複雑・ファジー小説
- Re: Bloom Of Youth's Season ( No.39 )
- 日時: 2017/04/13 23:37
- 名前: あわきお ◆e0cUq7WYf6 (ID: z83z2M6V)
- 参照: ツイッターはじめました
「終わったと思った瞬間、何かが始まった。始まったと思ってしまった」
伍◆
長かったテスト期間とは違い、飛行機に乗り込んでしまえば修学旅行なんて一瞬だ。目を覚ませば三日目の朝。隣のベッドでは奏が寝息を立てている。音を立てないように起き上がり、冷たいカーペットに素足を下ろす。時計は五時半を指している。揺れるカーテンの隙間から光が漏れていた。沖縄の朝は早い。あと一時間ほどで朝飯の時間だ。奏を起こそうかとも考えたが、いつも気難しそうな顔をしている奏が気持ちよさそうな顔で寝ていたのでやめた。
洗面所で顔を洗う。冷たい水が気持ちいい。そういえば三日も泳いでいない。宛がったタオルは他人の気配がしないホテルの匂いだ。部長や華子ちゃんの顔が頭に思い浮かんで、帰ったらいつも以上に練習しないとなあ、とため息を落とす。先輩たちに認められる泳ぎがしたい。俺の努力を才能とは、もう言わせない。
寝室に戻り、枕の隣に置いてあったスマホを取って通知を確認する。『起きたー?』とか、『今日の国際通り会おうよ』とか、思っていた通りのメッセージしかないことに落胆する。誰のメッセージから開こうか迷っていると、プツ、と突然画面が真っ暗になる。急に全部面倒くさくなって、置いてあった場所目がけて無造作にスマホを投げつけた。
窓の方から聞こえる波の音につられて、カーテンを開けた。ホテルの向かいにはビーチが広がっている。
「うわ、超綺麗……」
泳ぎてえ。素直に声が出て自分でも驚く。透明で綺麗な水が、押しては引き、押しては引いていく。
昨夜はこの狭い二人部屋に同じクラスの男子が五人ほど集合し、「野球の観戦をする」だの言って深夜まで入り浸られた。終始奏は気まずそうにしていた。でも、話しかけたらちゃんと話をするし、悪気があって何も喋らないわけじゃないと思う。「お互い呼び捨てで呼び合おうよ」と言ったときの彼の嬉しそうな顔を、俺はよく覚えている。彼はそんなに悪い奴じゃない。帰り際に、「あんな奴とよく仲良くできるよな」と蓮に嫌味を言われたが、俺はお前らにあんまり興味ないんだぜ、と言ってやりたかった。
時計は五時四十五分だ。そろそろ奏を起こすべきだろうか。窓から離れ、彼の名前を呼ぶ。ウン、と小さく呻くと、奏は寝返りを打ち、また寝息を立て始める。意外に寝起きが悪く甘える奏に思わず笑みをこぼす。
「奏ー! もう六時になるよ、朝飯!」
掛布団を彼から剥ぎ取り、彼の肩を揺らす。夏の沖縄だというのに、彼は上下長いスウェットだ。暑くないの? と話しかけながら、彼の腕に手を伸ばす。——それに触れた瞬間、違和感のある感触が指をすり抜ける。
彼の左腕には傷があった。細く縦に伸びた腕を横断するかのように細長くミミズのように腫れた切り傷がある。スウェットの袖の隙間から見えてしまったそれは、彼の全てだったような気がした。
最近の傷ではないように見えるし、事故で偶然ついてしまった傷でもないように見える。リストカット、という聞き慣れない言葉が頭を過って、思わず腕を離してしまう。ベッドに弾んで落ちる奏の腕は、まるで人形みたいだった。それまで出席番号が近いクラスメイトだった奏が、一気に遠い人のように感じる。
奏、ともう一度体を揺らすと、彼は眉を寄せて目を開ける。眠たそうに目を擦って視界をしっかりさせると、彼はすぐ俺に気付く。ハ、と我に返った彼は、勢いよく起き上がる。右の寝癖が揺れていた。
「ご、ごめん……。もしかして何回も起こしてくれた?」
「あ、別に……大丈夫。もうすぐ朝飯だから、準備しようかと思って」
自分の声が上ずっていないか心配だった。感情を隠すのは得意だったはずなのに。
ありがとう、と胸を撫でおろして笑う奏。いつも通りの奏の笑顔に見える。暑いというのに相変わらず袖をまくっていない。心臓が音を立てて、奏の闇に近づいていく。
「奏、あのさ」
「何?」
勘違い、だよな。
「……えっと、あの。昨日、ごめんな! 色んな奴ら入ってきて、うるさくて。つまんなかっただろ?」
——手首の傷、どうしたの? という言葉が喉元まで出かかって、違う言葉に変換された。やっぱりだめだ。俺はあの日から立ち止まって、一歩も進むことができていない。
こんな風に接していくうちにたくさんの人に囲まれて、友達もたくさんできたし俺のことを好きだと言ってくれる女の子もいるのに、何一つ満たされていないのは俺のせいだ。嫌われていじめられるのがが怖くて、上辺だけの付き合いになっていた。相手の欲しい言葉ばかり浴びせるようになって、自分の思ったことをいつの間にか喉元で違う言葉にすり替えていた。
