複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.45 )
- 日時: 2016/03/12 02:02
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: ZExdpBCU)
「なぁ、主様よ」
「ヌシサマじゃなくてラソルだよ。『大樹の彷徨(ドリュアス)』のラソル」
「じゃ、ラソル。ちょっと質問して良いかい」
「何でもどーぞ。ボクに答えられることならね」
木の妖精、もとい『大樹の彷徨(ドリュアス)』。名はラソル。
それが、この暗く深い森の主であり、俺の頭に腰を下ろす小さな守神の素性らしい。けれど、暗きに蠢く森の底知れなさと裏腹に、その主たるラソルは分かり易いのんびり屋だった。今だって、俺は背に付きまとう狼の気配に神経が尖りっぱなしだってのに、彼女は呑気に花冠を編んでいるのだ。
一体何処から摘んできたものやら、時折はらはらと落ちてくるミズヒキの赤い花に正直辟易しながら、頭上の守神に問いをぶつけた。
「どうして俺達に手を貸す気になった? こんなだだっ広い森の中で、たった一人しか居ない守神に助けられたのが偶然なんて思わんぜ」
「んー、ぶっちゃけ珍しかったからかなー。歌うたいの姫君から「誰か助けて」なんて言われると思わなくってさ」
「あ、そう言う感じ……」
思わず、浮かべる表情に迷ってしまった。
ラミーが救援を求めたにせよ否にせよ、ラソル自身が俺達に興味を持たなければ、俺はあの場で本当に食い殺されていたかもしれないのだ。それを考えたなら、彼女の気まぐれには笑って感謝しなきゃいけないのだろう。だろうが、やっぱり複雑な気分になってしまう。
すぐに二の句を接げず、沈黙すること暫し。俺の足音だけが聞こえるばかりの静寂(しじま)を破ったのは、ラソルだった。
「エディ、ボクも質問していいかな」
「ペタルのことなら勘弁してくれよ」
ややトーンを落としての質問に、素早く釘を刺す。
それも聞きたいことだけど。ラソルの声色は変わらない。
「この森に来る前、君は一体何をしてたの」
「焦げ臭い理由を説明すりゃあ良いのか、そりゃあ」
「違う」
——火に焼かれただけ、煙を浴びただけで、死臭は付いたりしない。
——何を連れてきて、何をした。何をさせた。
主の言葉は、俺の返答を試すようだ。
だが、試されるほど狡猾な口は持っていない。
「昔の英雄に魔法使いが死んだって伝えただけだ。それ以上のことは何もしてない」
「昔の英雄? 飛空艇乗りのトカゲのこと?」
「嗚呼……後は全部そいつ等がやった。俺はそれを見届けただけだ」
真実を語るには言葉が足りていないが、少なくとも嘘は言っていない。ラソルにもそのことは伝わったのだろう、そっかぁ、とやや拍子抜けしたような声で呟き、やおら俺の頭上ですっくりと立ち上がった。かと思うと、ぷちんと葉っぱか何かを摘み取って、すぐに座り込む。
花冠の飾りに添えるつもりなのだろうか。視界の外のことをあれこれ考えつつも、足は止めずに森を走り抜ける。
ラソルがもう一度俺に話しかけてくるまで、沈黙は長く続いた。
「魔法使いが死んで、飛空艇乗りが来て……ボク、つまんなくなるなぁ」
「そらまた、どうして」
「だって、あいつらがもう一度ここに来たら、戦争が終わるんでしょ? そしたら、飛空艇乗りが飛空艇乗りになる理由がない。戦場に行く理由がなくなっちゃうから。そしたら、あいつらがこの森に来る理由もなくなっちゃう。ボクに面白い話を持ってきてくれる人もいなくなっちゃうの」
