複雑・ファジー小説
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.1 )
- 日時: 2015/07/30 20:58
- 名前: Satsuki (ID: 3i70snR8)
『
イデア(英:IDEA)とは、人類が手に入れた超能力の一つである。
20AA年に"カミサマ"という存在から啓示を受け、賜ったものだとされている。啓示を受けた者の詳細は明らかになっていない。
この"カミサマ"が一般の宗教的な存在としての"神"と同義であるかは定かではない。一神教の地域では様々な他称がつけられている模様。
今日に至るまで人類はイデアを用いた研究を盛んに行ってきている。
代表的なものでは——
「チッ」
イデアの習得方法は——
イデアによって得られる恩恵とは——
イデアによって人類はどう変わったか——
——など、まだまだ謎は多く、解明には長い期間が必要である。
しかし、人類の発展に関し、このイデアという存在が新しい線路を生み出したのは確かである。
現在、人類が直面している様々な問題に対する解決策としても、超能力という存在が未知の可能性を秘めていることは想像に難くない。
こういった意味でも、イデアの解明は各国が総力を決して研究に取り組むべき案件である——』
「結局全部テンプレ乙、かよ」
男は言葉を吐き捨てた。
右手に握った球体を荒く叩くと、男の前にあったパソコンの白い画面が青く染まる。
《アカウント[江藤遼火]をログアウトしますか?》というポップアップを見ないで前におかれたキーボードのEnterキーを連打すると、青い画面は真っ黒に塗り潰された。
窓から差し込む淡い光に薄く反射した自分の顔を見ながら、はぁ、と男——江藤遼火はため息をついた。
「情報が少なすぎるな。取っ掛かりすら見つからないのはやっぱり辛いか……?」
呟いて、遼火はキーボードの傍らに置いてあったコップを取り上げて口に付け、たところでその中身が空になっていることに気づき、また小さく舌打ちをした。
コップを持ったまま椅子から立ち上がり、部屋を——遼火一人にしてはやや広い部屋を歩き、着いた場所は冷蔵庫の前。
扉を開けて、ドアポケットからガラスボトルを持ち上げ、冷やし貯めしていた麦茶をコップに注ぐ。小さく音が零れた。
中身ができたコップに再び口を近づけ、付け、傾け、一息にそれを飲み干した。カタン、と音を立ててコップを置き、遼火はもう一度ため息をついた。
突然、ジリリリン!と古臭い電話のベルが部屋に鳴り響いた。
静かな部屋に一気に満たされる大音量に、しかし遼火は驚くこともなく電話機を一瞥すると、二度目のベルが鳴る前に受話器を手に取った。
「はい江藤です」
江藤遼火はごく普通の学生である。
何か任務を負っているわけでもない、極秘の研究をしているわけでもない。
先ほど調べていた『イデア』のことも、ただ学校の論文のネタとして使えないかと考えてのものだ。
しかし、ごく普通の学生と表現するには、明らかに、かつ異常に、冷めた目が彼にあった。
「……あーすみません、江藤探偵事務所は閉業しておりまして」
江藤遼火は、探偵だった。
否、正確には違う。遼火の父が探偵だった。このやけに広い部屋も、その名残。
人手不足と言って、遼火はよく父の探偵行の補佐として学業の合間に駆り出されていた。
「届けは出したはずなんですけどね。こちらでももう一度確認してみます。すみません」
常人が普通に過ごしていれば決して出会うことのないような闇を、覗いてきた。
常人から『その道』に堕ちてしまった人の末路を、幾度となく目撃し、時には対峙してきた。
人の闇を追い、覗き、暴くことを繰り返してきた遼火の心もまた、いつしか闇に包まれていた。
その経過か、あるいは賜物というべきか。
いつしか遼火には、物事を黒い視点からをも見て、その真理を有限大に推測する能力が芽生えていた。
人は遼火のその能力を『鋭い観察眼』と言って褒め称えた。
そんなものは遼火は全く必要なかったが。
「いえ、こちらの手違いでもあるかもしれないので。お手数おかけしました、失礼します」
言葉だけは丁寧に締め、遼火は受話器を置いた。再び部屋に静寂が戻ってきた。
今は父は探偵から警察官にジョブチェンジをし、そこでいい女性と知り合って、別の住居を手に入れた。それに伴って、一時的に名義を預かることとなった。
特に異論はなかった。一人でいればお金にも学業にも困るわけでもない、そして一時的にだが広い住居が確保できたのは大きい。
しかし何故か、ひとつ残された電話機からは未だに探偵行の依頼の電話がかかってくるのだ。
この応対も、そろそろ何十度になるだろうか。遼火自身ケータイを持っている身なので、この電話回線そろそろ解約しようかと遼火は考えている。
江藤遼火は、探偵になる気は全くなかった。
かつての父の業績がいくら名高いもので、それに時々とはいえ遼火自身も貢献していたとはいえ、遼火は江藤探偵事務所の看板を受け継ぐ気は全くなかった。
探偵だから得られたものより、探偵のおかげで失ったものの価値に気づいてしまった。
今更取り戻すことはできないだろう。それでも遼火は、せめて限りなく普通に生きていたかった。
「おっと」
再び冷蔵庫を空けて、手を伸ばした先を見て遼火はひとつ声を上げた。
遼火のお気に入りで、逐一買い溜めしていたチョコレートを切らしていた。
このタイミングでか、と遼火は苦笑いを浮かべた。完全に遼火の失態である。
そういえば今月はまだ一回も行ってなかったな、となれば食材の備蓄もそろそろ危ういはずだ。
「買出し行くか」
苦い気分で行くのは気が進まないが、苦い気分のままで過ごすくらいなら軽く運動でもしようじゃないか。
遼火はパソコンデスクから財布を取ると、箪笥横にかかっていた無難な黒いジャケットを羽織り、羽模様のチェーンネックレスを首にかけた。
玄関先まで歩き、そこで黒いスニーカーを履く。少々地味すぎる組み合わせだが、別に女友達と遊ぶわけでもなければ十分適当な服装。
玄関のドアを開ける。隙間から見えた天候は曇り。
雨の匂いを感じ、遼火は黒い傘を手にとって、外に出た。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.2 )
- 日時: 2015/08/04 19:25
- 名前: 戦崎トーシ ◆TYZSwCpPv. (ID: 9IfQbwg0)
下を見れば灰色のコンクリート。右を見れば3羽のカラスがゴミを漁っていて、左を見れば寂れた理髪店の窓ガラスに黒塗りの自分が映っている。恐ろしい程、世界は単調なモノクロだった。
——あれ以外はな。
遼火は薄墨色の空を仰ぐ。
部活帰りだろうか。スポーツバッグを肩に掛け、真っ赤なジャージに身を包んだ少年が『空を飛んでいる』。飛行用の装備などは一切ない。道端ですれ違ってもおかしくない様な装いのまま、平然と『空を飛んでいる』のだ。
しかし遼火の表情は変わらない。彼は、上空を飛行する少年を眺めながら、ほんの数十分前に読んだ文章を思い出していた。
——『イデア(英:IDEA)とは、人類が手に入れた超能力の一つである』
過去、人間が生身で空を自由自在に飛ぶことはできなかった。ただ、空を飛びたい、と願うことしかできなかった。人間は理想だけを持っていた。
だが、ある日を境に理想は現実のものとなる。
3年前、人類は『イデア』を獲得した。
人々は最初は戸惑ったが、同時に直感した。どうやら『イデア』というものは、理想を具現化するものらしい、と。
空を飛びたい、と願っていた者は「飛行」のイデアで空を飛べるようになり、速く走れるようになりたい、と望んでいた者は「疾走」のイデアで人知を超えるほどの俊足を手に入れた。
このまま時が進めば、スターやアイドルといったものは消え、オリンピックも肉体や技術だけを競い合うものではなくなるだろう。一定の年齢に達すれば、誰でも理想の姿になれるのだから、当然だ。
法の改正、常識の変容、セオリーの崩壊。時代は今、さながら舞台転換の最中にあるのだ。
とはいっても、遼火にとっては論文のネタの1つに過ぎないのだが。
飛行少年に対する興味も失せたのか、遼火は再び歩き始めた。
目指すのは1年前に創業開始した最寄のデパート「グランマガザン・神北」。グランマガザンとは、フランス語で百貨店の意味を持つらしい。
しかし、専ら近隣住民からは「こーほく」と地名をとっただけの通称で親しまれている。
白を基調とした、近未来的なデザインの建物が見えた。
次の瞬間には、丸い水滴が遼火の鼻の頭を叩いた。続いて幾つかの水滴が、ディムグレーの頭を叩いた。
雨だ。灰色の地面に、ぽつり、ぽつりと斑点模様が描かれていく。
傘は差さず、歩調だけを速める。
「うわっ最悪。今日、傘持ってないのに」
「雨宿りしていく?」
「そーだね」
2人組の女子高生が、鬱陶しげに空を見上げていた。
道行く人々も、突然の雨に文句を言ったりしながら、みるみる内に「こーほく」の中へ吸い込まれていく。
遼火が建物から突き出した屋根の下へ入ったのと同時に、雨脚は一層強くなった。厚い雲の隙間から、白い麻糸が零れている——そう形容されそうな雨だ。
ジャケットについた雫を適当に払い落とす。自動ドアの向こうからは、黄色のような白のような光が漏れていた。
「結構、人居るんだな」
エントランスを埋める人の数を見て、思わず呟いた。休日の午後ほどではないものの、平日の午後にしては多い方だろう。それほど繁盛している、ということだろうか。
モスグリーンのエプロンの店員が、せっせと傘袋を用意していた。「いらっしゃいませ」と優しげな笑顔で声を掛けてきたので、軽い会釈で返す。
よく磨かれたフロアには、行き交う老若男女が足元から映りこんでいた。
「……さっさと買い物済ませるか」
この雨だ、これからもっと人は増えるだろう。それを見越して、遼火は迷わず食料品売り場へ向かう。混んで買い物ができなくなったり、レジで長い間待たされるのは嫌だからだ。
白いタイルの上を早足で闊歩する。すると、遼火の目の前を、派手な炎髪を持った少年が横切っていった。その奇異な外見に、思わず目で姿を追う。
「あっ」
注意が逸れていた為か、誰かとぶつかった。下を見れば、モノクロのギンガムチェックのワンピースを着た女と、ぶつかった衝撃で落としたらしいノートとボールペン。「すみません」とそれらを拾って渡すと「ありがとうございます」と声が返ってきた。
テンプレートのようなやり取りだな、と、再びPCの白い画面を思い浮かべる。
『イデア』。
まだまだ謎は多いが、3年も経てばそれも常識化してくる。当時は混乱も多かったが、今では殆どが「あるのが普通だ」と認識しているだろう。
政治家や学者はともかく、デパートに居るような一般人の大半は、『イデア』の起こりも、その原理も気にしてはいない。
——ッ!?
