複雑・ファジー小説

Re: (合作)闇に嘯く ( No.1 )
日時: 2015/06/09 23:19
名前: 狐 ◆4K2rIREHbE (ID: dfg2.pM/)

第一話『徒波に響く』


 乾いた咳の音が聞こえた。
けほけほと止まらないそれは、弱々しい少女から発せられている。

 咳をする度、苦しげに揺れるその身体を、彼はただ見つめることしかできなかった。

 
 ——————


 一瞬、天が煌々と瞬き、ややあって、腹に響くような轟音が鳴った。その雷を皮切りに、ぽつりぽつりと、雨が降り始める。どこか白濁して見える雨は、次第に豪雨になっていった。

「……あら、降ってきちゃった」

 慌てて車の窓を閉めながら、女──檜扇琴葉(ひおうぎことは)は嘆息した。

「この分だと、今日は動けそうもないわね。すぐに晴れてくれるといいのだけど……」

 彼女の向かいに座る黒髪の男は、しかし、窓の外をぼんやりと眺めているようで、琴葉の言葉には反応しなかった。彼の、心ここにあらずといった様子に、琴葉は顔をしかめ、再度声をかける。

「そういえば、潮くん。今日は、都子(みやこ)さんいらっしゃらなかったの?」

 その声にはっと我に返ると、潮は琴葉に視線を移した。

「すまん、今、何か言ったか……?」

 琴葉は、呆れたように肩をすくめて、先程の言葉を繰り返した。それを聞くと、潮はもう一度謝って、口を開いた。

「俺は、昨日は陰陽寮から帰っていないからな。都子さんがどうしているかなんて知らん。まあ、おそらくは家にいるんじゃないか」
「そう……道理で」

 返事をしてから、琴葉は潮の服装を横目で見た。黄と黒のボーダーが入ったTシャツに、紺色のドット柄の半ズボン。とにかく、ひどい組み合わせである。
 だが、家に帰っていない、すなわち、今朝は自分1人で支度をして出てきたという潮の言葉を聞いて、琴葉は納得した。彼のセンスは、壊滅的なのだ。普段身に付けている、それなりにまともな服装は、実は全て彼の家の侍女である火坂部都子(ひさかべみやこ)が選んでいるものだと知ったのは、最近のことである。

(……これの隣を歩くのは、絶対御免だわ)

 心の中で密かに悪態をついて、琴葉は再び潮を見た。

「直に宗像郡(むなかたぐん)に着くから、その前には狩衣を羽織ってしまってね」
「何故? 今日は蒸し暑いだろう」

 あっけらかんとそう返してきた潮に、まさか「私服がひどいから狩衣で隠してよ」などと言えるはずもなく、琴葉は困ったように息を吐いた。

「……任務だもの。狩衣で臨むのが良いでしょう?」

 琴葉の言葉に、潮は頷いた。

「それは……そうだな。分かった」

 そうして潮が狩衣を着込んでいる間に、運転手から「つきましたよ」との声がかかり、車が止まった。琴葉は、荷物の中から笠を2つとって、1つを潮に手渡した。