複雑・ファジー小説

デルフォント物語 ( No.4 )
日時: 2015/07/22 12:53
名前: うたり ◆Nb5DghVN/c (ID: bGZR8Eh0)

 AR(破滅暦)2152年
 九の月十三日
 昨日、転居工事が終了したばかりの子城。
 ガーディアンの収納ブロックと居住ブロッを持って来て、主城の南西にあるブロン山側面に積み上げたただけの施設だった。(実際はそんなに簡単なモノではなかったのだが、まだ何も知らない三人だった)
 それでも新婚夫婦(三人)の新居だ。
「ああ、やっと帰ってきたぁ」三人は扉を閉めると、服を脱ぎ捨てベッドルームに跳び込んだ。
 ベッドに転がって、以前にはなかったものを見つめる。各人の部屋の扉だ。
 三人には、あの快適な居住環境を変えるつもりなど毛頭なかった。それぞれの個室を追加しただけの、ここは まさしくあの場所だ。
--------
 九の月三日
 あの後が大変だった。
 猫が指摘したように服が無かった。正確には、合う服がなかった。十代の子供なのだ、二年経って同じサイズの筈がない。

 隔離室の扉を開けるべく駆け付けた関係者を扉の前で立止まらせたのは、三匹の猫だった。成獣ではないが、子猫でもない大きさ。
 それぞれが、黒・白・黄、単色の体毛を持ち、揃って 濃青色の縁取りのある銀色の瞳をしている。
 白猫がゆらりと立ち上がり、まるで重さを感じさせない動作で子爵に跳びかかかって、持っていた隔離室の鍵を取り上げて黒猫に投げた。これも優雅な動きで立ち上がった黒猫は、それを手品の様に隠してしまった。
「今はまだ開けられないわ」寝転んだまま黄猫が言った。「着る服が無いの」
「サイズは私達が知ってますので、生地のサンプルと裁縫士を呼んで下さいな」と白猫が人間達に要求した。
「急いで下さい」黒猫が、呆然と立っている人間達を叱咤した。
「あ……、はい」猫の声に、女官長が突然夢から覚まされたように ふらりと動き出し、この場を去った。
 他の人間達は、まだ呆然と猫達を見つめていた。
 一匹だけ寝そべっていた黄色い猫が、ゆっくりと起き上がった。
 通路の窓から差し込む光の中に三匹の猫がいる。
 黒猫は まさしく漆黒なのに、光の加減でか黒色の中に濃紫色の縞模様が浮き出して見える。
 白猫は純白で、眩しい光に照らされて、何の色も混ざっていない筈の白色の中に淡い銀色の縞模様が浮き出して見えている。
 淡い黄色の猫は、その黄色の中に 更に色の薄い黄色の縞模様が光を反射して まるで金色に耀いているようだ。
 その浮き上がった縞模様は、現存する猫科最強の種である虎の模様に酷似していた。
 不機嫌そうに尻尾を振って人間共を見上げている その銀色の瞳には深い知性さえをも感じさせる。
 姿や動きは間違いなく猫なのに、人声が混ざると優雅な貴婦人の姿を彷彿とさせる。
 誰もが目を離せず、動き出せないでいた。
「あなた方は、何をしているのですか」黒猫に叱られて、関係者達は やっと現実に戻る事が出来た。
「待ってても、何も出来ないのですから執務に戻りなさいな」白猫は不機嫌そうだ。
「は、はい」代表で医師長が答え。やっと動き出した人間達に、黄色の猫が それでも優しげに声をかけた。
「用意が出来たら ちゃんと連絡しますから。そうねぇ、一週間ほど待っててくださいな」
 皆が去って暫くすると、女官長が生地屋の商人と裁縫士を連れて来た。
 生地のサンプルを触りながら猫達が不満そうに言った。
「これじゃ、ダメね」
「そうね、触り心地が悪いわ」
「それに重いわね」
 猫達の意見に困惑している生地商を助けるためか、裁縫士が提案した。
「試しにそれで作って、本人達に確認してみたら如何ですか」
 白猫がクスリと笑って「無駄だと思うけど、試してみる?」
 ダメだった。
「ザラザラする」「動き難い」「重い」だった。猫達の方が正しいようだ。
 肌着を作るのに、四日かかった。
 それに比べ上着は、たった二日で出来た。肌着を作っている内に、要求される傾向が身に付いたのだろう。
 予定より一日早く、三人は部屋から出て来た。

