複雑・ファジー小説

Re: (合作)闇に嘯く 2−18執筆中 ( No.54 )
日時: 2017/08/25 01:22
名前: ダモクレイトス  ◆MGHRd/ALSk (ID: 0RpeXsSX)

「世界ッッッッッ!」

 叫び、遮二無二(しゃにむに)潮は掛け出す。拳に回せる限りの霊力を収束させ、全力で殴り掛かる。

「三重松潮、覚えているぞ?」

 凄絶な笑みを浮かべ、人間体を取る世界は佇む。鬼気迫る潮の表情など意にも返さぬ様子で、あと一歩のところまで迫っているのに、回避するそぶりすら見せない。捉えた、潮はそう思った。必中の間合いだ。もはや今から行動に出ても迎撃や回避はできない。

「潮お兄ちゃん……腕が」

 回転している。剣戟の果てに打ち砕かれた刃のように。赤黒い何かをまき散らしながら。世界へと振り下ろした方の腕、すなわち右腕に目を滑らす。ない。肩から下が。理解が速いか否かで、鋭い痛みが、光の速度で体中を駆け巡る。意識が朦朧とし呼吸が荒い。次第に痛みすら感じなくなり、片膝をつく。

「どうした? その程度か。期待外れも良い所だ」

 無感動な声で言い捨て、世界は軽く刀を振り下ろす。死ぬ。潮は確信する。だが霊でない分、まだいいのか。否、霊になったとしても、直近の脅威は眼前に居るのだから、変わらない。剣を振う速度が速すぎて、抜いた瞬間すらまるで分らなかった。
 この差だ。最早策はない。そもそも、痛みで体が言うことを聞かず。あと一瞬でも時間があれば、痛みを制御して動くこともできただろうが、世界の目の前で膝をついて、それが叶うはずもないのは明白。ただ怒りの形相で世界を睨むしかなかった。しかし潮に死は訪れなかった。

「ちっ! 情けないな。こんな所で諦めてるんじゃねぇよ」

 世界の剣を誰かが刀で止めたのだ。刀を水平にして刀の腹を腕に乗せ、全力で。軽く振るった刀でも並みの陰陽師なら抑えきれず死ぬだろう。その点、目の前の男が、相応の実力を有していると分る。

「守? 無事だったのか」

 潮は助けた男の名を呼ぶ。

「そうじゃなければ、動いていないだろう。分りきったことを聞くな! 凪ッ! 陰陽術を撃て!」

 裂帛の気合とともに、全力で世界の剣を弾く。そして守は凪に強い声で命ず。凪は彼の言葉に1つ頷き、詠唱なしで彼が撃てる最高の術を解き放つ。爆雷が一直線に世界へと飛来し、命中する。その間に守と潮は、その場から離れた。

「すまない、助かった」
「お兄ちゃん、腕……」

 ぶっきら棒に礼を言い、潮は目を反らす。仲が悪かった過去の憂き目か、面と向かって会話ができない。随分、年月も立っていて、試練の中で彼が言うほど敵愾心を持っているわけでもないと知って尚。自分はつくづく頑固だ。内心で潮は毒づく。
 そんな表情が出たのだろう。それを苦痛によるもの。もしくは腕がなくなったことへの絶望感と勘違いしたらしい、弟の声が耳に入る。

「凪、そんな顔するな。命が繋がっただけ、マシさ」

 潮はそれは勘違いだ、と笑いながら言う。実際問題、恐らくこの術が解ければ、外の自分に影響はないだろう。今までの術の展開と違い、この状況下で命を奪われれば、本当に生命活動を閉ざす可能性もあるが。

「なぁ、潮。昔、きつく当たって済まなかったな」

 そんな潮の表情を、一瞬凪が覗く。たまたま目が合い、潮は目を反らす。そんな彼に凪は続ける。ぶっきら棒な口調だが、微かに覗く表情は真剣そのものだ。恐らく、ここ以外に言うチャンスがないと思っているのだろう。潮は躯になった人々の血液でできた赤黒い池に佇む世界を眺めながら、呟く。

「……気にするな。俺は気にしてないから」

 嘘だ。ずっと、気にしてきた。我ながら頑迷で愚かなことだと思うが、深石コリとして守との関係は長く尾を引いてきた事を、呪縛の中で深く感じた。今や風体は自分より若い守の方が、こんな風に謝ってきたのに恨み節なんて情けない。かと言って、器用な言葉も思い浮かばなかった、と言うのが本音。

