複雑・ファジー小説
- Re: 小さな本棚 ( No.5 )
- 日時: 2015/04/06 22:15
- 名前: 狒本大牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: Rzqqc.Qm)
title:深海にて
暗い、何も見えない、心細い。怖い、恐い、畏い……。
塩の鎖で縛られた人魚は絶えず歌い続ける。己の感情を声にのせ、音をつむぎ、歌を編んで。悲痛な叫びが走り、駆けて、すみ渡る。
目には封をされていない。しかし何も見えない、ここは深海、人知すら及ばぬ死に最も近い世界。そして裏腹に、生に最も近い世界。太古の命は海底の熱水から生まれた。彼女が椅子として座らせられているのは、そんな煮えたぎる水の吹き出す石の上。
身も焦がれる業火にさらされるのと何も変わらない。皮膚を焼かれるが、熱さも痛みも悠久の昔から感じられなくなった。暗黒に包まれた深海に、彼女の気を紛らせるものは何もない。感じることができるのは、ひたすらに我が身が燃えゆく喪失感。
決して溶けない塩の鎖が、がんじがらめに彼女を縛りつける。逃げられない、だからこそずっと、休みなく彼女は焼かれ続けている。何故、何のために、何の罰を受けて。
長すぎる拷問の日々に、彼女はいつしか自分の罰に値する罪を、なぜ歌っているのかを、自分とは誰なのかを全て……全て忘れてしまった。
それなのにまぶたの裏に、網膜に、脳裏に刻み込まれた一人の顔が忘れられない。あの人は誰だろうか。白い馬に跨がって、剣を携えた某国の王子。
思い出せない。そうして彼女が考え事をしていると、決まって痛みが襲いかかる。焼けているのはもはや体ではなく、心だった。この感覚はなんだというのだろうか。
痛みを忘れるため、彼女は歌う。自分という何かが壊れてしまわないように、その身に溢れる痛みを、苦しみを、恐怖を、孤独を糸にして一枚の布に編み上げる。そうして生まれた彼女の歌は、暗闇の中を駆け巡る。誰もいない空間に響き渡る。しかし聴衆は海底にびっしりとこびりついた貝だけ。静寂の彩る、死の世界にオーディエンスは必要ない。
胸のあたりが疼き、かきむしりたくなる衝動が体を支配する。しかし、指一本たりとも動かせない。体を絞める真っ白な鎖は、日を追う毎に強くしめつける。日を追う毎にまた、熱水もその勢いを強める。日に日に、彼女の歌もまた強さを増す。
しかしそこはやはり深海、彼女の声は誰にも届かない、あの時のように。あの時? それは一体いつの頃だったろうか。その時彼女は何をしていたのだろうか。
堂々巡り、いたちごっこ。彼女は気づいていない、日を追う毎に罰が重くなる理由は、その時を想うことにあるのだと。人魚であるにも関わらず、人に恋したあの時と。
だからだろうか、苦行に苛まれる彼女の歌が、なぜか驚くほどに優しいのは。誰もが患う心の病、それはどんな苦しみをも幸福に変える奇妙な病。
彼女を焦がしているのは、噴き出す熱湯などではない。体の中から溢れ出る、熱い衝動に他ならない。
身を焦がすのは恋の炎、彼女はいまだそれに気づかない。そしてきっと永遠に。
そのまま歌い続けるのだろう、永遠に、たった一人で。
深海にて。
<fin>
昔やってたお伽噺をモチーフにした短編、今度は人魚姫です。
本来は泡になって消えるのでしょうがもっとひどい罰だとこうなるんでしょうね。
ただ、途中からなんだか自分にも手のつけられない展開になりました。ついていけなかった場合全責任は筆者にあります、すみません。
ちなみに締めは作者がよく使うタイトルと被らせるというもの。
安直だし、毎度のことなので使い回し感がありますが許してください。