複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.55 )
日時: 2016/09/12 00:59
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: 3YwmDpNV)

「あっれぇ、お前あん時の旅鳥!」
「……ロレンゾの店に居た奴かい」
「あぁ、ゴードンってんだ。それよりも旅鳥よ、あの後エシラの旦那から聞いたぜぇ! お前さんすげー場所引き当てたんだってな!」

 ペトロの宿は、規模の割に色んな奴が泊まる。
 俺にこうして話しかけてきた、ガタイの良い灰色の犬——ゴードンも、そう言った輩の一人だ。

「ラミーが探し当てたんだ、そういうのは得意だから」
「ラミーってぇと、あの人魚ちゃんか。凄いもんお供に連れてんねぇ」

 ガラガラとしゃがれた声、年季の入った革手袋、泥まみれの足、埃で薄汚れた服。頑丈そうなベストのポケットから見えるノミやタガネは傷だらけ、腰にはロープの束と空っぽのランタンを下げ、鼻面には随分とレンズの色の濃いサングラスをちょんと乗せている。
 典型的な、しかも結構ベテランの採掘屋と言った感じだろうか。年恰好は俺よりちょっと年上くらいだが、まとう空気には老練なものが感じられる。
 案内はしてやらないぞ、と軽く釘を刺すと、ゴードンは困ったように蜂蜜色の眼を細めた。

「採掘はするなって、エシラの旦那も似たようなこと言ってたっけなぁ。何、お前さんが見つけたの、『鍛冶と細工の守神(トバルカイン)』の聖域なんだって」
「声がでけぇっつの……まあ何だ、トバルカインの“眼の前”だったよ。悪いこと言わないから見つけて取ってやろうなんて考えるなよ? あんなトコで発破かけた日にはあんた、山ごとぶっ飛ばされるぞ」

 目一杯低く凄みを付けた声で脅す俺。
 対する採掘屋は、実に泰然としたものだ。ベストのポケットから出した太い紙巻きタバコを口に咥え、マッチで火を点けながら、彼はぐつぐつと喉の奥から笑声をひねり出した。

「おれ達ァ身体は薄汚れてるが、心根までヨゴレになったつもりはないぜ。少なくともおれ達は山の守神に許された身として、自分の仕事に誇りと節度を持ってやってるつもりさ」
「……結構刺さること言ってくるな、あんた」
「? 嗚呼そう言えばお前さん、トバルカインの窟からエメラルド拾ってるんだったっけ? おれ達を使わないでエメラルド拾ってんならまあ、さぞや儲けてるんだろうが——」

 ふぅ、と煤けた天井に向けて煙を吐き出しながら、ゴードンの目は遠く。傍に放り出された椅子にどっかり腰掛けて、彼はのそのそと足を組んだ。

「おれは別にあんたのことを咎める気で言ったわけじゃないさ。仮令買ったものだろうと拾ったものだろうと、用途が換金用であろうと趣味の材料だろうと、手元に来た以上使ってやるのも立派な礼儀じゃないか」

 そしてまた、紫煙混じりの溜息を一つ。
 一気に息を吸い込んで半分を灰にし、再三吐き出して、彼はタバコを咥えたまま火を指で押し潰す。じり、と革の焼け焦げる音と、その後鼻を突く焦げ臭さに思わず顔をしかめながら、俺は声を上げた。

「……なあ、ゴードン。あんた、魔燈鉱入り貴石の扱いって詳しいか?」
「嗚呼。魔燈鉱入り貴石専門で採掘してるからねおれ達は。それがどうかしたかい?」
「いや——あの窟で拾ったエメラルドさ。金になる以外の使い道ってあんのかなと」