黒。瞬時にそれが脳内を塗り潰した。曇天の、星1つない深い闇のように。
この感覚を遼火は知っている。暫く遠ざかっていた、これは——ここにあるべきではない、醜い悪意。
立ち止まり辺りを見回したが、怪しげな人物は見られない。もうすでに人混みに紛れてしまったか。彼の鋭い舌打ちも、そいつに聞こえたかどうかは定かではない。
気のせいだといいんだが、と心の中で思う。
面倒なこと、ましてや、人の道に外れたことさえ起きなければいい。一瞬蘇りそうになった過去の記憶に蓋をし、また歩を進め始めた、
その時。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.3 )
- 日時: 2015/08/06 18:48
- 名前: 空凡 ◆qBiuWfql4I (ID: 4RNL2PA4)
多方向から何かが閉まる音がして、館内を照らしていた光が消えた。
それを受けて、周りにいた人は悲鳴を上げた。
すでに日は沈みかけている時間帯、照明を失えば屋根をもつその建物の中は少し歩けば転んでしまいそうなほど暗くなるのであった。
突然の事態に慌てた客たちは声と近くのものだけ見える視界を頼りに状況を把握しようとしている。
「なんだ停電か!?」
「おかぁーさーん、どこー!」
「ちょっとどうなってんのよ!」
怒声、鳴き声、そんな声が入り混じっては混沌へと飲まれていく。
そして多くの人たちは少しでも明かりをとスマートフォン片手に入口へと少しずつだが移動しようとしている。
そんな中、遼火は先ほどの醜い悪意を感じたこととこの状況は無関係といえるのか、考えていた。
だが、いくら考えたとしても彼にできることは限られている。とにかく今は外へ出なければ、そう思い遼火もまた周りの動きに合わせようとして、一つの疑問が浮かび上がった。
「(暗すぎないか……?)」
いくら天気が悪く外の日の光が弱かったとしても、入口周辺は館内内部よりかはよほど明るいだろう。
遼火が歩いてきた方向を振り返れば、薄暗くとも入口が見えていてもよいはずなのだ。しかし、どこを向いたとしても暗さは一定で、あるはずなのだ。
嫌な予感がする、と思った時、その疑問を解消する最悪な答えが聞こえてきた。
「全員動くな!」
店の予備電源が働いたのか、少ないながら照明が付いた時、
遼火たちは銃を持った男たちに囲まれていて、入口があったと思われた場所には屈強なシャッターが立っていた。
人数だけで言えば、銃を持った一団の方が圧倒的に少ない。
だからどうだ、そんな人数差を覆して客たちを封殺てぎるほど獲物の差が大きかった。もし皆が勇気を出してテロリストたちに向かっていけば、犠牲を出しつつもテロリストたちを捕まえることはできたのだろう。
だができない、いくら数の差があろうが、犠牲が出ることを考えてしまうとそれが自分になるのではないかと考えて、足がすくんでしまうのだ。
それは恥ずることではない、それが種として、人間としての本能であり、限界なのだ。
「いいかお前ら!少しでも変な動きしたら命はないと思え!」
十数分後、遼火たちはデパートの中央部、普段ならばピエロでも来ているショーステージを中心に集められ座らされていた。
その際に皆携帯を没収されていて、無いと誤魔化そうものならば全身をくまなくチェックされ、それで見つかったのならば見せしめのようにテロリストたちは暴行を加えた。
そして持ち物検査を受けると、皆両手をプラスチックの結束バンドを使って前に縛られてしまった。
この手の拘束は確か思いっきり腹に打ち付ける形をとればバンドが負荷に耐え切れず、簡単に敗れると知っていた遼火は、周りで銃を構えているテロリストたちも観察していた。
「(それにしても……何が目的だこいつら)」
金品をせしめようともせず、政治的メッセージを持っているようにも見えない。宗教的色も見せないテロリストたちの目的は昔その身を探偵家業の中に置いていた遼火であっても分からない。
その考えを進めながら、自分の周り座っている人たちの顔を見る。その殆どは顔を青ざめて、これからどうすればいいのだといった表情を浮かべている。
その中で唯一、顔色一つ乱れないでどこか一点を見つめている女性が気になった。余りにも遼火の視線が露骨だったのかただの偶然なのか、女性はゆっくりと遼火の方へと顔を向けた。
遼火はその顔に、既視感を覚えた。それが先ほどぶつかってノートとボールペンを拾った女性であることに気が付くのもほぼ同時であった。
そして、小声で話しかけてきた。
「どうかしたかな?」
「……随分と落ち着いていると思ったんでな」
「そうかな、結構私も慌ててるんだけどな」
そう見えないから見ていたんだが、と遼火はこぼしそうになって飲み込んだ。そして周りのテロリストたちがこちらの会話を気にしていないか確認する。
だが、そのように少し顔をそらしたことの意味を気にも留めずに女性は話しをつづけた。
「私は郷烏 柚子(さとう ゆうこ)、貴方は?」
「……江藤遼火だ、というかもう少し声を小さくしたほうがいい」
そう宥めるように話してひとまず女性、柚子の口を止めた。その時、少しだけ声が大きくなってしまったことに気が付き遼火は再びテロリストを見た。しかし、テロリストは全くこちらを気にしていない。先ほどから話声に気が付くとすぐさま銃を構えるほどだったというのに、と遼火は疑問を持った。
柚子は首を少し傾けた後、遼火の行動の意味に気が付いたのか少し口元を緩めてまた口を開いた。
「監視なら大丈夫だと思う、この程度なら"日常"のはずだから」
そう自身を持って告げる柚子に、遼火はそれが虚構ではないことに気が付いた。試しに、声を少しだけ大きくしてもテロリストはこちらを気にしていない。
そして少し遠くにいた人に対して「喋るな!」とまた銃を向けていた。
明らかに、こちらの方が声が大きいにも関わらずだ。そのことを確認して再び柚子の方を向くと、優しい目をした柚子がこちらをみている。
遼火はこの事象に対し、3文字の回答を出した。
「——イデア、か」
「日常を非に、その逆もまたしかり。それが私のイデア……一変。私の近くのことだけなら誤魔化せると思うよ」
遼火はその柚子の言葉に、近くにいた人々の眼に希望が宿ったことを感じた。そうだ、イデアならばこの状況を打破できるかもしれない。柚子の近くにいる人たちはそう思って、近くに強力なイデア保持者がいないかどうか静かに探し始めていた。
そのことが少し離れていた白いワンピースの少女に伝わるまで、時間を要さなかった。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.4 )
- 日時: 2015/08/18 19:49
- 名前: Orfevre ◆ONTLfA/kg2 (ID: dUayo3W.)
