複雑・ファジー小説

Re: (合作)闇に嘯く 2−13更新 2017 6/17 ( No.49 )
日時: 2017/07/22 15:12
名前: ダモクレイトス  ◆MGHRd/ALSk (ID: lmEZUI7z)

 
 ハンマーで打ち据えられてでもいるかのように、頭が割れるように痛む。ギリギリと万力で締め付けられるような強烈な圧迫感と、脳髄を蟲の群れが這いずり回っているような不快感がそれに混ざる。幾つもの痛みが、波のように押しては寄せる。それを耐えようとしているせいか、体中が沸騰しそうなほどに熱く、まるで血が熱湯になったようだ。
 しかし、我慢することに必死で、周りの状況について行けていなかったせいか、潮は眼前の状況を痛みに耐えることに必死で確認できていなかった。突然胴部に入った新たなる痛みに、潮は耐えられず。思わず叫ぶ。

「うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 だが、なぜだか自分の声ではない。嫌に幼い声でだ。何故か脳の痛みは、潮が引いたように消えている。頭を手で擦ると、嫌に自分の腕が細いことに気付く。そして肌の色も白い。

『どういうことだ?』
「いつまでそうやって蹲っている凪! この程度では咲夜に認めてもらえないぞ!」

 凪、三重松凪。潮の2歳下の弟で、三重松家創始以来の天才として、親どころか一族からも全幅の愛を受けて育った。潮としては目に入れても痛くない末っ子で、本当にかわいがっていたものだ。素直で優しい少年だった記憶がある。親の愛が彼のせいで、自分に注がれていない気がしたが、凪の才能は認めていたから苦ではなかった。何より凪の苦労も、わからなくはなかったのだ。遊びたい盛りなのに、朝から晩まで管理されて居たから。

「…………」

 小さな体を見つめながら、そんなことを思っていると。

「ごめんっ! 守(まもり)お兄ちゃん! もう一本お願いします!」

 突然、立ち上がり凪は言う。潮が聞いたことのない、凛とした声だ。ちなみに守は、凪の本当の兄ではない。実際に潮には2人弟がいるが、長男の潮、三男の凪、次男の海(かい)というのが正しい。守は分家筋の従兄弟といった立ち位置である。若くして、高度な武器術を持っていたため、凪の剣術指南役に抜擢されたのだ。
 後ろで結われたザンバラの髪と、強い意志を宿す鋭い瞳が特徴の野性味あふれる男で、当時の潮より5歳年上。当時の時点で陰陽寮に所属していて、主席だった。実のところ潮はこの守が、あまり好きではなかった。態度が大きく、自分の力に酔っているところがある男で、裏で自分の陰口を言っているのを聞いたことすらある。
 否、恐らくは自分が居ることを知った上で、精神的に相手を追い詰めたいと思い、わざと聞こえるように言っていたのではないか。そう思っていたからか、守が死んだことに関しては、当時それほど衝撃を感じていなかったように思う。

「脇が甘い! そんなことでは上段からの攻撃に対応できんぞ! 妖怪の剣はこの程度では済まされないのは分かっているはずだ!」
「くっ、うぅ! 力を抜き過ぎても、攻撃を受けきれないっ……最も良い構えはっ……最適の力加減はっ!」
 
 凪の体の中で、思考を巡らしている潮を他所に、2人は激しく剣をかわす。間断なく、まるで疲れ知らずのカラクリが如く。猛獣が如く雄々しさと、滑空する鷲のような鋭さをもって。攻撃を柳のようにかわし、僅かな隙間を蜂のように刺す。鋼と鋼が重なる鋭い響きが体に響く。しかし激しい打ち合いを制したのは守だった。一瞬の隙を突き、凪の剣を打ち落とし踏みつけ、彼の首筋に模擬刀を当てる。

『何だこいつら……今の俺と比べても遜色ない武器術だぞっ!』

 最早、子供の特訓の域ではない。正規の陰陽師でも驚く水準だ。三重松家は元々、武器術が優れた血統ではある。潮自身得意分野だ。同期の中では、武器術の腕前は常に5本指をキープしてきた自負がある。しかし、多分守や凪と斬りあったら、8割の確率で負けるだろう。
 当時すでに陰陽量の教官たちから実力を認められていた守は兎も角として、それより10歳近く年齢が下回る凪は異常と言うべきだ。流石は天才と言うべきか。過ぎたる刃は死神の鎌のように、恐怖を振りまき人を寄せ付けないように思う。

『だが、それでも……こんな守や凪みたいな奴らが居たあの場所は……』

 そう、たった1体の大妖怪によって、死の渦へと飲み込まれた。世界、2つの姿を持った、4大妖怪と呼ばれる陰陽連が最大級に警戒する怪物が一角。今でも明確に思い出す。魂を火葬する巨大な業火。そして天まで覆う紅の柱。町一つを火葬場として使う豪胆な力の持ち主を。

