複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.58 )
日時: 2017/01/15 07:39
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: bEtNn09J)

 工具や作りかけのアクセサリーが散乱するオーク材の机、壁一面を占拠するでかい抽斗(ひきだし)、『故障中』とメモの貼られた小さな炉。天井からは年季の入ったランプが暖かい色の光を落とし、机の上は魔燈鉱の珠を封入した鉄製のスタンドが真っ白く照らしている。
 特別物珍しいことはない。プレシャ大陸ならよく見かける、宝石細工の職人の工房だ。技工士とは言え宝石を扱うことには変わりないのだから、まあ当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが。
 しかし。

「何て言うか……作業場は普通の職人と何にも変わらないんだな。もっとこう、どこまでも華麗なのかと」

 コラーレリトは——なるべく気にしないようにはしてきたけれども——正直言って、変人の類だと思う。
 上半身は裸だし、頭は何やらじゃらじゃらと冠や耳飾りで豪奢に飾り立てているし、頬には刺青が入っているし、腰回りも何やら随分と宝石やら金銀の飾りやらでうるさいし。ラミーだって、人魚のお姫様としての威厳を示すとき以外でこんなに装飾品を身に付けることはないだろう。
 ラミーは自分を分かった上で飾っている洒落者だが、彼の全体的にちぐはぐした格好はむしろ、見栄っ張りと言った方がしっくりくる。そして、その見栄っ張りが、職人としての自分の姿勢を見せる。それが不思議だ。
 首を傾げる俺に、コラーレリトは苦笑いを一つ。

「作業は作業、店は店、私は私だ。職人としての仕事中にまで見栄は張っていられまいよ」
「そうかい? 見栄っ張りは人に見られる場所には気ぃ張るからな」
「そうか。ならば、職人の在り方に拘ることも見栄っ張りの一つさ。宝石細工の職人の工房が変に煌びやかだと、他人の在り方にまで偏見を与えることになる」

 低い、唸り声。
 何かを堪えるように、彼は水色の眼を細める。

「私みたいなのがプレシャ大陸で工房を構えられたのは、此処に住む職人たちの厚意に他ならない。私自身の趣味や見栄でそれを裏切るわけにはいかないんだ」
「……だろうな」

 何というか、ごく当たり前に義理堅い男だ。センスが人とずれてることには変わりないが。
 ——なんてこと考えてるのがバレないよう、表情は平静を装いつつ、俺は心中でひっそりと、コラーレリトへの評価を見直しておいた。一方の技工士はと言えば、俺の考え事には気付いていないのだろう、ちょっと外れた鼻歌を歌いながら作業台の裏に腕を突っ込んでいる。
 ちゃりちゃりと鎖のぶつかり合うような音を共に引き出されたのは、上等なエメラルドを上に戴く柘植の杖。長さは彼の腰ほどまでしかないが、形はレグルスが持っていたのとよく似ている。加工の雰囲気やデザインからして、もしかすると彼が杖の製作者なのかもしれない。
 しかしながら、彼が出した杖は、妙に鎖やらタッセルやらと言った飾りものが目につく。ルディカの杖にこんなじゃらじゃらした下げものは無かったから、やっぱりごてごてと華美に飾るのが彼のセンスなんだろう。……本当に方位珠を作れるのか、ちょっと心配になってきた。

「ふむ。エドガー、少し離れてくれないか? 場所を取るんだ」
「? 随分大がかりじゃねぇか。何かあるのかい?」
「まあね」

 素っ気なく言い捨て、彼は机の抽斗をあれこれと開け放し、刺繍の入った布やら銀の台座やら、瓶詰のポプリやらを手際よく引っ張り出していく。ますますもって仰々しいし、怪しい。……俺が知らないだけで、実は技工士が皆こんなことをしているだけかもしれないが。
 勝手に不安を募らせる俺を他所に、コラーレリトは敷かれた絨毯の上へ出したものを並べ、布の上に杖の先を置いた。
 そして。
 目を伏せ、両手を重ねて、やや俯き。

<<依は技巧と細工の守り神、羅針は森映す透玉、楔に似姿の銀>>
<<かの三つを導とし——>>
<<『小さき者の王(オベロン)』に縁を結びて>>
<<『妖精王の妻(ティターニア)』と契りを交わし>>
<<道迷える者に灯を与えん>>

 低く重く、声色を変えて呪を紡ぐ。
 同時に、此処ではない遠くから、壮麗な弦楽の音が響いた。

<<王は先達。愚者火の灯を以(も)て迷い路を照らし>>
<<女王は殿。悪戯者の胡乱を以て闇夜の帳を打ち払う>>

 俺達以外には誰も居ないはずなのに、誰かの声が重なって聞こえてくる。
 重々しい老爺の声に思わず視線を巡らせば、岩を貼り付けたような風体の老人が、トウヒの枝を片手に、俺をじっと見つめていた。
 らんらんと輝く黄色の目玉にぎょっとする間もない。杖の先で床を一突き、しわがれた声を張り上げる。

<<陽浴び、月読み、星浴びて>>

 また、一突き。
 老爺の背後から、背の高い人影が一つ、ゆっくりと姿を現した。

<<灯は遥かに続きたり>>

 淑やかに軽く、しかし艶やかなものを秘めた、女性の声。
 その響きを掻き消すように、部屋を真っ白い光が埋め尽くした。