複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.51 )
日時: 2016/06/03 03:04
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: ZExdpBCU)

 りん、りりん。
 ちりん、ちりん。
 ちりりん、りりん。

「エーディー、起きてー。もうお昼だよー」
「んー……後ちょっと……もうちょっとだから待てって」
「またそんなこと言ってぇ。もう十回目だよぅ、起ーきーてー」
「良いじゃねーかよ今日くらい……」

 少々の虚しさと、多々の冷やっこさを連れた風に、風鈴が揺れる。
 その涼やかな音を聞きながら、俺は布団の中に引きこもりっぱなしだった。蚕みたく布団を被って丸まった外からは、随分前から定期的にラミーが揺さぶってくる。けれども——普段の俺ならまだしも、今は——全く効果なしだ。むしろ、揺さぶってるのが心地よくて眠くなってくる。
 そんな俺の心境もつゆ知らず、何とかして俺に起きてもらいたいのだろう、布団を没収しようと引っ張る裾をむんずとばかり踏ん付ける。そして、引っ張られた分をもう一度頭の上までひっ被せた。

「俺疲れてんの」
「だってエディいないと暇なんだもん!」
「あーもーめんどくさ……分かったよ、俺の財布から金貨三枚持ってって良いから」

 部屋の隅っこに積んだ荷物を適当に嘴で指し、ラミーの返事は聞かずに布団を被る。
 若干面食らったものか、ふぇ、と間抜けた声を上げた彼女には、適当に続きの言葉を投げ返した。

「小遣いやるから、街にでも行け。一人じゃ怖いってんなら知り合いに案内でもさせときゃいいだろ」
「でもエディ〜……」
「十七歳の一人遊びに文句なんか言わねぇよ。暇潰せるまで遊んでこいって」

 眠いのとだるいのとで声にはやる気の欠片もないが、言ってることは嘘じゃない。
 まあ、ラミーほど生粋のトラブルメーカーを放逐するのは、本当のところちょっと怖いけれども。だからと言って、起きない俺の目覚まし時計にさせておくのはあんまりにも酷な話だ。なら、たまには俺の手を離れて自由に行動したっていいだろう。
 窓から入る柔らかい陽光を分厚い布団で覆い隠し、はよ行け、とようようラミーに声を絞り出して、重い瞼をそのまま閉じる。早速うつらうつらとする中で、ちゃりちゃりと金貨を数える音だけが聞こえた。


「しっつれーしまーす。エドさーん、もう夜だよー」
「ぁ、あー……もうそんな時間か」

 十一度寝の後、再び起こされたのは、丁度夕暮れと夜の境界の時。
 ドアのノックもそこそこに、ハゼの蝋燭を片手に入ってきたのは、猫っ毛の仔羊。もとい、カズだった。
 呑気な声に揺り起こされ、寝ぼけ眼を擦る俺に、カズはてんで構わない。小脇に携えた長い鉄の鉤を器用に使い、ランタンを下ろす。そして、鉤を抱えたままマッチを擦って蝋燭に火を点け、それをランタンに入れて再び天井のフックに吊り下げた。
 ちびだから若干大変そうではあるけれども、それにしても随分と鮮やかな働きぶりだ。小さいころからあの親父の手伝いをして暮らしているのだろうと、まだ何度と顔を突き合わせていない俺にも察せられる。
 ちょっと関心しつつ、部屋の隅に積んでいた荷物を確認。ラミーがきっかり三枚金貨を抜いていったこと以外、特に変わったところは無さそうだ——と、それだけ確認して、俺は諸々の装備品を全部身に着けた。

「あれれっ、もう出ちゃうの? ラミー姉ちゃんはまだ——」
「いや、そうじゃなくて。九年前に全財産置き引きされたことがあってさ」
「……ぁ、あー、そだそだ! とーちゃんが会いたいって!」

 少々の沈黙。気まずい雰囲気を振り切るように、カズは慌てて踵を返す。タカタカと小走りに出ていく小さな背を追い、俺も足を踏み出した。
 そっと廊下から首を伸ばして見やれば、すぐ左前に続く階段と、それを軽やかに降りていくカズの後ろ姿が目に入る。俺が寝ていた部屋は、どうやら宿の二階にあったらしい。……マジであの仔羊、ここまでどうやって俺達を運んだのだろう。
 湧き上がる疑問はまだ声に出さず、俺も階段を下りる。こっちこっちと手招きされるまま、バーカウンターみたいな台で仕切られた奥まで足を伸ばせば、カズはすぐ左に設えられた引き戸を半開きにして、隙間に首だけ突っ込んでいた。

