複雑・ファジー小説

デルフォント物語 ( No.1 )
日時: 2015/07/27 13:10
名前: うたり ◆Nb5DghVN/c (ID: yIVvsUU5)


 AR(破滅暦)2150年
 九の月三日
 リーナス・シャクラ。十歳。この城の 公子の婚約者。軽く内側にウェーブのかかった腰の辺りまである黒髪。顔の大きさに比べると大きすぎる眼。その深く黒い瞳の少女が、領主デルフォント子爵の、書斎の前で静かに控えている。
「入りなさい」リーナスが応えを受けて書斎に入ると、そこにはもう一人少女がいた。数少ない、彼女の友人でもある。
 トーラ・エリン。十一歳。元貴族の女官見習い。肩のあたりで揃えられたクルクル巻き毛の金髪。切れ長の大きな眼と強い意志を示すように輝く瞳は青い。背丈は、リーナスより頭ひとつ分高い。
「二人とも知ってはいるだろう。詳細までは知らぬだろうが」子爵が話し始めた。「公子は病床にいる」
 二人は軽く頷いた。(城中、その噂でもちきりだ)
「公子の病気は空気感染の熱病だった」(過去形? 治ったのかな)
「医師の話では、今のところ症状は安定している。しかし合併症の恐れがあり予断は許されないとのことだ」
「城の一区画を改造して、そこに彼を隔離してある」
「常駐での看護が必須なだが、リスクが高過ぎて看護士を中に入れられない」
「医師は出来る治療は全て済んだ。と言っている」
「病気については、約八十パーセントの確立で治っているらしい。
 しかしそれは、その医師が調合した薬が効いていた場合の話だ。効いていなければ十パーセントにも満たないと言っていた」
 二人の少女は同時に思った(私に何か出来る事があるのだろうか)と。
「二人に願いがある。強制は出来ないので断って貰っても構わない。それならそれで諦めもつく」
 二人は、子爵の願いが何なのか分った気がした。
「あの隔離室に入って、完治するまで看病して貰えないだろうか」
(やっぱりね)
 リーナスは、まだ見たことのない公子を思った。
(赤っぽい髪に、緑の瞳だと棟梁が言っていた。どうせ もう帰るところはないのだ。未来の王子様のために死ねるなら、それも良いかかも知れない)
 トーラも公子の顔を知らない。
(私には、もう何処にも行くところがない。ならば誰かを救うために、ここで死ぬのも良いかな)
「私は良いですよ。隔離室に入ります」リーナスは軽く会釈し、微笑を浮かべて答えた。
 トーラは、真剣な顔で答えた。「私も入ります」
 子爵は涙を流しながら、二人の手をとった。
「本当にありがとう。心から感謝する。
 三人で、無事に隔離室を出られたならば、必ず、必ず相応の礼をさせて頂く」(おおげさな態度だな。まぁ、自分の子供の命がかかっているのだから当然かな)
 すぐに医者が呼ばれて、隔離室への入室準備が始まった。
 必要と思われる様々な事を教えられ、質問と回答が飛びかった。
 リーナスが猫を一緒に持ち込みたいと言うと、医者が拒否した。
「その猫は入れられないよ」
「人工物なのですが」
「中で別のを作れば良い」
 二人は、予防にと注射を三本も射たれ、「あ。これも」四本になった。
 リーナスは他にも持ち込みたい物が多くがあった。それは何とか了解を得たようだ。
 髪を刈られ、体中を内も外も洗浄された。真新しい、滅菌済みの下着と、ダランとした白いワンピースを着せられた。

