複雑・ファジー小説
- Re: (合作)闇に嘯く 1−11更新 ( No.19 )
- 日時: 2015/06/28 18:40
- 名前: 狐 ◆4K2rIREHbE (ID: Oh9/3OA.)
──────
「うわあ、痛そう。大丈夫?」
少女は、彼の足に食い込んだ金属を外しながら、そう言った。人間とあまり関わりを持ちたくはなかったが、彼には抵抗する力など残っていなかった。
「お母さん、駄目っていうかなあ……」
少女は、心配そうに呟いて、きょろきょろと辺りを見回す。だが、やがて決心したように彼を抱き上げると、人差し指を唇に当てて言った。
「助けてあげるから、暴れたりしちゃ駄目だよ。静かにしててね」
囁いてから、少女は再び周囲を見やって、歩き出した。そうして家に帰り、自室に戻ると、彼の足の傷口を濡らして拭い、手当てをした。
これが、彼と少女の出会いだった。
少女は、小夜という名前だった。母親と二人暮らしで、年は10歳。よく笑う、人間の子供だった。
ある日、小夜が言った。
「嫌だなあ。近くに、製鉄所が建つんだって」
彼は、黙ったまま小夜の話を聞いていた。
「製鉄所が建ったら、村は豊かになるけど、空気が汚れるかもしれないの。そうしたら小夜、喘息がひどくなっちゃう」
小夜は、ぎゅっと彼を抱き締めた。
「でも、引っ越したくなんてないなあ……。村の皆と、離れたくないよ」
「…………」
ぼんやりと窓の外を眺めながら、小夜は嘆息した。彼女にとっては、独り言に近い呟きだったのだろうが、彼は、小夜の言葉にじっと耳を傾けていた。
もし、空気が汚れたら──。
時折小夜が起こす喘息の発作が、命に関わるようなものになるのだろうか。ふと、彼は思った。
小夜は、細くて小さくて、弱い人間の少女だ。ただの咳をしている時ですら、その苦しげに揺れる身体を見ていると、壊れてしまいそうで心配になるのに、今以上に悪化したら、どうなるのだろう。
本当に壊れて、死んでしまうかもしれない。そう考えると、彼の胸にどうしようもない虚しさが湧いてきた。
けれど、引っ越すことを母親に告げられたときの小夜の横顔は、とても悲しそうだった。だから、単純に棲家を変えればいいじゃないかとも、彼は思わない。
それなら、どうすればいいだろう。
考えても考えても、良い答えは出なかった。
小夜が苦しげに咳をしても、彼にはただ見てることしかできない。製鉄所を建てないでと叫んだところで、人間に通じるはずもない。
そもそも、小夜や小夜の母親など、何人かは製鉄所の建設を反対していたのに、建設に携わる人間たちは聞く耳すら持たなかった。まるで当然だとでも言いたげに村を訪れ、森を壊し、空気を汚す準備を始めた。
奴等は、同族の言葉にすら耳を傾けないのか。そう思うと、沸々と怒りがこみ上げてくる。
自分に何ができるかなんて、考えたところで良い答えなど見つかるはずもないのだ。浮かぶのは、たった1つの悪い答え。
だってどうせ、彼の言葉なんて、人間は聞こうとしないのだから。
揺れ動く、まるで波のような人間たちの心の流れに、彼の声は、響かないのだから──。