そういえば奏のこと、まだ何も知らない。市原と同じ中学なのは市原が言ったことだ。中学時代のことも、家族のことも、気になっている子のことも。奏と俺は、まだ友達にすらなれていない。
- Re: Bloom Of Youth's Season ( No.40 )
- 日時: 2017/08/03 09:22
- 名前: あわきお ◆e0cUq7WYf6 (ID: iEjRPyo0)
四組の朝飯は六時半からだった。一階のレストランへ向かう途中、ちょうど蓮たちに会ってなんとなく肩を並べて歩いた。いつの間にか奏から俺の隣を陣取っていた蓮は、昨日の試合の感想を長く述べ、楽しそうに話をする。昨日の嫌味なんか忘れてしまったみたいな彼に思わず舌打ちしてしまいたくなる。
レストランの入り口にはもう既に四組の生徒がバラバラと集まってきていて、その中には今日の行動班が一緒の美音と市原もいた。まだ眠そうな美音を見て、きっと市原が頑張って起こしたのだろうと推測できる。
「あ、優ー」
後ろからクラスメイトの大塩茜の声が聞こえる。去年は隣のクラスだったが、明るくてよく笑う彼女は異性問わず人気がある。お互い顔見知りだし連絡先も知っている状態だったが、今年同じクラスになって更に深く交流することになった。茜だろうな、と思いながら振り返るとそこには案の定彼女がいて、いつもみたいにふんわりと笑っている。
「朝メッセージ送ったけど気づいたー?」
彼女は左右に友達を引き連れて俺に微笑みかける。率いている感があまり好きじゃなくてそれから目を伏せる。朝見た携帯画面を必死に思い浮かべるが、彼女らしいメッセージが思い出せない。隣にいる蓮が、彼女らに見えないように俺の背中をつつく。その瞬間、「ああ、はたから見たら俺も茜みたいに見えてんだな」と気づいて嫌な気持ちになる。
不思議そうな顔をしている茜に、あはは、と軽く笑いながら後頭部を掻く。起きてからあんなに時間があったのにワックスを付けていないことにも気づいた。朝飯から出発までどれくらい時間があるんだっけ。
「あー……メッセージ? ごめん、見てないやー」
「えーっ。国際通り、会えたら会おうってやつだよ! せっかく来たし優と写真撮りたいなー!」
左右の女子が小さく笑ったのが見えた。嫌な気持ちはさらに増して、すぐにここから離れたくなる。喉の奥から湧いてくる本音を飲み込んで、無理やり口角を上げた。
「うん、会お会お。見かけたら声かけてー」
分かった、と頷く茜の笑顔を見て、レストランの入口に目を向ける。どうやら三組が終わって、俺らの番になったようだ。「行こう」と蓮と促して茜たちに背中を向ける。「茜さー、優と一緒に回りたいんだと思うけど」と蓮が面白そうに鼻で笑う。
蓮は女を切らしたことがないと有名だった。その女というのは隣のクラスだったり、他校だったり、はたまた塾講師だったり様々だ。友達も多いが思ったことをはっきり言う性格なので、一部には反感を買っているし、恐れられている。二年になったとき、きっとこいつに逆らわなければ平凡に過ごせるんだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。
レストランの中は冷房がよく効いていて、穏やかなジャズの音楽が流れている。群れに流れるようにお盆を取って平たい皿をそれに乗せる。
「え、そうだったの? 全然気づかなかった」
スクランブルエッグを皿に乗せながら白を切る。どうやら茜は俺とのことを蓮に相談しているみたいで、彼は何かと俺と彼女とくっつけようとする。
「罪な男だねえ。優も彼女作ればいいのにな。ダブルデートしようよ」
「いや俺今好きな人いないし。いいよ、いつかね」
いつかっていつだよ、と蓮はまた馬鹿にしたように笑う。
俺たちに倣うようにしてレストランに入った後ろの茜たちのグループから、「声かけるとかそういうんじゃなくてさー」と上ずった声と小さく笑う彼女たちの声が聞こえて舌打ちしたい衝動を必死に噛み殺す。今の俺には余裕がない。「ほらな」と小さく耳打ちしてきた蓮に対して、「そうだったね」と困ったように後頭部を掻くと、なんで俺こんなことしてんだろうな、と頭の中の俺が俺に話しかける。物分かりの悪い俺を、茜が嫌いになってくれればいいのに。
- Re: Bloom Of Youth's Season ( No.41 )
- 日時: 2024/12/07 02:05
- 名前: あわきお ◆e0cUq7WYf6 (ID: 4.2P0hz.)