「うぐっ! かはっ……結局今日も一本も取れなかったかっ」

 ふと脳内に浮かぶ世界の姿。乾く。相手がどれほど凶悪でも。否、凶悪で絶望ばかり振りまく闇の権化だからこそ。だからこそ絶対に倒さねば。そんな感情に体中が支配された瞬間。突如、脇腹に激痛が走り、体が吹き飛ぶ。

『なっ、何だと……あの細身な凪のほうが痛みを感じていない?』

 背中を地面にしたたか打ったせいで、体がばらばらになりそうな衝撃が襲う。模擬刀で突かれた脇腹を抱えて摩りたい衝動に駆られるが、あくまで自分の精神が凪の体に入っているだけで、主導権は潮にはないらしい。思いの外、彼が平気なのでそんな仕草さえ許されないようだ。
 どうやら相当に厳しい訓練を受けているのだろう。体の痛みにも随分慣れているようだ。少なくともそれなりには荒事も経験してきた自分以上には。途方もなく敵である世界が遠く感じて咽ぶ。禁忌に手を出し習得はしたが、それで全然差が埋まったように感じない。

「しかし凪は凄いな。潮なんて少し小突いただけで大泣きだったぞ」

 倒れている凪に守が手を貸す。獲物を睥睨する狩猟者を思わせるような瞳に、僅かなやさしさがにじむ。放たれる言葉は嫌味っぽいが、何やら馬鹿にしているようでもない響きで意外に感じる。

「守お兄ちゃん、潮お兄ちゃんのこと、馬鹿にしないで欲しいよ」

 声を荒げて凪が言う。凪は元々、潮に無条件でなついていた処があるので、兄である自分が謗られたりすると我慢ならないところがあった。どうやら、守に対しても言っていたようだ。考えてみれば当然ではある。何せ、その件では実父にさえ、口答えしているのだから。

「いや、俺はあいつを馬鹿にする気はないよ。少し三重松の長男として自覚がないとは思うけど、年相応以上に責任感はあるし、何よりお前ほどではないにしても才能はあるからな」
「えっ、守お兄ちゃんって、潮お兄ちゃんのことが嫌いなんじゃ?」

 そんな嘆くような弟の声に、濃く髭の残る顎に手を当てながら守は憮然と答えた。その声は先ほどとは打って変わって優しげで、鋭い目つきは心が落ち着いたのか、綻んで見える。
 いつもしかめっ面で眉間にしわを寄せている物だからわからなかったが、どうやらそれなりに認めていたようだ。と一瞬思ってしまうが、これは誰かの手で構築された夢で、ただの都合がいい映像に過ぎないと思いなおす。
 そもそも、自分に都合の悪いことなど無視すればいいではないか、などと言い聞かせる。

「……何でそうなるんだよ? 確かにあいつには厳しく当たってるけどさ。そもそも、期待もしてない奴にきつく当たるかよ?」
「それは、そうかも……だけど。でもそうだったら、何でもう少し優しくできないの?」

 帰ってきた言葉にボヤキながら守は答えた。うつむきながら凪は1番知りたい本旨を問う。

「何でだろうな……分らねぇや。不躾な奴、だから? ははっ、そんな話したら俺も礼儀知らずか」

 潮は守と始めた会った時を思い出す。分家筋の奴が偉そうにと尊大な態度を取った自分。世の中は才能だと挑発的なことを言った守とぶつかって、その日の内に喧嘩をして、2人揃って当主である母——澪(みお)——に2時間に及ぶ説教を受けた。確かに双方、礼儀知らずな悪童だな、と嘆息。
 
「でもまぁ、あれからもう8年以上だ。俺も意固地になってないで、歩み寄るべきかな」

 守ははにかみながら、そうつぶやく。そうやってしばらく立ち話をしていた2人は、携帯のアラームに気づき、時間を確認する。もう夜の10時か、などと罰の悪い表情を浮かべる守。彼らは岐路へとつく。そして次の日。運命の1日が来た。
 それは何でもない1日。いつものように家族や隣の粋のいい八百屋のお爺さんに、おはようを言って始まる当たり前の時間。かくれんぼと称して、誰にも見つからないようにと、自転車で隣町へと行っていた潮は運良く生き延びた。
 そう、潮の故郷——出雲の里——が灰燼と帰した日だ。陽が落ちて山脈の尾根が茜色に染まる夕暮れ、陰陽寮の訓練を済ませた守が凪と合流して、いつものように剣をかわす。週末の足音など知る由もなく。彼らは何れ来たる日のために力を磨いている。