「何だよ、随分大人になったじゃないか。まぁ、今の状況から考えれば、当然かもしれないが」
 
 守の方はというと、長い問答をしている場合でもないか、と世界を見据える。本気で納得したわけではないが、完全なる和解を望んでいるわけでもないのだろう。何せ燻っていた感情は癒すには遅すぎて、今目の前には明確な敵がいる。
 世界が襲ってこないのは、ひとえに潮の母である百合——優秀な結界術の使い手である——が、強力な結界術を行使しているからに他ならない。しかし、世界相手では長く持たないだろう。むしろ此方が策を練る時間を与えている可能性すら、有り得る。そういう類の戦闘狂だ。

「世界が人間体の内に何とかしないと、俺達は全滅確定だ。人間体の奴は、他の最上級妖怪と比べると幾分スキがあると聞くし、通常の陰陽術で傷をつけたという事例もあるしな」
「その事例は俺も聞いたことがある。態と弱い肉体で、遊んでるのかも知れない、などと言われていたか」

 守は領民の躯から拝借したらしい薙刀を潮に渡す。そして陰陽連に籍を置いた者同士としての、相互情報を確認する。しかし世界はこれ以上待ってはくれなかった。世界の体がから深紅の妖気が放出され、結界が揺らいでいく。

「潮っ! 守っ! もはや持ちません! しかし、奴は結界を破るために力を放出している! 今なら防御が疎かなはず!」

 百合の絶叫が響いた。潮と守はあらん限りの霊力を得物に篭(こ)め、全力疾走する。両名突きの構えだ。吸い寄せられるように、急所へと武器を放つ。潮は前面から喉仏を。守は後ろへ回り心臓を狙う。更に世界の反撃を警戒してか、凪が超速で飛ぶ雷撃で敵の刀を。

「退屈な特攻だ、つまらん」

 心底、落胆した低い声で世界は吐き捨てる。次の瞬間、猛烈な閃光が迸(ほとば)しり、潮の意識は途切れた。

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「重い……」

 意識が途絶していたのは、時間にして凡そ数秒だろう。戦士として眼前の敵に立ちはだかり、それ以上気絶していたら死んでいる時だ。すなわち二度と目覚めることはないはず。つまり、自分は時間にして数秒程度気絶していた可能性が高い。潮はそう結論付ける。
 それにしても妙に体が重い。第一声が間抜けに鼓膜を揺らす。この体中に伸し掛かるような重みは何だ。ぼやけた視界が、回復していき理解する。すぐ横には、百合の相貌。ただでさえ色白な彼女だが、全く生気を感じられない。恐らく気絶した自分の盾となり切られたのだろう。
 時に厳しく兄弟を教育し、しかし喧嘩に負けて泣いて帰った潮を優しく介抱してくれた母。街の人たちの中で凪と同率で1番好きだった人。気丈で戦場にて咲く鬼百合ともなる女性と知られていた、自慢の母。狼狽する。自分は何度この無間地獄を体験するのか。もう沢山だと嘆く。

「はっ、母上……母上っ!? 凪っ、凪は!?」

 これだけ喚き散らしても、周りの反応はない。戦闘は終わったのだろう。武勇に優れた父も、慈愛に満ちた母も、自分に親しくしてくれた隣人たちももう居ない。数年越しに和解した守も視線を滑らせたすぐ先に横たわっていた。
 自分が間抜けに気絶している間に。哀憐に耽(ふけ)るなら、1人でも助けねばと体を動かすが、結果は分かり切っている。冷静になれない自分が情けないと思いながら、まだ体温のある母を退かせ、立ち上がった。

 その先には、凪の首を左手に持った世界が佇む。胴体は、どこにも見当たらない。ご丁寧に粉々に切り刻んだのだろうか。叫び声を上げようとするが、先程叫びすぎたせいか、喉が痛くて思うように声が出ない。

「そう喚き散らすな。二十歳超えて、みっともない。凪とやらなら、ほらここに居るよ」
「お前……お前、一体何なんだ」

 潮が立ちあがり、弟の首を目にしたことを確認したらしい世界は、愉悦に笑いながら言う。どうやら律儀に潮が立ち上がるのを待っていたらしい。彼は凪の頭を投げ捨て、潮を面白そうに眺める。幾匹もの妖怪を、闇に葬ってきた。だが、分らない。
 時々、人と共生したり仲良く会話をする妖怪を見て、頭ごなしに理解できないと否定することもあった。最近だと夜太郎がそれだ。そんな者達と比べれば、世界はとても妖怪らしい妖怪にも見える。
 しかし今の潮には、今まで相対してきたあらゆる妖怪を遥かに超える、大悪に見えた。一片の感傷もなく、切り捨てれる対象ではない。理解不能の恐怖に充てられ、体中が総毛立ち足が竦む。まさに怪異。

