複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.48 )
日時: 2016/04/27 11:26
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: MIY9Uz95)

 一発、二発、三発。
 乾いた発砲音が城のほぼ直下で鳴り響き、鬱蒼とした森に反響して消えていく。それは高らかでありながら危険な気配を帯びたもので——銃声を詳しく分析できるような聴力は持っていないが——ロレンゾが俺に向かって誤射したときの雰囲気によく似ている気がした。
 あの時ロレンゾが持っていたのは、恐らくはニーベル隊長のもの。それと音が似ているのなら、その銃はニーベルが使っていたのと同じものと言うことになるか。
 ……もし俺の推測が当たっていたなら、正直凄くマズい。ニーベル隊長と初めて会った時は不意を突いたからどうにかなったのであって、向こうが準備万端の状態で鉢合わせすれば、撃ち殺されるのがオチだ。
 ちら、とラミーに目をやると、彼女は黙って首を横に振った。

「やっぱ無理そうか?」
「ごめん、エディ……結構ヘトヘトだよぅ」
「気にするな」

 尻尾をしゅんと垂らし、弱弱しく謝るラミーに、首を振って返す。
 本来なら森の只中なんて、人魚の支配圏(フィールド)をはるかに逸脱した場所だ。魔法を使うどころか、その存在を維持することだって本当は出来やしない。ラミーが人魚としては多少イレギュラーな存在だと言っても、そんな場所に長居して力を発揮できるわけがないのだ。
 ……まあ、迷子になってその長居する原因を作ったのは彼女の非だけれども、その非の半分は監督不行き届きを犯した主人(おれ)なのだから、彼女ばかり責めるわけにはいかない。
 仕方がない。心の中でそうそっと呟きつつ、俺はヘルメットを被ってゴーグルを掛け、足に仕込んだナイフを引き抜いた。
 けれどそれは、背後から伸びた何かに叩き落される。

「痛っ」

 俺の左手を軽くつついたのは、細身な柘植の杖。年季の入ったそれを辿った先では、さっきまでと同じ、柔和ながら怜悧な表情のレグルスが、緑青の瞳で俺を見つめている。
 正直、狼の当身を喰らった時の傷が癒えていない身には、さっきの軽い打撃でも結構ダメージデカいのだけども、レグルスを前にするとそんな文句も中々言えない。ただ、じんじんと痛む手を擦りさすり、顔をしかめて暗に不満を示すばかりだ。
 睨み合いが数秒。先に折れたのは、レグルスだった。

「大変失礼なこととは存じとります。ですがエドガー殿、敵意を以て刃物を持ち出すのはお止め頂きたい」
「? いくら何でも、貴方に襲い掛かるほど俺は錯乱しちゃいませんよ」
「そうではないのです。……魔法を修めたことが無い方は恐らくご存じないでしょうが、魔法使いはあらゆる概念に意味を見出し、それが持つ意味の力によって魔法を御しとります」

 ——魔法使いにとって、刃とは“切り払うもの”“断ち消すもの”の意。これ即ち、あらゆる力を切り、繋がりを断つもの。それは邪の縛鎖を消し去る一方で、良きものとの縁すら断ちかねません。
 ——そして『銀嶺の城』は、彷徨いの森の中心に位置する砦。即ち、膨大な魔力を帯びた土地に根付き、その均衡を保つもの。『銀嶺の城』と彷徨いの森は、切ってはならぬ関係にあるのです。
 ——貴方が持つ敵意の先が何であるかは関係ありません。「断ち切るべし」との意志だけでも、此処では危険な火種になる。貴方の意志とその刃が、重大な事故を起こすやもしれないのです。

 床に転げたナイフを拾い上げ、ランプの灯りに照らしながら、レグルスは独り言のように言葉を編む。
 まだ洗っていない、狼の血がべったりと付いたままのナイフ。それを無表情で見つめ続けるその眼の奥に、俺は、別れ際のベルダンと同じ苦悶の色を見た。

「銃声の主がこの地に害をもたらす者ならば、城の管理者たる我々が退けます。それが我々の役目なのです」
「でもレグルスさん、大変な病気なんでしょ? そんな時に魔法なんか使ったら危ないよ!」
「確かに、老い耄れの身には負担ですな。しかし姫様、私は」

 ——命を賭しても、この城を守り通す義務がある。

 そう、レグルスは続けようとしたのだろう。
 しかし言葉を紡ぎかけた口は、泣きそうな顔をしたラミーの手によって塞がれていた。

「あの魔法使いさんも、そう言って無茶したんだよ。その先のことなんて、王様なら良く知ってるでしょ?」
「ええ」
「なら止めてよ! どうして猫は皆そう言うの、死んじゃうのが怖くないみたいな顔してさ、自分よりも皆の為になんて言ってさ! ほんとは怖いくせにっ!」

 破れかぶれと言った風な喚き声は、まるで金槌を力一杯頭に振り下ろしたかのように俺達を叩きのめし。喉まで出かかっていた言葉は衝撃で突っかかり、声が消えた部屋は水を打ったように静まり返る。その静謐の中、ラミーは相対する老猫を、涙を湛えた目で睨み付けていた。
 海色の瞳と、緑青の瞳。それぞれが交錯すること、しばし。
 諦めたように、レグルスは肩を落とした。