「とーちゃーん、起っこしったよーぃ」
「あいよー。そんなら先に夕飯食べといてな」
「はーい」

 手短に会話を終え、カズはするりと隙間から部屋の中に入ったかと思うと、山ほど野菜を挟んだパンと、牛乳を満たした木のマグ片手に俺の横をすり抜ける。そのまままた宿の方に消えていった仔羊を尻目に、俺は中途半端に開け放された引き戸を開け放した。

「や、おはよう」

 俺が五人いたらもう満杯になりそうな、かなり狭い作業部屋だった。
 所狭しと並ぶ棚にどでかい机、絨毯でも織るのかってくらい巨大な機織り機のせいで、狭い部屋は更にぎゅうぎゅう詰め。ちょっとでも身動ぎすれば何処かにぶつかってしまう。小柄な羊族にはちょうどいいのかもしれないが、俺にはちょっと窮屈だ。
 何しろダチョウの身体はでかい。全身を部屋に収めるだけでも難儀する俺とは対照的に、部屋の主たるペトロは悠々としたもの。何か頼まれものの最中だったのか、ステッチ入れ掛けで放り出されたストールを指先で弄びながら、飴色の目を細めて笑う。

「随分と長寝だったじゃないかい。夢も見なかったろう?」
「おかげさまで。ラミーに随分暇潰しさせちまったけど、あんた見てるかな」
「嗚呼、もちろん。カズと一緒に街まで遊びに行かせて、多分今は軍曹殿のところで遊んでるハズさ」
「軍曹?」
「ロレンゾ軍曹。“血の気の多いジジイ”がまさかあいつとはねぇ」

 ぐつぐつと喉の奥で笑声を上げつつ、技工士はやおらストールを手に取り、椅子の背もたれにぎしっと背を預けた。
 よくよく見てみれば、ストールは白地に橙の格子柄。つまり、俺がラミーに譲ってやったシロモノだ。こんだけ上物のストール貰って、その上既にサイズの詰め直しまでしてもらっておきながら、彼女はまだこれに不満があって駄々をこねたと言うつもりなのか。
 これじゃあラミーへのお仕置きも考えなきゃならんか——と、思わず顔をしかめた所で、ペトロがまあまあと手で制してきた。

「そんな顔するもんじゃない。おいさんが勝手にお嬢に頼んでやっただけの話だよ」
「ホントかァ? 信じられんなぁ、あんたお人好しだもん」
「後で厄介になる嘘は吐かんよ、兄サンみたいに疑り深い人には特にさ。……何、このストールは元々軍曹にやったものだったんだがね」

 ——あいつめ、随分乱暴に扱ってくれたらしい。あちこち破けたり接ぎ当てられたりして目茶苦茶だ。糸の新旧の違うところを見れば、どんな風に扱われたのかはすぐに分かる。きっとこれは掛け布団か何かになってて、寝相の悪さに巻き込まれたんだろうねぇ。
 ——それでも今日まで立派に布の形を保ってるのは、ローザ夫人が苦心惨憺して繕ったからだろうさ。おいさんこれでも何冊か魔法の論文を書いてるが、どうもそれを読みながら繕ったような跡が見える。
 ——しかしながら、夫人は技工士じゃない。確かにおいさんの手仕事をとても丁寧に真似てはいるけれども、あの女(ひと)の仕事でこの布に完全な魔法を戻すことはちと厳しい。
 ——技工士としては、この布は護りと癒しを与えるものであって欲しいのさ。だから、おいさんがもう一度魔法を与え直している。
 ——ただ、それだけの話さ。お嬢は何にも悪くないし、文句も言ってないよ。

 細い羊毛の糸で細かなステッチを入れながら、ペトロは顔を伏せ呟く。気取らず、気負わず、怒りもせず、低く芯のある声はどこまでも静かだった。
 そんなもんかな、と場繋ぎに一言。そんなもんさ、とからから笑って、彼は細い針をすいすいと布の上で泳がせる。細い白糸は一見無造作に布の上を這っているように見えるが、技工士的にはこれが正しいらしい。
 技工士の手仕事に俺が食い付いて眺める内、彼の中で興が乗ってきたのか、或いは衆人環視の状況で張りきったのか。ぴよぴよと口笛さえ吹いて、ペトロは手をより一層早く動かす。前にこのストールを詰め直した時と同じくらいの速さだ。
 難しいことやってるだろうに急がなくても、と、思わず声を掛けようとして。

「……ぶっ」
「おいこら、笑うな。堪えるな」
「いやゴメ、そうさね、そう言えば兄サン、今日一日なーんにも食べてないんだっけね! ぶくっ、くくっ……」
「笑うなっつーに。おい。こら! 笑うなァ!」

 間抜けな腹の虫の鳴き声と、肩を震わせて絶倒するペトロの姿に、出そうとした声はあっと言う間に押し込められてしまった。