複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.42 )
日時: 2016/02/19 04:15
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: E8T1E3Rb)

 翠龍線の東側、その麓に広がる針葉樹林。別名、『彷徨いの森』。
 密生した陰樹が欝々と枝葉を伸ばし、昼の日中にあっても薄暗い森は、時に遥か上空を渡る鷹の勘さえ狂わせる。俺には生憎とその感覚は分からないが、コンパスの針が彷徨いの森に入った直後から北を探し始めたのを見るに、この辺りに在るある種の“乱れ”は相当に強いものらしい。
 方位磁針が役に立たないのでは仕方ない。大人しくコンパスを鞄にしまい込み、前を行く遣いとラミーの方へ眼をやった。
 二人の道行きには一切の迷いもなければ躊躇いもない。この薄暗く奥深い森の中にあって、二人には俺と違う光景(もの)が見えているようだ。ラミーは時に俺の視力ですら何も見えない暗闇を指して首を傾げ、遣いはそれにあまり見るなとばかり答えていた。
 つまんないの、とラミーは頬を膨らませる。その後に漂う静寂を、俺はふと思いついた疑問で打ち破った。

「なぁ、遣いよ」
「何であらせられましょう?」
「ベルダンが四十年前にやった決断って、ありゃ何だ?」

 多くを裏切り、より多くを救った英断。そりゃあ、ベルダンも完璧ではないのだから、多少の犠牲を含んだ決断を下すこともあるだろう。だが、話題に出されただけで、あの彼があんな苦悶の表情をするなんてのはそうそうあることじゃない。
 だが、だからと言って、俺がベルダンにしてやれることなど何もないに等しい。仮令遣いからどんなに惨いことを聞いたとしても、俺は彼に慰めの言葉一つ掛けることも出来なければ、力添えしようなどと提案すら出来やしないのだ。当人も、そんな表面だけの同情など必要とはしないだろう。
 ——詰まる所、俺は単なる好奇心の為だけに、個人の過去を暴き立てようとしている。
 遣いはそんな俺の意図を見抜いたか否か。その視線は俺の方を一顧だにせず、放たれる声は相変わらず慇懃で冷淡だった。

「御存知無いことを前提として御話ししますが、ベルダンは元々砲兵部隊の長を務めておられた方。あの方は、往時の者はほとんど持ち合わせていなかった、正確な砲撃の技術と状況把握力の高さを買われておりました。軍力で犬族や猛禽に後れを取る猫族が、現在までこのプレシャ大陸に一国を持てたのは、あの方の活躍あっての事と言って過言ではありますまい」
「ベルダンはアエローに乗ろうが乗るまいが英雄だったってか」
「そうとも言えましょう。……しかしながら、我々猫族は数量も技術も他に劣る身。一人の英雄が幾ら力を振るった所で、我々の劣勢は覆せるものではありませんでした。空襲ともなれば猶更にどうしようもない」

 一息に言い切って、遣いは少しばかり言葉を区切る。
 その切れ目に、ラミーが言葉を差し挟んできた。

「ねぇ、どうしてロレンゾさんもベルダンさんも猫さんの味方なの? 私、ルディのお父さんとロレンゾさん達が逢った後から仲良くなったって思ってたよぅ」
「嗚呼——当時はプレシャ大陸全域の制空権を猛禽が握っていましてね。お二方が御住まいになっているネフラ山麓駅は、その時の空襲で相当の被害を受けたと聞いております」
「そんな風には見えないなぁ。だって石畳とかとっても綺麗だよ!」
「あの街はプレシャ大陸でも特に旅人の出入りが激しい街ですから、復興もそれだけ早かったのでしょう。……当時の猛禽は我々の敵たる犬族と同盟関係にあった。そして、猫族は犬族を、トカゲ族は猛禽を打倒したかった。利害の一致が我々に同盟を結ばせたのです」

 遣いはあくまでも問いに答える以上の無駄話はしたくないらしい。いっそ華麗なほど無味乾燥とした受け流しに、ラミーは不満げだ。
 しかし、小鳥は全く意に介さず、俺に対する返答の続きを言い放つ。

「ロレンゾがかの飛空艇を発見したのは、戦線の維持が限界に達そうとしていた時です。泉の底から引き揚げられた機体は動力炉の損傷激しく、しかも複雑な設計をしていました。その精妙さは当時我々の陣営で最も高い水準を誇っていた整備兵(メカニック)が手を付けられず、サルベージした本人までも匙を投げる有様。ですが、あの方は違った」
「砲兵だったんだろ?」
「砲兵でしたとも。ですが、当時から「砲兵より寧ろ整備兵向きだろう」と揶揄される程度には手先の器用な方でした。それに何より、あの方はあらゆる量の数値的な扱いに長け、空間の構築力に富んでおられた。……それ自体はどのトカゲ族も似たようなものですが」

 ——トカゲ族は我等が勘で捉えるしかないものを視覚や聴覚に訴える術を知っているのだ。彼は特に。

 小鳥の呟きは、微かに羨むような響きがこもっていた。
 確かに——俺も含めた——あらゆる鳥は、鋭敏で外れない第六感を持っている代わりに、それを万人と共有する術を持っていない。あんまりにも細かな情報まで分かってしまって、どれをどう伝えたら良いか分からないのだ。無理やりカタチにすると曖昧になるか雑多になるかのどちらかしかない。
 そこへ行くとトカゲは違う。自分達の感覚を、時に自分達が理解し得ない筈のことさえ、他に伝えることができる。他にもそう言った尺度を持っている種族は沢山いるが、トカゲほど合理的かつ実用的で堅牢なものを持っているのは、少なくとも“今の世界”には存在しないと言っていい。
 絶対的な基準があるということは、あらゆる方面で強力な武器だろう。揺らがないことは何に於いても大事なことだ。そしてベルダンはとりわけ明瞭で確固としたものを持っている。それは俺にも否定できない。

