複雑・ファジー小説

Re: 白語り 〜ツクモガタリ〜  ( No.32 )
日時: 2016/01/20 22:35
名前: 猫又 ◆yzzTEyIQ1. (ID: pKTCdvWc)

 しかし間髪入れずに続いた「それで?」という言葉でまた顔が強張る。
「クソ女はどこだい? まさか、お前ひとりじゃあるまい」
「・・・・・・」
 怪王の額に汗が伝う。それに呼応するかのように店の奥にある洗面台の蛇口から水滴がぽたん、ぽたんと落ちる。自分は何も知らないと無視を決め込む怪王に、しかし事態は急速に動いた。
「いや。聞くまでもなかったね」
 チヨは怪王から目をそらしカウンター下の戸棚に手を伸ばしたかと思うと、そこにあった裁縫箱から刺繍針を抜き取って洗面台めがけて投擲(とうてき)した。

「あ! ぁ! ぁ“! ああぁあ!! あが、がっがぁあああ!!」
 同時に喉を焼くような悲鳴が轟く。
まるでチヨの投げた針に押し出されるようにして、蛇口の縁に溜まっていた水からヒトの形をした何かが這い出したかと思うと、チヨの針が刺さっている喉を掻きむしりながら断末魔と聞き間違えるほどの爆音を響かせた。

「この程度で騙せるとでも思ったのかい?」
 しかしチヨは全く臆した様子もなく彼女に向けてただ、冷酷に言い放った。
「まさか、まだ“痛み”なんて人間じみた感覚が残っていたとはね。……人間でも妖怪でもない。イビツなバケモノらしい末路だよ」
 哀れみすら無く。ただ怨念を吐き出しながら、チヨは彼女(エモノ)との距離を縮めつつ次の針を手に収める。
動くなら、刺す。そう語るチヨの背中をしかし——。

「なッ、止めろッ!!」
 気付いた怪王が呼び止めた。
「もう話はついた! これ以上争う必要がどこにある!?」
「……あるさ。お前が私に従ったとして、この女が裏切れば元の木阿弥だからね」

「ふざけるな! ハナはそんな奴じゃないッ!!」
 傷口を抑えうずくまる相方の名を呼び、怪王そう断言した。
しかしその目に力は、無い。
まるで怯えるかのように震えるその目の光をチヨは——老婆は静かに見つめ、まるで火が消えたような落ち着きを身に纏って言った。

「そんなやつだろぅ? そのクズは」
「……ッッ!?」
 眼の奥にある怯えを、カタイ体に閉じ込めた怪王の心を握り潰すように老婆は続ける。
「自分の運命からひたすらに逃げ…逃げ、逃げェッ!」

「挙句の果てには十数人の命と幼子(おさなご)の心を踏み潰して逃げた……血も涙もない極悪非道をぉ!! どのツラ下げて信じろって言うんだいぃッ!?」

Re: 白語り 〜ツクモガタリ〜  ( No.33 )
日時: 2016/02/27 17:45
名前: 猫又 ◆yzzTEyIQ1. (ID: LtMVL/Tf)

「あの子の目には、光があった……」
 何かにすがるように、しわくちゃなチヨの手が宙へと伸ばされる。
「希望があった。未来があった……。感情があった……ッ!」
 その手は何度も何度も何かを掴む動作を繰り返し、やがて静かに降ろされた。

「もはや千里の目に……光はない」
 力なくうなだれ、今にも首が落ちそうなほどに俯きながらチヨは語る。
「あの子は悲しむことも、絶望することすら許されずに……ただ笑い続ける人形になった」
まるで死んだ人間を慈しむようにそう語っていたチヨが、しかし次の瞬間鬼の形相に戻ると怪王を睨みつけながら歪んだ声を上げる。
「一体それが誰の所為せいか……お前たちが一番よく理解しているだろうぅ?」

