複雑・ファジー小説

Re: Subterranean Logos【オリキャラ募集中】 ( No.10 )
日時: 2015/05/07 21:27
名前: のいじ (ID: 9igayva7)


 生還者が居た。その事にクレメンタインは喜びを感じていたのだろうか。薄らとした笑みを湛えながら、彼等を出迎えた。左頬の傷跡のせいか、やや引き攣ったように見えていたが、彼女なりの精一杯の笑顔なのだろう。
一抹の不気味さを抱かせたが、それを口に出す事はしなかった。しかし、彼女が口走った言葉に陸は一種の不快感を抱いたのは間違いない。

——君たちは使い捨ての英雄になる事はなかったようだ。おかえりなさい。

 この言葉が陸の頭の中を反復する。自分たちは使い捨ての存在なのだろうか。それとも、人に眺望される英雄なのだろうか。はたまた言葉の綾なのか、普段から尊大な言い回しをするクレメンタインだったが、この言葉はやや無神経に思えてしまって仕方がなかった。

 ふと、Nファクターを投与する為に、自身に繋がれた点滴パックを見遣る。中身はまだ4/3以上残っており、全て投与し終えるまでしばらく時間が掛かるというのが見て取れる。
カーテンに包まれた向かい側のベッドに横たわり、陸と同じようにNファクターの再投与を受けているヴァルトルートは眠っているようで、彼女の静かな寝息が聞こえていた。

「ネーベル。これ終わるまでどのくらい掛かりそう? 」
 点滴を繋がれた腕とは逆の腕を僅かに、上げて点滴パックを指差す。ネーベル、そう呼ばれたオートマタはグリーンの瞳を彼に向け、クスっと小さく鼻で笑った。

「5時間は見た方が良いわね」
「…長いですね」
「えぇ、急に入れたら副作用があるから」
 椅子に腰かけ、何やら書類に目を通しながらネーベルは言う。興味は一切陸に向いていないようだ。

「副作用ですか」
「体質次第だけど、あるわね」
「いまいちそういう知識ってないんですよね。どんなもんなんですか? 」
「そうね…。五科長が詳しいわよ」
「元三科ですもんね」
「それもあるけど。それ以外もあるのよ。取りあえず私は忙しいから、点滴終わるまで寝てなさい。“英雄”ちゃん」
 どこかネーベルの毒を孕んだ言い回しに、陸はややムッとした表情を浮かべるとぼんやりと天井を見据えた。
ネーベルが整理している書類同士が擦り合わされて発せられる音が、何処か心地よく、瞳を閉じれば襲い来る獰猛な睡魔に抗う術はなく、いつの間にか微睡に堕ちていた。



 薄暗がりの中で、台帳に引かれた二本線を指先でなぞりながらクレメンタインはスタウトを呷っていた。昨晩、ミッターナハツゾンネと飲んだスタウトと違って、妙な苦みはなく、心は平静を保っていられた。
机に置かれた旧友と自分が写っている写真の前にはショットグラスが置かれている。かつての友への祝杯のつもりなのだろう。旧友の好んだ酒が入ったショットグラスの中身は一切、減る事はない。

「今晩がアガルタで一番良い夜かも知れんよ」
 そう語りかけるクレメンタインの表情はいつもより幾分柔和で、顔色もよく見えた。死んだと思った仲間が、部下が帰ってきた。
死んでしまった者はいたが、生きて帰ってきた事に幸福を感じられて仕方がない。他の科長のように生と死に無頓着になる事はどうにも、クレメンタインには出来そうにない。表向きはそう振舞う事は出来ても、内面まではそう変えられない。

「私は救えないし、変われそうにもないよ」
 旧友のショットグラスを奪い取り、その中身を一気に飲み干すと写真を壁に向け、ゆっくりと立ち上がった。自分の飲んでいたジョッキの中にショットグラスを落とし込むと、ガラス同士がぶつかり合う耳障りな音が響く、割れたかも知れない。しかし、それを気にする様子もなく、何かを振り切ったような足取りで彼女は歩み出した。