複雑・ファジー小説
- Re: 茜の丘【第四話更新】 ( No.7 )
- 日時: 2015/03/24 02:07
- 名前: 西太郎 (ID: 8topAA5d)
【第五話】
(む、無理だろ……)
沈丁は二人の前で青ざめる。何度試しても煙一つ立たなかったのだ、いきなりこの老人を満足させるような火が出るわけがない。
「さあ、手を出して。あ、人差し指を上に向けて立てたほうが集中しやすいかな」
かたかたと震えながら槐の言葉に従い、人差し指のみを空の方向へ向ける。何も出ないと分かっているから、震えながら指を立てている姿はかなり滑稽だ。老人なんて耐えられないとばかりに既にくつくつと笑っている。
「まあ点ける対象もないから一瞬しか火は出ないけど。沈丁君、一、ニの、三で点火だ。わかった?」
今すぐにでも「俺はそんなことできません」と首を横に振りたかったが、槐の絶対に出来ると思っているにこにこ笑顔を見ると大人しく頷くしかなかった。「それでいいよ」と槐の口が形だけ動いた。何がいいのだろう、もしかしてこの人は分かっていてわざとこんなことをさせるつもりなのかと沈丁の疑念は尽きない。
「はっはっは! 本当にさせるつもりかい、赤髪のお姉さん! 沈丁もなんだい? お姉さんにいいようにさせられて!」
「ふふふ、まあ見ていてくださいよ」
老人の言葉に沈丁の顔はがっと熱くなる。それでも槐は本当にやめる気はないようだった。
「さあいくよ、一、二の、三!」
「俺っ、そんなのできな……っ!?」
槐が三の掛け声と同時に着物の袖を振ったその瞬間、沈丁の人差し指の先で明るい火の粉がぱちぱちと弾けた。
老人は笑うのをやめ、沈丁はただあんぐりと口を開けて声も出ず、槐だけがほらね、と微笑んでいた。
「ほら、沈丁君は火粉術を使えたでしょう? そういえば、根無しは妖力を持たないと聞きましたが、それは誰のことなんでしょうね」
「えっ、え、はぁ?」
思いもしなかった現実を、老人は処理できないでいるようだった。勿論それは沈丁自身も同じなのだが、槐はその笑顔を崩さずに老人に畳み掛ける。
「根無しっていうのは、差別用語でね。まあ私も人間がそんな言葉を使うのは人間らしいと思うのだけれど、沈丁君みたいな術をちゃんと扱える子が妖力がない根無しだとは、ちょっと筋違いだと思ってね」
「は、はあ……」
「それにもう一回言うけど、私はここに団子を食べにきただけなんだ。この茶屋は客に一手間かけさせてからでないと団子を出してはくれないのかい? それにね、私はね」
槐は長椅子からすっと立ち上がった。そうすると腰の曲がった老人とは頭三つ分ほどの差ができるほどの巨体が現れる。
「実は男なんだ。お姉さんはちょっとよして、お兄さんって呼んでほしいな」
言葉を失った老人は槐と沈丁を交互に見て、しばらくの沈黙のあと「団子を持ってきます……」と暖簾の奥に姿を消すのだった。
「あの、槐さん」
「なんだいっ? 良かったねえ、根無しの誤解が解けて」
「いやっ俺本当に何も」
「しーっ。まあ後で話すさ。今は一緒にお団子を食べようよ。おーいお姉さん、熱いお茶も入れてくれると嬉しいな!」
店の奥からがちゃがちゃと皿が擦れる音が聞こえてくる。
沈丁は槐が何か種を仕掛けていたらしきことには感づいたが、一体何をしたのかは全く想像がつかない。ただ一段と機嫌の良さそうな彼を見て、一緒に顔を綻ばせて団子を待つしかできない。
数分経って運ばれてきたみたらし団子とお茶は、初めて食べたもののように甘くて熱くて感動に溢れていた。
(まあ、本当に初めて食ったんだけど、それ以上に)
二本同時に口につっこみ、勢いよく串を引き抜いて口内に八つの団子を含ませもっちゃもっちゃとそれを咀嚼する槐は「結構美味しいねえ、沈丁君!」と食べる手を休めてゆっくり味わおうとする気はさらさらないようで、また次の串に手を伸ばしている。
(この人、男だったのか……)
はあ、と溜め息をついた沈丁もまた、三本目の団子の串に手をかけるのだった。