「それでも、私はこの城の守り人です」

 だからって、と、叫びかけたラミーの口を、痩せた手がそっと塞ぐ。
 細められた眼は、話を聞けと言葉にせずとも雄弁に語りかけていた。

「貴方の言い分も私には良う分かります。貴方には、我々が大義名分を自殺の理由として尤もらしく振りかざしているように見えましょう。ですがな、それが我々のあり方なのです」
「それが猫族の習いなの? 何年も、何百年も、ずっとずっと続いてきた伝統だって言うつもり?」
「……そう、私は聞いとりますが」

 僅かな沈黙。
 次の瞬間、ラミーは血を吐くように叫んでいた。

「馬鹿げてる! 馬鹿がやることだよ、そんなの!」
「おいラミー、いい加減にしろ!」
「うるさいっ!!」

 怒気を込めてラミーを叱り飛ばした途端、思いっきり横っ面を引っ叩かれた。
 尻尾を飾る金の輪がちょうど頬に全速力で当たって、怪我はしなかったがひたすら痛い。それで俺の気勢が殺げた所を見計らってか、ラミーはきっと眦を決し、レグルスに噛みつかんばかりの勢いで怒鳴る。

「都合のいいことばっかり言って、自分の命をその辺の石みたいに扱って……そんなの、前時代の人間と何が違うって言うの!? そんなことがどうして良いことみたいに言われるの! 馬鹿だよ、皆馬鹿だッ!!」

 力一杯に放たれた声は、濃い静寂を呼び寄せて。広い部屋には、試すように王を睨む人魚の荒い息ばかりがよく響く。
 ラミーは返答を待ち続けた。
 けれど声を上げたのは、レグルスでも俺でもなかった。

「あー、あー。楽しそうな所悪いけど、姫様。もろもろ後にしてくれない?」
「ラソル!? だって、だって王様は!」
「はーいはい、そこまで。喧嘩は後でねー」

 重い扉を開け、ずかずかと遠慮も躊躇もなく入り込み、俺とラミーの間を割って仁王立つは、四枚の翅を透かす翠眼の妖精。頭に戴く花冠をちょいちょいと気だるそうに弄りながら、ラソルは顔に浮かべた面倒臭そうな色を隠そうともしない。
 君にお客様だよ。猫の王へそれだけぶつけて、ラソルはくるりと踵を返した。
 何事かぶつぶつと呟きつつ、のそのそと部屋を出ようとする小さな妖精と入れ替わり。
 ——長躯の獣が、颯爽と歩みを進めて入ってくる。

「ほう、主が此処へ来るとは思わなんだ。誰ぞに案内(あない)させた?」
「御前の代理だと言う若輩と、忌々しい蜥蜴の飛行士に」

 齢六十か、もっと上だろうか。口周りに長い髭を蓄えた、亜麻色の老犬だ。大きな垂れ耳のあちこちに光る耳飾りと言い、豪奢な赤いマントと言い、動くたびに物々しい音を立てる鎧と言い、ニーベル隊長やエレインとは一線を画した立場にいることを思わせる。
 老騎士。そんな言葉のよく似合う貫録と狷介(けんかい)な鋭さを湛え、殺気めいた冷たさを辺りにまき散らしながら、彼は堂々とした歩調でレグルスの真正面へと歩いてくる。そのアザミ色の眼は猫の王のみを捉え、俺達の方などは一瞥どころか注意や警戒の対象にすら入っていない。路傍の石と変わらない扱いだ。
 けれど、それに遺憾の意を表明することは、どうやら出来そうになかった。

「嗚呼、確かに代行を言い付けとる。彼奴等は今何処に居るのかね?」
「城の噴水付近だ。奴等の仕事は終わった、後は御前に聞こう」

 格が違いすぎる。
 俺の方になど気を払う価値すらない素振りだと言うのに、言葉を差し挟もうとしても、隙が一瞬たりと見当たらないのだ。たとえ此処で俺が飛び掛かったとして、この老犬はきっと、こっちのことなど見もせずに切り刻めるだろう。
 結局、俺はレグルスの前を開けて、ただ棒立ちになっていることしか出来ない。

「ふむ。次期“猫の王”の采配、主から見てどうだね」
「及第点だ。オレと真正面から四つに組もうとする気概は汲んでやる」
「バジャンダンからの御墨付きともなれば安泰よな」

 たじろぐ俺には全く構わず、レグルスと、バジャンダンなる名で呼ばれた老犬は言葉を交わす。どう考えても貴族の二人と、住所不定の旅鳥。同じ部屋にいるのが場違いでしょうがない。苦し紛れにラミーへ視線を送ると、彼女もまた苦く笑って肩を竦めた。
 ——とりあえず、下の噴水でたむろしてる奴に会おう。
 目配せし、頷き合って、俺達はそっと王の部屋を抜け出した。