 ふと気が付くと、二人はもう隔離室の中にいた。
「即死じゃなかったね」トーラが溜息ついて呟いた。
「あの病気は、潜伏期間が半年から一年だと言ってたでしょ。少なくとも一年間は出られないわ」「大事を取って、一年半ってところね」リーナスが返事をした。
 まさか返事があるとは思わなかったトーラは、リーナスのいる方を向いた。
 電話が鳴った。
「はい」トーラが出た。
「そこには、二年間入っていて貰うよ」医師長だった。
「盗聴してたの!」声が荒い。
「何の事かな。そこにはカメラも録音機もないよ。プライベートルームだからね」
「電話は、♯9で私に直通だから。何か用があるるなら必ず私を通すように」
「そこに入れるには、必ず殺菌が必要だからね。公子だけでなく、君達も無菌状態なのだから、とても危ないんだ」
「わかりました」不機嫌な顔をしたまま、トーラが受話器を置いた。
「わぁ、広いバスルーム。小さなプールみたい」
「トイレは別なんだ。ここも広い」
「調理場も広いや」リーナスが、室内あちこちを荒らし回っている。
「皆、三人で入れるようになってるのよ」呆れt顔でトーラが解説した。
「あ、ベッドルームだ」(聞いてない)
「あ。居た」「……」リーナスの声が急に止んだ。
 トーラもベッドルームに向かった。
 リーナスがベッドの脇で口を塞いで立ち尽くしていた。
 トーラは(ベッドも三人用なんだ。これだと大人が五人は寝れそうね)などと思いながら目線を動かして……、見た。
 悲鳴をあげそうになった。(これが公子?)
 リーナスは涙を浮かべて、それでもじっと見つめていた。
 そこには、真っ白な、小さな男の子が横たわっていた。(十歳か。小さいな)
 髪も、眉も、唇も、全身の皮膚さえも、体中全ての色素が抜け落ちたような白さ。
 トーラがそっと瞼を開いてみると、瞳が赤い。(でも胸が動いている。呼吸はしている。……生きてはいるんだ)
「瞳が赤いってことは色素欠乏だね。これって薬のせいなのかな」リーナスが、さっきとは打って変わったように冷静に分析した。

「とにかく準備をしましょう」(そう、実際の看護は明日からだ)
「水も、食事も口移しだったよね」(内臓の働きを保つため)
「座らせてするのだったね」(食道にちゃんと通らないと窒息するから)
 リーナスが、公子の身体を起こそうとした。
「……重い」
「力の抜けた人間は、凄く重いって本当なんだね」
「頸に注意してね」(頭が重いので、骨が折れたり神経が切れたりする)
 二人の看護士の仕事(のような事)が始まった。
「食後には、体を動かすようにって言ってたね」
「これがストレッチ用の器械ね」
「先に身体と頸を固定して。手足は、その後。だったね」
「だめよ。頸より身体を先に固定しないとだめよ。首が絞まっちゃう」

 一日目が終わった。
 トーラは眠ってしまった。
 リーナスは自分の荷物を解いてなにやら弄っている。。
(まずは、猫を組立てなきゃね)
 黒猫だった。
 組立てて。起動確認して。すぐベッドに戻った。

 二人は次の日から大忙しだ。
 一人は必ず公子の傍にいなくてはならない。公子を移動させるときは、必ず二人がかりになる。心身ともに全く余裕が無い。
 最初の内はマニュアル通りにやっていた。が、すぐに面倒になって来た。
「この部屋、暑くない」と言いながらワンピースを脱いだ。
 室内管理温度は、摂氏二十五から二十七度。快適な室温じゃないだろうか。
 公子は暫く前から素裸だ。脱がせたり、着せたりが面倒になったのだ。
 やがて、二人も下着を着けるのを止めてしまった。理由は同じだ。
「どうせ誰も見ていないんだし、いいや」
 寝るのも、三人ゴチャドチャだ。公子の横だったり、足元だったり。午後九時に眠って、朝起きた時、寝た時と同じ場所にいた事がない。
 公子は丸坊主だ。まぁ、当然と言えば当然の処置だ。

 黒猫の使命は『護衛と補助』。
 黒猫は二人より遥かに常識を弁えていた。この部屋にいる三人が服を着ていない事が変だという事を知っていた。同時に、それが仕方のない事だという事も分っていた。
 二人が眠った後、毎日、徹底的に、部屋中の掃除をした。滑ったり転んだりするのは、もっての外だ。まず第一に、この二人が無事でいなければ何も始まらない。
 二人は そういう些細な事に関して、全く無頓着だった。いや、あまりに忙しくて無頓着になってしまったのかも知れない。
 黒猫はリーナスの端末の操作法を知っている。
 黒猫は考えた。
 護衛。ここにいる限りでは問題ないが、外に出たらどうするのか。補助についても、この場所では何とか出来ているが、外で同じように出来るのか。
 黒猫は外の事を知る必要性を早くから知り、対策を検討していた。
 外に仲間を造らなければいけない。
 二人が就寝した後、黒猫は外で自分の代わりに動く仲間を造れる施設を探した。
 条件は、絶対に、誰にも、知られる事がない場所。この条件は難しいが必須でもある。
 世界中をそれこそ隈なく探し回って、そして遂に見つけた。
 そこがどんなところだろうと、条件さえクリアしていれば構わなかった。
 そこの人工脳を支配し、同じ毛色(黒色)の仲間を造った。銀・赤・橙・緑・青・紫の瞳色を持つ仲間だ。AIには黒猫のデータをフルコピーした。
 そして、活動を開始して貰った。
 目的はひとつ。三人のために世界を、その現実を把握すること。
 それは、猫達がこの世界の在りようが、決して正しものではない事を既に知っていた証といえる。(この時、探索範囲を広げるため、それぞれの猫が始めて少数の『灰色』を造った)

