複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.61 )
- 日時: 2017/01/11 03:25
- 名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs (ID: bEtNn09J)
「『機壊兎(グレムリン)』!? あっこの……待てッ!」
視界を横切ったのは、ゴーグルを掛けた小さなアナウサギ。
文字通り脱兎の如く部屋を突っ切る小さな背へ、コラーレリトの怒声が突き刺さる。しかし子兎はお構いなしだ。身の丈の半分ほどもあるレンチを振り回し、フェッチ達の間を器用にすり抜け、それはあっという間に部屋を飛び出して——
<<無礼者ッ!>>
<<止まりなさい!>>
<<『夜星の森精(レィールタ)』の命令です!>>
三つの声が一時に重なったかと思うと、
「いい加減にしろ小童ァッ!!」
何もかも引き千切るような吠え声と、破城鎚(はじょうつい)のような蹴りが、悪戯兎の顔面に炸裂した。
「ふげぎゅッ」
鈍い大音声と小さな悲鳴と共に、一度は外へ飛び出したグレムリンが、再び部屋に蹴り戻される。どんでんごろごろ、と盛大に床を転がり、炉に衝突してようやく止まった兎の後を追うように、開け放された扉の向こうからベルダンが顔を出した。
途端、俺を含めた全員——オベロンやスプリガン、フェッチの一人に至るまで——揃って彼から視線を外す。……目が合った瞬間首をもぎ取っていきそうな、鋭利で鈍重な殺気を前に、誰がその顔を見上げられるものか。少なくとも俺はまだ死にたくない。
恐らくは誰しもが同じことを考えただろう、嫌な緊張と沈黙があたりに漂う。ベルダンはそんな俺達をまじまじと眺め、そしてふっと殺気を緩めた。
何かを絞り出すような溜息が、水を打ったように静まり返る空気を揺らす。
「今度はサラマンデルの餌だ。……“閃きの首魁(ギズ)”」
「へ、へへっ。天才に名前覚えててもらってるなんてなァ光栄光栄」
わざとらしく頭を掻きながらぺこぺこするグレムリン、もといギズ。反省しているのかしていないのかで言えば、多分反省してないだろう。
けれどもベルダンは、それ以上怒る気にはなれなかったらしい。やおら身を屈めて部屋に入ってきたかと思うと、唖然とするフェッチ達を無造作に足で脇に退けながらギズの傍まで歩み寄り、その首根っこをひょいと摘み上げた。
そのままギズをぶら下げて去っていこうとする背に、皆々の視線が突き刺さる。対する彼は振り返らず、ただ低く唸るばかり。
何処か憔悴した風な後ろ姿に、声を掛けたのはオベロンだった。
「……鍛冶屋。お前はこれからどうする?」
「さてな。貴方に言わねばならぬことではあるまい」
「そうか。ならば当ててやろう。お前は猫の王の元へ行く。行って何を話すかは知らんが、行く」
ベルダンが何も言わないのは、図星だからだろうか。
肩を竦め、困ったように眼を閉じて、妖精王は続ける。
「お前が今まで何を考えてきたかなど、吾にはどうでもよい。だが、その熟れに熟れた想いをかの王にどうぶつけるかは楽しみだ。とてもとても」
「貴方に道案内を頼んだつもりはないが?」
「吾もお前を案内する気はない。だがどうせ途中までの道は同じだ。旅鳥と姫君と、それから栄華の子と」
——諦めろ、十万殺しの大罪人。
——望む望まざるに関わらず、お前は進まねばならんのだ。
からかうようなオベロンの声に、ベルダンはただ、無感情な瞳を向けるだけだった。