複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.62 )
日時: 2017/02/01 03:06
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs (ID: TqOsU1rC)

 『方位珠の扱い方
 一:使用範囲
 原則として彷徨いの森のみとなる。彷徨いの森の外では単なるペンデュラムに過ぎない。此処はきちんと弁えた上で使うこと。
 年季が入ってくると彷徨いの森以外の森でも使えるようになると思う。そこは方位珠の手入れの仕方と、妖精夫妻の気まぐれ次第だ。すぐには使えるようにならないだろう。一年を目処に永く使ってやってほしい。

 二:使い方
 鎖の部分を手にもって自然に垂らし、静止させた状態で五秒ほど待つ。魔燈鉱が光ったら準備が整った合図だ。目的地を言えば、方位珠が最も安全な道を光で指示してくれる。妖精は物知りだ。少々曖昧でも、かなり精度よく使えるだろう。少なくとも遭難はしない。
 森から出るまで案内は続く。目的地を変えたいときは一旦魔燈鉱を手に持ち、もう一度最初から同じ手順をやり直せば良い。オベロン達は面白がって付いてきてくれるさ。

 三:手入れ
 方位珠自体は頑健に作ってある。週に一回程度、綺麗な布で魔燈鉱の部分を拭けばそれで事足りるだろう。見栄えを重視したいなら、月に一度くらい鎖と菊座(きくざ)を磨けばいい。だが妖精はそうも行かない。我々と同じで、休みもなしに使われると滅入ってしまう。
 彼等は光、とりわけ月の光に活力を求めるものだ。満月の夜は使用せず、月の出から月の入りまで月の光を当てておいて欲しい。月が見えそうにないのなら、晴れた日の何処か一日を取り、南中から日の入りまで陽の光を当てると丁度いい休息になる。

 四:その他
 方位珠は今のところ私以外に作っていない。万一壊れた時は、面倒でも私の所へ来てほしい。
 遠方に居て来られないときは、“バルカンの宝具”の印を掲げた郵便局から書留で送り、一か月後に同局まで取りに来てくれ。自分の名前を忘れるなよ。

 では、良い旅を。

    ペンタフォイル山麓駅 ラヴァンドラ町八丁目一二番地八号
      『ヴェルンド魔法具店』 コラーレリト』

 ヴェルンド魔法具店からの帰り際、コラーレリトは俺に、方位珠とこの説明書を渡してくれた。
 今までに出会ってきた職人からこうした説明書を貰ったことはない。大体が刃物だの装飾品だのと言った、直感で扱い方の分かるものだったから、まあ当然と言えばそうだが、やっぱり丁寧に解説してくれるとちょっと感動する。
 ペトロの宿屋に向かうときも、着いてからも。飽きもせず説明書を眺める俺に、どうやらペトロが興味を引かれたらしい。トコトコと軽快な足音を響かせて近寄ってきたかと思うと、俺の差し向かいからぬっと頭を伸ばして、藁半紙の上に綴られた字を覗き込んだ。

「へぇ、細かい説明書さな。妖精夫妻の加護を受けた魔法道具らしい」
「関係あるのか?」
「勿論。森の妖精ってのは長生きでね、守神の中でも随分古参だ。だから、新しい守神の中ではもう意味を失ったこと……そう、旧いしきたりや習慣を大事にして、その中に意味を見出すんだよ。例えば南中の太陽や満月の光に力を求めたり、ヤドリギを眷属に見立ててみたり」

 そう言えば、ペンタフォイルでは時折、冬至の日にヤドリギで作った飾輪(リース)を玄関口に下げているのを見かける。冬至から年明けにかけてリースを飾ること自体は何処でも同じようにやっているが、わざわざ手に入りにくいヤドリギで作ったものを掛けているのは此処だけだ。
 彷徨いの森——妖精たちが住む森が近いからか。
 尋ねると、ペトロは小さく点頭した。

「森精は悪戯好きでね、たまに生まれたばっかりの子供を攫っていってフェッチと取り替えたりしちまうんだ」
「“取り替え子(チェンジリング)”か」
「そ。だから眷属に見立てたヤドリギのリースを家に掛けて、悪戯に遭わないように祈る習慣が残ってるのさ。……逆に、こう言う習慣を破る家にバチが当たったから残ったって言うのが本当のとこなんだろうけどね」

 ——たかが習慣、されど習慣。ある訳がない、いるわけがないとおざなりにしようとする家や人に、妖精は障りを起こす。旧い習慣の中に意味を見出すのだから、向こうとしちゃ必死だろね。
 ——そしておいさん達も、妖精の加護が受けられなきゃ暮らしていけない。だから、此処には旧いしきたりが残ったし、そうしたしきたりを伝えてゆく人が沢山残ったのさ。

 右耳に付けた石の耳飾りの表面をちょいちょいと撫で回しながら、ペトロの声は呟くように。何処か遠くを眺める飴色の眼には、郷愁めいた色が宿る。
 思えば、俺が旅を始めた頃にはまだ、ペトロの宿は此処に無かったはずだ。勘違いなら俺が恥を掻くだけなら、もし本当なら、彼の故郷は此処じゃないのだろうか。
 横顔を眺めながら物思う俺をちらと眇めて、彼は眼を細めた。

「おいさん元々はトラシア大陸の出だよ。戦争が始まった頃くらいにこっちに来たのさ」
「トラシア大陸って、南半球じゃねぇか。何でまたこんな豪雪地帯に」
「そりゃ、魔法使いの数がトラシアと全然違うからねぇ。魔法使いの素質があるって分かった時点でプレシャ大陸の方が暮らしやすくなるし、何よりトラシアの気候は羊にゃ向かないよ」

 考えてもみなよ、とペトロは苦笑い。それもそうだと首肯した。
 どの辺りに居たかにもよるが、トラシア大陸は大体の国が赤道直下か、あるはそれに程近い。雨も多いし、ざっくり言って何処も彼処も暑い国だ。その道二十年のキャラバンさえ音を上げるほど蒸し暑い気候の中で、羊が平然としていられるとはちょっと思えない。
 かと言ってペンタフォイルが気候的に暮らしやすいとは口が裂けても言えないが、天秤にかけるとしたら暑さよりも寒さなのだろう。魔法使いにとって暮らしやすい土地なら、それは尚更だ。

「だけど、南半球だぜ? どうやってこんなとこまで来るんだ」
「今ならリブラベッサーだろうけど……おいさんが来た時はユグドラシルが丁度トラシアに居たからね」

 ユグドラシル。
 何気なく出てきたその単語を、ふんふんと聞き流しかけて。

「……はァ?」

 気付いた時には、素っ頓狂な声が口から零れていた。