こーほくにて突如発生したデパートジャック事件。イデアによって解決を試みようとする遼火と柚子は、白いワンピース姿の少女に声をかける。少女の名は橘観鈴。書店で買った本の袋を抱えている彼女は転移のイデアを持っていることを二人に明かす。
「これなら……」
「うん」
目があった遼火と柚子は同じ結論に達してうなずく。観鈴による脱出と、柚子によるそれの日常化。この二つを組み合わせることによって、全員を逃がしたうえで、警察に通報し、テロリストたちを袋のネズミにすることが出来る……。が、観鈴はこれを固辞する。この作戦において遼火と柚子には誤算があった。
「わたし以外を飛ばすのは1往復が限度です」
観鈴といえど、自ら以外を飛ばすことに体力を使う転移のイデアは無限に使うことはできない。イデアといえども、万能でも無限でもない。大きな力には相応の代償が求められるのだ。
「確かに、仮に警察に連絡したところで、機動隊が到着するまでには時間がかかるし」
「そもそも、いたずら扱いされて相手にしてもらえない可能性もありますね」
結果として、考えられた作戦は廃案となる。いかにすれば、犠牲者を出すことなく、テロリストたちを追い返すか……。
その答えを模索している間にも、時間は過ぎていく。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.5 )
- 日時: 2015/08/24 01:20
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: 6vRIMW/o)
ふと、上階、2階へのエスカレーターから複数の足音が聞こえて来た。それは上階に居た客や店員、彼らに銃を突きつけた何人かのテロリスト達であった。新たに捕まった客と店員は合わせて40人ほど。ざっと見、これで凡そ全体で300人ほどが捕まったことになる。これで今日この時間帯に居た店内の者たちの全てであろうか? さすがに遼火たちの集まっていたショーステージどころか、辺りも人で埋め尽くされてしまっている。
「これで全員か?」
「ええ、大体は。しかし、まだ全階調べ切れてません。何せこのデパート、広さもあれば人数も多いですし、隠れていたりされたら、俺たちだけじゃ探し切れません」
「ならもう一度探し直せ! 隅々まで! それに他のチームにも急がせろ!」
遼火は納得する。先ほどからもこの犯人たちの人数がやけに少ないと感じていたが、やはり上階にも分散していたのだ。今戻ってきた人数は3人。そして他チーム。それを踏まえると、最初に1階に居た人数を合わせて相手の人数は20か30だろうか? 多いと言えば多いが、この規模の建物と人間を制圧するには少々数に欠けるようにも思える。いや、少ない方が撤退の際のリスクも少なくて済むと考えるべきだろうか。兎に角、少人数でこの人数を制圧する為には一箇所に集中させる方が都合が良いのは間違いなく、そのつもりなのだろう。そしてその後奴らがこれをどうするのかはまだ分かりかねるし、こちらの方が人数こそ多いが、まさか自分が撃たれる可能性もあるのに無闇に逆らう者もやはり居ないのだろう。その上、数だけ居てもその意思を一つに纏めるのは数が多ければ多いほど難しい。この際不可能だと言っても差し支えはない。更には人の目を気にして動き辛くもなる。単純ながらも人間心理を見事に利用して反抗させないストレートな作戦だと遼火は考える。
尤も、それが普通の人間相手であるならば、ではあるが。遼火は知り合えた二人の仲間を一望する。
「どうせならこいつらにも手伝わせたらどうすか?」
「なるほどな」
犯人たちがこちらを向いて誰を連れて行くかを物色し始める。
「どうしよう。何かするみたいだね」
テロリストたちの様子からして、上階での客たちの捜索に1階に集めた者たち、特に男を選んで連れて行くようだ。
それを理解した遼火は何かピンときた様子で考えを巡らし、すぐに二人に耳打ちを始めた。
「橘さんって言ったよな? やっぱりそのイデアで抜け出して警察に連絡を取ってくれるか?」
「でも」
「俺に考えがある」
柚子は先ほど話したことで遼火に異を唱えようとするが、遼火はそれを遮り、遼火がすぐに行動に移すと何も言えなくなった。
遼火の見遣る視線の向こうでは、テロリストたちに見繕われた男性客、そして男性店員らが時には怯えながら抵抗の意思を見せ、テロリストたちはその者に対して再び暴力で従わせようとしていた。
「死にたいのかっ?」
「ひ、ひぃ!」
「よせよ」
「あん? なんだてめぇは? 黙ってろ!」
「暴力とか、止めろよ。……嫌がってる、じゃないか」
その場に立ち上がり、テロリストたちに数歩近づいて意見をする。周囲の客たちは驚きつつも、人によっては馬鹿なことをするといった表情で遼火に対して迷惑そうに目を逸らす。勇気のある若者、そのように見た者も中にはいたかも知れないが、この状況で下手に口を開き目立とうとする者は誰も居なかった。
しかし、そうして連れて行かれようとする男性店員を守る為に口出しをした遼火だが、まるでビクビクと怯えたような消極的な口振りで意見をするその様子に柚子と観鈴は少々の違和感を感じる。
「お、お前ら何が目的なんだ? そ、そうやって何でも殴って黙らせられると思ってるなら殴ればいい! 殴ってみろよ!」
「ハハハ。それじゃあ、お望みどおり……オラァ!」
「うぐっ……!?」
遼火は思い切り右頬を殴られ勢い良く後方に倒れこむ。口の中を大きく切ったようで口元からはダラリと血が流れた。倒れた遼火に柚子と観鈴が近寄り声をかける。
「生意気なガキめ」
テロリストの一人は唾を吐いて踵を返し、再び先ほどの男性店員を連れて行こうと乱暴な口振りで立てと命令をする。
「……ま、待て。それなら、俺が行く。どうせ誰でも良いんだろ? 俺が代わりに——」
「黙れっつってんだろぉ?」
尚も口を開いてくる遼火に腹を立て、そのテロリストの男は再び遼火に近づき続けて殴り掛かろうとする。
「早くしろ! 良い! そいつで良いから早く連れて来い!」
しかし、リーダーらしき男が部下である遼火を殴ったその男に命令すると、男は舌打ちをして「付いて来い」と遼火に吐き捨てた。
「遼火君!」
「大丈夫だ。言ったろ? 考えがあるって。それと」
「……え?」
遼火は観鈴の方へ振り返り、突然観鈴の体に顔を埋めるように彼女の体を抱き寄せた。
「?!」
観鈴は顔を赤くし狼狽える。横に居た柚子も何が起こったのかと目を丸くしている。
少しの間ギュギュリと遼火が顔を押し付けて顔を引き離すと、彼女の白のワンピースの凡そ肩の部分に先ほど流した口の血がいくらか染み込んだ。
「……これで良い。この血を見れば、警察もそう悪戯だとも思わないだろう」
「あ、あー……」
「な、なるほど……」
柚子が声を零す。観鈴も自分の真っ白な服に付けられた鮮明な赤色を見て理解をする(尤も、赤いのは服だけではなかったが)。
「それじゃあ、頼んだ」
「えと、私は?」
柚子が自分を指差して尋ねる。
「アンタは、俺が戻ってくるまでここで奴らの様子を見ていてくれ。何か良い隙が得られるかも知れない。俺は、あいつらに付いて行ってあいつらの銃を奪ってみる。それに脱出口の確保もな。橘さんは、悪いが警察に連絡したらまた戻って来てくれ。君の能力が勝利の鍵になるかも知れない」
「うん。分かった」
「は、はい。気を、つけて」
「早くしろガキ!!」
さすがにこれ以上は話していられない。遼火はテロリストたちのチームに続き、上階へと向かうエスカレーターへと向かっていく。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.6 )
- 日時: 2015/08/24 01:44
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: 6vRIMW/o)
2階3階にはもう誰もいなかった。さっき連れて来られたのは2階3階に居た者たちだったのだろう。遼火はテロリストたちの指示通りに客たちを探しながらも上階の様子を調べていた。但し、隠れている者が居ないかを調べる為にもあちこちを吟味するように調べられるのは遼火にとっては都合が良かった。
まず、階段にもシャッターが下りている為、テロリストと遼火たちはエスカレーターから上階に上がることになっていた。勿論動いてはいない。エレベーターも同様に停止している。スイッチを押してみてもピクリともしない。また、窓にすらシャッターが下り、外の景色を見ることすら出来なかった。真っ暗になる筈だと納得する。
遼火は天井に備え付けられた火災報知機などの機器を確認すると、その内の監視カメラを見上げた。
それにしても最新のデパートだけあってこの建物は全て電子制御がされているようだった。恐らくどこかにそれらの制御室がある筈だと遼火は推測する。要は、そこさえ抑えてしまえば脱出のチャンスは大いに高まるということだ。今頃観鈴が知らせてくれている警察の突入もし易くなることだろう。機動隊の到着までは時間を稼ぐしかない。
「次は4階だ。……おら、急げ!」
一緒に連れて来られた客の一人に拳銃を突きつけ、一同を更に上の階へ進ませる。
4階に到着し、再びテロリストたちが指示を出す。今この場に居る銃を持ったテロリストたちは6人。遼火たちは2人のテロリストに2人ずつ付いて3つに分かれてその階を探し始めた。
