複雑・ファジー小説

Re: ラージ ( No.25 )
日時: 2015/04/25 10:53
名前: 全州明 ◆6um78NSKpg (ID: JEeSibFs)

第六話 「楽しげな日々の中で」


 ————目を開けると僕は、布団の上にいた。また嫌な夢を見ていたらしい。
 それにしても、やけに鮮明で、現実的だった。
あれは本当に、夢だったんだろうか。


 紅葉の、秋。僕はこの季節が好きだ。
 木々は衣を色とりどりに変え、冬への備えを始める季節。
 道の脇に生えたたくさんの木々から落ちた枯れ葉が、大地を埋め尽くす。
 そんな一本道を歩きながらの帰り道、声をかけられ振り返ると、自転車の荷台に横向きに腰かけた状態の女の子があっという間に僕を追い抜かし、その先で転倒しかけて止まった。
「もう、止めてよぉー」

 などと口を尖らせて文句を言ってきたけれど、僕のせいではないと思う。
 だって止められるわけがないのだから。止めようとして下手に触れて、少しでもバランスを崩したら、さっきみたいに、そのまま転倒することになるだろうから。
なにせ彼女の自転車の運転席には、誰も座っていないのだ。
 別に、怖い話とかそういうんじゃなく、本人曰く、あらかじめある程度の勢いをつけておいてからハンドルを両手でしっかりと掴んだまま、それを斜め前に押しつけるようにして飛び上がり、サドルの傾斜を利用して荷台に乗れば、後は体を横に向けるだけの簡単な技らしい。
 初めて会った時、「危なくない?」と聞いたところ、スカートをたくし上げ、膝上のあざを見せてくれた。もう何ともないらしいけど、その痛々しい青痣は、転んだときの衝撃を物語っていた。
 しばらくそれを見つめていると、結果的に彼女の太ももをマジマジと見つめることになってしまったらしく、顔面を強めに殴られた。鏡を見れば、今でも少し、跡が残っているかもしれないそのくらいの威力はあった。僕の殴られた痛みと、彼女が自転車から転倒した時の痛み、果たしてどちらの方が痛いんだろうか。
 まぁ多分彼女の方だろうけど、そんな痛みを味わっていながら、未だに続けているとなると、これはもう、一種のプライドか何かなのかもしれない。
 ちなみに、どうしてそこまでしてそんな事をするのかと聞いたところ、「目を閉じたら、まるで彼氏と二人乗りしてるみたいな気分になるでしょう?」と返された。
 何を言ってるんだこの子は。
 なんて寂しい子なんだ。よし、僕が彼氏になってあげよう。
 うん、そうしよう。
 という具合に調子乗って告白したら腹を強めに殴られた。あの、遠い夏の日———
 ———それはさておき。
 『エア彼氏との青春』を謳歌していた彼女は自転車を半ば転落する形で滑り降り、律儀に鍵をかけ、道の端に寄せてから右腕を高く上げ、メトロノームのように左右に大きく振りながら、「久しぶりー!!」と大声で叫びながらこちらへゆっくりと歩み寄ってきた。
 これは、僕に手を振っている、ということでいいのだろうか。
 うん、いいんだろう。きっと、かっと。
 良かった。あれ以来なんとなく顔を合わせづらくて避けて来たけれど、杞憂だったらしい。
 ———と思ったらいきなり足を止めて百八十度回転し、自転車の方へと戻って行った。
 どうしたんだろう。やっぱりまだ、気にしてるのかな? 僕が殴られた痛みがいつまでも取れないから病院に行ってみたら、あばら骨にひびが入っていたことを。
 いや、違った。やっぱり道の端に自転車を止めるのは気が引けたらしく、鍵を差し込み、ハンドルを両手で持ってぐるりと半回転し、自転車を押しながら再びこちらに向かってきた。

Re: ラージ ( No.26 )
日時: 2016/04/25 23:55
名前: 全州明 ◆6um78NSKpg (ID: GrzIRc85)

