複雑・ファジー小説

Re: Dead Days ( No.2 )
日時: 2015/04/26 11:10
名前: わふもふ (ID: nWEjYf1F)

 ——気付けば俺こと"新崎晃"は、4時限目の授業中に居眠りをしていた。
 毎度の事ながら、現代社会の授業は気が滅入る。何故なら板書をとることもなければプリントを使うわけでもない、ただ黙々と教科書の内容を追って先生の哲学を聞くだけのつまらない授業なのだから。
 現代社会の教師を担当するのは今井先生。この人は著書を出版するほど公民や地理に詳しいのだが、やはりというかその分話は長い。真面目に聞いていれば分かりやすい授業とはいえ、所詮は話を聞くだけなので、生徒からはかなり煙たがられている。
 今も"国民の三大義務"について先生が何やら持論を語っているが、かれこれその事だけで4時間も授業が潰れている。最早真面目に聞いている生徒などいなくなったのだが、それを知ってか知らないでか、先生はまだ三大義務——そのうち納税について語っている。
 普段は大真面目に授業を聞く連中も、今ばかりは友達と小声で喋っていたり余所事に没頭している。

「ふあぁ……」

 宿題でもやるか——そう思って週末課題を取り出したとき、後ろから他者の眠気さえ誘うような柔らかい欠伸が聞こえてきた。

「ねむねむ……」

 サッと後ろを振り返れば、ソイツはピクンと身体を震わせて驚いた。

「なに大欠伸してんだよ。こっちまで眠くなるだろ」
「別にいーじゃん。寝てる子多いし、先生の授業つまんないし」
「ご尤も」

 後ろで眠そうに目を擦っているのは、華奢な体つきをした女子生徒"雨宮優希"
 俺に限らず大多数の人が口を揃えて言うのだが、コイツの声を聞いていると、何故だか眠くなってくるのである。
 普段からおっとりしてるし、声も柔らかい感じがするから、まあまあ納得できないわけではないが——この謎現象。集中したいときに近くにいると、ある意味厄介な子である。
 だからましてや欠伸など、誘われる眠気の量も数倍に膨れ上がるわけで。
 現に1人2人、新たに机に突っ伏して寝始める生徒が出ている。

「週末課題やりたいから、お前は黙ってろ」
「何でー?」
「お前の声が耳に入ると、こっちまで眠くなって来るんだよ……!」

 因みにこの雨宮優希さん。声色1つで周囲を寝ぼすけに変えてしまう特性を持つが、当の本人も中々の寝ぼすけである。
 今日だって昼休みに、中庭のベンチでのほほんと転寝していたくらいだ。始業しても優希の姿が無いとクラスが騒然としたところで、俺が態々思い当たった中庭まで迎えに行ったのだが——俺の迎えが無ければ、恐らく数時間は寝たままだっただろう。

「じゃあ私も週末課題やるかな。あとで答え見せてね」
「へいへい」

 だが、優希の特性は何も悪いことばかりではない。
 俺はここ最近不眠症で悩んでいたのだが、優希のお陰で見事寝付くことに成功したのである。
 声を聞けば眠くなる。たとえ電話越しでも、この特性は変わらないらしい。
 きっとどんな赤ちゃんでも、一瞬で泣き止んで寝付くのだろう。



    ◇  ◇  ◇



 放課後。優希と別れた俺は、保健委員の仕事を全うしていた。
 本来の保健委員が忌引きで学校を休んでいるため、そして先生から半ば強制的に仕事を依頼されたため、俺は仕方なく。あくまで仕方なく取り掛かっているだけであって、断じて俺は保健委員ではない。そしてやりたくない。
 仕事内容といえば、手洗い場の石鹸をチェックして、足りないようなら足すだけの非常に簡単なものである。
 だが、回るべき手洗い場の数が尋常でなく、俺は半ば強制でも仕事を引き受けたことに少し後悔していた。

 この学校は、1棟4階と屋上から成る校舎4つが、まるで正方形を描くように配置されている特殊な構造になっている。
 校舎がそれぞれ生物、科学、物理、コスモサイエンスと理系学科4つに分かれているためだ。
 因みに普通科職員室や校長室、そのほか生徒指導室などの特別な部屋は、4つの校舎の中心に全て集中している。だから中庭に関しては、中庭といっても2階に位置している中途半端な存在なのだ。

 そして俺は化学科に進級しているので、化学科の棟の手洗い場を回っていくわけなのだが——最近保健委員会そのものがサボりがちなのか、俺一人で化学科の棟すべてを回らなくてはならなかった。
 当然、普段より仕事量も膨れ上がる。部外者の俺に、ましてや1人にここまでやらせるか——流石うちの担任だ。

「ん?」

 石鹸は全て固形なので、ボトルにソープを詰め替えるなどの面倒な作業が無いのが唯一の救いである。
 しかし今、その石鹸が底を尽きたようだ。
 さっきまで気に留めていなかったが、ケースの蓋を開けたら石鹸が無かったのである。
 仕方ない。保健室まで石鹸を取りに行かねば——果たして、保健室は開いているだろうか。
 開いていなければ普通科職員室まで鍵をとりに行くことになる。面倒なのでそれは避けたいところだが、もう少しで日没を迎えるというのに、ましてや部活動の掛け声も完全に消えたというのに、それはあまりにも望み薄である。

「サボればいいじゃない」

 ——なんだ? 今一瞬、悪魔の声が囁いたぞ?