「で、その整備兵向きな砲兵長がどうしたって?」
「我々はあの方に飛空艇の修理を要請し、あの方は何も言わず首を縦に振った。設計が分からずとも、想像を絶する可能性を秘めていることは我々にも理解出来ていました。往時のベルダンも恐らく我々と同じことを考えていたはずです。……しかしながら、あの方が飛空艇を弄ることを反対する者もおりましてね」
「——それ、ベルダンの居た砲兵部隊の連中かい」
「おや。良くお分かりで」

 何時でも出来ること、今しか出来ない事。裏切り。多くの救い。精緻な怪物。頼み事。砲兵長時代(かつて)の部下。今まで聞いてきた話が走馬灯のように脳裏をよぎる。
 俺は部外者だ。そこはどれだけ奴等と仲良くなろうと変わることはない。けれど、そんな部外者でも断片を拾い上げることは出来る。そして拾い上げた断片は、俺の中で一つの物語(カタチ)になろうとしていた。
 その結末は。

「隊長たるベルダンが部隊から抜けてしまっては任務が十分に遂行出来ないと、砲兵部隊の兵士達が抗議してきたのです。ですが、当時あの方の率いていた砲兵部隊は我々が所有していた拠点の中でも重要な場所に置かれておりましたし、抗議は至極妥当と我々も考えざるを得ませんでした」
「それでも、アエローの有用さを無視するワケには行かなかった」
「水掛け論の押し問答です。我々は拠点を一つ潰しても飛空艇によってもう一度取り戻せると意見し、彼等は拠点を取り戻す労力を護る方に回すべきとの主張を頑強に固辞し続けた。何日も論議しましたが決着は付かず、論点と論旨を違えに違えた我々は、場の中心にいるベルダン自身に判断を仰ぐことでしか引き下がることが出来なくなっていました」

 愚かしいと笑いたいならば笑うがいいと、自嘲気味に吐き捨てた遣いへ、俺は何も言わず続きを促す。
 話を聞く限り、議論を交わすだけで回避し得た状況ではないのだろう。どちらの側の意見も間違ってはいないし、どちらかが譲歩するとも思えない。論争の中心にいる人物に決定を請うのは、確かに責任を擦り付ける愚挙と言えるのだろうが、だからと言って責められることであってはいけないのだ。
 遣いは、俺の方を見なかった。

「あの方は我々を支持しました。「飛空艇の分解と修理は今から取り掛からなければ到底間に合わない、だが拠点を取り返すのは他の拠点を奪う時にでも出来る。いつでも出来ることの為に、今しか出来ないことを放り出すわけにはいかない」と。砲兵達も反論できず、拠点に下がっていきましたが——」
「…………」
「御察しになられたでしょう、拠点は襲撃された。それが部隊長の離脱を狙ったものか、それとも単なる偶然だったかは私にも分かりませんが、相当に大規模な進攻だったことは確かです。しかし砲兵達はその拠点を捨てず、ベルダンに拠点への帰還を要請し、自身等は迎撃を行った。恐らく、実際の襲撃に際しては長とて戻ると信じたのでしょう」

 ——戻らなかったのだ。
 声には出さず、呟いた。

「……拠点は陥落。砲兵部隊全五十七名は、全員死亡しました」

 遣いはあくまでも淡々としている。
 俺も、正直どんな顔をすればいいか分からなかった。と言うより、俺がこんな反応しかできないのを見越して質問に答えたのだろう。そうでなけりゃただの好奇心だけで聞いてきた奴に、さして仲も良くなさそうな奴の過去を躊躇いもなく話せるわけがない。
 絶句する俺に、彼が向き直ることはなかった。

「ベルダンは旧友の危機を知りながら自分の意志でそれを握り潰し、その結果飛空艇は嘗ての如く空を飛び制空権を奪い取った。五十七名の犠牲は大変痛ましいことですが、あの方はそれを礎に平穏を齎したのです。大局的に見れば、犠牲を最小限に抑え、より多くを救った英断と言えましょう」
「————」
「それでもあの方は、悔いておられる。自分が行けばあのような犠牲は回避出来たはずなのだと」

 終わってしまったものをいつまで後に引いているつもりなのか。呟く遣いの声には非難めいたものが混じっていた。
 瞬間、今の今まで勤労を放棄していた喉が、抜き打ちで言葉を紡ぎだした。

「戦友が一人でもあいつを恨んだなら、救われただろうに」

 一瞬、小鳥の白い身体が空中でバランスを崩す。すぐに持ち直したが、飛び方は目に見えてふらついていた。その様子に、遣いも動揺することがあるのか、とぼんやり頭の片隅で物思いながら、俺の口は更に言葉を紡ぎかけて、ハッと息を呑んだ。
 違和感に首を巡らせる。おかしい。更にじっくりと辺りを見回す。
 途端、機械的に前へ進めていた足が、凍り付いた。

 不味い。
 居なきゃいけない奴がいない。

「ぁ、あいつ何処行った……?」
「え?」

 遣いも気付いていなかったのか、前を行きながらちょろちょろと周囲を見渡し、ぎょっとしたように翼を捻ってその場に静止した。
 漂う静謐。全身の血が冷え切っていく。
 認めたくない事実が、口の端から滑り落ちた。

「ラミーが、居ねぇ」