遼火と一緒に行動することになったのは、先ほど一度見かけた赤い男だった。高校生くらいだろうか? 背丈は遼火とそう変わらない。赤い男は遼火たちと同じように手前で両腕をプラスチックバンドで拘束された状態で、渋々ながらも黙って従って歩き出す。
探し始める前に、エスカレーター横のフロアマップを確認する。この階は主に雑貨や文房具を扱う階のようだ。大人向けのシックな店や子供向けのカジュアルな店など、幾つ物テナントが入っており、あちこちに客の目を引きそうなデザインの飾りや商品が置かれている。
その他、既に下の階でも確認したことだが、このデパートは8階建てで、地下は3階まで。地下1階には食品売り場があり、地下2階以降には駐車場が広がってはいるが、これは社員用であるらしく、客用駐車場は主に建物の横に並列して建つ立体駐車場である。立体駐車場へはどの階からも移動出来るが、当然のことながらこちらもシャッターで通路が塞がれており、緊急脱出用の避難口も恐らくそのシャッターの向こうである。
兎に角テロリストたちは制御室を占拠したことでシャッターを下ろした筈。それならば脱出の為にも、または警察の突入にもやはり制御室を何とか確保する必要がある。制御室の位置は、恐らく地下か1階か。少なくともマップを見る限りでは、2階から4階までには無さそうであった。
「居たぜ!」
文具店の奥のスペースに客と店員合わせて5人ほどが詰め込んで隠れていた。
「おいおい、野郎が一人でこんなに女を侍らせてハーレムのつもりかよ?」
「へへへ、美人揃いじゃねぇか。少しくらい良いか。……おい、お前ちょっと来い」
止めようとした男性客を殴り倒し、嫌がる女性客の腕を掴み下卑た笑いを浮かべるこのテロリストの一人が何を考えているのかは手に取るように分かる。テロリストの一人は女性客の体をまざまざと触り、女性客は悲鳴を上げながら助けを求める。しかし、ここで助けに入ることは難しい。幸い奴らの状況を考えるとそう時間も無いのだろうし、この女性客には多少のことは我慢して貰う他ない。遼火は黙ってそれを見逃そうとする。
しかし——。
「いい加減にしな!」
なんと遼火と共にこのテロリストの2人に同行していた客の男が、それを止めるのに女性の腕を掴んだテロリストに「殴り」掛かっていた。
「ちぃっ」
遼火は舌打ちした。そして、両腕の拘束バンドを例の方法で解除し、その赤い男に銃で狙いをつけたもう一人のテロリストの後頭部に延髄蹴りを食らわせて、気絶させた。
遼火が振り上げた足を戻し終えた頃、赤い男が殴りかかったテロリストも小さな呻き声を上げて倒れていた。
「やるじゃねぇか」
「……」
こちらを振り向いて笑みを浮かべる赤い男に対して、遼火は一つ溜息を吐いて見返した。
——。
「何事だ?」
少しすると、分かれて探していた他のテロリストたちが集まってきた。
「あ、あの、私たち」
「……何だ客か。おい、黙って死にたくなかったら俺らについて来な」
「は、はい」
やって来た別のテロリストたちは、ここに隠れていた客しか居ないと判断するやそのまま彼女らを連れて踵を返して行く。助けた女性客が心配そうにこちらをチラリと見て、遼火はテロリストたちがこちらに気が付かれないか警戒するが、無事気付かれず去っていった。息を殺して身を潜める遼火と赤い男は、彼女らが遠くに行くまで店内の監視カメラの死角となる物陰で、倒れたテロリスト2名の体を押し込んで呼吸すら堪えて見守った。
「……ぷはぁ! 危なかったな」
「誰の所為だ」
「でもあそこは助けるところだろ?」
「そのお陰でこっちの目的は台無しだ」
「目的? なんだよ? 案でもあるのかよ?」
遼火が自分の考えを説明をする。
まずは各階の様子や構造を知っておきたかったこと。次に、隙あれば奴らの銃を奪うこと。なら目的の一つは丁度達成したなと赤い男が喜び、遼火もそれには頷く。
「あとは、こういうデパートには、防災センター、……つまりシャッターやカメラ、電気システムを制御する制御室があって、そこさえ確保出来れば、あちこちのシャッターも解除出来ていくらでも脱出することが出来る。それに、さっき知り合った客の中にテレポートの出来るイデア能力者が居て、警察に連絡するよう伝えてあるから、あとは突入口さえ何とか出来れば」
「助かるって寸法か! やるじゃねぇか」
「まだ何にもしてねぇよ。そしてお前のお陰で、それがやり難くなった」
どうせならこのまま8階まで調べてからアクションを起こしたかったのだと内心で愚痴る。
「おいおい。折角さっきの姉ちゃんたちに囮になって貰ったんだぜ? 頑張ろうぜ。へへへ、ま、大丈夫さ」
「どこからくるんだその自信は」
「銃も手に入ったしよ。なぁに、何とかし難い状況を何とかするのが男、そして燃える展開さ」
「楽観的だな」
完全に肉体派だろうこいつは。
「今脳筋だと思ったろ?」
「鋭いな」
「ま、逆にアンタは脳みそ使えるタイプみたいだな。 ……んじゃ、知将さんよ」
赤い男はさっきのテロリストたちから奪った銃をガチャリと構えて笑みを浮かべる。
「この後どうすればいいのか考えてくれよ」
腕節は確かなようだし、この状況では特にありがたい戦力ではある。しかし、同行するにしても先ほどのように考え無しに動かれたのではこちらの身すら危うい。この男の言う通り、何とかして自分が頭を振り絞らなければならない。
全く。遼火は自分も銃を握り締め、まずは銃を確認する。
ベースはベレッタの様だが、やや異なっている。恐らくフィリピンかどこかで密造されたコピーだろう。弾の装弾数はマガジンに15、……ということは、まだ装填されていない? スライドを引いて確認してみると装填され、引き抜き直したマガジンからは1発分減った。
(素人かよ)
ガシャン。マガジンを戻す。
銃口は向けるくせに装填すらしていないとなると、あのテロリストたちはプロではなさそうだと直感する。
「……銃使ったことあんのか?」
扱い慣れているかの様子を見せる遼火に赤い男が尋ねる。
「どう思う?」
薄ら笑みを浮かべて肯定も否定もしない。
「いいとこのお坊ちゃんか何かなのかね? ……それともヤクザの御曹司さんで?」
「どっちも違う」
そう言って恐々とたじろぎ一歩引く赤い男の言葉を否定するものの、筈だ、と内心で付けたし、そして彼の方の銃にも装填するよう伝える。
赤い男は初めての銃を直に手に入れたことで少しはしゃいでいる様子である。
「けどよ、さっきの動きと言い、ただの一般人の動きじゃなかった気がするぜ?」
「そっちこそ、あのバンドの取り方よく知ってたな?」
そういう知識があることに驚きつつ告げる。少し前まではバンドが付いていたのは間違いないので、遼火も気付かない速度で素早くあのバンドを解除して殴りかかったことになる。
「あれか? へへ、あれはプラスチックだったからな。ラッキーだったぜ」
どういうことかいまいち飲み込めない遼火に対して、待ってましたかといったような顔をし、
「ああ、そうだな。例えば——」
そう言って近くの商品の消しゴムを手に取って、その指に触れた部分から「赤く煌々とした火の揺らめき」を出すと、消しゴムは見る見る内に消し炭になって消えていった。
「?!」
しかし、遼火はすぐに合点が行った。
「炎を操る。それが俺のイデアさ」
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.7 )
- 日時: 2015/08/29 01:05
- 名前: Satsuki (ID: V7PQ7NeQ)
炎を操る。
道理。知恵を駆使した遼火に対し、この男は「燃やす」という力技での解除をやってのけたのである。
もう一度脳裏を過ぎる今朝の文字列。『イデア(英:IDEA)とは、人類が手に入れた超能力の一つである』。
イデアに不可能はない。今のところは。人類が手にした力の、特に力らしい力としての用途を目の当たりにした。
が。
「残念だが、今回そのイデアを使うことにはならないだろう」
遼火はかぶりを振ってそう言った。
なんでだよ、と言いかけた表情の赤い男を手で制し、
「火災報知機だ」
と続ける。男の表情が奇妙に歪むことが三度ほど、なんとか納得を得られたようで頷きを見ることができた。
イデアによって起こされた炎に火災報知機が反応するかは分からない。
もし反応した場合。本当に火災が起きてなかったとしても、客の動揺は避けられないだろう。最悪の場合、客も暴徒になってしまう危険がある。その動きで事件が解決に進む可能性はあるが、それ以上に負傷者・死傷者の発生どころか増加もまた、避けられないだろう。
テロリストどもの気を引きつけることができるのではないかと思ったが、監視カメラの充実度がその用途を見事に散らしてくれた。制御室を抑えない限り、簡単に居場所を特定されてしまう。少数は割けるだろうが、——少数に過ぎない。
「やっぱり、防災センター? ってのを見つけないと、ってことか」
「そうだな。残念だがフロアマップには書かれていなかった。……当然だが」
地下か一階にある、と先刻は思ったが、しかしそれは大型建築物の一般的な思考に過ぎない。
そう、一般的なだけであり、神北がそれに準じているとは限らない。その場合、このデパートの建築者は間違いなく変人だろうが。
断定ができていない状態で、再び一階を通過するのは危険だった。
「≪メカメダ≫みたいにスタッフ名簿が店頭に貼り付けられてればな」
「メ……メガメガー?なんだそれ」
「言葉を慎みたまえ。……≪メカニックのカメダ≫は有名な家電量販店なんだが、知らないのか?
