複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.41 )
日時: 2016/02/16 00:28
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: E8T1E3Rb)

Page 2:彷徨い森のファンダンゴ


「ご機嫌麗しゅう、魔導師長が知己エドガー、ベルダン、そして『泡沫の歌うたい』ラミー。私は“猫の王”の遣いの者であります。唐突なことでは御座いますが、王が謁見を御赦しになりました。速やかに『銀嶺(ぎんれい)の城』へ来訪するよう所望しております」
「……へ?」
「俺?」

 塹壕に居た俺達の元へ、“猫の王”なる者の遣いがやって来たのは、ロレンゾとルディカが犬族の国へ出発してからかなり経った頃。そろそろ昼になろうかと言う時分だ。
 ミソサザイかと思わんばかりに小さい、しかしやけに堂々とした佇まいの白い小鳥が、どうやら王の遣いらしい。小さい翼で器用に宙の一点へ留まり、遣いは慇懃無礼な口調で一方的に用件を伝えてくる。そのままそそくさと立ち去ろうとした所へ、どういうことだと聞き返すと、それは菫色の眼でちらと周囲を見回した。
 止まる場所が欲しいのだろうか。ならばと左の翼を差し出すと、思惑通り遣いは俺の翼の先にちょこんと羽を休めた。

「で、俺に来てほしいってのはどういう事だい」
「言葉の通りであります。“猫の王”レグルス様は此度の貴方がたの功績を御認めになり、直々に御逢いし言葉を交わしたいとのこと。レグルス様は現在病に臥し、その御身が自由になりませぬ故、貴方がたからの来訪を望んでおります」

 遣いの小鳥は寸秒の遅滞もなく俺の質問に答えてくる。そして、やおら俺の翼の上にのっしり身体を落ち着けた。俺が応か否か答えるまで居座る算段のようだ。
 ——“猫の王”レグルス。それがどんな存在なのか俺は知る由もないが、周囲から王と呼ばれている上にその名で遣いまで出せるのだから、猫族の中でも特別偉い身分なのだろう。そんなお偉い方に、病床の身で逢いたいと言われて、断る理由が俺の何処にあるだろうか。

「俺は喜んで行くよ」
「私もー!」
「それは有り難い」

 俺が遣いに与える返事はこれしかない。
 なのに。

「俺は断る。果たすべき仕事を放棄してまで赴く価値が無い」
「おい、ベルダン!」

 遣いが名に挙げたもう一人の方は、あっさりと突っ撥ねた。思わず飛び出した咎めの言葉も聞く耳持たず、彼は塹壕の淵に座り込み、晴れ渡る秋の空を眺めている。理由を御聞かせ願います、そう遣いが声を張り上げて、それでも尚彼は黙りこくったままだった。
 今の空と同じ色をした眼が見つめる先は、現実ではない何処か。ほとんど揺らぐことのない表情は、いつものように何も思惟を読み取らせない。振り上げては強く打ち下ろされる尻尾の先だけが、彼の思うことの一端を告げるばかりだ。
 それは即ち、苛立たしさ。一体何がそうさせるのかは知らないが、とにかく彼は何かに苛立っていた。

「……エド、ラミー、貴様等は行って来い。彼は聡明な男だ」
「へ? ベルダンさんは?」
「そうだよ、あんたはどうすんだ。その「聡明な男」からの呼び出しを無下にする気か?」
「俺は誉れより仕事を取る」

 ベルダンの一言は冷徹だった。そして、こんな声を上げた時の彼は、八つ裂きにしたって自分の意志を枉(ま)げはしないことを、俺は知っている。良くも悪くも、ベルダンと言う男は硬骨で一本気な性質なのだ。
 遣いはそれを知っているのだろうか。アメジストにも似た眼を少し細めて、彼は涼やかに、鋭く言葉を突き刺した。

「王は貴方がたのようには行きませぬ。老い衰え、今や余命幾許もないことは承知の筈。逢わねば次はありませぬ。それでも貴方は目先の任務を優先されますか? 誰に任せて差し支えのないものが大事ですか? 貴方は、その頑迷さの為にどれだけのものを失うのです」
「ならば、何時でも出来ることの為に今しか出来ないことを犠牲にしろと言うのか? 巫山戯るのも大概にしろ、それほど俺は暇ではない」
「往時にも貴方は同じことを仰った。その結果を貴方が知らぬとは言いますまい」

 機械的な口調の裏に怒気を含めて、遣いは淡泊に咆える。対するベルダンは、苦痛を堪えるように固く目を閉じ、押し黙った。バシン、と鈍い音。砂煙が舞うほどに強く尻尾を叩きつけ、彼は乾いた地面を掻き毟る。それでも尚、その首が縦に振られることはない。
 遣いはただベルダンを見上げていた。
 ベルダンが鳥を見ることはなかった。

「四十年前の英断は多くの者を裏切り、より多くの者に益を齎しました。ですが、今王に逢わぬことにどのような益がありましょう? 貴方にとって、我が王とは小さな益の為に裏切っても良い存在なのでしょうか」
「————」
「王は聡明なる御方であらせられます。今此処で手を拱(こまぬ)くより大きな益を与え得ると御思いになったからこそ、貴方をも御招きになられた。御分かりになっては頂けませんか」

 長い長い沈黙。
 大きく重い息を一つついて、ベルダンはもう一度尻尾を叩き付けたかと思うと、何かを引き千切るように勢いよく立ち上がった。
 空色の瞳は、陽の昇る方を見つめたまま。声だけが俺達の傍に転がってくる。

「悪いが、返事は否だ」
「何を——むぎゅぅ」

 躍起になって言い返そうとした遣いを、俺は咄嗟に上から押さえつける。何時までも遠くを見続けるその眼に、答えを見たような気がしたのだ。何も意地悪や頑迷さの為に拒み続けているのではないと、俺は直感していた。
 とりあえず俺だけでもそっちに行こう。押さえ付ける手を放しざまそう提案すると、遣いも何か感づいたらしい、特に反論せず頷いた。

「王は『彷徨いの森』最奥に居られます。導(しるべ)を見失わないよう」
「嗚呼、分かってる。……ラミー、行くぜ」
「はいはいさー!」

 ぱたた、と軽い羽音を立てて飛び立った遣いを横目に、その辺をぷらぷら漂っていたラミーを呼び寄せる。こんなカラカラの場所に長居させたから干物になっちまったんじゃないかと思ったが、見る限りそう言った様子は全くない。むしろ、元気いっぱいといった風情だ。
 大方、俺が此処を離れている間に里帰りでもしたのだろう。バケツ一杯でも水があれば、彼女はそこから何時でも家に帰れるのだから。そうでなくとも、頭から水を三回ぶっかければ、ラミーなら何とかなってしまう。つくづく人魚らしくない。
 なんて、他愛もないことを考えながら、俺は白い小鳥の後を追った。