複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.49 )
日時: 2016/05/15 23:37
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: ZExdpBCU)

 ぐるぐると螺旋を描く回廊を渡り、階段を下りて、見慣れたはずの姿をちょっと探し。噴水の縁に座り込む猫と、傍で所在なく突っ立っているトカゲを見つけて、そちらに駆け寄る。今度も脛を蹴り上げてやろうかとちょっと思ったが、理由もないしやめておいた。
 意味もなく振り上げたい衝動に駆られる足を地面に押し付け、代わりに声を投げ飛ばす。

「よう」
「おう、半日ぶりだ」

 低くしゃがれた、けれど何処かひょうきんなものを帯びた声。やや憔悴した、けれど矍鑠とした佇まい。子供のような小狡さと、老翁らしい深謀遠慮が同居する面構え。どれも見慣れている。疲労の色は垣間見えても、ロレンゾは何も変わっていなかった。
 一方の魔法使いは、ニワトコの杖を抱きかかえるように両手で握りしめ、大理石の縁に片足を掛けて、こちらには目もくれず何事か考え込んでいる。声を掛けてもきっと気付かないだろう。考え事の邪魔をするのも気が引けるし、今は見ないふりだ。
 もう一度ロレンゾの方へ視線を戻すと、彼はラミーの頭をわしゃわしゃと撫でくり回していた。

「ロレンゾさーん、髪の毛がぐちゃぐちゃになっちゃうよぅ」
「どーせここまでの道のりでグダグダになってんだろが。俺がもっかい弄ったとこで変わりゃしねぇって」
「ぶー。ちゃんと王様に会う時に整えたもん!」

 ふわふわの髪をぼさぼさに撫で回され、けれどもラミーは満更でもない様子。本人がそれで良いなら別に構わないけど、ラミーは確かもう十七歳になるかならないかって年齢(とし)だったはずだ。頭を撫でられて喜ぶにはちょっと大人すぎやしないだろうか。
 手櫛で整える端からわしわしと撫で回し、また整えては弄び。ふざけた攻防を繰り広げる二人へ、投げ掛けた声は疲れ切って掠れていた。

「二人とも、子供じゃないんだからさ」
「何でェ、冷たい野郎だな」

 困ったように目を細め、肩を竦めるロレンゾ。しょうもない悪戯をして叱られた子供のような顔をされて、思わず溜息が零れた。
 俺より四十も年上のジジイがする表情じゃないだろ。呆れを交えて投げつけた謗(そし)りを、彼は複雑な色を含んだ笑みと共に受け流した。

「人魚ッコは手前みたいに何年も経験積んでるわけじゃねぇんだ、物騒な森に迷い込んで人恋しかったのくらい察してやれやい」
「そりゃそうだけど……」
「迷子になった挙句狼に追い掛け回されながら来たんだろ? そりゃ、忌憚なく言やァ手前は食物連鎖の一番下っ端だし、追い掛け回されたり喰われかけたりってのは慣れっこかもしれん。だが、お姫様にまで手前と同じ扱いは流石に酷だろうや」

 溜息。
 ぽんぽんとラミーの頭を軽く叩いて、彼はふいっと視線を外す。口の端には、照れくさそうな、悪戯っぽいような、寂しいような、何とも言えない笑み。

「あんまりジジイに恥ずかしいこと言わせんなィ。お子様はお子様らしく無事を喜んではしゃいどけば良いんだよ」
「そこで気難しい顔してる未成年の王様代行前にしてお子様になれって? 俺のプライドも考えてくれ」

 溜息を隠さずぶつければ、ロレンゾはいかにも面白そうな顔をして、俺のヘルメットをピンと弾いた。くつくつと喉の奥で笑いを噛み殺し、彼は顎に蓄えた白髯をいじる。

「たった三つ歳が違うだけで大人ぶりなさんな。手前とルディとじゃ過ごした時間の密度が違いすぎる」
「あのな……」
「まぁ聞け。ルディは確かにひ弱な魔法使いかもしれんが、それ以前に為政者の端くれだ。一国の存亡を掛けた外交に物怖じせず、遥かに格上の相手へ真正面から交渉を仕掛ける——外交の為に必要な作法と知識を、厳格さの塊みたいな父親から十七年教えられて育っている」

 俺を睨む金貨の色の目は、どこまでも透徹として。
 言い返せず立ち尽くす俺に、老雄は静かな声をぶつけた。

「時の速さは誰しもに平等だが、密度は生きる中で決まるもんだ。手前の生き方が穴だらけと言う気は毛頭ないが、少なくともこの場この時で言うなら、手前と人魚ッコが一番ガキんちょだ」

 プライドなんて面倒なもん考えるなよ、とロレンゾは肩を揺らし、やおら噴水の縁にどっかりと腰を下ろす。それに気を取られたのだろうか、置物のように微動だにしなかったルディカがそっちへ耳だけ向け、すぐ戻したかと思うと、身の丈よりも長い杖を一度持ち直した。
 間を置かず、わだかまるものを吹き散らすような、嘆息を一つ。杖に体重を掛け、ルディカはゆっくりと腰を上げる。
 瑠璃色の目は、何の感情も込めずに魔燈鉱のシャンデリアを見上げていた。
 一体その双眸が何を映すのか、物思う暇もなく。

<<二の導。揺り謡う木の代、碧空濁波の珠の針>>
<<『逆巻き嗤う娘(アエロー)』の子、集い来たれ>>

 良く通る低い声が、噴水の水音を掻き消す。
 それの主を探そうと背後へ首を回すと同時、かん、と硬く軽いものをぶつけ合わせる音が、再びの声と共に俺の動きを止めた。

<<見えぬ褥(しとね)を腕に抱き、荒ぶ風の内より来たれ。淡き紗を広げ、墜ち来る者の難を払え>>
<<子等よ、逆巻く風にて受け止めよ>>

 厳つい長躯、アザミ色の険しい眼、亜麻色の毛並み。頭に乗せた王冠、ビロード地の赤いマントに、物騒な音を立てる銀の鎧。腰に下げた剣はそのままに、その手が持つは、菫色の石を戴く柳の杖。
 ——バジャンダン。
 初対面で早速気圧されてしまった、あの狷介な犬だ。そう直感すると同時に、けたたましい羽音が俺の脳みそを殴りつけてきて、疲弊しきった俺の思考回路はあっと言う間に状況の把握を放り投げてしまった。
 面倒臭い。半分仕事を放棄した頭でつくづくそう噛みしめつつ、それでも音の方へ体を向ける。
 そこに立つのは、二人。

「アエローのおねぇさんだー」

 一人。
 ロール状になった白い布を両手に抱えて笑う、猫っ毛の仔羊。

「あっらー、おこちゃまの割に礼儀を弁えてるじゃないの」

 一人。
 尊大な様子で胸を張りふんぞり返る、半人半鳥の女。

「嫌いじゃないわ、坊や?」