複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.56 )
- 日時: 2017/01/15 07:12
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: bEtNn09J)
ネフラ山麓駅が金物の聖地とするなら、ペンタフォイル山麓駅は宝石の聖地だろう。
此処は金銀を打つ涼やかな槌の音と、とりどりで煌びやかなものが溢れている。心なしか——いや実際、煤や煙に塗れていない分——街並みも色鮮やかで賑々しく、いかにもラミーが好きそうな雰囲気だ。かの巨大な山一つの隔たりで、街の印象はまるきり反対だった。
何とかして財布の紐を緩めさせようと奮闘する商人の声と、店さえ持っていない花売りや石売りの声をいなしつつ、視線を巡らせて目的地を探す。大通りの目立つ店だ、とゴードンは言っていたが、大通りも半分過ぎたというのにまだ見つからない。
実はそんなに派手な店じゃないんだろうか……なんて、頭の片隅で思い思い、臙脂色の屋根から目を外すと同時、感じ覚えのある気配が俺のすぐ傍を通り過ぎていった。
思わず、声を張り上げる。
「ベルダン?」
「……エド」
じろりと見下ろすは、夏の空にも似た色の双眸。ほんの二日か三日見ない間に一体何をしたのか、ただでさえ低い声は更に低く、そして掠れている。しっかり着込んだつなぎも砂埃で薄汚れ、いくらかのカギ裂きも見て取れた。瓦礫の中か崩れた洞か、とにかくそう言った狭い場所にいたらしい。
何してたんだ、と短く問えば、ベルダンから返ってくるのは短い溜息と疲れ切った一言。
「後始末だ」
「何の」
「あの場所で一体何人死んだと思っている? 猫族は燃やせば終わりだろうが、犬族でそれは通用しない」
答えを直接言わないのは彼なりの配慮、とでも言おうか。
要するに、犬族の拠点で出た遺体の片付けをやっていたのだろう。犬族は土葬が基本のハズだから、多分戦場の何処かに埋めたか、形が残っている遺体は瓦礫の中から掘り起こして引き渡したか。どちらにせよ、気が狂いそうな作業には変わりない。
けれども彼は、疲れているだけだった。空色の眼には感情の漣一つ立たず、表情は何度も見てきた無表情。歩き方には憔悴の色が見え隠れしているが、まとう雰囲気は平生のように一分の隙もない。
トカゲは感情を露わにはしない。それは、ほとんどのトカゲに言えることだ。
しかし、彼は。
「何とも思わないのか? あんた、既に死体になったものだけ見たわけじゃないんだろ」
「嗚呼。前は思っていんだがな」
そもそも、何も感じていない。
死者を思うことすら、彼はやめてしまっていた。
「……砲兵部隊のことか?」
「いいや。五十七人で犠牲が済むならばまだ良かったろうが——アエローが十万の猛禽を墜としたことは、決して誇張ではない。猫族に加担したことで地の塵と消えた犬族の数と比べるならば、今回拠点の陥落に巻き込まれた人数などズリ山の石屑のようなものだ」
——数百数千で終わるならば、俺は単なる人殺しで済んだ。一生後悔しながら生きていくことも、遺族から石と罵声を投げられながら怨嗟の内に死ぬことも、殺人鬼なら簡単だろう。
——だが、俺は英雄になってしまった。
——十万数千の悔恨と人生を背負って生きていくに、俺に残された時間はあまりに少なすぎる。俺自身が過去を悔いることは、他者の目が許さない。
——俺は俺の為に、死へ無感にならざるを得なかった。そうしなければ、生きていけない。
何でもないことのように、ベルダンはいつもと変わらない声色で告げる。
しかし、そう結論を出すまでに、一体どれほどの苦悩を抱え込んで生きてきたのか。共感や同情はおろか、想像さえも俺には出来ない。
答えあぐねて黙り込む俺へ、声はまだ続く。
「で、先程から何を探している? 大通りの半ばまで来てまだ見つからないのか」
「え? は?……あ、あー」
唐突にすり替わった話題に狼狽する暇もない。
俺を見下ろす空色の眼は、有無を言わさず俺に返答を求めてくる。この突き刺すような視線に真っ向から対峙出来るとしたら、それは余程純真な奴か、空気読めない奴か、或いはロレンゾくらいのもんだろう。つまり、俺には出来ない芸当ってことだ。
と言うか、俺的にはそっちの方が本題なのだ。ぐるりと視線を一巡させ、やっぱり目的のものが見当たらないことを確認した後、俺はベルダンへ返す言葉を選ぶ。
「えーと……方位珠ってのを作る職人がこの街に居るって聞いたんだけどさ、あんた知ってるかい」
「この大通りの端にある。『ヴェルンド魔法具店』と看板を掲げていた筈だが」
「『下剋上の鍛冶神(ヴェルンド)』? えらく物騒だなおい……」
思わず漏らした声に、違いないとはベルダンの返答。
——ヴェルンドと言えば、その昔人間に使役されていた、鍛冶と魔法の守神。自分の主人だった人間を片っ端から殺してはその骨や肉で魔法道具を作り、遺族や親類に送り付けていた……なんてウソみたいなお伽噺の残る、けれど実在する守神だ。詳細は俺もよく知らないが、とにかく関わるとヤバいってことだけはよく聞いている。
守神にあやかった名前を店に付ける職人は数おれど、ヴェルンドの名前を付けた奴なんて聞いたことがない。悪趣味とは言うものの、度を越している気がするのは気のせいだろうか。
会いたい気持ちが見る見る抜けていくのを感じつつも、紹介してもらった手前、引き返すのも後味が悪い。重い足を引きずり引きずり、傍らをついてくる大鍛冶師へと問いかける。
「ベルダン、その悪趣味な店主について詳しく。店の場所知ってるってこた、知り合いなんだろ?」
「度々台座の鋳造を頼んでくる技工士だ。まだ若い男だが、良い腕をしている」
何の躊躇いもなく出てきた褒め言葉に、思わずベルダンの顔を見上げた。
職人が他の職人を、しかも年上から年下相手に褒めるなんて聞いたことがない。ましてベルダンは凄腕中の凄腕、世界に五人もいない、大鍛冶師の称号を持っている鍛冶師なのだ。その彼が躊躇なく褒め言葉を口に出来る相手とは、一体何者なんだろうか。
言葉もなくただ仰ぎ見るばかりの俺を、空色の眼がじろりと睨み返した。
「俺の褒め言葉がそんなに珍しいか?」
「そりゃあ、あんたが他人(ひと)のこと饒舌に語ってるのなんてそうそう見るもんじゃないしさ。よっぽどの才能がなきゃ良い腕なんて言葉使わないだろ」
「嗚呼……努力が結実する寸前の天才、とでも言っておこう」
感慨を込めて、一言。
立ち止まり、振り仰ぐ先には、緑青色の屋根を頂く煉瓦の家一つ。
『ヴェルンド魔法具店』の金文字が、木の看板に光っていた。