「…………」
 チヨの気迫におののいたか、それとも返す言葉もないのか黙る怪王。
チヨはそんな怪王から目を逸らすと、洗面所でのたうち回っているハナの首筋から呪術が施された針を抜きつつ、呟いた。
「……自業自得、さ」
 目の前の女をただ軽蔑の眼差しで見据え。
「アンタ達があの子を壊した。それを正すはただの道理。当たり前」
 もう一度怪王に向き直ると、
「お前たちが私の傀儡くぐつになって初めて、交渉が成立するってもんだ……違うかい?」
 シワが寄った顔をさらに歪め、不気味に微笑んだ。
「もういいだろう……。早くそっちの要求を言ってくれ」
 その嫌がらせまがいの対応にうんざりしたのか、怪王がそう呟く。

「……ふん」
 ややあって、チヨは不満そうに鼻を鳴らして答えると、やっと落ち着いたらしいハナから離れ、怪王へと向き直った。
相変わらずシワだらけの顔を歪め、勝ち誇ったように怪王を見据える老婆はしかし、突如ぎりぃっと歯噛みしたかと思うと、吐きたくない言葉を噛み砕くようにこんな言葉をこぼした。
「1ヶ月いや、半年……6ヶ月間! 6ヶ月お前たちの秘密を悟(さと)られず、千里と共に暮らすんだ」

『!!?』
 その場に衝撃が走る。声だけしか聞こえないハナさえ、術が抜けた体をもう一度ビクンと痙攣させる中、怪王が尋ね返す。
「どういう…ことだ?」
 今話しているのは自分達が白凪千里に会うことに対する代償の話だったハズだ。それがナゼ、白凪千里と1年暮らせという回答になる……!? 
そう訴える怪王を見ようともせず、言われずとも分かっているとばかりにチヨが続ける。
「騙(ダマ)すんだよ、千里を……。お前達のような嘘吐きにはもってこいの仕事だろう?」

 淡々と吐き出される言葉に対して段々と凍りついてゆく空気。
自分達は目の前に居る老婆のとんでもない策略にハマっているのではないかと身震いする2匹に老婆は舌打つ。
「千里に対して精神的、肉体的に危害を加えず、半年間逃げ出さないことを誓えば、命をかけても会いたかったウチの孫に会ってもいいと言っているんだ……。お前達からすれば破格の条件じゃないのかぃ?」
「…………」
 一体どう答えれば良いのか分からず、沈黙する2匹。
その威厳ひとつ無い態度に呆れ果てたのか、チヨはよたよたとカウンターに戻るとイスに深く腰掛ける。
「もちろん約束を破れば、死より恐ろしい目に会うことは、下等であろうと理解しているだろうけどねぇ……誓って、私は『お前達をハメよう』などという気は無い」
もう運動は終わったとばかりにカラダの節々を回すチヨ。体力はともかく骨格は普通の老婆らしい。

 カラダをほぐし終わると冷めてしまった緑茶を啜りながら、まだ黙る二匹に老婆は伏せ目で続ける。
「寛大な心で、クズにも慈悲をかけてやろうという気遣いだ」
「どっちが……」
 クズだ、と言おうとしたのだろう。一瞬だけ起き上がったハナが口を挟むが、睨み返すチヨに勝ち目がないと分かると歯噛みしながら再び横たわる。
 それを見届けるとチヨは茶を飲み干し、目の前にいる青年と見間違うほどに若い付喪神を問いただす。
「さぁ、どうする? 付喪神の長(おさ)よ」

 断るのか。それとも要求を飲むのか。
二つに一つ。今決断しろと迫る老婆に二匹が同時に応じた。
「待ってカイ! これは——」「黙ってろ……」
 不気味な意図を察し、引き止めるハナ。
しかし怪王はそれを一蹴し、なおも続けた。
「怪王は……否、ワシは……」
「駄目ッ……カイっ!」
 怪王では無く、自分として。
「それで千里に会えるなら、いい」
 千里に、白凪千里に会えるなら。
それも1年もの時間を共有できるなら。
「何があろうと——」
 老婆がニタリと笑い。白いワンピースの女性が声を枯らすこの場所で、
「……覚悟のうえだ」
全ては、始まった。

 そう。これは、始まりの嘘。
千里と怪王、そしてハナが知り合う10日前に交わされた真実の記録。
 そして、人間と付喪神が織りなす、イビツな物語の……『始点』である。


 第一話 白(つくも)と凪(なぎ)りて福を成す 〜終幕〜