今度この街にも新しく建つらしい。俺もようやく通販から店頭買いに仲間入りできる」
「そ、そうなのか……」
話はこのあたりにしよう。
そう小声で閉めて、遼火は物陰から少し顔を出す。
「レジを漁るぞ」
「さっすがだぜ知将さん、この隙に財布を潤すのかい」
「阿呆か。このデパートの店長に繋がる内線の電話機があるかもしれない。
見つけたところで繋がるか、話せるかは分からないが——信頼性は一番高い」
危険もあるが、危ない橋は今も渡っている最中だ。
監視カメラは……避けられない。できるだけ身を屈めて、静かに、素早く、二人は手近なレジへと滑り込む。
果たして——それはあった。
「見張っててくれ」
909だな。手早くキーを押し、受話器を取って遼火はレジ台の下へと身を潜めた。傍にある籠の山から、赤い男が通路を見張っている状態だ。
コールが鳴る。二度、三度、四度。ダメか? 五度、六度、七度、目で、コールが途切れた。
静寂。音を発さない。
遼火は静かに反応を待つ。絶対にこちらからは声は出せない。
誰かに繋がってはいる。誰だ。
遠くで微かな会話の音が聞こえた。
『……店長の門松ですが』
続いて聞こえたその声を遼火は待っていた。作戦の第一段階をまずクリアした。
しかしすぐに計画は第二段階に突入する。たった一言でこの店長の信頼を得なければならない。非常事態とはいえ、機密情報を簡単に漏らすようでは管理職は務まらない。
考えた、三秒。遼火は一番縋りたくないものに縋ることにした。
「江藤探偵事務所の元所長、江藤優大だ。本当に店長だな?」
『本当ですか? 先生この昼間に何をされに』
第二段階クリア。少し声を寄せはしたが、非常事態という状況が違和感をごまかしてくれたらしい。
しかもこの手ごたえ、先生という呼称。どうやらこの店長、過去に江藤探偵事務所と関わりがあったと見れる。
「今日は非番でな、久々にデザート土産に息子の顔を見に行こうとしたんだが、運の悪いことで」
『それはせっかくの機会に水を差すことになってしまい大変申し訳ございません』
「構わないさ、起きてしまうものは仕方ない」
「足音が来てるぜ……!」
横から赤い男が絞った声をかけてきた。空いている片耳を寄せると、確かに遠くに響く足音——三つ。
長話はできない。というかする気もない。ある程度の信頼の元、遼火は第三段階、本題を聞く。
「防災センターの場所を教えてほしい。今から抑えに行く」
『制御室でしたら地下一階です。一階のスタッフエリアから』
「ありがとう。奴らが来てるから切るぞ」
『分かりました。お願いします、先生』
切れたのを確認し、遼火は受話器を静かに床に置いた。
こうなっては受話器を戻す僅かな露出も許されない。なおも足音は聞こえている。少しずつ大きくなってくる。遼火たちのいる場所へと近づいてきている。
遼火は赤い男を見た。赤い男は既に遼火を凝視していた。
「撃てるか?」
「初挑戦だぜ?」
「じゃあ撃つな。脅すだけで、腕で仕留めるぞ」
「お、おう……」
息を"文字通り"飲んで、二人は待つ。
足音が響く。三つ分、タン、タン、タン。
小声ながら声も聞こえてきた。この辺りのはずだ。確かに声だった。売り場を探すぞ。
大きくなる。大きくなる。決して離れることはなく、三つ分の足音が。
大きくなる。おおきくなる。おおきクナル——
床に三本の足が見えた
「動くな!」
瞬間、遼火はレジから半身を出し、左腕を乗せた右手のベレッタをその中の一人の顎へと突きつけ
「うらあっ!」
「っ!?」
それとほぼ同時に籠から身を乗り出した赤い男が勢い良く立ち上がり、別の一人の顎に強烈な右のアッパーカットを撃ち込む光景を捉えた。幸いにもそれは顔を隠した、すなわちテロリストの一人だったようで、仰け反りながら軽く宙に浮き、そして崩れ落ちた。
ノータイムかよ! 二度目の舌打ちを内心に抑え、遼火も動く。遼火の標的もテロリストの一人だった。その手の拳銃が遼火に向けられ一瞬たじろぐが——引かれたトリガー、だが弾は出ない! その隙に遼火はテロリストの横へと滑り込み、ベレッタを持ったままの右腕を振り上げ、膝へと打ち落とす。テロリストが体勢を崩したところに膝立ちのまま背後を取り、左肩を掴んで引き倒し。
「恨むなよ」
口だけ吐いて、思い切り首を締め上げた。みるみるうちに震え出す身体、もう限界かというところでその腕を放し、尻に蹴りを入れてレジ台の下にしまっておいた。
気絶した二人のテロリスト。遼火は残った一人へと目と銃口を向ける。が、その服装がテロリストのような出で立ちではなく普通の一般男性のそれであると認識し、腕を下ろした。
「……何を、しているんだい?」
呆然として呟いたその男は、遼火よりほんの少し上に目があるようだった。
暗い中でもよく分かる白ワイシャツにスラックスのようなものを着ている。社会人だろうか。
「何をしてるかと言われると、そうだな……」
「ちょっとこの事件を解決しようとね」
「……解決とは違うが、ただ。まぁ、言いなりになるのは嫌でね」
濁そうとしたところを赤い男に正直に暴露され、失った言葉を塗り替えるのに失敗した。
そんな遼火たちを見て、社会人らしきこの男は、首をかしげた。呆れているようだった。
半開きになっていた口を戻して、
「バカか、君たちは」
正直に毒を吐いた。初対面に正々堂々と言われると、いくら闇を見てきた遼火といえど傷の一つはできる。
「こういうのはおとなしくしていればいいんだ。民の安全は司法が守る、警察が守る。わざわざ民間人が手を出すものじゃないよ」
「その警察に頼れないかもしれないから動いている。非常事態だ、許せ」
「いや、許すも許さないも僕は止める気まではないけどさ……」
視界の端で動きがあった。赤い男が仕留めたほうのテロリストが起き上がり、かけたところに赤い男が再び腹部に蹴りを撃ち込み、彼もまたレジ台の下にしまわれることになった。
「悪に立ち向かっていける人間は二種類に分かれる」
目線を男に戻し、遼火は言葉を発する。
「首を突っ込める奴と、首を突っ込みたい奴だ」
「君たちはそれに該当する、と?」
「俺は前者だ」
「あー俺も俺も!」
「お前は明らかに後者」
「えぇー!?」
そりゃないぜ、と言わんばかりの赤い男の頓狂な声を一瞥だけで終わらせ、遼火は三度男に戻す。
男は両手を軽く広げていた。やれやれ、と小さく呟いたのを捉えた。
「ご勝手に」
「ああ、勝手にする。シャッターを開けてやるから、下で待ってればいい」
「そうか……じゃあありがたくそうさせてもらうよ」
そして男はエスカレーターの方向へ歩いていった。
足音が小さくなり、別の硬いものに変わったことを確認し、
「俺達も動くぞ。このまま此処にいるのはまずい」
「おう」
頷きあい、遼火と赤い男も滑るように行動を開始した。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.8 )
- 日時: 2015/09/03 19:27
- 名前: 戦崎トーシ ◆TYZSwCpPv. (ID: 9IfQbwg0)
事態は一刻を争う。
着実と流れていく時間に、遼火は内心焦っていたが、表には出さずひた隠しにしていた。後ろをついて来る男にも焦燥感はあるだろうが、静かにしている。
スタッフエリアは建物の西側にある。その近くには、人質が囚われているショーステージがあった。近道を選べばショーステージを横切ることになるので、やむを得ず遠回りをする。
途中、ショーステージが見える場所があった。遼火はその場に屈み、遠くに見えるその様子をうかがう。人質の数は少し増えていた。テロリストは、依然、銃火器を携え人質や周囲に目を光らせている。死角になっている為か、2人の存在には気がついていないようだ。
「テロリストの数が減っている。急ぐぞ」
恐らく、仲間たち——無論、遼火と男がシめた奴ら——が帰ってこないので、違和感を感じて探しにいったのだろう。テロリストが分散してしまえば、見つかる確率は高くなる。遼火は銃身に人差し指を沿え、慎重に立ち上がる。
ふと、赤い男が呟いた。
「なあ、なんかアイツら喧嘩してねぇか?」
遼火は動きを止める。
確かに、ショーステージの方向から荒い声が聞こえる。かなり苛立っているようだ。一触即発。もしどちらかの逆鱗に触れてしまえば、発砲もあるかもしれない。口論の声以外は、何も聞こえなかった。その空間に、緊張の糸が張り詰めているのが分かった。
「多分、リーダー格の人間がどこかに行ったんだろう」
人質の中へ目を凝らす。表情は見えなかったが、柚子は端の方に座っていた。白いワンピースの少女は居ない。
——上手くいっているといいんだが。
2人は再び立ち上がり、慎重に歩を進める。
犯人達の監視の目は案外脆弱なもので、人気のないフロアを、難なく突破することができた。人手は上の階に集中しているのだろうか。
遂に、スタッフエリアの防災センター、もとい制御室の前へ着いても、テロリストとは会うことはなかった。
「ここでシャッターを開放できるんだな。よし、開けるぞ」
