複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.36 )
- 日時: 2016/11/04 03:46
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: HccOitOw)
戦場の朝は、乾いた銃声と共に始まる。
「ロ、ロッ、ロレンゾ……!? てめっ、お、俺を殺す気か……!」
「あー悪い、すまん。意外と引き金が軽くてよ」
「言い訳なんか聞くかっ!」
俺の足のすぐ近く、乾いた地面に焦げ一つ。漂う煙は微かに火薬の臭い。
後ほんのちょっぴり動くのが早かったら、間違いなく足を撃ち抜かれていたのだ、と。そう理解した瞬間、俺はその場で腰を抜かしていた。一方、俺の肝をぺしゃんこに潰してくれやがった張本人は、真黒に煤けた鉄砲を手に、乾いた笑声を上げて突っ立っている。
黒焦げになっていて分かりづらいが、ロレンゾが持っているのは、二—ベル隊長から取り上げたものと全く同じ銃。と言うか、多分ニーベルが持っていた銃そのものだろう。何で持ってきたのかとか、どうやって持ってきたのかは分からないが、俺の勘はそう告げている。
抜けた腰に喝を入れて立ち上がり、絶対撃つなよと目で脅しつつ、ロレンゾの元へ。俺の身長の半分くらいありそうな、砲身の長い銃は、煤だらけになりながらも鈍く輝いていた。
「そう言や手前、腕大丈夫か? 人魚ッコから折れたって聞いたが」
「あんた等じゃないんだからすぐにゃ治んないっつの。一応固定はしてもらったけどさ」
「ケッ、そりゃあ皮肉かね」
渋い表情で吐き捨てると同時に、ガチャリ、と鈍い音。次いで、金属と硬いもののぶつかり合う涼やかな音。音源を辿ると、少し遠くの方に、鈍く光る金属の筒が一つ落ちている。拾い上げた筒は微かに熱を帯びていた。
先程の鈍い音はどうやら、この筒を銃の本体から吐き出させる時の動作音だったらしい。その証左と言うべきか、ロレンゾが銃の根元に付いているレバーを押したり引いたりする度に、さっきと同じ音が聞こえてくる。
「また俺に向かって撃つんじゃねぇぞ」
「銃口地面に向けた状態じゃ流石に当たらんよ」
「当てるつもりだったのかよ」
「ンなこた一言も言ってねぇだろがい」
そもそも銃弾(たま)はもう残っていない、呟くようにそう続けて、ロレンゾは長い銃身を引っ掴み、銃床の部分でごちごちと頭を二回叩いてきた。止めろ、と文句を叩きつけるも、彼は涼しい顔。銃の砲口を地面に押し付け、銃床に片手を預けて、ロレンゾはまだ暗い東の空を仰ぐ。
戦場から、翠龍線へ。吹き抜ける冷たい風は、まだ戦場の臭いを色濃く含んでいる。昨日の業火は消されて尚深々と爪跡を残し、ロレンゾはそれを、厳しい表情で見つめていた。
「……相変わらず、草木一本生えやしねぇ」
「いきなりどうした?」
「焼け野原じゃねぇんだ、此処は。いくら種を植えても芽は出ない、何本木を植えても育たずに枯れる。池を作って魚を放ったところで、全部死ぬのが落ちだ」
呟く声は苦しげに。視線の先には、ただただ茫漠とした砂の平野が広がるばかり。彼が戦場を駆けた四十年前も、きっと似たような光景だったのだろう。表情からそれは察するに余りあった。
ギリリ、と何かの軋る音。ロレンゾの手が、握り潰さんばかりに銃床を握りしめていた。
「因果な土地だよ、此処は。『遺物』が他より沢山埋まってるばっかりに、火薬と毒が垂れ流されて何も生み出せなくなった。此処で見出せるのは過去(むかし)の栄光と、現在(いま)の醜さだけだ」
「…………」
「だからっつって、此処に埋まってる『遺物』それ自体が悪いんじゃねぇと思いたいがな。俺達はどう足掻いたところで人間の本当の意図を知ることは出来ない。『遺物』だって、使い方も構造も、手に取って想像するのが限界だ」
——それでも、構造的な面で言えば、俺達は限りなく人間の真意に近づいたのだろう。永久機関なぞと言う馬鹿げた夢想ではないにしろ、星の命より長く動く機械を人間は生み出した。そして四十年前、俺達はそれに限りなく近い模倣品を以って、何よりも長く飛び続ける鳥を蘇らせた。
——だが、使い方はどんなに考えても真実には辿り着かない。ベルダンはこれを「他を滅ぼす為の兵器」と断じたが、そんな虚しいことの為に使ったのではないと俺は信じてやまない。
俺に向けて何かの意見を具申しているのか、或いは自分の考えを整理したいだけなのか。恐らくは後者なのだろう、ロレンゾは俺に思案の時間を与えずに畳みかけてくる。
俺はただただ黙り込むばかり。漂いかけた沈黙を、彼はより低い声で破った。
「……晩年のアエローは、回収艇だったんじゃねぇかと予想してるんだがな、俺は」
「サルベージ船? 今船でやってることの空版ってことか。……回収船にしちゃ小さいぞ」
「馬力と耐久力は回収船とそう変わらんくらいある。——それに、アレを泉の底から引き上げた時、アエローは杭とロープ、それに救命胴衣を山のように積んでいた」
「救命胴衣なんてどの乗り物にも積んであるけどなぁ」
「二人乗りの飛空艇に十枚も二十枚も必要か? それにロープも、ベルダンのやり方で係留していたなら四本で十分だ。だがアエローには太いのから細いのまで、少なくとも百本は載せてあった。いくらなんでも飛空艇一隻繋ぐのに百本は多すぎだと思わねぇかい」
「確かに多いけどさ、回収船としちゃちょっと少ない。第一、回収船なら銃なんて要らないんじゃないのか?」
「元々二丁載る設計になってたのを誰かが一丁降ろしてんだぞ。戦闘機が攻撃手段を減らすか?」
「一丁残す理由だって無いだろ。何だい、この機銃から出てくる弾はサメも打ち落とせるって?」
「そりゃ……出来んが」
出てきた疑問をぶつけると、ロレンゾは言葉を失った。
別にあんたの考えを否定したいわけじゃないんだけど、と弁解しようとしたのを、彼は首を横に振って遮る。思わず口を噤んだその隙に、彼が放つは低い暴露の言葉。
「アエローは“記憶”するんだよ」
「!?」
「それまで飛んできた道のり、操り手の会話、周囲の物音。俺達が記憶するよりは少ない量だが、アエローは確かに、墜落する寸前の記憶を持っている——っつっても、流石に壊れてたがね。それでも『遺物』だ、壊れても簡単に直せるような構造になっていた。だから、直した」
瞬間。一週間前のことを思い出す。
俺が彼の元を訪ねた時、彼は何か機械を弄っていた。詳しく見はしなかったが、翠龍線で掘り起こされた『遺物』だろうとぼんやり考えた、あの複雑で面倒臭そうな機械。
まさか、あれは。
「ロレンゾ、あんたもしや、それ……」
「嗚呼、手前が思ってるので多分間違いねェ。あれがアエローの記憶装置だ。……尤も、何千年も塩水に浸かったせいで、記憶の大部分は飛んじまってたがよ。俺の修理が下手だったせいもあるかもしれん」
——それでもアエローは微かに覚えていた。人を乗せていた頃の記憶を。
諸々の疑問や感情は、低められた声が洗い流した。
神託を待つ巫女の気分に陥りながら、俺は次の言葉を待つ。
彼は逡巡するように少し目を伏せ、意を決したように見開いた。