複雑・ファジー小説
- Re: (合作)闇に嘯く 2−19執筆中 ( No.55 )
- 日時: 2018/03/10 13:32
- 名前: ダモクレイトス ◆MGHRd/ALSk (ID: xJUVU4Zw)
——有得ない
自らが口にしたその言葉が、耳朶(じだ)に響く。鳴りやまない。大音響と、激烈な熱波が渦巻く最中で、世界が焼失したというなら、まだ納得できたのかもしれない。理解できないのだ。何の抵抗もなく、ただの一撃で静かに焼失した様が。
——幻術は、現実に起こり得ないことはことは、再現できません
思い出す。ある日、百合が自分に幻術を行使した時のこと。何だったか。祖父の葬式の後、死というのを初めて意識して、長い月日悪夢に魘(うな)された時だったか。どんな幻術を使ったのかは思い出せないが、悪夢に震えた彼を哀れに思ったのだろう、幻術は夢想的で当時の彼にも実現不可能と思えた。だから——言ったのだ。
——絶対に無理そうだけど、美しいね
それに一拍と置かずに憂い顔で、頭を振りながら、母は答えた。そう、幻術とは、無限の自由度を持っているようで、不可能なことには制限が掛けられる物なのだ。何か見えない強大な力が、そうなるように働きかけているらしい。即ち、如何に突飛なことでも、幻術であるのなら、逆に絶対実現できることであり、一種の真実性があるということ。
「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ……」
頭を抱える。自分より遙かに強い師匠が、決死の覚悟で禁術を行使して、ほぼ無傷だった事実。何十人もの手練達が綿密な計画の下に、討伐に向かったが全滅したのは、まさに潮が陰陽連の正式術師になって3か月も経っていない時の事。膨大な罠や人員を用意して、戦術を練り何度となく討伐は行われたが全て無残な結末。それがこんな簡単に終わる。
「信じ難いか? だが、真実だ。何せ幻術というのはどうしてか知らんが、実現可能な事象しか起こせん。眼前で起こっている事を受け入れろ。信じ難かろうが荒唐無稽だろうが、それは起り得る事なのだから」
茫然自失としていた潮の後ろから、纏わりつくような女性にしては低い声が響く。間違いなく、世界を屠(ほふ)った先程の人物。丸子八奈女だろう。その声はどこまでも乾いていて感情を読めない。ただその淡々とした言い様から真実性が増す。底なし沼で溺れていた強烈な渇望が、泥水を突き破り希望を掴むように。
「力が欲しいか?」
丸子から発された言葉は、潮にとって強烈な衝撃だった。幾つもの疑念、利用される可能性。そんな事はどうでも良いほどに。
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目を覚ます。唐突に。視界のぼやけなどはない。幻覚との境界が釈然としない、等と言うこともなく。意識は明確だ。術が解除されると、独特の感覚が有るため、それすらも嘘という事は有得ない。それから解放された事にすら気付けない愚鈍な者は、陰陽連の正規術師になどなれない。 丸子は契約に際して、陰陽連に旨味はないと言っていたが、多くの知識を学び、幾つもの術を習得できるのは、間違いなくメリットだろう。
何せ、自警団等の場合、大半が幻術解除に対する確かめなどできないのだから。実戦を経て、戦闘能力が高い者は多いと聞くが、搦手や索敵など他の要素で陰陽連の術師と大きな差が有るというのが、世間の認識だ。
『契約しちまったな。だが、あの状況だと、冷静に考えてもそれしかなかっただろう』
決して高くない檜性の天井を見詰ながら、潮はそう結論付ける。何せ相手の術中だ。契約が成立しない状態で、生かしておく理由がない。丸子一派の暗部を知ったのだから、尚更(なおさら)だ。丸子から聞くに、目的は陰陽連の転覆とそれに付随する妖怪の撃滅とのことだが。
どちらを行うにも、圧倒的な力が必要なのだろう。裏切られるリスクが有っても、強大な力を持った術者——それこそ、陰陽連最強と謳われる陰陽頭や、妖怪の覇者たる四神以上の——が必要なのだろう。