 九の月九日
 子爵、秘書官、執事長、女官長と医師長が扉の前で待っていた。
 三人は、特に順番を決めてはいなかった。三匹の猫に続いて、リーナス、エミール、トーラの順に出て来た。
 六匹の猫は、まず毛色毎に混ざって、金・銀の瞳色順に並び直した。
 三人は、特に何もしていない。ただ普通に歩いて来た。服装は、素材は別として、外見はシンプルな、むしろ地味にさえ見えた。髪などバサバサで、襟足が見えそうだ。公子にも、少女達にとっても短すぎる。
 彼等が顔を上げ、待ち人を見上げた時。
 子爵と秘書官は、思わず一歩足を退いて硬直した。女官長は一歩退き、口に手を当て眼を見開いた。医師長は、驚いた顔で二、三歩退き尻餅をついた。
 執事長だけが、半歩下がった位置から三人を見つめ、おもむろに片膝をつき頭(こうべ)を垂れた。
「お帰りなさいませ」
 執事長。二〇九五年生まれの五十七歳、前代の子爵から仕えている。八歳で城に入り、執事見習いとなり、十七歳で執事になった。それから四十年。子爵の共をして大勢の人を、その人柄を見て来た。
 先代の執事長から「人を見分けるのが執事の仕事」の教えのままに、今まで精進し続けた。人を見る眼に関しては誰にも負けないとの自負がある。
 その彼が無条件で頭を垂れたのだ。主人に対しての『礼』を執ったのだ。
 秘書官は、執事長の声で我に返って大きく深呼吸した。二一二〇年生まれの三十二歳、庶民出身の英才だ。独学で大学に入り、主席で卒業した。能力的には誰にも負けない自信があったが、首都の官僚には なれなかった。
 自分より遥かに能力も成績も劣る貴族の子弟が、その地位に就くのを歯噛みして見ているしかなかった。
 だからこそ、彼には その人物の真価を判別できる。その者の品性と本質が どの程度のモノかの見極めが出来る。傲慢で、無責任で、貴族の地位にあるだけの能無しなのか、それとも違うのかを。
 エミールとトーラについては、教師をしていた時期があるので ある程度判っている積もりだった。所構わず、時間を気にせず、質問を浴びせかけられるのには閉口したが、その事に対しては(後で謝罪してきた)好印象しか残っていない。
 そして、その彼が目の前の子供達に対し、つい一歩退いてしまったのだ。
 眼前にいるのは本物の貴族だった。何気ない振る舞いに気品があり、その強い光を放つ瞳には深い知性が感じ取れる。
 彼がつい身を退いたのは、飾らないままの威厳と品格、その輝きに負けたのだ。あまりの圧迫感に息も出来なかった。
 彼にはその敗北感が、とても心地良かった。その敗北感を喜んで受け入れている自分自身を、確かに認めたのだ。
 女官長は、子爵と同じ二一一二年生まれだ。女官見習い、女官を経て、女官長になって十年。今まで誰に対しても同様に接してきた。たとえ子爵だろうと、客人だろうと、公子であろうと、その婚約者だろうともだ。
 でも、この子供達には出来なかった。この圧迫感は何? 訳が判らない。これはどういう事で、あの三人に一体何があったというのだろう。
 医師が尻餅を着いたのは驚いたからではない。あまりに強い眼の耀きに圧倒され、怖ろしくて腰が抜けたのだ。
 子爵も、執事長の言葉で我に返った。二十歳で父の爵位を継いで二十年。彼には、この子爵という地位が少しも嬉しいものではなかった。
 彼がこの秘書官を迎えたのは、その学識の故である。彼が貴族に対し憎悪にも似た嫌悪感を持っている事は知っている。本人は隠している積もりでも、こうした感情は ふとした態度に出るものだ。
 彼が今の地位に甘んじているのは、単に私の研究に興味があるからに相違あるまい。
 その彼が退いた。考えられない事だ。それに、あんなに嬉しそううな顔をした彼を、私は初めて見た。
 執事長のあの態度は何だ。まるで主人を迎える臣下の礼ではないか。しかし判らなくもない。私もこの重圧感に、つい膝を折りたくなったのだから。
 トーラ。彼女の父ノイエクラン伯爵は大学時代の同期生であり、趣味(考古学)の仲間だった。彼の城を訪問したのは、大学の休講期間中に幾度かあった。爵位を継いでからは二度しか行っていない。
 中央大陸の西側にある、ノイエクラン島。かつては その全島を領地としていたと聞いた。彼の城の地下には宝物庫があった。一度だけ見せて貰ったが、凄い量の遺物だった。
 たくさんの書物と使い道の判らない製品群(明らかに人工の物)。
「これ等は、保管されている状態なんだ」
「保管とは」
「すぐ使える状態。ということさ」
「これが使えるのか」
「かつてはね」
 ケースに入っている製品群は、そこから出せれば、本当に直にでも使えそうだった。
 それらは、今この城にある。「預かっていてくれ」という伝書と共に送られて来たのは、彼の領地が中央府の軍隊に蹂躙される ほぼ一ヶ月前だった。
 その知らせを聞いて駆け付けた時に目にしたのは、壊された城跡に立ちつくすトーラと幾人かの領民だった。
 トーラを女官見習いにしたのは、彼女の希望によるものだ。客人扱いにしようと言ったら「この城で働かせてください」との返事だった。彼女は、あの『宝物庫』のことを、知っているのだろうか。
 リーナス、君の持ってきた『結納品』の中に、ノイエクラン伯爵の宝物庫にあった、今は『飛空母艦』の中にある製品と同じ物があった。君には、それが使えるのだね。
 エミール?。……この、白い髪をした少年が、エミールなのか。