複雑・ファジー小説
- Re: Subterranean Logos【オリキャラ募集中】 ( No.57 )
- 日時: 2016/03/15 08:38
- 名前: noisy ◆kXPqEh086E (ID: iqzIP66W)
- 参照: 充電終了
4.The Dark Side Of The Moon
厭に寝付けず、少年は真っ暗な天井に視線を這わせた。どこを見ても黒、どれだけ見ても黒。手元のスイッチ一つで、その黒は晴れるというのにどうしても、その黒に言い得がたい心地よさを感じていた。
決して日中のデスクワークで、ブルーライトに目をやられた訳ではなく、ただただ純粋に黒い闇に目を奪われていたのだ。
忘我したように少年はしばらく、天井を眺め続けると小さく溜息を吐いた。どれだけ、天井の闇に目を奪われ、どれだけ時間を無駄にした事だろうか。自嘲するような笑みを浮かべて、瞳を閉じる。閉じた瞳の中もまた闇で、地下に広がる暗闇と同じように思えた。幸いにも鼻につく、油の臭いは感じ取られなかった。
瞳を閉じ、一切の視覚を放り出すと自分の心音が聞こえる。一拍、一拍力強く鼓動するそれは人間が一度、21グラムの魂を放り出しただけで止まり、もう二度と動き出す事はない。医学的には出来ない事もないのだが、倫理の壁がそれを邪魔する。だが、もし人間がその倫理という物を暗闇の中に葬り去ったらどうなる事だろうか。何もかもが許される事になるだろう。そこには善も悪もない混沌とした世界が待っている。
まだ東城陸は、そんな現実から目を背け、そんな現実が存在し得る事を夢にも思っていなかったのだ。
2120年3月14日。20歳になった彼は旧中華人民共和国領、北京の土を踏んでいた。100年も前には大気汚染で前すら見えず、恐慌により元来の盗人根性に火を付けた国民達の暴動や、略奪で酷い状況だったらしいが今やそんな様子は見られない。辺りは廃墟と痩せこけ、病に蝕まれた人間や既に死した人間の欠損した死体だけが転がっていた。
何故、陸がこんな酷い所に居るか。その理由は単純であった、ノスフェラトゥを信奉する集団が居るというため、内偵に来ているのだった。他にも第14アガルタ以外に、第7アガルタや第3アガルタからも人員が内偵に来ているらしいが、彼等と思しき姿はない。
(……死体、かぁ)
陸の視線の先には、死体が斃れていた。肉から漂う僅かな腐臭と、腐りかけの血の臭い。嗅ぎなれ、見慣れた物だったが陸が視線を奪われたのはそれを食らう人間の姿があったからだ。彼等は飢え、手足は枯れ枝のように細く、肌は小汚い。ノスフェラトゥを信奉する者達が現れてから、北京にはこんな人間とは思えない人間達が姿を現すようになったのだ。元々は第三次世界大戦で第1世代オートマタの悪意が元となり、ICBMを何発も撃ち込まれ、都市を放棄したため人は住んでいない場所だったのだ。
かのオルダス・ハクスリーがこの様子を見たならばまさしく「すばらしい新世界」だとディストピアな今を嘲笑う事に違いない。先人達の創作は、残念ながら現実になりつつある。そもそもこの廃墟群の発端となったオートマタの反乱は、イーロン・マスクやスティーブン・ホーキンスの予言通りだ。今後も知識人達が鳴らした警鐘は実現されてしまう事だろう。
死肉を貪るそれから視線を逸らし、なるべく誰とも目を合わせないように陸は廃墟群の奥へ、奥へと進んでいく。心なしか人の数は増え、人間らしさが薄まっていく。失われた右手の繋ぎ目が、何故かゾワゾワと虫か何かが這うような言い得がたい不快感に襲われる。何か事があれば必ず起きるのだ。いつぞやのLAVで死に掛けた時もそうだったし、クレメンタインがノスフェラトゥの血を貰った時もそうだった。思わず懐に隠した自動拳銃に手を伸ばし、セーフティーを外す。ダブルアクションのそれは多少の事では暴発しない。
(何か燃えてる)
少し開けた先で何かが燃えていた。煙は黒く、悪臭を発している。心なしか脂を含んでいるように感じられた。目を凝らし、それを見れば燃料の何かが高熱で炭化し、妙な形で折れ曲がっている。幾重にもそれが積み重なり、唸り声を上げる炎に包まれていた。そのような形を成して燃えるのは、人間の肉だけだ。表面の皮膚と毛髪が焼ければ、悪臭を発し脂肪が燃え、内臓が溶け落ちる事で周囲に脂を撒き散らす。そして炭化した筋繊維と骨は熱で妙な形に折れ曲がっていく。恐らくは死者を焼いているのだろう。衛生概念があるのだろうか、と興味に駆られゆっくりと炎に向かっていく。炎の前に屈み、それを見下ろした時、陸は思わず自動拳銃を懐から取り出していた。
燃えている死体の中には、アガルタ職員が2体含まれていたのだ。まだ燃えきっていないそれは、四肢を削がれ両目を真一文字に切り裂かれていた。恐らくは生きながらして、それをされたのだろう。此処に居ては自分も同じ目に遭うのは間違いない。静かに後ろを振り向けば、人間らしさを失った人間達がまじまじと陸を見据えていた。
「————はぁ」
思わず出た溜息。それと同時に陸は駆け出す。呼応するようにひたひたと足音が聞こえるあたり、彼等は追ってきているに違いない。捕まれば、あんな事になる。多く命を奪ってきたが、自分の命は大事だ。逃げる時は足取りは素早く、思考はなるべく冷静に。ギルバートがよく口走る基礎中の基礎が脳裏に反復されている。逃げなくては、何がなんでも逃げなくてはならないのだ。