複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.7 )
日時: 2016/10/30 02:33
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: HccOitOw)

 街外れの雑貨屋に戻ってきて、いつものようにカウンターで頬杖をついているロレンゾが目に入った途端、今まで忘れていた疲労がどっと全身になだれ込んで来た。ベルダンと一緒に居るとどうも変な風に緊張してしまう。悪意があるわけじゃないと知ってはいても、あの風体はやっぱり怖い。
 そしてロレンゾは、そんな俺の様子を横目で一目見るなり、くつくつと楽しそうに笑声を零した。そこで、最前此処で誓ったことを思い出す。

「よー、ちゃんと帰ってきたか青二才! それで——痛ってェッ!?」
「うん、満足」

 敵意を悟られないようなるべく疲労困憊の体を装ってその場に立ち尽くし、彼がニヤニヤ笑いながら近づいてきたところで、向う脛を思いっきり蹴り上げた。元々鍛え上げられている上に分厚い革の軍靴越し、細い木の一本も張り倒せるくらいの力で蹴ってもひたすら痛がるだけだが、とりあえず目標は達成だ。俺満足。
 脛を押さえてその辺をピョンピョン跳ねまわるトカゲのジジイに、頼まれた言伝も投げつけた。

「ベルダンから伝言だ。確かに果たす、って」
「ぁーいって……くそっ。ベルダンの野郎め、カッコつけよってからに。齢七十五の老体で空飛ぶつもりか?」

 語尾を上げつつも、その矛先は何処にも向いてはいない。驚きと呆れと、それから少しの称賛を混ぜて独りごち、ロレンゾは古い樫のカウンターを楽しそうに数回指先で突いた。やや伏せがちの目の奥、何時もの軽薄な色と共に、計算と打算の光が見え隠れしている。
 ロレンゾは決して馬鹿な男ではない。多方面に亘る鋭敏な思考力と膨大な知識を隠し持っている。ある種の分野に限定すれば、天才や神童と呼ばれる者どもを言葉一つで叩き伏せ、百年の時を刻んだ老翁にさえ、知識の量で勝ってみせるのだ。むしろ、そうでなければ『遺物』で空を飛ぶなんて出来やしないだろう。
 英雄を英雄たらしめたその頭で、彼は一体何を考えているのだろうか。

「……ま、二週間ってェとこかね。ベルダンもそれ以上仕事を休んじゃ居られんだろ」
「それ以上って——戦争を二週間で終わらせる気か!?」

 思わず大声が出た。
 だって当たり前だろう、犬猫の戦争は俺が生まれる前から蜿蜒(えんえん)と続いているものなのだ。それを二週間で終わらせるなど、いくらロレンゾが超ド級の船乗りだったとしても大言壮語に過ぎる。或いは無謀とも。
 けれども、彼の横顔はいやに自信満々だ。爛々と光る鋭い金の眼が、熟慮と計算の末に『二週間』と言う結論を弾き出した、その裏付けに等しい。

「約束は果たす。かつての英雄だの古強者(ふるつわもの)だのと好き勝手なことは言わせんぞ」
「言わせんって、老けたのは確かだろうが。六十にもなって何言ってやがる」
「黙んな、青二才。俺の今の力量は俺が一番良く知っている。考えた上での二週間だ」

 彼の言葉も、間違ってはいないのだろう。
 それでも腑に落ちたわけじゃない。

「ロレンゾ、本当に大丈夫なんだな?」
「くどい。ローザに何も言わないで死ぬほど不孝者にゃならん」

 こっぱずかしいこと言わせるな、と照れ隠しの悪態を吐き、がしがしと乱暴に白髪を引っ掻き回して、古い椅子に身を預け。またしばし考え込むように俯いていたかと思うと、突然立ち上がった。相変わらず何を考えているのかよく分からない男だ。
 何も言わず、誰にも意図を汲ませずに、トカゲは硝子玉の暖簾の向こうへ消えていく。ギィギィと木の軋る音は、恐らく階段を上っているのだろう。ぼんやりその音を聞きながらカウンターの前に突っ立っていたら、くいくいと尻尾を軽く引かれた。

「嗚呼、邪魔——」
「うりゃーっ!」

 ——ばっちぃん!!

 退こうとした俺の思考をぶった切って響く、聞き覚えのあるソプラノの声。
 何事、と言う驚きさえ叩き切るように、俺の横っ面が快音を立てた。