「待て」
「ッ……なんでだよ」
ドアノブに触れかけていた手を、遼火は制す。赤い男は不満げに遼火に問いかけた。
「あまりにも監視の目がなさ過ぎる。おかしいと思わないのか」
遼火は鉄製の扉から、何歩か退いた。レンズの奥の瞳孔は、その扉を睨みつけている。
シャッターを開放されてしまえばひとたまりもない。それどころか、制御室は占領の拠点の筈だ。なのに監視が薄過ぎる。
制御室が位置するのは、建物の隅。廊下にはそれなりの広さがあるものの、2人の左右には壁。十数m後ろにも壁。背後の壁の真ん中には、地下と階段を繋ぐドア1つ。それが唯一の出入り口だった。
つまり、そこを閉ざしてしまえば、閉鎖空間が誕生する。
「……謀ったな」
遼火の、掠れた声が反響する。
逃げるべきか。300の命が懸かっているこの状況で、敵前逃亡は賢明ではない。それに、この熱い男が、何もせずこの場から立ち去りなどするだろうか。
天井の蛍光灯の明かりだけが、その場の人間に陰影を作っていた。
数秒と置かず。
足元の影が揺らぐ。白い光と黒の影が網目状に分散した。一瞬にして、冷水が足首までを覆ったのだ。
次いで、薄い水面を、速いスピードで波が駆け抜ける。足をとられそうになったが、踏ん張って耐える。波は目の前の扉から——否、その内側から押し寄せている。
その波の力に倣い、強固な扉が開く。縁で水を砕きながら、中身を露にする。モニターはあらゆるフロアを映し出していた。その中には、遼火たちが通ってきた場所もあれば、ショーステージもあった。
巨大な液晶から溢れ出るブルーライトを背に、男は振り向いた。
頑丈に武装したその姿、門松ではないと即座に理解する。
「今の今迄お疲れ様、ってところだな。たかが一般人の分際で、ここまで到達できたのは褒めてやろう」
男は眉と口角を歪め、卑しい笑みを浮かべた。
「だが、英雄劇はここで終ェだ」
遼火は鋭い舌打ちをする。ここまでの警備を手薄にしていたのも、策略の内だろう。
「時間がない。端的に言わせてもらう——そこを退け」
「んな常套句で、はいどうぞと退く奴が居ると思うか?」
「居るさ。お前だ」
「調子に乗ってんじゃねェぞ若造」
遼火たちの背後で水が渦巻く。うねりながら、円錐の塔の形を成していくそれは、刹那、槍のように2人に襲いかかった。寸でのところで二手に分かれ躱す。
槍は床にぶつかり、飛沫をあげながら潰れた。水は再び空間内に広がる。
波が起こる。赤い男が地面を蹴り、足技の態勢に入る。同時に波が一際大きく揺れた。
「やめろ!」
遼火の声に怯んだのか、彼の右脚は宙をきっただけだった。
テロリストの背後の壁を、水が、荒い音と供に勢いよく駆け上がる。拳をあげ、振り下ろす。テロリストのモーションに操られるが如く、天井まで到達した水は、赤い男へと牙を叩き付ける。
「ッ!!」
赤い男はバク転で牙から逃れた。頬についた水滴を忌々しげに拭う。
「随分と愉快なことをしてくれるもんだなァ?」
テロリストが手を横に振ると、水はまた2人の足首までを満たした。
赤い男が遼火を見やる。
「……意味ありげな眼ェしてんな。さっきのだけで何か分かったのかよ?」
「……まあな」
水かさは3度とも同じ。膝辺りまでかさを増せば、それだけで遼火たちの動きを阻害できる。できないということは、もしかすると——
「奴は、一定の水量しか操ることが出来ない。そして、奴は既に限界の水量を出している。だからこれ以上水が増すことは無い」
更に、攻撃するまでが長い。攻撃に至るまでには、水を渦巻かせるなり、波立たせるなりする必要があるのだろう。攻撃に失敗した後も隙ができるようだ。
「何より、奴は高を括っている」
「そうなのか?」
「そんな顔してるだろ。頭の悪さと自信過剰さが滲み出た顔だ」
そんな者に負けるほど、遼火も、赤い男も軟ではない。
「耳貸せ、オレに案がある」
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.9 )
- 日時: 2015/09/09 22:16
- 名前: 空凡 ◆qBiuWfql4I (ID: 4RNL2PA4)
赤い男に手短に、テロリストに悟られないように作戦を伝えると、遼火は赤い男の後ろに立ちながらベレッタを構えるそぶりを見せた。
むろん、フリである。この状況でテロリストを正確に射抜ける射撃の腕があれば彼は最初からテロリストの脚を無慈悲に撃ち抜いていただろう。
二人がなんらかの策を決めたことを感じ取ったテロリストは、左手を水面へかざし、少しずつ水を集めていく。
「させっか!」
それと同時に態勢を極力下げた赤い男はテロリストに向かって走り出し、素の動きとほぼ同時に遼火も距離を詰めだす、滑りやすい床と水が合わさり機動力を奪っていたが、それでも二人の距離を埋めるのにそう時間はかからない。
攻撃の感覚が長いのであれば、波状攻撃で取り押さえるまで。その作戦をテロリストも理解できたのか、バックステップを取りながら二本の水の槍を作り上げた。当然、その槍は一本ずつ仲良く二人を襲うように作られたはずだ。
だがそれでは、折角二人して近寄った意味がない。
槍の完成を見た遼火は、視線を少しずらして赤い男を見た。
「——火力全開!」
「ッ!」
赤い男のその言葉とともに、薄暗かった周辺を照らす煌々とした炎が赤い男を包んだ。その光景に驚いたテロリストは非常に慌て、用意した二本の水の槍を赤い男のみめがけて発射してしまったのである。
それを待っていたといわんばかりに、赤い男は壁を蹴り勢いよく横に転びながら水の槍を回避した。
そのうちに、遼火は更に距離を詰めていく……、
遼火が赤い男に頼んだもう一つのこと、それは……
『とにかく気を引いて近寄っていってくれ、そのうちに距離詰めて捕まえる』
回避に徹し、その自慢のイデアを使って相手の狙いを集中させることであった。
このまま距離を詰めれば、もう一度相手が攻撃の準備を終わらせる前に赤い男の一撃がテロリストを襲う。
事実、赤の男はもえ反撃が間に合わないことを察して、回避の態勢を止めて炎を纏った拳を振りかぶっていた。
「ッ、消えろぉぉぉぉ!!」
「っわぶ!」
「ぅお!」
だが、テロリストは無理やり水をかき集めそれを使って小さな波をすぐさま作り上げて二人の態勢を崩した。特に近かった赤い男はその波を体の半分以上で受けてしまい、そのまま上半身を床につける形となってしまった。
ダメージは入らない程度の攻撃であり、すぐさま赤い男は起き上がって状況を見渡せそうとした。だが、そこへテロリストは追い打ちをかける。
だがそのテロリストの行動に、遼火は疑問を抱いた。
「消えろ、消えろ、消えろっ!」
「ぅぐ、ちょ、くそっ」
「(ただ水をかけているだけ……?)」
テロリストはゆっくりと下がりながら赤い男、というよりもむしろ赤い男が出した炎を執拗に、威力もないただの水をかけていた。赤い男もこの行動には驚いた様でうまく動けていない。そこにはイデアという、世界の根底を覆すような現象がないかのようにも見られた。
——イデアは、一説によると人の強い願いによって生まれる。例えば災害に巻き込まれた人は生き残りに長けたイデアを発現したり、人間関係に困ったものは精神的なイデアを手に入れたりと、決して本人と無関係のイデアが発現するわけではない。
とはいえ、軽く願っても手に入らないものであり、それこそ子供が「世界を消したい」なんて幼稚な願いを持ったとしてもそんなイデアは発現しない。
だとすれば、目の前のテロリストは何に願ってこの水を操るイデアを手に入れたのか、それは今のテロリストの状況から察することができる。
「("水を操ってまで何をしたかったのか"か)」
もしかしたら、火に何らかの恐怖を感じているのかと遼火は考えた。
そこで、またテロリストが水を放った瞬間に、思いっきり足に力を込めてテロリストへと詰め寄った。炎に夢中になっていたテロリストは反応が遅れ、なすすべなく遼火の接近を許す。
「調子に、乗るなガキ!」
「そっくり返す」
撃つ必要がないのであれば、それが一番いい、そう思った遼火は左足を軸足として踏ん張り、テロリストに対して強烈な足蹴りをお見舞いした。
その一撃は的確にテロリストの腹へ直撃し、テロリストはそのまま吹き飛ばされ冷たい水で浸されている床を何回も回転して、ようやく止まった。
同じ様に、足場が悪いところで蹴りを入れた遼火も蹴りの勢いのまま転んでしまった。
いけない、早くテロリストを捕えなければ、そう思い直ぐに立ち上がろうとすると、漸く執拗な水かけ攻撃から解放され、体を纏っていた炎は消えたものも怒りの炎を燃やす赤い男がそのままテロリストの元へと飛び込み型の崩れた寝技をかけた。
なんともまぁ、気の締まらないボス戦であったと、自嘲気味に遼火はこぼした。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.10 )
- 日時: 2015/09/17 15:28