 ———彼女の足元を見て、ふと、違和感を覚えた。
 道路から、落ち葉が無くなっているのだ。慌てて顔を上げ、道の脇に生えた木々を見る。
 相変わらず、枯れ葉を落とし続けていた。再び視線を落とし、道路を見る。
 一面を枯れ葉が埋め尽くし、彼女の押す自転車は、その上をガサガサと音を立てながらこちらへと向かって来ている。……なんだ、気のせいか。
「どうしたの?」
 彼女は不安そうに、僕の顔を覗き込んでくる。
 いつの間にか両手が空き、自転車が無くなっていた。
「いや、何でもない。気のせいだよ。………多分」
 僕はお茶を濁すように笑みを浮かべた。
「………嘘つき」
 彼女は口を尖らせて、さぞかし不機嫌そうに呟いた。
「…………え?」
 僕の思考回路は困惑して、彼女が何を言っているのか、良く分からなかった。理解できなかった。
 ———唐突に、世界がぼやけ始めた。
 足元がおぼつかなくなって、僕は倒れこみそうになる。
右足が、地面にずぶりと沈み込んで、僕の体は傾き始めた。
「そうやって、また逃げるの?」
 彼女が何を言っているのか、何が言いたいのか、まるで見当もつかなかった。
 逃げる? 何の話だよ。僕は、逃げたりなんか————
「本当はここがどこなのか、気付きそうになる度に駆け出して、落下して、辺りの景色を書き換えて、無理やり忘れようとしてるみたいだけど、あなたはもう、これ以上逃げられない」
 いつの間にか、僕の右足は、元に戻っていた。
 僕の体はまるで言う事を聞かず、ピクリとも動かない。
「だってそうでしょう? この世界は不自然すぎるもの。そこらじゅうが違和感で溢れてる。
ここはいつも楽しくて、嬉しくて、明るくて、都合が良くて…………
 でも本当に、ここは素敵な場所なの? あなたの居場所はもう、ここにしかないの?」
「そうだよ。僕の居場所はもう、ここにしかないんだ。だから、だから邪魔をしないでくれよ。
 別にいいじゃないか。いつまでも、ずっとこのままで。
 僕はもう嫌なんだよ。外の世界が。あそこにいる奴らは、皆僕の事を変人呼ばわりするんだ。
 確かに僕は、態度や口調や性格が、ころころ変わるよ。何の前触れもなく。
 喋り方だって、最近やっと、普通になったばっかりなんだ。
 でももう、それも必要ない。だってここでは、僕は普通になれるから。
 所詮ここは、僕の頭の中の世界だ。でもだからこそ、ここには変人しかいない。
 変人しかいない世界では、変人が、普通になるんだよ。
それで、外の世界の普通の奴らが、ここでは皆、変人になる。
こんないい世界、他のどこにあるっていうんだよ」
「違う。あなたはこの世界でも普通にはなれないわ。だってあなたは、あの頃とはもう違うもの。
 あなたは本当の自分をひた隠しにして、普通になってしまったから。
 外の世界の普通では、ここの世界の普通にはなれない。そうでしょう?」
 ………嘘だ。そんなはずない。僕が、僕が変わったなんて。
僕はこの世界でも、普通になれないなんて。だったら僕は、どうすればいいんだよ。
「何を悩んでるの? あなたはもう、外の世界の普通になれたのよ?
目を覚ませばいいじゃない。目を覚まして、こんな世界から抜け出して、一生かけても見渡しきれないような、広くて大きい、本当の世界を、知ればいいじゃない」
「でもどうやって?」
「簡単よ。口にすればいいの。一体ここが、どこなのか」
 ここがどこなのか。ここは、間違いなく僕の頭の中だろう。でも多分、それを言っても僕は目覚めない。僕の頭の中だってことぐらい、最初から、わかっていたことだから。
 なら僕は、果たして何を言うべきなんだろう。そんなことはもう、わかり切っていた。
 顔を上げ、空を見上げる。視界いっぱいに広がるその景色は、しかしいつもと変わらない。
 雨が降ることもなければ雪が降ることもない。この世界ではいつもいつも、こんな天気だ。
 これが、僕の頭の限界なんだろう。
そんな自分に嫌気がさしたのかもしれない。目を覚ましてもいいような気がした。


「ここは、この世界は、僕の————————妄想だ」


 途端に世界はばらばらに崩れ落ち、僕は二人の間に出来た穴の中へと落ちて行った。
 それは全てを呑みこむような、真っ暗な穴だった。




 目が覚めると僕は、狭くて汚い部屋の、ベッドの上にいた。
 電気が点いておらず、うす暗いせいで、それがさらに際立っていた。
 ふと、この世界が、酷くちっぽけで、つまらない場所に思えた。
 久しぶりに、どこかへ出かけてみようかな。
 例え外の世界が、都合の悪い事ばかりで、何一つ、思い通りになんかならない場所だったとしても、何一つ、取り返しのつかない場所だったとしても、それでいいんだ。
 きっとその場所は、部屋の中なんかよりも、頭の中なんかよりも、ずっとずっと———


 ————広くて大きいはずだから。