 黒猫は二人が怪我をする可能性を吟味し、事前に排除するのが習慣になっていた。
(こちらも習慣になって来たリーナスの端末を使用した読書や動画の鑑賞も、すべて情報収集の一環だろう)
 黒猫は常識ではなく、二人の健康上での問題に気付いていた。
 下着を着けさせないといけない。
 トーラはリーナスより胸が大きい。乳首が時々物に当たって不快そうな顔をしている。
 猫は端末を検索して『パッチ』を探し当てた。しかし接着剤を使用する このタイプは汚染されるので使えない。しかも雑な作りだ。仕方なく猫は自作することにした。
 素材を吟味し、丁寧に作成して、二人が寝ている内にそっと装着した。
 黒猫は、全く気付かない二人に対し、少し複雑な気分がした。(良いのかこれで)
 下半身の方はどうしよう。こちらは気付かれずに装着するのは不可能だ。何とか説得して着けて貰うしかない。
「排泄器をガードするものを装着すべきだと思います」黒猫がリーナスに提案した。
「ダメよ。鬱陶しいし、脱着が面倒だわ」
「不健康です。水に濡れても支障のない物にしますから、一日に十度も脱着する訳ではありません。我慢して着用してください」
 黒猫が自分達の事を心配して言っているのが判るので、了承せざるを得なかった。
「仕方ないなぁ」
 それは水着のような物になった。
 撥水性能が高く、伸縮性が良く、肌触りの柔らかい細い繊維(これも手作り)で全体を作り、局部のみ材料を厚くして肌に密着する。
 太腿の上部と腰の部分で固定するようになっている。脱着も凄く容易な構造に作ってある。
 しかしこれは、ピタリと合わないと使えない。だから はっきり使い分けるため色分けした。相談してリーナスは淡いピンク、トーラは淡い水色に決まった。
 更に問題が出た。トーラが「胸が揺れるのが鬱陶しい」と言い出したのだ。
 下半身用に使用した繊維を使って、頸の付け根から肩の部分を固定部にして背中から乳房を支えるようにした、肺を圧迫しないように留意してある。乳首のパッチはそのままだ。当然、脱着も考慮されている。
 リーナスも欲しがったので作成した。これも色分けした。が(しなくても間違うことはないのに)と黒猫は思った。
 これ等は、伸縮性はあるもののミリメートル単位の微調整が必要な仕組みになっている。サイズが少しでも変わり、合わなくれば着用時に不快感を与えてしまう。常時使って貰うためには、毎日の計測が必須条件になった。
 更に忙しくなった黒猫は、リーナスに訴えた。
「仲間を造ってください」
「このままでは支障が出ます」
「うん。判った。すぐ造る」
 白色と淡い黄色の毛色をした仲間が出来た。もう、用意はしてあったようだ。
「記憶は、黒のをコピーしてね」
「でも、この二匹は、もう少しの間 夜だけの活動にしてほしいの」
「三人が揃うまで。ね」
 白と黄色の猫も、黒猫に習って仲間を造った。
 そして、新たな毛色の金瞳を外に造る事になった。青・橙・赤の毛色をしたそれらの仲間も、同様に瞳色の違う仲間を造り、大きく活動範囲を広げた。ただし、黒・白・黄三色の銀瞳はデルフォント城に残り、金瞳のサポートにまわって貰う事になった。(それぞれが『灰色』を大量に造った。その総数は六万匹を超えた)