- 名前: Orfevre ◆ONTLfA/kg2 (ID: D6FduTwT)
テロリストを確保し、防災センターの自由を確保した。これで脱走と救出の手助けができる。ここで一つの不安が遼火の頭をよぎる。
「(観鈴、体力は大丈夫だろうか……)」
緊張状態が続いていたことで、観鈴はかなり体力を消耗し、発熱しかけていた。体をこすりつけた時点でかなり体温が上がっており、脈も速かったことを遼火は思い出す。最悪の場合、警察に通報している途中で倒れている可能性もある。
その不安はテロリストたちを確保してから、少しづつ大きくなっていく。観鈴はまだ帰ってこない。
「(俺のやれることはやった、あとは観鈴の番だ)」
祈るように、信じるように、遼火は防犯カメラ越しに警察が来ることを待っていた。だが、その様子を見て、テロリストの男が言う。
「何かを待っているようだが、タイムオーバーだな」
先ほど確保した男の一言と同時に足音が聞こえてくる。数人のテロリストたちが制御室にまで来ていたのだ。だが、それだけショーステージのガードが緩くなったことも示していた。遼火はシャッターの開放ボタンを押しす。援護に来たテロリストを対処している間に警察が来ては機動隊がシャッターを突破するまでに時間がかかり、結果的に救出が遅くなる。だが、テロリストたちがここに来てしまった以上、少々のリスクを抱えてでも、警察の到着が来ることに賭けるしかない。
「返り討ちにするしかないな」
「救出に来たとはいっても味方に当たるリスクがあるから、銃は使ってこないはずだ」
視線で二人の男は会話し、テロリストたちと相対する。そして、向かっていく。2人の目論見通り、テロリストたちは銃を使ってこない。格闘なら、精通してない数人よりある程度の心得がある二人の方が有利、結果として、遼火たちは援軍に来た返り討ちにすることに成功した。
それからしばらくして警察が到着した。人質は解放され、死傷者は結果的にいなかった。赤い男と遼火は警察から説教を喰らう。結果的に成功しただけで行動は危険極まりないと、そして警察官から、観鈴についても伝えられた。遼火の不安は的中していた。しかし、彼女は倒れそうになりながらも必死に通報してきたと……。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.11 )
- 日時: 2015/09/20 00:29
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: 7c/Vukd1)
「ま、ありがとな。助かったぜ。そいじゃ、俺帰るわ」
んじゃな。
去っていく赤い男を見送った後で遼火は店内に戻った。しかし見送ってから、不思議とお互いに名前を名乗らなかったことに気が付いた。お前とかアンタで済んでしまっていたのが振り返れば面白く思えた。とは言え共に危機的状況を乗り切った相手の名前も知らないと言うのは何か惜しい気もしたが、まぁそんなこともあるだろうか。人生とは一期一会なのである。
改めて見渡すと、店内は警察や客、店員たちでワラワラと渦巻いていた。しかしもう事件は解決したのだ。テロリストたちは一人残らず確保され、人々の顔には安堵が見える。
遼火も一つ大きな溜息を吐いた。まさかこんな事態に巻き込まれるとは。回収した携帯で時刻を確認すると、既に22時を回っていた。
警察の取調べもあまりの人数の多さに今日のところは行われないらしい。連絡先の確認だけ行われた後、閉じ込められた客たちは帰宅を許された。だが、帰宅する前に遼火は「彼女」のことを探す。
郷烏柚子。彼女のイデアがあったお陰であの状況下で怪しまれずに作戦を練ることが出来、また決定打となった警察への連絡を担ってくれた橘観鈴を味方に引き入れることが出来たのだ。観鈴のことは既に警察が保護したとのことなので、せめて柚子には一言この場で礼を言っておきたいと思った。
しかし、この人混みでは人一人を見つけるのは困難だった。いや既に帰ってしまった可能性もある。探すだけ無駄だろうか。数分探した後で諦め、仕方がなく遼火は店を出ることにした。世話になった礼を言いたい気持ちを飲み込み、店のエントランスを出て行く。
辺りは既に暗く、少々肌寒くなっていた。道路脇の街灯が等間隔に灯り、行き交う車のヘッドライトが過ぎっては度々疲れの滲む遼火の顔が照らされた。
「こーほく」からの帰り道をゆったりとした足取りで歩きながら、遼火は先ほどまでのことを振り返っていた。
突然の停電に始まり、シャッター閉鎖、銃声、拘束、デパートごとジャックを始めたテロリストたち。
しかし偶々知り合った人物たち、彼らはイデア能力者で、彼らの協力のお陰でテロリストたちの隙をつくことが出来、見事解決の糸口を見つけることが出来た。
中々体験出来ることではない。しかし、上手く行ったから良いものの、実際危なくもあった。彼らが居なければ、少なくとも遼火一人だけでは解決は難しかっただろう。一体どうしてこんなことになったのか。今日あのデパートに行かなければ巻き込まれることは無く、今頃テレビのニュースで他人事として小さな感想を呟いていたに違いなく——。
「あ、買い物」
ふと立ち止まる。自宅まであと少しといった地点。そうだ。そもそもの目的をすっかりと忘れていたことに気が付いた。
「……しょうがない」
あんな思いをしてまで頑張った結果が空腹というのも癪な話である。面倒臭くは感じるものの、グルリと踵を返し、来た道を引き返す。但し目的地はコンビニである。この時間までやっているスーパーと言えば更に20分30分は向こうであるし、今日は今更そんな距離を歩く気にはなれなかった。
ただ、コンビニで買うと何かと割高になってしまう。今日のところは最低限だけを買って、本格的に買い溜めをするのは別の日にすることにした。まぁそれはそれで出直しする必要があるので面倒といえば面倒なのだが。はぁ。溜息が漏れる。
面倒と言えば、本日の件で後日警察からも事情聴取がされることになる。また、仕方が無かったとは言え、父親の名を出し店の店長と会話をしてしまったことも痛い。そこから情報が伝わり、遼火としては少々面倒臭いことになることは既に間違いないのである。だが、何かと忙しい学生身分としては余計に時間を割かれると言うのは何とも遺憾である。
一言で言うなれば、今日の自分は全くついていない。
「イデアな」
だが、今日は直接イデアに触れ、その有用性や驚きの点などがはっきりと分かった。イデアの研究を始めてから実際にそんな事態に遭遇すると言うのは寧ろついていたとも言えるのかも知れない。思わず考え込み、うんと唸る。過去、探偵業の中で多少バイオレンスな世界に片足を踏み入れていた経験もあるにはあるが、一応これでも研究熱心な一介の大学生なのである。
再び出来事を振り返り、どんなイデアがあったのかを考える。
それは、水や炎を操る能力。好きな場所へ瞬時に転移をする能力。日常と非日常とを相互に錯覚させる能力。それぞれの人物の顔や場面場面を思い出すと、あの奇異な状況の数々が目に浮かぶように頭に浮かんだ。自分が目にした以外にも色々なイデア能力者があの場には居たのかも知れない。
遼火は考える。
もしも自分がイデアを手に入れるのであれば、それはどんなイデアであろう?
理想を願う気持ちから得られるらしいイデア。人間は誰しも何かしらそんな気持ちを持っているものだ。勿論遼火とて人間である。理想もあれば望みもあるだろう。
しかし、今のこうしたイデアの存在する世界となって数年が経った今でも遼火自身にはイデアが現れていない。遼火だけでなく、イデアを手に入れていない人間というのもこうしたご時勢の中でもそれなりに存在するのである。イデア習得の条件や習得した者にどういった変化が起こるのか、そうした能力と引き換えに何らかの副作用があるのか、まだまだ様々な面で明らかになっておらず、遼火にとってはだからこその研究対象であると言えた。
「どうせなら、もっと色々な能力を調べられないものか」
強いて言うのなら、それが今の遼火の望み。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.12 )
- 日時: 2015/09/20 00:37
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: 7c/Vukd1)
……考えていると、突然雨が降って来た。そういえば本日の空は雨模様であった。
「……あ」
改めて思い返すと、傘をデパートに忘れてきたことに気が付いた。忘れてきたと言うか、そもそもどこに行ったのやら。テロリストに奪われた携帯は回収したものの、傘の方はあの騒ぎの中で完全に行方不明である。取りに戻るにしてもしばらくは警察の捜査で店に入ることも出来ない。
しかしそうしている間にも雨足は強くなり、遼火は走り出した。雨は粒も大きく、次々服に染み込んでいく。
なんでこんな突然大雨が。冷たいし、寒いし。くそっ、やっぱり今日はついてない!