「石鹸の詰め替え作業なんて、面倒でしょ?」

 声のした方——背後を振り返る。
 話しかけてきたのは女子生徒だった。上履きの色からして上級生だと分かる。
 しかし妖しい人だ。何と言えば良いのだろうか。こう、婀娜っぽいというか艶めかしいというか。
 とりあえず言えるのは、凡そ学生とは思えない雰囲気を醸し出すミステリアスな先輩、ということだけだ。
 腰あたりまで伸びた黒髪が、まるで首筋を這う蛇のように見える。

「……人の髪を蛇みたいな目で見るの、やめてくれない?」

 ——図星である。
 彼女の紅い瞳に眼光が宿り、俺は一瞬、あの目が合った者を石にするというメドゥーサと姿が重なった。

「メドゥーサじゃあるまいし」
『……?』

 ——おかしい。何故ここまで、俺の考えていることが分かるのだろうか。

「誰だって分かるわよ。だって貴方、表情に出てるもの。考えていること全部が、ね」

 オイオイ、俺は小さい頃から仏頂面と言われてきたほどクールな男だぜ?
 まさかそれが全部、高々普通の高校生に見破られるなど——

「あるわよ」
『……まさか』

 ——俺はこの人と相対してから、未だ一言も喋っていない。
 だが、一概に会話と言い切れるかどうかは別として、こうして俺達の間では会話が成り立っている。
 きっとこの人は本当に、俺の考えていることを見抜けるのだろう——俄かに信じ難いが。

「仏頂面って言うのはね、無愛想とか不機嫌だったりする表情の事を言うのよ。何も無表情という意味ではないわ」
「へー。初めて知った」

 棒読みで返す俺。
 すると、先輩の表情も分かりやすいというか、明らかな不機嫌さ——それこそ仏頂面が窺えたが、溜息と共にそれは消えた。
 まあいいわと言いつつ、元通りミステリアスな雰囲気に返る。

「で、どうするの?」

 それ、と言いながら指を指す先にあるものを見て、あぁそうだと俺も溜息をつく。
 この謎過ぎる先輩のお陰ですっかり忘れていた。さっきまで俺は石鹸の詰め替え作業をしていたのだ。
 改めて考えてみれば、石鹸が底を尽きたのだ。これ以上やる理由はないだろう——そう自分に言い訳した。

「石鹸も尽きたし、今日は止めにするよ」
「あら、そう?」

 すると先輩は、少しだけ嬉しそうな笑みを湛えて——

「ならこの後、ちょっと私に付き合ってくれない? 話したいことがあるの」
「先輩、最初からそれが目的だっただろ……」
「まあ、そうとも言うわね。でも、折角かわいい下級生が委員会の仕事を頑張ってるのに、申し訳ないでしょ?」
「どうだか。最初から俺がめんどくさそうにしてたの、見抜いてたくせに」
「あら、案外馬鹿ではないのね」

 ——じゃあ俺はさっきまで馬鹿にされていたのか。
 心外だな、これでもテストの順位は良いほうだぞ——と言いたくなったが、言うだけ無駄だと思って口を噤んだ。
 目の前にいる先輩は、こちらの表情を読んでくるのだから。
 現に先輩は薄い笑みを——それも邪悪な方向で湛えながら、クスクスと小さく笑っている。
 どうやら既に、俺の考えていることは見抜かれたらしい。

「貴方って、面白いわね」
「どこが」
「だって、コロコロ表情が変わるんですもの——それから、日没までなら付き合ってあげてもいいわ」
「何だ、暇人か」
「……はぁ。人聞きが悪いわね、貴方。私ほどの人間になると、いつも放課後は余暇を持て余してるの。それだけよ」
「さいですか。そりゃどーも」

 きっとまた俺の表情は仏頂面に戻っているのだろう。
 それに対し、またからかってくるか——と思いきや、先輩の表情は真剣なそれになっていた。

「でもまあ、馬鹿じゃないのなら真面目に話してもいいわね……雨宮優希さんのこと」
「ん? 優希? 優希が何か?」
「——そうね……ここだと人目につく可能性もあるから、ちょっとこっちへ来なさい」

 踵を返し、スタスタと歩き出す先輩。
 言われるがまま、俺も慌てて後を追う——