複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.60 )
日時: 2016/12/26 08:23
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs (ID: rS2QK8cL)

「う、泡沫の姫? それに、貴女は……前時代の」
「初めまして、ティターニア」

 人間、なのだろうか。
 かんざしでまとめた白い髪と淡い紅色の瞳、それから腰のホルダーに下げた三本の杖が目を引く、ラミーと同じくらいの女の子だ。柄物のケープを脇に抱え、ぴんと真っ直ぐ背筋を伸ばして、彼女は深く妖精女王に頭を下げた。そんな大仰な、とおろおろしながら頭を上げさせようとする彼女の横から、オベロンが茶々を入れる。

「その雑多に混じり合ったにおい、さては“栄華の子”か。懐かしい『遺物』が現れたものよな」
「えっと——あなたは、オベロン?」
「いかにも。そこな旅の者に力を貸してやるべく、な」

 妖精の細い指の向く先を追って、赤い瑪瑙(めのう)のような目が、俺を見た。
 途端、びっくりしたように目を見開いて、彼女はすぐに視線をラミーへ向ける。対して、お久お久とティターニアに絡んでいた人魚姫は、待ってましたと言わんばかりにぱちんと手を打ち合わせ、俺に向かって声を投げる。

「テナニックのエリス! 昨日街でお友達になって、今日も遊んでたんだよぅ」
「テナ……何だって?」
「『古き栄華の遺児(テナニック)』。犬の街にある大学の人だって!」

 テナニック。聞いたことがない。
 ティターニアの言葉から考えるに、前時代——人間が生きていた頃に生まれたか、或いは何か偉業を成し遂げた守神なのだろうと思うが、それにしては雰囲気が俺達に近い気がする。子どもっぽいのも大人っぽいのも、化け物だって、守神は概して俺達と一線を画した気配を持っているものだ。
 多分、ラミーもそれほど深いことは知らないのだろう。ティターニアの肩に身を預け、尻尾をぱたぱたと楽しそうに揺らす彼女から視線を外して、エリスの方に目を向けた。
 彼女の赤い目もまた俺を見る。

「先に紹介されちゃったけど、わたしはエリス。ミリアルブ町のセントヘレナ大学で、デルフィーナ教授の研究助手をやってるの。憶えてる?」
「デルフィーナ——嗚呼、あの老先生!」

 デルフィーナ教授。旅を始めたばかりの頃に一度と、ラミーを連れてもう一度。犬の街に滞在するとき、犬の街での作法やら何やらの鞭撻(べんたつ)を賜った、リクガメの老博士だ。何だかんだで全然会ってなかったのだが、まだまだ元気にしているらしい。
 教授は元気か、と問えば、勿論とエリスはウィンク一つ。あなたのことを気にしていた、と肩を竦める。

「うっかり戦争に巻き込まれてないかって。そわそわしてたよ」
「巻き込ま、れ……てるなぁ、ラミーも一緒に」
「そうでしょー。きみ、あっちこっち怪我してるもんね」

 すっと見透かすように目を細め、エリスは俺の右翼を指す。ケイティが治癒魔法を掛けてくれた所だ。
 特に異変はないけど、と軽く羽ばたかせながら言い返したら、彼女は小さく首を横に振った。

「確かに表面は治ってるんだけど、もっと深い所がね。わたし、良かったら治してあげるよ」
「じゃ、遠慮なく。あんたも癒し手かい?」
「半分だけね」

 ひょいと軽く肩を竦めながらの返答に、俺が首を傾げたその時。
 ちょっと待て、とばかりに、コラーレリトが俺とエリスの間に割って入った。その手の間からは、恐らく出来上がった方位珠のものだろう、細い金の鎖が見え隠れしている。
 驚いたように二歩後ろへ下がったエリスに、ユキヒョウの声は低い。

「エリス、修理は終わってないぞ。出来ないことを安請け合いするのは止めないか」
「あれっ? リトってば、まだわたしの杖修理出来てないの? 出来てると思って言ったのにー」
「出来るわけないだろう……膠(にかわ)が乾いて仕上げが出来るようになるまで、一体何日掛かると思っているんだ」

 エリスはあだ名で呼んでいるし、コラーレリトもざっかけない感じだし、随分と親しげな様子だ。どういう経緯でこんな仲になったのかは流石に分からないが、長い付き合いであろうことは察せられる。
 ぶっちゃけた話、ペンタフォイルでわざわざ若い魔法使いに頼る必要はない。それこそ、歳も技巧もペトロの方が上なのだろう。それでもエリスがユキヒョウの技工士を選んだ理由は、何なのだろうか。俺が知らないだけで、何か基準があるのか?
 やいのやいのと言い合う二人を遠巻きに眺める俺。その横に並ぶのは、妖精夫妻とラミーだった。
 長く艶やかな黒髪を掻き上げつつ、妖精の女王が俺の眼をじっと見る。エメラルドをそのまま埋めこんだような眼を見返すと、彼女は困ったように首を傾げた。

「旅人にしては、随分剣呑な眼ではありませんこと?」
「嗚呼。さっきオベロンが話してたけど、エリスって『遺物』なんだろ? そんなのが若い魔法使いを頼るってのがね、何となく腑に落ちなくて」
「……あまり信じられない話かもしれませんが、リティはあれでも、随分他のユキヒョウから虐められて育っているのです。他よりも斑(ぶち)が薄いだとか少ないだとか、子どものように些細な理由で」

 トーンを下げ、静かに、重たく。ティターニアは呟くように語る。
 手を離れた子を思う親のように、彼女は密かな声で続けた。

「今でこそ技工士として一定の評価が得られ、守神らも彼に助力を惜しみません。ですが、それも血を吐くような努力と、堪え難い葛藤あってこそです。外見と歳だけで判断するのはお止めになって?」
「分かってるよ」

 青二才ってだけで不遇なのは旅人でもよくあることだ。気ままな流浪生活の中でさえ苦労するのに、しがらみの多い職人の中に放り込まれた苦悩が俺より軽いなんて、あるはずがない。
 旅を始めたばかりの頃の苦い記憶を思い返しつつ、再びエリス達の方へ眼を向けかけた時。

「あっ!?」

 ラミーが驚いたように一声挙げて、故障した炉の方を指す。
 それと同時、ビュンと鋭く風を切って、俺の前を何かが通り過ぎて行った。