複雑・ファジー小説
- Re: そして蝋燭は消えた。【短編集】 ( No.14 )
- 日時: 2015/05/22 00:58
- 名前: 橘ゆづ ◆1FiohFISAk (ID: MHTXF2/b)
(14)眠らないブランコ
女性視点。
昔から、ブランコが嫌いだった。
日も暮れて、誰もいなくなった公園の片隅で、それでも揺れるブランコが嫌いだった。
夜、ベッドに潜り込んでからも、ブランコは最後に見届けた姿のまま、ずっと私の頭の中で揺れていた。
ごそり、と隣で熱の動く気配がして、ふわふわと形をなくしていた私の意識はあなたに向いた。
とん、と足の裏が床に触れる音。
肌がシーツに擦れる音。少しずつ遠ざかっていく足音。
今、何時だろう。枕元に置いた携帯電話に意識を向ける。寝返りを打って少し腕を動かせば、すぐに触れる位置にある。
でもそんなことをしたら、きっとあなたに気付かれてしまう。
ライターを擦る音で、私の意識は再びあなたに向いた。
煙草の先に火が点く。あなたは最初の一口を吸い込みながら、換気扇のスイッチに手を伸ばしかける。
でも結局スイッチには触れずに、腕を下ろす。
そしてできるだけ静かに、ゆっくりと煙を吐き出す。
まぶたを閉じたままでも、あなたの動きは手に取るようにわかる。
いつも換気扇の下でしか煙草を吸わないあなたが、余計な音を立てないようにと、敢えてそれを回さずにいるということが。
私は薄く目を開ける。常夜灯の明かりで淡く染まった闇の中に、窪んだままの枕が見える。
起こしてくれても、全然いいのに。あなたと一緒にいられる時間は限られているのだから。
風に揺れるブランコが嫌いだった。
ある日の帰り際、揺れるブランコを手で止めてみた。塗装の剥げた木の板がぴたりと静止したのを確かめてから、立ち去ろうとした。
でもまたすぐに風が吹いて、ブランコを揺らしてしまった。
私が何度止めても、すぐに風が動かしてしまう。
だから風が吹くより先にブランコに背を向け、地面を蹴った。
かすかに煙草の匂いがする。あなたの指先から私のもとへと煙の伝ってきた距離を思って、不意に心細くなった。
あなたが残していった熱は、既に冷め始めている。
簡単だ。ベッドから這い出て、換気扇の下まで歩いていけばいい。
ローテーブルに置きっ放しのマグカップを手に取り、水道のレバーを上げて水を汲み、一口飲むのだ。
ごめん、起こしちゃったかな。
いいえ、少し喉が渇いたの。
煙草を灰皿に押し付ける音がした。今度は近づいてくる足音が、ベッドの手前で心なしか速度を落とす。
そっとシーツが持ち上げられ、あなたが滑り込んでくる。
隣の空間に熱が戻り、私は煙草の匂いに包まれた。
いつものあなたの匂い。思わず胸いっぱいまで吸い込みたくなったけれど、どうにか普通の寝息を装う。
もしここで目を開け、あなたを見つめて微笑んだら、あなたは優しい言葉をかけてくれるかもしれない。
ぎゅっと抱きしめてくれるかもしれない。
でも、私は眠っているふりを続ける。せっかくあなたが私を起こさぬようにと気を遣ってくれているのだから、それに甘えるべきなのだ。
ブランコは辛くないのだろうか。揺れたくもないのに揺らされて。
ブランコは苦しくないのだろうか。静かに眠ることも許されずに。
錆びた鎖の軋む音が、耳の奥でずっと鳴っていた。
あなたが寝息を立て始めるのを待って、私はまぶたを開けた。 薄らとした光がカーテン越しに部屋の中へと侵入し、あなたの頬に濃い陰影を作っている。
あぁ、夜が明ける。どうしようもなく、朝が来てしまう。
ちくり。胸がざわめく。明日の今ごろ、私は何をしているのだろう。あなたは何をしているのだろう。
いっそ夜が来なければ、全てを諦めてしまえるのに。
呼吸に合わせてわずかに動く、目元の陰。その顔はなんだか、とても疲れているように見えた。
風に揺れるブランコが嫌いだった。
あのブランコは今も、私の中で揺れ続けている。
(眠らないブランコ)
end。