「優! 高槻くん!」
自分の名前を呼ばれてハッと息を呑む。意識を現実に戻すと、澄んだ青い背景の前に美音が見えた。班での自由行動で行きたがっていたビーチに来られて高揚した様子だ。美音は受付の建物を出て、既に砂浜に足を踏み入れているようだった。俺の視界の中で、美音の毛先が楽しそうに揺れている。幸いこの時間に同じ予定を組んだ班はいないらしく、周りを見渡しても空宮高校の生徒はいないようだ。同じ班である市原と奏の所在を確認すると、元気な美音とは裏腹に、長いタクシー移動で疲労が見える奏が俺の斜め後ろにいるのと、美音より海に近づき見惚れている市原が視界に入った。
近づく俺に、どうしたの、と声をかける美音。昨夜の蓮たちのことや朝食のこと、そして奏のことが気になって意識が現実に向かずにいたことを気づいて心配していたようだ。
「ごめん、なんでもない。奏、行こう」
俺の後ろにいた奏に笑いかけると、彼は頷いて薄く笑った。
建物から出て砂浜に足を踏み入れる。柔らかい砂が俺の足元を包み込み、先ほどより少し足が重い。建物内で遮断されていた大きな波の音が耳の中に飛び込んできて体を震わせた。海の近くにいるからか、少し涼しい風が肌を掠めて心地よさを感じる。
俺たちが自分の近くに来たのが分かると、美音も海の方に向き直った。有名なビーチなだけあって、調べた通り透明度の高い海は太陽の光を綺麗に反射させていて、思わず目を細めてしまう。奏に感想を求めようと右を向いた瞬間、興奮した美音の甲高い声が耳をつんざく。見ると、美音は市原の腕を引いて砂浜を駆けていった。市原は小さく悲鳴をあげたあと、美音に腕を引かれておかしそうに笑い声をあげている。
「元気だな、あいつ……。あ、奏、車酔ってない?」
声をかけながら海の方に一歩を進めると、奏もそれを倣って歩きながらいつものトーンで「大丈夫」と返してきた。今日の態度を見ても、今朝に彼の傷を見てしまったことは気づかれていない様子だ。暖かい気温の中、海からの涼しい風を浴び、奏の長めの前髪と額の間にふんわりと空気の道ができる。シュッとした男らしい目と長いまつ毛が見えた。目の前の海を捉える瞳は真っ直ぐなのに、横の俺と目が合うと途端に瞳に迷いが生じ始め、空気を伺うように奏は目を伏せる。……彼の自信のなさはどこからなのだろう。一年の頃は五組だったと聞いたが廊下でも見かけた記憶はないし、他の奴らからも奏の話は聞いたことはない。入学した頃から人との関わり方は今と変わらないのかもしれない。
以前市原との会話で、二人が同じ中学出身だと聞いた。二人ともそんな素振りがなくかなり驚いた。隣で聞いていた美音も知らなかったようで、中学時代の奏の様子を質問していたようだがはぐらかされていた。……まるで隠しているかのように。
「市原と同じ中学なんだって? 聞いたよ」
伏せられていた瞳がもう一度俺を捉える。戸惑いを含んで目の奥が揺れていた。ーーやっぱり聞けない。
「あ、でも、美音がさ。奏と仲良くなりたいって色々聞いてたけど市原にはぐらかされてたよ。俺もびっくりして、全然そんな感じしなかったから。それだけ、ごめんね」
美音たちは海に入ろうとしているのか、靴下を脱いでいるところだった。そんな二人を横目に、浜辺に設置されていた白いベンチに腰掛けると、奏も同じように俺の隣に座る。
修学旅行という非日常を味わっているからなのか、奏のことを友人として気に入っているからなのか。はたまた、美音が好きな男のことを知りたいという悪い好奇心なのか分からない。どれも、うまく説明ができない。知りたかったーーでも、俺のこの気持ちで彼を今不安にさせることは正しくないと思った。どうしても、彼の自信の無さや今朝のベッドでの光景と、揺れる瞳の奥に時々見える、透明感と凛とした強さがミスマッチしていて、何か理由があるに違いないと考えてしまう。
目の前には海の水平線が見え、本州で見るものとはまた違う、透明とブルーの綺麗なグラデーションに頭がまっさらになっていく。
