複雑・ファジー小説

Re: 英雄騎士冒険譚 ( No.1 )
日時: 2015/06/24 21:30
名前: 塩辛 (ID: IyyF43A8)
参照: http://www.kakiko.info/bbs2a/index.cgi?mode

遥か昔……ではない。
ほんの10年ほど前のことだ。
人々を恐怖のどん底に突き落としていた『魔王』を、勇者とその一行が討ち取った。
80年に渡る魔王の支配を、たった4人で覆してしまったのだ。
まるでおとぎ話のような英雄譚は、今もそしてこれからも世代を超えて愛されていくことだろう——。




と、『英雄たちの物語—最新版—』の最初のページに記されていた。
僕はまだぴかぴかの革表紙の本を閉じ、本棚に戻す。本棚には同じような装飾の本がズラリ。どれも英雄譚を元にして書かれた本ばかりだ。

「そこにある本は全てフィクションの空想物語だ」

後ろからかけられた声を無視して、僕は一番下の段にある黒い表紙の本を開く。ふむ、『騎士道の初歩』……すっかり埃をかぶってしまっている。この10年、ろくに開かれていないのだろう。まあどの本も同じようなものだ。綺麗なのは、僕が昨日買ってきた新品の『英雄たちの物語』だけ。

「ああ、騎士道の初歩か。懐かしいねえ、ええと酒と女は御法度だっけか……ああ、あと生ものも」
「……それは僧侶の戒めです。それに、その三つが禁止されてたら、あなたはとっくに騎士の資格を失ってます」

観念して振り返った。
もうそろそろ30に近いであろう男性が、二本の棒を器用に扱い、捌かれた生魚を豆からつくった塩辛い液体に浸して食べている。小皿のそばに置かれているのは、この地域ではどこの店でも売っているような安酒だ。ため息がひとつ漏れるけれど、男性はそれに気づかない。僕は横目でちらりと彼の様子を伺った。

酒のせいでとろんとしている黒い瞳。
ほぼ外に出ていないせいでやや白い肌。そのくせ身体は一分の隙もなく鍛え上げられているのが、厚手の布服の上からでもわかる。
頬は赤らんでいる。勿論これも、酒のせいだ。
顔立ちは……目の下のクマとだらしなく緩んだ口元を除けば、まあまあ見れる方だと言って良い。男の僕から見ても悪くはない。が、特別男前なわけではない。

そんな彼を一際輝かせているのは、黒くうねる長髪だろう。

「……おい、なんだ、ジロジロ見やがって」
「いえなんでもありませんよ、ジェイさん」

燃えるような生命力がそのまま光となり輝いているような、わずかな色味もない漆黒なのに妙に彩り豊かに見えてしまうような、むしろ髪のみならば宝石にも匹敵するような美しさだ。輪郭を縁取るカールも、ろくに手入れもしないくせに柔らかく背中に垂れ下がっている襟足も、どこをとっても完璧だ。これは別に僕が髪の毛フェチだとかそういうわけではない。誰が見ても、そう思うだろう。そういうこと。

(……なんだかまるで、)

この人の情熱が表れているようだ、なんて。
そんなはずはない。こんな堕落した『英雄』が、今もそんな情熱を持っているだなんて、にわかには信じられない。

「人の顔ジロジロ見てる暇あんなら、本棚の整理でもしてろ。いらない本は捨てても構わねえ」
「そんなことしてたら本棚すっからかんになっちゃうでしょうが」
「うん、まー、そんなもんだな」

あはは、と何が面白いのか笑う黒髪の騎士の声を背中で受け止めながら、僕は一冊の古びた本を手にとった。周りの本に比べて一回り小さなペーパーバックだ。『英雄騎士』と無味乾燥なタイトルの表紙をめくると、そこには後ろで酒をあおっている男の名前があった。


『英雄騎士・ジェイは、類まれなる美しい髪を持つ、情熱的な美男子であった。……』


僕は迷わずペーパーバックをゴミ箱に放り投げた。
ストライク。