——この森は広いけど、三千年を過ごすには狭すぎた。ボクと木は語らえるけど、動けない木が出来る話で過ごせる時には限界がある。狼は気難しいから他所で起こったことを中々話してくれないし、猫はボクを守神として畏れ称えるだけで親しんでくれない。
——森に縛られるのは退屈だ。あいつらに会う前のボクならそれでもよかったのだろうけど、今のボクは、あいつらの話を聞いてしまったボクには、もうこんな退屈に耐えられる気がしない。
ぽつぽつと、気だるげな声に乗せて呟きながら、ラソルは足をばたつかせる。言葉の選び方にしろ、声色にしろ、それは酷く淡々としたもので、彼女にとって心情の吐露以上の意味を持ち得ていないのだろう。だからどうしたとでも言えば途端に力を失くす代物だ。
だが。
この俺が、目の前で退屈だと連呼されて、嗚呼そうですかなどと流せるものか。
「俺、“最高神”を一目見たくて旅してんだけどな?」
「最高神? えーとー……『全てなる父(ミズガルズ)』とか?」
「そうそう、それそれ。あんた、見たことあるかい」
「んー。どんな存在なのかってのは何となく知ってるんだけど。でもちゃんと姿を見たってことはないかなぁ」
えっまさか、と素っ頓狂な一声。間髪容れず、にゅっとラソルの顔がさかさまに伸びてくる。やめろ前が見えん、と思わず大声を上げたら、残念そうにぶーぶー言いながらまた引っ込んでいった。
不満を表明するように足をぱたぱたさせる妖精へ、提案を一つ。
「会えたら、その時のこと話してやるよ。どんな場所に居て、どんな奴で、それまでにどんな旅をしてきたか。皆あんたに話してやる」
「わぁお、ほんとに? 大歓迎だよ!」
「嗚呼、それであんたの退屈が紛れるなら、喜んで」
——旺盛な好奇心のために、その身を滅ぼさずに済むのならば。俺は何度でもここに来て、どんな話でもしよう。
喋りながら、はしゃぐペタルの姿が一瞬脳裏を過ぎった。
束の間、場を席巻した気まずさと静謐は、背後から上がったソプラノに打ち払われる。
「わぁ、着いた! 着いたよエディ!」
「えっ!?」
「ほらっ!」
思わず振り返った先では、俺の背に横座りしたラミーが、目を輝かせながら遠くを指さしていた。その指先を辿って、顔を前に戻せば、俺の目に映るはただ黒々とした闇ばかり。ラミーを探し当てた時と似て非なる、寒々としたものが渦を巻いている。
何処がどう目的地だ、と毒づきながら一歩踏み出した俺は、二歩目を踏み出すその直前に、足を地面に杭打った。
——何か、でかいものが佇んでいる。
「な、なっ……何じゃこりゃぁ」
魔燈鉱の光にぼんやりと照らし出されるは、真っ白な——巨木。
何千、いや、何万もの年を重ねたであろう、白樺の老樹だ。
「ラミー、おまっ、これが……?」
「そうじゃないかなぁ? 私良く分かんないけど、そんな気がするよ!」
「間違ってないよ、姫様。その通り」
からからと朗らかに笑うラミーの声に、やや被せ。
ひょいと妖精が俺の頭を蹴ったかと思うと、暗闇に慣れ切っていた視界が一瞬、真っ白に染まった。何事かと身構える暇もなく、目はすぐに元の彩を取り戻す。それと同時に、俺のすぐ前方で、重さのある何かが枝と落ち葉を踏み折った。
目を遣る先には、ミズヒキとトウヒで編んだ花冠を頭に戴く、緑髪翠眼の少女が一人。滑らかな布を重ねたドレスを纏い、四枚の翅をランタンの光に青白く透かすそれは、さっきまで俺の頭の上に居た妖精に相違ないのだろう。けれど今のラソルは何故か、ラミーよりも背が高い——少なくとも、俺の頭の上にはどう足掻いても乗れないサイズまで大きくなっていた。
どうやって、何の意味があって。言葉に出来ないままぐるぐると頭を巡る問いを、ラソルは一声で断ち切った。
「ようこそ二人とも。生ける砦、『銀嶺の城』へ」