裸足になって海に入っているであろう美音たちの楽しげな声が遠くから聞こえてくる。ふいに今日の朝食のことを思い出した。優だから、優といると、優なら、優がいれば。いつもそんなことばかり言われてきた。ーー俺の立ち位置は、ここ。大抵のことは受け入れて、俺が俺でいるだけで価値があって。俺の本当の中身が落ちていても誰も気づかないだろうな、と思う。
考えすぎてしまった感情を全て吐き出すように、深く息を漏らした。
「き、来て良かった」
隣の奏が突然声を出した。
「え?」
「修学旅行、来て良かった。……中学の頃いいことなくて、俺。市原さんも分かってるから、言わないんだと思う。……だから、未だに人の目見るの怖いし、目立ちたくないし、喋るのに緊張する。周りからも無口で気難しいって思われてるのも、ず、ずっと、分かってたけど……うまく、できなくて。でも……踠くより、一人このままの方がいいって思ってた。二年になって、修学旅行も行く気なかった」
長い前髪の隙間から見えている頬と耳は赤く染まっていた。
でも、と、奏の絞り出した声が続く。
「気まぐれかもしれないけど、優が俺と組むって言ってくれて、呼び捨てでいいって言ってくれた。俺がこんななのに、俺をちゃんと見てくれて、挨拶して、笑ってくれて。……浅見さんも仲良くしたいって言ってくれた」
彼の目が俺を捉える。
「優の当たり前が、俺には特別嬉しかった。優がいたから、来れた」
ありがとう、まで言い切ると、奏は肩を揺らして深呼吸した。揺れる肩越しに、遠くで美音と市原がぼんやりと見えた。海から戻ってきたらしい二人は、ややあってから俺たちの姿を見つけたようだった。こちらに向かってきているのか、二人のぼんやりとした形は少しずつ大きくなってくる。
すぐに何か言葉を返そうと思ったが、喉の奥が熱くなって言葉にすることができなかった。ーー優がいたから。本当はこんなに嬉しい言葉だった。ここ数日、うまく息ができていなかったのかもしれない。波の音が耳に気持ちよく触れて、冷たい空気を体に入れる。さっきより、自然と口元が緩んだ。
「俺こそ、ありがとう」
呪いだった言葉を、変えてくれて。
え、な、何が? と混乱しながら頬をまた染め始める奏の後ろから、美音が「おーい!」と大きく手を振る。先ほどはまだ遠くにいた彼女たちはすぐそこまで近づいてきていた。美音は右肩に、市原は右手にタオルを各々持ち合わせている。先ほど脱いでいた靴下はまだ足元にはなく、二人の足の甲には細かい砂がかかっているのが見えた。
「あっちの売店にアイス売ってるみたいだからみんなで食べようよ」
美音が自分の後ろに親指を向ける。指差す方には彼女の言うとおりアイス売り場があるようだった。涼しい風とは裏腹に、沖縄の気温は高い。五月でも本州の初夏あたりの気温であることが多い。じんわりと体に熱さを感じる。
ベンチから立ち上がると、美音は嬉しそうに目尻を下げた。行こう、と声を弾ませて前を歩き出した美音を見て、「俺らも行くか」と市原と奏に声をかけた。はしゃいでいたからか、市原は先ほどのタクシーまでいつも通り結いてあったおさげ髪が取れ、編んでいた名残のせいか髪の毛には柔らかいカーブがかかっている。細い艶のある髪の毛がカーブに沿って綺麗に輝く。
市原は俺の視線に気付いたのか、自分の頭を両手で隠すようにしてそっぽを向いた。
「私、猫っ毛なの! 結んでないとペタッとしちゃって……。立花くん、あんまり見ないでね」
「猫っ毛? 何それ分かんない」
見ないように頑張る、と笑うと、市原は鼻のてっぺんをピンク色に染めてから俺に倣って笑った。
アイス売り場のメニュー看板前に到着した美音が再度俺たちに大きく手を振る。俺の隣で市原の頭の上に乗っている右手が控えめに動いている。ベンチから奏も立ち上がり、三人で砂浜を歩いていく。髪の毛を隠すことに飽きたのか、市原は腕を下ろして「あ、そうだ」と思い出したように俺に話しかけた。
「さっき見たけど、甘さ控えめなアイスもあるみたいだよ。立花くんって甘いの得意じゃなかった……よね?」
「ああ、そうなんだ。ありがとう」
“立花優”を押し付けず、見てくれる。当たり前のことが嬉しいのは俺も一緒だ。
普段の喧騒もない、“立花優”の価値を嬉しがる人間も、使う人間もいない。俺の居場所はここがいい。