複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.47 )
- 日時: 2016/05/03 16:26
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: ZExdpBCU)
「御待ちしておりましたぞ、御二方」
上等な寝台に身体を起こし、長い柘植の杖を肩に立てかけて、“猫の王”——レグルスは俺達を待っていた。
濃い青灰色の毛並みは白髪混じり、老いて尚鋭さを秘めた緑青色の瞳は細く、膝に置かれた手は長い毛皮越しにも骨ばっているのが分かる。正確な年齢を目測するのは難しいが、それでもこの老衰加減からして、エシラよりは年上だろう。
何にせよ、俺より何十歳も年上だ。立場的にも年齢的にも、ロレンゾに向けるような無礼は許されまい。
「お初にお目にかかります、エドガーと言います。こっちは俺の連れのラミー」
「は、初めましてっ!」
正直むず痒く感じるのを誤魔化しながら、俺の中で目一杯丁寧に言葉を紡いだ。少し遅れて、慌てたようにラミーもぴょこんと勢いよく頭を下げる。対するレグルスは、何やら微笑ましいものを見るような表情で俺達の挨拶を受け、ラミーが頭を上げるのを待ってから、やおら背を伸ばした。
病床に臥し、鶴のように痩せこけて尚、その空気は威厳を纏っている。猫の王と敬われるのも納得の佇まいだ。思わずこっちも居住まいを正した。
「丁寧な挨拶痛み入ります。私はレグルス——第八代“猫の王”として、『銀嶺の城』の管理長及び猫族の長を務めとる者です。此度の貴方方の働き、良う聞いとります。亡き魔導師長の分と重ねて御礼を申し上げたい」
「……大袈裟です。顔を上げてくれませんか」
深々と頭を垂れたレグルスに、俺は思わず言い返した。
もう何度も他に言ったことだが、俺はただの通りすがりなのだ。興味本位で戦線に割り込み、たまたま猫族の魔法使いと知り合いになって、それが偶然にも俺と面識のある奴と親友だった。それ以外に何ら特別なことはない。仮に俺以外の奴が彼と知り合っても、戦争は終わっただろう。
しかし、レグルスは頭を下げたまま。大袈裟なものか、そうきっぱり言い切って、首を小さく横に振った。
「虚しいことを言わんで下され、エドガー殿。貴方方がかの者の遺志を汲まねば、戦争はこれほど早くは終わらなんだ。いつかやる、誰かがやるでは、我々猫族はより悲惨な終戦を迎えていたやもしれません。或いは、終戦それ自体が夢幻の彼方に没していたやもしれんのです」
「…………」
「貴方方がロレンゾ達へ言伝したのが偶然の産物でしかないことは承知の上。終戦に直接貢献したのがあの二人とも存じとります。ですがな、それでも私は、貴方方に礼を言いたい。言わねばならない。エドガー殿、どうか我々の礼を受けては頂けませんかな」
レグルスの声は掠れていた。
猫族にとって、戦争を終わらせることは悲願だったのだろう。それは前時代の怪物を飼い慣らした者達によって一度は成就しかけたものの、英雄の墜落と共にいつとも知れない未来まで延ばされた挙句、古参の死によって潰えようとしていた夢だ。
四十年前の戦線を支えた英雄が去り、それを呼び戻す手段を永久に喪ってしまった今、猫族は偶然や気まぐれに頼らねばならないほどに追い詰められていた。
そして、俺は。
「エディ……」
「————」
後ろから不安そうに声を投げるラミーへは、一瞬だけ目配せし。森を抜ける前から付けっ放しにしていたゴーグルとヘルメットを外して、小脇に抱える。そこでラミーもピンときたらしい、あっと小さく声を上げて、慌てたように俺の隣へ並んだ。
ここまでの道中で乱れた衣装を手早く整え、自分なりに精一杯姿勢を正して、深呼吸を一つ。準備万端とばかりこっちに目をやったラミーと視線を合わせ、小さく首肯する。
揃って目一杯深くお辞儀すると、レグルスは動揺したようだ。何事かとばかり揺れる空気を打ち払うように、俺は頭を上げ、言葉を紡いだ。
「十分です。俺はもう手に余るほど礼を受けています」
「しかしですな」
「レグルス王。お聞き下さい」
——戦争が終わり、命を落とす者が減る。その事実を知っただけで、俺は十二分に光栄です。
——それ以上の称賛を受けたところで、狼に狙われる身では重たすぎて、手に負えません。
「エドガー殿……」
「どうか、ご理解を」
自分でも随分冷徹な言い方だと思うが、嘘は一つも言っていない。
正直な所、礼を形にされたところで、旅をしている身にとっては有難迷惑なだけだ。金目の物を渡されたとて別段金に困っている訳でなし、書状を渡されても保存場所に困るし、実用品は既にロレンゾから見繕ってもらっている。受け取れるのは言葉しかない。
レグルスは返答に窮しているようだ。けれども、そこで返事を枉げるほど俺は優柔不断な奴ではない。俺には俺なりに貫かなきゃやっていけないこともあるのだ。
口を噤み、沈黙に佇むこと少し。
レグルスは決意したように、手にした杖の先で床を突いた。
「では、御二方に宿をお貸ししましょう」
「宿?」
「然様。ペンタフォイル山麓駅の“紡ぎ家”——貴方方はかの者の素性も含め、よく御存知の筈です」
言いながら、レグルスの視線は俺の背へ。
そう言えば、ペトロからブランケットを買ったんだったか。“猫の王”としての情報網がどれだけ広いかは知らないが、ペトロの織った布は何処でも有名だし、彼自身腕の立つ魔法使いとして名が知れているのだから、レグルスが彼のことを知っていたとて不思議ではない。
何にせよ、あの宿にはもう一度行く約束だったし、この際ちゃっかり乗っかってしまうのもありかもしれない。
……何より、野宿が回避できるならそれに越したことはない。こんな所で野宿出来るほど肝が据わってるわけじゃないし。
ならば答えは一つ。
「そう言うことだったら、喜んで」
「然様ですか。それでは——」
準備しましょう、とは、口の動きばかり。
レグルスと、それからラミーが、同時に表情を硬くした。
「どうしたよ、ラミー」
「誰か来る……」
人魚姫の声と横顔は、彼女らしからぬ危機感を秘め。レグルスの方を見やれば、彼もまた、険しい表情で窓の外を睨んでいる。
誰か、とラミーが言ったってことは、少なくともそれは俺かラミーのどっちかと同族であって、全く得体の知れないものではないのだろう。だがこの雰囲気からして、決して歓迎された客人ではない。
このことを、森の主は知っているのだろうか。
「ラソル?」
扉の向こうに居るはずの妖精へ問いかけた、その時。
窓の外から、銃声が響いた。