことを言ったか、と夜風に溶けた独り言を、拾い上げる。
「四十年もそんなものと付き合ってきた奴に、俺みたいな若造が何か言えるなんて思わないけどさ。……それでも俺は、人間の技術はいつか、何処かで役に立つときが来ると思うよ」
「その前に破滅が来ると思うがな」
「俺はどっちかっつーと楽観主義なもんでね。悪いがあんたほど不安にゃ思わんぜ」
自分で言うのも何だが、割と楽天的な性格ではある。
とは言っても、ロレンゾほどではない。だからと言って、ベルダンほど将来を悲観する気もない。旅人が行く先々でいちいち将来のことを心配しても、何も始まらない。エシラのように何か目的があって渡り歩くわけではない以上、俺のような奴は前へ進むのが仕事であり目的なのだ。
何処か一つの場所に留まって、一つの道を究めている、職人気質なベルダンにしてみれば理解しがたいかもしれない。だが、それでも俺はずっとこんな風に生きている。十年続けてきたやり方を否定されたくはなかった。
そんな考えを、果たして彼は汲んだか否か。バン、と大きな音を立てて動力炉の蓋を閉め、ネジ留めしていきながら、ベルダンは硬い表情を少しだけ緩めた。
「不安を気にせず生きられたなら、俺も気が楽なんだがな」
「ま、あんなんが相棒じゃーな。神経質にもなるだろうさ」
何しろ山肌スレスレにアエロー飛ばして笑うような奴だ、と、ちょっぴりの恨みも籠めて先日のアレをぶつけてみると、彼はちょっと気まずそうに目を逸らして腕を組んだ。
あれは前部座席の馬鹿が勝手に、なんてもごもご弁解しようとするのを、一緒になって笑ってたくせにと叩き伏せる。返ってきたのは困り果てたような唸り声。
「ダチョウの視力は侮れんな……」
「ヘッ、鳥眼なんて言わせねぇよ」
「違いない」
苦々しく、微かに。
けれどようやく、ベルダンは笑ってみせた。