『何かしらの術で、俺を操作しようとはするだろうが、そう上手くいくと思うなよ』
潮は胸中で呟く。今回は甘言に乗せられ、大した準備もせず敵地に向かい一方的な交渉をさせられたが。今度は違う。冷静に手に入れた力を実らせ、相手方の強制を受けず、利用してでも大願を成就する。胸中でそう叫ぶ。
「お目覚めになりましたか潮様」
右手を突き上げ、強く握り拳を作る潮。そんな様子を穏やかな眼差しで見つめながら、女性が笑う。潮も良く知る声だ。自分の家政婦であり、彼と共に復讐を誓う人物、火坂部都子。
「都子さん、と言うことはここは……俺のアパートか? 俺は一体、どうやって」
良く知っている声ではあるが、これはどういう事だ。潮は怪訝に眉根を寄せる。見回せば間取り等から、自分のアパートで間違いないようだ。考えられるのは2つか。1つは、幻術が解除された瞬間に目を覚ましたように感じられただけで、本当は移動させた後だった。
次に術自体がここで行使されたという可能性だが、そうなると都子自身が、ここに搬送した人物を招いたことになる。そして術の解除を行わず黙して待っていた。最悪の可能性としては、幻術行使に当たる首謀者という可能性も。
「貴方は丸子一派の幻術を受け、直ぐに祝幻様の白影によって此処へ運ばれました。そして私は祝幻様から、この呪具、禁神之月倫(きんしんのげつりん)を渡されたのですわ」
繋がった。最初から全て設定されていたのだ。山に足を運ばせたのは、恐らく潮にそこで術を掛けなければならなかったからだろう。多くの禁術、特に幻術や呪術の類に見られる特徴だ。霊山に宿る神の力が必要というもの。
潮自身大半の霊山や呪い神については知識があるが、あの山が霊山だったとは。これ程の禁術を行使できる霊山なのだから、機密にされた場所なのだろうと考えらえる。そして白影は、影を移動することのできる式だ。誰にも目撃されることなく、気絶した人間を運ぶには持って来いだろう。
ここに運ばれた理由は不明だが、恐らく何かしらの段取りが有ったのだと考えらえる。呪具——強力な呪いや儀式を成立させるに当たって必要な道具で、大抵が1つの呪術や幻術に対応する——を都子が渡された事からも、その推測は間違っていまい。
「と言う事は都子さん、あんたは」
「はい、祝幻様達と私は、手を組んでいますわ」
サラリと白状する都子。全く悪びれた様子はない。彼女はとうの昔から気付いていたのだろう。何れ潮は行き詰り、有無を言わさぬ力を求めるだろうという事を。祝幻や丸子との間に、どんな交渉が有ったのかは分らない。ただ、全て彼の為に。否、彼と復讐を遂げる為。
「怖いな。貴女も本気みたいだ」
瞠目する都子の姿が映る。この程度の事なら当然する、とでも言いたげだ。丸子氏等と組むことは、陰陽連出身、それも四大名家の名手ともなれば、相当に重い事の筈だが。恐らく天地神明に誓ったのだろう。地位も名誉もかなぐり捨てて、成就すると。
「潮様、どうやら式との契約をできるようになった様子。次の休日にでも、契りを交わしに参りましょう。私も同行します」
式との契約。それは妖怪を使役するという事だ。それができる術者は、陰陽連でもそう多くはいない。潮は自分の中に、そんな物が眠っていた事に驚く。それと同時に誰よりも妖怪を憎むと宣言したのに皮肉なことだ、と胸中で笑う。
『それにしても、都子さん。それも禁忌じゃないか。普通契約は1人の人間と1体の妖怪で成立する物だ。複数人で狩った妖怪を包括しては、許容量がオーバーして契りを交わした瞬間死ぬからな。確か契約者より強い妖怪を宿しても平気で生きていける、そんな類の禁術……檜扇家のだったか』
復讐者を名乗るにしてはルールに縛られ過ぎてきたようだ。潮は胸中でそう思う。外道にはそれ以上の外道で挑むしかない。例え自身が血で染まっても、そのお蔭で悲劇が減り、笑顔が増えればそれで良いではないか。
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潮が丸子一族と接触した日から、11日間が過ぎた。その間に4回妖怪討伐の任務を受けたが、何れも悪辣で低俗な下の上程度の徒輩だった。