「我が名は世界。唯の一妖怪さ」

 乾いた声音で告げる。そんなことは聞いていない。事もなげに自分を、小さき者とする世界に唯々恐怖を感じ、潮は口を紡(つむ)ぐ。

「死を与え、恐怖の表情に歓喜するなり」

 自分を恐怖に落としたいから、周りから殺したのか。何と回りくどく厭らしい奴だ。胸中で潮はそう毒づく。金縛りにあったように体は動かず、容赦なく振り下ろされる世界の刃を、その身で受けた。

「ほぉ、三重松潮。お主、まだ隠し玉を持っていたか。追い詰めた甲斐が……」

 筈だった。しかし、実際に切断されたのは世界の腕で、一向に自らが斬られる気配はない。一拍置いて、四十万の中に乾いた音が響く。剣を握った世界の手。斬られた断面が、潮の網膜に焼き付く。誰がやったのか。世界は潮がやったと思っているようだが、少なくとも彼は何もしていない。

「どこを見ているのだね世界君。君の相手は此方だよ」

 低めで纏わりつくような女の声。既に領民や家族の霊は全て、世界に斬られている筈だ。腕を切り落としたということは、一度は潮の視界に入っている筈だが。動きが素早すぎて見逃したのか、それとも動揺して、振り下ろされる剣にだけ集中していたのか。少なくとも声のした方には、既に人影はない。

「ふむ。どうやら、相当な高速で移動しているか……だが、捉えた」

 そう言うと、世界は跳躍し潮の後方へと移動する。それに伴い潮も世界を目で追う。既に二つの影が交錯していた。深紅の蝦夷錦(えぞにしき)とそれと劣らぬ赤色の狩衣。世界と声の対象だ。二度三度ほど打ち合うと、世界のほうが吹き飛ばされ膝をつく。

「君の力はその程度か?」
「成程。強いな。たった1人で、俺に片膝をつかせるとは!」

 声の主。体格の良い妙齢の女性だ。堀は深いが少し翳りの見える、口調に似合わない雰囲気を纏っている。女の安い挑発に、世界は目を爛々と輝かせ迸る妖力で答えた。膨大な力の奔流が、無機質な黒の世界を光で覆っていく。
 その力の濁流に身をさらしているだけで、潮の体は消し飛びそうになる。しかし、コンマ数秒で妖力の暴風は収まり、目の前には巨大な影。九つの尾をもった小山ほどもある銀狐——世界——の姿が現れた。

『何て、でけぇんだ』

 潮は思わず息を呑む。正に威容。自分が怨敵と定めた相手の強大さを肌で感じる。相対しているだけで、魂を持っていかれそうだ。目など合せたら、間違いなく正気を保てないだろう。幾らこの身を鍛えても、勝てないと本能が喚く。

「せめて一撃で沈むなどということは、お止しよ人間」

 世界は変形するや否や、九つの尾全てを目にもとまらぬ速度で伸ばし攻撃を開始する。それは宛ら流星雨が如く降り注ぎ、強烈な地響きを起こす。全弾命中した、そう思った矢先、高速の水流が何物をも貫くだろう名槍と化した、世界の尾全てを切り裂く。

「丸子八奈女(わにこ やなめ)と申す。貴様の命は頂いた」

 瞬く間に尾は再生していくが、それ以上の速度で丸子と名乗った女は世界の懐へ入り、胴体に手を添えた。

「何を言っておる……ぐっ!? 何じゃこの術は!? 空間が」

 抵抗の言葉とともに、世界の巨体は黒い渦に飲み込まれて、消失した。散り際の言葉から、何が起こったのかは理解できていないだろう。当然ながら遠くから眺めていた潮もそうだ。そもそも、齢1000年とも目される妖怪に分らぬことなど、彼に分る筈もない。

「嘘、だろ。有得ない」

 愕然とした様子で、潮は呟く。ほとんど無意識的に出た言葉が、ただ反響した。それ以上は言葉にならず、彼は俯き立ち尽くす。