 折角の上等な、しかも魔法の媒体にもなる希少な宝石なのだ。何か有用に使えるなら、それに越したことはないだろう。
 あれこれと皮算用する俺をよそに、ゴードンは火の消えた煙草を咥えたまましばらく思案に耽る。そして、やおらズボンのポケットを漁り、くしゃくしゃに丸まったメモ用紙の束と万年筆を出すと、その場でガリガリと何か書き始めた。
 少しして、ほれとばかり手渡されたのは、小さく折りたたまれた数枚のメモ紙。開かないまま用途を尋ねれば、ゴードンは何処か苦々しく口の端を釣り上げた。

「魔燈鉱入りのエメラルドを方位珠(ほういしゅ)に加工できる技工士を一人知ってるんだ。採掘した宝石をよく卸す相手でね、悪趣味だが悪い奴じゃあない」
「方位珠?」
「方位磁針の磁針を魔法に変えたものと思えばいい。何にせよ、その技工士の店に行ってそいつを見せれば、向こうが勝手に説明してくれるさ」

 随分投げっぱなしな奴だ。取引相手としては結構な上客のようだが、ゴードン自体はその技工士に興味がないのだろうか。
 メモを首元の鞄に仕舞いつつ、心中で首を傾げる。一方の採掘屋は、若干腑に落ちない俺の顔をじっと見て、ぱちぱちと二回目を瞬いた。そして、やにわに顔を渋くして、低く唸り声を上げる。

「何か俺の顔に付いてるか?」

 我ながら古典的な切り返し。ゴードンは生真面目に首を横に振る。

「お前さん、人畜無害そうなダチョウのくせして随分と剣呑な臭いがするじゃないか。禿泣きのネズミ翁だってそんな怖い臭いさせないぜ」
「一昨日か一昨々日(さきおととい)まで戦場の真っ只中に居たからかもな」

 ロレンゾとベルダンの所業が心配でさ、と付け足す。
 彼は案外すんなりと俺の言葉を飲み込んだようで、仕方ない、とばかり苦笑いを一つ。ふさふさの尻尾をぶんぶんと左右に振りながら、ゆっくりと腕を組んで肩を竦めた。

「あの旦那がどうしてまた戦場に? ロレンゾはともかく、ベルダンの旦那はあんまり無茶できる歳じゃないんだろ」
「約束してたんだとさ、魔導師長と。知己だったって聞いてる」
「……“だった”?」

 ぱたり、太い紙巻煙草が床に落ちる音。
 信じられない、と言いたげに口をあんぐり開けて固まるゴードンへ、俺は努めて無感情に続ける。

「死んだよ、魔法の使い過ぎで」

 そして、静寂が少し。
 ゴードンはそっと目を伏せ、煙の残滓を吐き出す煙草を拾い上げた。

「寂しがったろうな、トカゲの旦那」
「嗚呼。ベルダンが特に」

 くしゃり、微かに紙の折れる音。
 革手袋の中で煙草を握り潰し、ポケットに押し込みながら、彼は蜂蜜色の眼をほんの少し細める。

「ま、良いや。とりあえず、ペンタフォイルの八番街に行ってみな。一番でかい通りで魔法道具の店やってるから。緑の屋根に金ぴかの風見鶏がついてるってんで有名なトコだ」
「随分派手好きなんだな」
「そういうヤツなのさ。本人もハデな恰好してるぜ」

 言いながら肩を竦め、諸手をポケットに突っ込み、背を丸めて出て行こうとする犬の頭に、俺は何とはなしに声を投げつけた。

「ケイティに何か言ってやってくれ、あの子父ちゃんのこと嫌いみたいだ」

 少しの沈黙。溜息が一つ。

「言うならあんたが言ってやんなよ」
「あのさ、俺で無理だったからあんたに言ったんじゃないか。あの魔法使い達と仲良いんだろ」
「仲が良いのと共感できるのとじゃ話が違うんだぜ、旅鳥。おれは肉親を亡くすってことがそんな辛いことだなんて、一度も思ったことがねぇんだよ」
「何だって?」

 聞き返すも、返事はなく。
 ゴードンは何処か冷めた目で俺を一瞥したかと思うと、それきり何も言わずに、宿から出て行ってしまった。