複雑・ファジー小説
- Re: Subterranean Logos【オリキャラ募集中】 ( No.20 )
- 日時: 2015/08/19 23:20
- 名前: noisy ◆.wq9m2y9k. (ID: sFi8OMZI)
- 参照: https://www.youtube.com/watch?v=y9zw_79tlgM
オートマタ達が帰投してから既に5時間は経っただろうか。ハルカリの左腕の損傷を除いて、目立った被害もなければ誰も欠ける事なく帰ってきた。その事にクレメンタインは胸を撫で下ろしていた。
「今回は上手くいったようだ」
ショットグラスは写真の前に置かれている。写真の中には笑顔のサリタと不愉快そうなクレメンタインがいる。作戦後の報告ではないが、ポツポツとクレメンタインは写真に語りかけている。誰一人として欠けなかった事が余程、嬉しかったのだろう。写真の中のクレメンタインに相反し、写真の外のクレメンタインは笑顔を湛えていた。次々と矢継ぎ早に紡ぐ言葉からはいつもの語気が感じられず、女性らしい柔和な物だった。恐らくはこれがクレメンタインの本来の姿なのだろう。
一頻り語り終えると写真の前に置かれたショットグラスを手に取り、注がれたテキーラを飲み干す。その刺激の強さに一瞬顔を顰め、いつものクレメンタインが戻って来てしまう。
「——温い、——暑い」
空調の調子でも悪いのだろうか、いつもと比べて心なしか室温が高く感じられる。ただ単に自分が酔っているだけなのかも知れないが、額に微かに浮かんだ汗を拭いながらショットグラスをパウントグラスの中に押し込むと、静かに立ち上がった。やや酩酊する視界であったが、机の上に立ち送風口に手を翳す。風の勢いはいつもよりも弱く、微かに温度が高い。そして不愉快な臭いを発していた。それは人間の腐臭に似通った、噎せ返るような甘ったるい臭い。その臭いに酔いを吹き飛ばされ、クレメンタインは不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「連中…」
二科の人間がNファクター精製所の排気を地上にではなく、施設内に循環させているのではないのだろうかと脳裏を過ぎる。やらかしかねない事ではなく、邪推かも知れないが二科に問い詰めるのも手段だろうと思いながら、クレメンタインは眼鏡を掛けなおして、静かに部屋を後にした。
クレメンタインが去り、誰も居なくなった部屋の中で、何かが滴るような音がしていた。それは通風孔から滴り、テーブルの上に真っ青な水溜りを作り上げていた。通風孔を何かが叩き、青い液体の流れ出る量が少しずつ増え、テーブルからも滴り落ち、今度は床に敷かれたカーペットを汚しだす。
部屋の主が居たならば、銃の一つでも抜いて通風孔に撃ち込んでいた事だろう。しかし、今は誰も居ない。通風孔を叩く音は激しさを増し、ネジで止められた通風孔の枠が音を立てて、落ちてゆく。
暗く狭い通風孔から何かが部屋の中を一瞥する。赤い瞳が室内の明かりを受け、微かに鈍く光る。誰も居ない事を確認してか、ゆっくりとした挙動で通風孔から這い出るそれは人の形をしておらず、尾がないノスフェラトゥだった。否、厳密にはあったのだろう。惨たらしい傷跡が顔を覗かせている。切断面は既に塞がり、青白い皮膚が張り付いていた。
「————はぁ」
小さく、まるで人間が呆れた時に浮かべるような溜息を吐くと、再度部屋をぐるりと見回し、自らの血で青く汚れた手で、壁をなぞる。まるで懐かしんでいるようにも見えるその挙動であったが、すぐにその動きを止め、ドアを見据える。何かを確認しているようであったが、その行為が何なのかは判別し難い。一頻りドアを見つめ終えるとゆっくりとした足取りで一歩、また一歩と歩みを進めて行く。そしてドアノブに手を掛けたその瞬間、その姿は不可視と化し、クレメンタインの後を追うように、部屋から立ち去った。
二科のドアを開けば、見知った顔の科員達は旧世代の映画を見ていた。なんでもガルウィングドアの車が、タイヤから炎を吹いて時間を旅行する映画だったらしい。
「グラナーテ、お前年取ったらこうなるんじゃないのか…」
「ちょっと失礼じゃない?
ニヤついた笑みを浮かべながら、そうクレメンタインは軽口を叩く。様子を見る限り、妙な事をしている訳でもなく、空調の操作盤も平常どおりの運用をしている。
「で、何の用? 」
「私の部屋の空調がおかしいんだ」
「こないだ周期点検したばっかりなんだけどなぁ。まゆしー君。チェックミス? 懲罰食らうよ? 」
「瑕疵はないはずなんですがね…」
コーヒカップ片手の黛は困ったような表情を浮かべて、クレメンタインに助けを求める視線を向けていた。問題ないと言って欲しい。この時間から再点検はしたくないのだろう。
「…少し暑い程度だ。大して問題はないんだがな」
空調の勢いが弱い事、腐臭がしている事は伏せ、問題はないと告げると黛は胸を撫で下ろし、グラナーテの視界の外から親指を立てて右手を突き出して見せ、台所へと姿を消した。
「暑いのが嫌だったら、此処に居たら? 私とカケハシが今日、此処の当直だから朝まで空調ばっちりよ? 」
「…お前等朝が来るまで映画三昧だろ」
「ハルカリコレクションの一部だもの。見ない訳にはいかないよ」
薄くなったアイスコーヒー片手にグラナーテは言う。その後ろで聞こえるZZ TopのDoublebackに耳を傾ける。まだ幼い頃、近代音楽史の教科書に載っていた「ビリー・ギボンズ」の髭面とサングラス姿が脳裏を過ぎった。
「昔の曲でも良いな」
「レスターの病気でもうつった? 」
「抜かせ」
やや汚れたリクライニングチェアに腰を下ろし、映画のパッケージと思しき物を手に取った。
「しっかし…タイムトラベルか」
「出来りゃ世話ないよね。二次大戦終結直後に戻って、南米に逃げたナチをとっ捕まえて一稼ぎしたいよ」
「…報酬山分けな」
「がめついー」
軽口を叩きながらもクレメンタインは思う事があった。過去に戻れるなら、六年前のあの日に戻りたい、戻って出撃を中止させるような重大事故の一つでも起こして、またこの時間に帰ってきたい。
今に戻ったならば死した者達がこの場に居るのかも知れない。夢のような絵空事だとは分かっていながらもそんな事を考えていた。
「グラナーテ」
「なに? 」
「ハルカリコレクションはまだあるか」
「ん? まだ沢山あるよ。何か適当に見ようか」
何やら大人しくなってしまったクレメンタインを不思議に思いつつも、次のICチップを取り出し、再生機へと収めた。
その映画のタイトルは「遊星からの物体X」そう書かれていた。