複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.37 )
- 日時: 2016/11/04 03:51
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: HccOitOw)
- 参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=182.jpg
“嘗て人を苦しめた力が、人を救う希望になれたことは誇りであろう”
……少し、解せなかった。
あらゆる意味で生命の限界を凌駕し、何もかも破壊しつくすほどの力を持ってしまった化け物が、最期に掛けられた言葉がそれなのか。そんなことを言われても、俺は俄かに信じられない。それどころか、言い知れぬ憤慨さえ感じてしまう。あんな化け物に、優しい称賛の言葉が必要なのか、と。
だが、ロレンゾはぶれない。本当の話だと念を押し、それでも見る目に籠る猜疑心を隠しおおせない俺に、彼は溜息混じりに続ける。
「翻訳が間違ってるとは思わない。聴き取りが間違っているとも思っちゃいない。あの鳥は少なくとも、最期には誰かを救う力になった。……十万の猛禽を打ち落とす化け物も、解釈と使い方で頼もしい隣人になると、アエローは示してみせたんだ。俺にはそれだけで十分だよ」
「語っているところに失礼するが、撃墜王よ」
不意に、背後から投げかけられる声。咄嗟に振り返れば、厳めしい表情をした灰色の犬、もといニーベルが、松葉杖片手に佇んでいる。その若草色の目は、振り返った俺ではなく、ただ日の昇る方を見てばかりのロレンゾへと注がれていた。
撃墜王は振り向かない。ただ、何の用だ、とそぞろに問うだけだ。
一方のニーベルも、表情一つ変えない。隆々とした影を真っ直ぐに見つめ、言葉を紡ぐ。
「ルディカと言ったか? 猫族の魔法使いが貴方を呼んでいる。そこの旅鳥も来れるならば、と」
「俺を? そらまた、何の用だい」
「我々は命令に対して余計な詮索をしない。果たすだけだ」
「ふぅん、律儀だねぇ」
何の感情も含まれていない感想を一つ。褒められたのか貶されたのか、意図を掴めず微妙な顔で目を瞬くニーベルに構わず、ロレンゾはくるりと踵を返すと、やや足早に塹壕の方へ向かって歩き出す。そして、ニーベルの横をふとすれ違ったその瞬間、その首根っこをむんずと掴んだ。
突然のことに反応の遅れた犬は一顧だにせず、彼はそのままずるずると彼を引き摺っていく。おいこら放せ、と絞り出したような怒号が放たれても、ロレンゾはお構いなしだ。
……どうしたらいいんだろう、この状況。
「が、頑張れっ」
「余計に惨めになるだろうが、止めろ……!」
ロレンゾの手を引き剥がすほどの力もなく、だからと言って呼ばれている以上この場に突っ立って見送っている訳にも行かない。
少しの間考えて、俺は結局、引き摺られるニーベルを助けずに、ただロレンゾの背へ追従することに決めた。末代まで祟ってやる、と言わんばかりの猛烈な怨嗟(えんさ)の視線を向けられたが、敢えて気にしない。気にしてはいけないのだ、俺よ。
「よう、ルディ。俺を呼ぶたァ一体全体どうした?」
ずるずるとニーベルを引き摺って来た俺達に、ルディカは少し驚いたようだ。耳をピンと立たせ、瑠璃色の目をぱちくりと瞬いて固まる白猫に、ロレンゾは何でそんなに驚いているのか、とでも言いたげに小首を傾げ、ニーベルの首根っこを頑なに引っ掴んだまま、いきなり本題を繰り出した。
ルディカは何か言いたげに、憤然として腕を組んでいるニーベルと、ただ漫然と突っ立っている俺を交互に見てくる。俺にもどうしようもない、と目配せして伝えると、彼は変なものを見る目を俺達三人にぐるりと向けて、次の瞬間平静を取り繕っていた。
瞳に浮かんでいた戸惑いは消え、鋭い光を宿して俺達を見る。その眼を真正面から見つめ返し、ロレンゾは、ニーベルの襟首から手を放した。
重いものが地面に落ちる音をかき消して、よく通る低い声が尋ねる。
俺達を呼んだ理由は何だ。ともすれば脅迫じみた響きを帯びて投げつけられた問いへ、ルディカは迷わずに返した。
「後始末を付けに行きます」
「おいおい……言うに事欠いてそれかい。ンなこたァ兵士がやることじゃねェ、頭の良い上オダイジンサマにでも任せときゃ——」
「父は“王”と最も近しい存在でした。そして貴方は、その父と親しい存在だった」
ロレンゾが、沈黙した。
垣間見える金色の瞳が、刃の鋭さを帯びる。
「奴ァ何をしてる。あの熱血漢が出向けない理由があるか?」
「言うと思いますか、こんな所で」
「……つまりはそう言うことだな」
「————」
二人だけの知る事情。二人にしか通じない会話。
外野の理解を置き去りにして、真剣な表情と真剣な声は更に二、三ほど、暗号のような言葉を交わす。声が両者の間を行き交う度に、ロレンゾの表情は目に見えて険しくなるばかりだ。
ふぅ、と疲れたような溜息が一つ。長い白髯を弄りながら、ロレンゾはいつもと同じ、軽薄で穏やかな笑みをルディカに向けた。
「良いだろう、代わりになってやる。上手く立ち回れや」
「分かっています」
確認は短く。
見つめる先は遠く。
続いて声は、俺に向く。
「呼び付けておいて何ですが、その……」
「あー、そう言うのナシな。大体分かるから」
俺に会話の意味が分からなかった時点で、何を言われるかの予想は大体付いていた。今更言葉にして言われることなど、俺には何もない。
申し訳なさそうなルディカの声を遮り、しゅんとしたように耳を倒した彼へ、続ける。元気付けると言うにはあまりにも不愛想に。
「俺は誰でも出来ることを一生懸命やるだけだよ。心配とか要らないから」
「いえ、そうではなくて——」
「留守番だって立派な役目だろ。良いから早く戦争終わらせて来いって」
語調を強めて言い切ると、ルディカは押し黙った。
そして、そのまま深々と頭を下げてくる。
「すぐに戻ります」
「おう。そうでなきゃベルダンから鉄拳制裁だぜ」
「……可及的速やかに」
か細い声で呟いて、若い白猫は朝日の方角へ足先を向ける。
瑠璃の眼が、陽光を真っ直ぐに捉えた。
「戦争を、終わらせてきます」
迷いなき宣言。
歩き出す英雄と魔導師の後ろに、長く長く影が伸びた。
To be continued...