複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.57 )
日時: 2017/01/15 07:17
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: bEtNn09J)

「うん、いつも通り、良い仕事をありがとうベルダン。魔導銀(まどうぎん)をこれだけ完璧に扱ってくれる鍛冶屋なんて他にないからね、私も翠龍線を超えて頼みに行く甲斐があるってものだ」
「四日四晩炉に張り付かされる俺の身にもなれ。病人の身を酷使するのがそんなに楽しいのか? 貴様は」
「私も面倒なことを頼んで申し訳ないとは思っているさ。だが、『機壊兎(グレムリン)』をとっちめて修理させるまでは今少し、貴方の力を借りることになりそうだ。そりゃあもちろん、出来合いの延べ板を加工しても良いんだろうが、それだと複雑なものは中々作れないからね……」
「最近森の中を魔導銀の延べ板で作った蝶が飛んでいると噂を聞いたが?」
「あれはただの練習台だよ。ヒノキのまな板を音もなく膾切(なますぎ)りに出来る業物が、貴方にとっては恥ずかしくて銘も入れられない失敗作なのと一緒でね」

 重々しくしわがれた声と、よく通る軽妙な声。交互に頭上を飛び交う、専門用語と職人事情だらけの会話を聞き流しながら、俺は出された渋い茶をちびちびと舐めていた。何でも『椥国(なぎのくに)』なる場所から渡ってきた貴重品だと言うのだが、俺にとってはただただ苦いだけだ。
 ただ、これに砂糖やミルクを入れたら、多分もっと不味いものになる。難儀な茶だ。

「こんなものにまで銘を入れるのか、貴方は。徹底してるな」
「贋作除けとしては上等だろう?」
「まあ、こんなところに字を入れること自体グランドスミスの仕事以外じゃ在り得ないが……」

 蔓草をモチーフにした銀の台座を囲み、小さなルーペと首っ引きで盛り上がる職人二人を尻目に、せせこましい店内をぶらついてみる。
 店内の品揃えは木や金属、それから種々の宝石。魔法使いの持つ杖、それもその材料が主のようだ。出来合いのものは少なく、銀細工のブローチやら髪飾りやらが数個、ガッチリ施錠された棚に安置されているくらいか。何にせよ、店主が注文を受けた後でないと物は出てこないと言った構えだろう。
 ちら、と店主の方を見る。
 すると、彼の方もまた、俺を見ていた。

「待たせてしまってすまないな」
「良いよ、別に。職人同士の話に水を差すほど野暮な性格はしてねぇ」
「嬉しい配慮だが、こんな調子じゃあいっそ日が暮れてもこの店を出られんよ。先に貴方の注文を聞こうじゃないか」

 確かに、ベルダンと店主の会話は止まりそうにない。ほっておけば、多分夜通しだって魔導銀とやらの加工方法について喋っているだろう。いくら旅程に余裕があるとは言え、そんなに長々と職人の都合を待っていられるほど悠長でもなかった。
 返事は決まっている。ただ頷いて、俺は鞄からゴードンの紹介状と、俺が見た中で一等上等なエメラルドを引っ張り出した。

「魔燈鉱入りのエメラルドを沢山拾ってね、それを俺でも使える方法がないかって採掘屋に聞いたら、あんたを紹介されたんだ」
「……嗚呼、ゴードンか。あの犬(ひと)にはよく上等な魔燈鉱入り貴石を卸してもらっている。エメラルドを方位珠に使うことも合っているよ」

 ぐしゃぐしゃのメモ紙に掛かれた文字を追いながら、ユキヒョウの声は低く。一緒に差し出した石をちらりと眇めて、感心したように蒼い目を細めた。
 徐にエメラルドを手に取り、天井に吊り下がった魔燈鉱のランプの光に透かして、もう片方の手は手紙を置きざまにルーペを摘み上げ。分厚いレンズの向こうに映る拡大像をまじまじと見つめ、彼は口の端を釣り上げる。

「魔燈鉱もエメラルドも随分と純度が高いな。方位珠よりもむしろ、魔法杖として加工してやりたいね」
「……他にも拾ったのあるけど、見るか?」
「そうだな」

 店主の点頭に俺もうなずき、背に乗せた鞍に携えた麻袋の一つを手元に引っ張ってきて、オーク材の机の上に中身をひっくり返す。がらがらと固い音を立てて出てくるごつごつしたエメラルドを前に、彼は感心したように少し目を見開いたかと思うと、ちらとベルダンの方へ目配せした。
 淡い水色と、鮮やかな空色。二つの碧眼が一瞬空中で交錯し、すぐに逸れていく。そして次に俺を見たのは、空色の眼の方だ。

「貴様、トバルカインの窟に入り込んだな?」
「入り込んだって言い方は止めちゃくれないかな。俺はただ迷子になったラミーを探すついでに見つけたってだけだし、見つけたからって乱掘もしてない。誓って」

 磨かれた剃刀のように、ベルダンの双眸としゃがれ声は虚を突いてくる。この老練な男に下手な嘘や言い訳はどうせ通じないし、何でそんなことを知っていると訊いたところで理解できる答えは返ってこない。ならば俺はせめて、真っ直ぐに目を見て、真実を言い返してやるだけだ。
 対するベルダンは、俺の弁解を受け、低く喉の奥で唸った。

「……もしもトバルカイン窟をこれからも使う気でいるなら、ハタネズミの老翁に礼を言っておけ。トバルカイン窟を最初に見つけたのは彼等だ」
「そりゃまあ、確かに禿泣き隧道から行ける窟だけど……ハタネズミの誰だ?」
「ミクリノ、と呼ばれている男だ。彼が隧道を経由する採掘場の交渉を全てやっている。トバルカイン窟でも、トバルカインと最初に、直接採掘の許しを乞うたのは彼だ」

 ミクリノ。初めて聞く名前だ。
 ベルダンの口ぶりだとかなりやり手のようだが、旅人の間でもあまり噂が流れてないってことは、表舞台に出てくるほど目立つ奴じゃないんだろう。ハタネズミ自体小さくて見分けが付かないから、探すのはちょっと骨が折れそうだ。
 頭の中で旅先の予定を修正しつつ、俺は意識して声色を変えた。

「ま、おいおい探して礼は言っとくよ。それよりもさ、えーと……」
「私か」

 ルーペに貼り付き、魔燈鉱入りエメラルドを舐めるように見つめていたユキヒョウが、顔を上げた。続けてゆっくりと椅子から立ち上がり、にっと楽しそうに口の端を釣り上げて、右手を差し出してくる。
 紹介が遅れてすまなかった、と、低く通る声は歌うように言葉を紡いだ。

「改めて名乗ろう、私はコラーレリト。ヴェルンド魔法具店の店長で、技工士だ」
「エドガー。しがない旅鳥だ」

 差し出した手を握る力は、存外に強かった。