『今日は何年の何月何日だ? 世界が俺の故郷を壊滅させた日は……そう、今日だろう! 逃げろ! この町は襲われる! 何でだ! どうして俺は声を出せない! 知っているのに! このままじゃ、皆死んじまうのを!』
 
 分りきっている。声なんて出せるはずがない。幾ら念仏を唱えたって、潮の声は弟の頭には響かないのだ。体の動作に干渉することもできないのも立証済み。悪い冗談だと思う。
 凪の体を借りて喚いたところで、大人たちは笑うだろうが、世界という名を聞けば、一応の対案は出すはずだ。何もしないのと、方策を講じるとでは生存の確率は全く違う。それを訴えることすらできないのか。

「よぉ、若いのに随分といい腕を持ってるな」

 何もかもが遅かった。目の前には血に濡れた刀を持った無精ひげの男——世界——が立っている。ゆったりとした仕草で歩み寄る世界。

「……何者だ? お前……」
 
 怪訝に眉根を寄せ、獣のように守は唸る。

「お前が記念すべき10人目だ。嬉しいか?」

 そんな彼に向って、世界は切っ先を守に向け言い放つ。世界に集中していたせいで血に気づいていなかった守は、瞠目させ怒りを露わにする。すぐさま模擬刀を世界へと向かい投げつけ、自らの得物に手を当てがい、問答無用と切りかかった。

「貴様っ! まさか、この街の人たちを斬ったのかっ!?」

 守の剣を片手で軽々と受け止め、世界は笑う。

「なら、どうする? 妖怪が人を殺める、至極当然だと思うが?」

 愉悦にゆがんだ表情は、心底から力に物を言わせた殺戮を楽しんでいるようだ。強烈な重圧に圧され、守は後ろへ飛び退り、いまだにおろおろとしている凪を睨む。

「凪っ! 逃げろ! 皆に!」

 そして凪に喉が裂けんばかりの大声で、命令する。当主の息子であることや、彼が天才であることなど関係ないというように。声からも表情からも、最早余裕がないことは明白だ。凪は恐怖に顔をゆがめながら、走り出す。もしかしたら逃げている最中に、守が殺されてしまうかもしれない。 
 相手の技量を鑑みるに、守1人でそれほど持つとも思えない。しかし、2人掛で戦えば、隙をつけるのではないか。冷静さを失っているようにしか見えない彼の命令に素直に従っていてはいけないはずだ。そんなことを脳内で巡らせながら振り返らずに走る凪。潮の脳内に焼ききれんばかりの警報が響く。自分の感情は相手に届かないのに、凪の思いはうるさいくらい、潮の脳内を駆け巡る。酷い構造だと潮は嘆く。
 
「ほぉっ、俺の剣を止めるとは。やはり、子供とは思えないな。今までの奴らは、全員この一振りで死んだ」

 軽く振った世界の一撃を全力で防ぐ守。小馬鹿にしたような調子で、世界は守を褒める言葉を投げかけた。剣の重さに全力で耐える守の額からは汗が滲む。相手は片手で、それも手を抜いている。少しでも力を入れられたら、剣が真っ二つになりかねない。

「悪いが妖怪だというなら容赦はしない! 灼熱よっ!」

 努めてふてぶてしく言い、右手の裾に仕掛けていた符を使い術を発動させる。強烈な赤熱が発され爆発が発生。凪と世界の間にあった石畳が消し飛ぶ。当然のように発動者は2メートルほど吹き飛び石畳にたたきつけられ苦しそうに咽ぶ。しかし、彼の見た先には、全く無傷で立つ世界が居た。胸中で化け物かととでも毒づいているのだろう。守の表情がゆがむ。

「成程、中々に強力な五行術。だが、足りないな。やはり子供ではこの程度か」

 一瞬で守の前から世界が姿を消す。どうやら早すぎて目で追えなかったようだ。何もできず守は世界に一刀両断され血の海へと沈む。そしてすぐに凪へと追いつき、彼は凪を後ろから突き刺した。腹部を一突き。凄まじい痛みが全身を駆け巡る。

『痛い……痛い? 熱い。寒い? 痛い痛い痛い痛いイタイイタイ……何も考えられない』

 腹部に形容しがたい強烈な激痛が走ったと思うと、全身の感覚がくるっていく。強烈すぎるせいで痛みは一瞬。かわりに体の温度調節などができないのか、熱いのか寒いのかわからず、失血で視界が眩む。内臓が傷つけられたせいで、血が逆流し、喉が鉄の味で埋め尽くされる。

『これが、死?』

 自分の痛い、そして、弟である凪の死にたくないという願いと、痛みへの必死の抵抗。両方の感情が本流を起こし、脳の許容量を軽く超えていく。そして世界が流転した。