「はぁ、ったく、今回は派手に負けたぜ」
潮達と別れた千里は、今日入った給料を右手に持って、馴染みの鉄火場に行き惨敗し今に至る。
夜11時半。今は自室——檜扇邸の外れにある一室——香坂(かざか)のお堂と呼ばれる、六角形の部屋だ。形状が特殊なため、敷かれている畳も特殊な形だ。12畳程はある。狭い部屋が言って宛がわれたが、残念ながらこれ以下の部屋は無いらしい。唯でさえ権威を表わす為なのか、広闊(こうかつ)な敷地だ。部屋もそれに合わせて大きくもなるのだろう。
部屋の西側には鏡面が置かれ、東側には箪笥や文机が設置されている。千里は文机に向かい突っ伏す。ここ最近、潮の様子がおかしい。元々馬の合うやつではないが、変化に敏感だと自負する千里はため息をつく。11日前、その日を堺に彼の様子は、一変したように思う。突然の霊力上昇、そして今まで以上に猪突猛進な戦い方。それなのに戦闘時以外での受け答えは、今までより穏やかだ。
あの日、何かあったのは間違いないだろう。しかしそれがどのような出来事なのかは、皆目見当がつかない。何者かに力を譲渡されたのか。だとしたら対象の目的はどんなことで、契約内容はどんなものだったのだろう。場合によっては自分にも降り掛かってくるかもしれない災厄の足音を感じ、千里は歯噛みする。しかし、考えても情報が少なすぎて埒がな。そう結論づけ彼はさっさと布団へと潜り込む。
『2週間近く経つけど、全然慣れねぇ寝床だな』
良く干されて肌触りのいい羽毛布団は、少し硬い湿気たものほうが好きな千里には居心地が悪い。高い天井も開放感が有り過ぎて、圧し潰されそうになる。初日など夜伽の女性が来て、眠れたものではなかったことを思い出す。全く貴族という奴とは反りが合わない。
胸中でそんな事を毒づいていると、どこからともなく白銀の蝶が舞う。今は秋口。少し肌寒い位で、襖など開けてはいないのだが。その蝶に彼は慣れ切っている故か、驚く様子はない。重々しい溜息を吐き、半身を起こす。
「親父か? 何の用だ?」
蝶から脳内へと発せられる情報に千里は頬を引き攣らす。話に寄れば、陰陽連に総攻撃を仕掛けるらしい。場所は陽明京のお膝元。首都巌閃(がんせん)。何を考えているんだ、と声を出しかける。幾ら離れていて深夜であろうと、人がいる可能性は0ではない事を考え、心に言い聞かす。そんな所で合戦をすれば、双方大きな傷を負う。撃退した暁には間違いなく陰陽連は、世界討伐に動くだろう。
「陰陽連の怡土郡に所属する俺の子飼いは半妖で、世界の右腕である塔(あららぎ)の息子でした、か。悪い冗談だよなぁ」
渋面を造り押し黙る千里の耳に声が響く。自らの上司で、この邸宅の主でもある檜扇祝幻の、蜘蛛の糸が如く粘着質に絡まる低い声。千里の全身から、炭酸の泡が弾けるような怖気が走る。ゆっくりとした所作で襖が開かれた。
「祝幻さんよ、何の事か分らないな」
上司と部下の関係とは思えない、軽い調子で千里は白ける。全て話を聞かれたとは限らない。自分の事情を正確に把握しすぎている事は気になるが、唯のまぐれである可能性はある。何かしらの情報を得て、それを探しているだけという希望的観測だ。何せ、千里だと断言はしていない。
「俺を見縊るなよ千里君? 全部分っててここに迎え入れたに決まってるだろ? それにしても塔君もあれだよね? 確かに腕っぷしは半端じゃないけどさ、こんな所にまで連絡飛ばすなんて、頭は悪いよな」
逃げられない。そう、判断する。
「何が目的だ?」
目の前のオールバックをした堀の深い男を睥睨しながら、千里は努めて冷静な口調で問う。それに対して、祝幻は凄絶な笑みを浮かべて。一点の曇りもない、さわやかな笑顔で手を差し出す。
「手を組もうぜ? 陰陽連の情報を流してやる、幹部しか知りようがないような上等な奴だ」
何を考えているのか分らない。訝しみながら、他に手段は無いと判断する。
「良いぜ、乗ってやる」
今この場で殺されたりしたら、敵わない。胸中で呟く。そして祝幻の手を強く握った。強制という名の、盟約の締結だ。
『あぁ、面倒な事になったなぁ』
【完】
第二話『暗く寒い夢の中で』