複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.46 )
日時: 2016/03/20 07:52
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: ZExdpBCU)

「すっげぇ……普通に建ってる城と変わんねぇぞ、これ」
「でしょでしょー? ボクを褒めてくれたってよいのだぞー」
「何であんたを褒めるんだよ。猫が建てたもんだろーがこれは」
「何をぅ、ボクだって頑張ってるんだよ」

 端正なモザイク模様を描く大理石の床、点々と壁に灯るランプの灯、白々と光を落とす魔燈鉱のシャンデリア。広間の中央には何かの塔を模した大きな噴水が鎮座し、ざぁざぁと中々豪快な音と共に水面を照り輝かせている。白い石を組み上げた壁には瀟洒なレリーフが施され、吹き抜けの城のてっぺんまで続く回廊と階(きざはし)にも、金や銀で細やかな装飾が描かれていた。
 中の広さも、城と呼ばれるに相応しいだけの規模は十分にある。ラソルの呼称した通り、砦と言って過言でないかもしれない。……何にせよ、此処が生きて葉を付けている樹の内部だとは、言われても十中八九信じられないだろう。

「どしたの、エディ? そんなトコに立ってたら邪魔になるよ」

 そして俺達は、そんな城の出入り口で突っ立つばかり。それは、吹き抜けの塔の威容にちょっと気圧されているってのもあるし、視界一杯に広がる煌びやかな装飾に見惚れてるってのもある。けれど、一番俺の足を竦ませるのは、全身に圧し掛かる異様な静謐だった。
 ——そう、誰も居ないのだ。
 侵入者の一行を警戒して何処かに身を隠している、と言うならまだ分かるが、どんなに神経を尖らせても、それらしい気配すらしない。

「いや……あの、誰もいないのに入っていいのか?」
「構いっこないよそんなの。この城は来る人を拒んだりしない」

 出入りするのに誰かの許可が欲しいなら、森の主たる自分が許可しよう。そう言い切って、ラソルは微塵の躊躇いもなく大理石の床の上を裸足で歩く。ぺたぺたとやや湿ったような足音が、誰も居ない大広間に響き渡った。迷いも遠慮もない様子からして、よく出入りしているのだろう。
 “猫の王”は何処に、と試しに問えば、彼女はうんと背伸びをしながら、塔の最上をまっすぐに指さした。

「普段なら謁見の間に居るんだろうけど、今は具合が悪いからね。自分の部屋に居るよ。一緒に行く?」
「良いのか? 勝手にうろついたら王様に怒られるんじゃないのかい」
「なーに、ボクだってこの城の主さ」

 両手を広げ、綿毛のようにほわほわと笑いながら階段を昇っていくラソル。その歩は羽毛のようにふわふわと軽く、重量を感じさせない。その様子を眺めながら、ついていくべきか否か迷っている間に、妖精はあっと言う間に三階層分の回廊を昇り切っていた。
 これ以上離されると見失ってしまいそうだ。構造自体は単純だが、何しろ此処は生きている砦。何があるか分からない。
 意を決して、どんどん小さくなっていくラソルの背を追った。


「やっぱり、誰も居ないのかな」
「みたいだよぅ。話し声も足音も聞こえないし……」

 上へ足を進めるごとに、空気がひやりと冷たくなっていく。同時に、誰もいない重圧もまた、次第に色濃くなっていく。俺自身の呼吸音と足音、それから時折しゃらんと銀鎖の触れ合う音が響く以外には、俺の周囲に音はない。
 二段飛ばしで階を上がりながら、昇り続けて結構な時が経ったか。ふと手摺越しに見下ろせば、モザイク模様の床は目下に遠く。そして、俺と同じ目線の先には、この城を上から照らす典雅なシャンデリアがある。
 どうやら俺は、無事にこの城の最上部まで来れたらしい。結局ここまで何が起こることもなかったが、むしろ何もないってことは、一応歓迎されているのだろうか。
 頭の中でぐるぐるとものを考えながら、蝋燭のように揺らぐ魔燈鉱の光を呆然と眺めていると、ぽんと横っ腹に軽い衝撃が来た。
 そちらに目をやれば、自称城の主が眠そうに笑いながら俺の背後を指さしている。

「ほら、そこ。おっきい扉あるでしょ」
「ん? 嗚呼……」

 細く白い指の先を辿ると、そこは精緻に組み上げられた白い壁の一角。立ち並ぶ扉の中でも一際立派な、二頭のドラゴンが掘られた扉が、静かに開かれる時を待っていた。
 そこが王様の部屋かい。問いの返事は、応。

「王様にはボクにも用事があるけど、お客様のエディからどーぞ。部屋に入るときはノックじゃなくって、中の猫に声掛けてからね」
「ん、そりゃ分かってるけど——良いのか? 守神と王様の話って大事そうなニオイぷんぷんすんぞ」
「んー、まあ、王位継承しろーって催促しに来ただけだし。大事だけど急ぎじゃないよ」

 王位の継承なんて聞くだに大事そうな話なのに……すげぇアバウトだ。大丈夫なのかこれ。
 生ける城と猫の国の先行きに一抹の不安を抱えながら、恐る恐る樫の扉の前に立つ。

「“猫の王”よ。貴方が俺達の拝謁を許可なさったと遣いから拝聴し、夜分ではありますが参じた次第です。そちらに伺って宜しいでしょうか」

 声の震えを抑え抑え、慣れない敬語を紡いで、その返答を待つ。
 重く、厳かな沈黙が、暫し続いた。


「——御入り下され」

 扉の向こうから投げられた言葉の意味が、許諾であると気付くまでに、随分時を要しただろう。
 やったね。小さな歓声と共に親指をビシッと立てるラミーにただ笑いかけて、俺は金色の豪奢な取っ手に指を掛ける。
 失礼します。まだ震えの収まらない声でようよう一言紡いで、思い切り扉を押した。