地面を大きく打ち付ける雨の道を全力で走り、コンビニへ向かおうとする。しかしそのコンビニが見つからない。この町は大都会と違い、客の取り合いになるばかりでさして意味を感じないほど互いに乱立しているような町ではないのだ。お陰でコンビニが中々視界の中に現れない。探している間にもどんどん体が濡れていく。背中を伝ってパンツの中にも雫が滑り落ちて一瞬ビクリと背筋が跳ねた。
ああ、水を操って雨に濡れないようにしたい。炎を操って体を温めたい。いっそコンビニまで転移したい。ハ、ハ、ハクション! ……決して風邪を引かないイデアというのも案外便利かも知れない。
一に急いで、二に急ぎ、三四も急いで兎に角コンビニへ。そうして50m走ったところで道路の対岸に漸く青看板のコンビニを発見する。しめた!
ところがそんな時に横断歩道は赤。くそ。律儀に立ち尽くすこと1分。ブォン、ブォン。パプー、パプー。時速50kmは出ているであろう車共がやけにモタモタしているように感じてしまう。ウフフ。アハハハ。更に現れた楽しげな会話をする道行く傘差しカップルが今はやけに腹立たしい。いや別に嫉妬などではないのだが。こちらは既に全身はまるで行水のようにずぶ濡れで平然と構えている余裕は微塵もないのである。そして未だに信号は変わってくれない。ああもう早くしろ。ザァザァ、ブォン、パフー、ウフフフ、フフフ、アハハのハ。おいそこのバカップルさっさと失せろ。
「ええい!」
痺れを切らし、右見て左見て、横断歩道を無視して対岸へ走る。向こう側の道路でギリギリ車と接触しそうになったがなんとか無事歩道に着艦。コンビニの入り口を目指す。
そしてついに到着——。
「いらっしゃいま……」
コンビニの中へ入ると、入店に合わせた店員からの挨拶が途中で止まり、レジに居たその愛くるしい女性店員が残念そうな目を遼火へ向けた。
ポタポタポタ。体中から雫が店の床に滴り落ちて小さな水溜りが出来る。カゴを手に取り、一歩二歩歩いたものならその度に濡れた足跡が店内に形成されていく。店員にはその後微妙に視線を逸らされた気がした。
「……」
こんな時、あのイデアはさぞかし便利だろうな。
遼火は夕食分と翌日のパンとチョコレートと、あとは傘を取って会計に向かう。
どうか忘れてくれと心の中で呟きながら、相手の顔は出来るだけ見ないよう目を逸らしつつ。
【Prologue・完】
◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆
……。
ピン、ポーン。それは時刻にして丑三つ時。雨に濡れた体を乾かし、疲れ切り熟睡していた遼火は、ふとその常識外れな音に無理やり起こされた。
ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン——。
こんな真夜中に何度も鳴らされる呼び鈴に、さすがに苛立ちながら玄関に向かう。
一体誰なんだか。さっきの事件のことでやって来た警察か、既に辞めた事も知らずに過去の噂だけを頼りに訪れてしまった哀れな依頼人か、果ては——?
ガチャリ。
「あのな、一体何時だと思って——」
「こんばんは。それともおはよう? えっと、江藤さん? 江藤君? あ、遼火君かな?」
そこには、何やら色々詰め込んでいるらしい大きなバッグを両手にぶら下げながら、何か期待を込めた目でこちらを見て立っている「郷烏柚子」が居た。
…… …… …… ……。
「……は?」
【To be continued...】
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.13 )
- 日時: 2015/09/22 22:39
- 名前: 空凡 ◆qBiuWfql4I (ID: 4RNL2PA4)
時間は少しだけさかのぼる、
雨の中帰宅した遼火は疲れた体を何とか動かし、探偵事務所の名残であった黒いソファに体を託した。コンビニで購入した夕食分の食材とチョコレートは既に冷蔵庫の中へ雑に仕舞っている。パンに至ってはしまう気すら起きなかったらしく冷蔵庫の前に置いているレジ袋の中に居座っている。
シャワーを浴びてある程度温もりを取り戻したとはいえ、今日は心も体もくたくたとなっていた。伊達眼鏡を寝ながらソファの横にある机の上に置いて、そのまま腕を目を隠すように被せれば、直ぐに意識が遠のいていくような気がした。ただ、意識が遠のく中……探偵の手伝いをしていた性かいくつかの疑問が脳裏をよぎる。
結局、何故彼らはデパートを占拠しようとしたのか
便宜上、頭の中で彼らを"テロリスト"と置いていたがテロリスト、テロリズムを持って行動していたのであれば彼らには何らかの政治上訴えたいことがあったのだろうか?やったことといえば罪もない市民を暴力で脅して、ただ閉じ込めていただけだ。
そして彼らの結束は少し見ただけで分かるほど脆かった、暴行を働こうとしたり、リーダー格を失っただけでいざこざを起こしていた。まるで、彼らには"何の目的もなかった"かのように遼火には思えた。
「(じゃあ、何でまたあんな大掛かりな犯罪が起きたんだ? 人は、武器は、どこ...か...ら......)」
ただ、その考えを続けるにはいささか遼火は疲れすぎていたようで、その思考を回し解へと導こうとする前に遼火の意識は夢の世界へと連れ去られていた。
◇
——イデア(英:IDEA)とは、人類が手に入れた超能力の一つである
『日常を非に、その逆もまたしかり』
——カミサマという存在から啓示を
『炎を操る。それが俺のイデアさ』
——イデアとは人類の新たな
『私は、飛ぶことができます』
——事件の複雑化において
『見ろ遼火、ここが俺の事務所だ』
■
「(……誰だ、うるせぇな)」
思考が飛んだかと思えば、何度も事務所に響くしつこいチャイムによって意識を引きずり出された。少しけだるげにソファから起きて、周りを見れば明かりを落とさずに寝てしまっていたことに気が付いた。時計の短針は2を指していることと、窓から見える景色が今は丑三つ時……つまり午前2時であることを示していた。
机に無造作に置いてあった伊達眼鏡をかけながらまだ鈍い頭を回転させていく。そしてその間にもチャイムはなり続ける。
「(警察……、いや依頼人か? どちらにしたって文句の一つぐらいは言ったっていいよな)」
チャイムに急かされる様に扉へ向かって、遼火は次第にその扉の奥の人物へのいらだちを高めていた。
ただ、その苛立ちは扉の向こうにいた人物を視界にとらえた時に霧散していた。
「あのな、一体何時だと思って——」
「こんばんは。それともおはよう? えっと、江藤さん? 江藤君? あ、遼火君かな?」
少し視線をさげて、入ってきたのは亜麻色のきれいな長い髪、どこかつかめない雰囲気を携えた彼女、郷烏柚子《さとう ゆうこ》がそこにはいた。遼火はあまりの衝撃にしばらく言葉を失い、ただ状況を把握しようと視界に入るものを分析し始める。
彼女の他に人はいない、そして彼女はパンパンに膨らんだ大きなバッグを両手に提げ、何かを要求するような顔つきで、それでいて優しい笑みを浮かべている。
この状況は何だといえばいいのか、寝起きでなかったとしても遼火には導き出せなかったであろう。
少しお邪魔するね、そう言って郷烏は茫然としている遼火を尻目に少々強引に玄関に押し入った。そのマイペースさに、遼火はついつい何も言わずに郷烏の侵入を許す。
遼火は押されるがまま、靴を脱いで玄関を上り、郷烏は重かったであろうバッグを玄関に置いて、呼吸を整えた。
「……何の御用でしょ」
「ここが探偵事務所?やっぱりどこか違うね」
遼火が言葉を出そうとしたが、郷烏のマイペースな発言につぶされてしまった。郷烏はそう言うと珍しそうに周りを眺めている。本当に何をしに来たのかと、言おうとした時、郷烏は思い出したかのように玄関の外に出て、またすぐに戻ってきた。その手にはどこか見覚えのある、濡れた黒い傘が握られている。
遼火の傘だ
「これ……どこで」
「デパートの外に出るとき、また雨降りそうだったから私の傘を探そうとしたんだけど……見つからなくてたまたま落ちていた傘を拾ったのよ。そしたらこのバンドの部分に"Halequa"って書いてあったからもしかしたらって思って」
傘をなくしたら、もう戻ってこないだろうという風に考えていた遼火は少々うれしい気持ちになった。郷烏はキョロキョロと傘入れを探し、見つけそこに差し込もうととして、遼火が先ほどコンビニで購入した傘に目をくれた。その傘はピンク色のデザインが施されていたり、熊のデザインがされていたりと少々女性の、幼い子向けの傘であった。
遼火が購入しようとした時には急な雨もあってか、普通のビニールが差は売り切れていてこれしかなかったのだ。
黒い傘を傘入れに戻すと、郷烏は遼火に向けて何とも言えない笑みを浮かべた。
「……言っておくが、俺の趣味じゃない」
「そう? 可愛いけどね」
「お譲りしましょうか」
「いえ、遠慮しておくね」
思った通りの返答が来たと、遼火がうんざりしていると郷烏の体が震えた。よく見れば、それだけ大きな荷物を雨の中持ってきたというのに荷物はあまり濡れておらず、反対に郷烏本人の髪や体は濡れていた。
それに気が付いた遼火はこの雨の中傘を届けに態々来たのかと気が付いて彼女をあげた。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.14 )
- 日時: 2015/09/22 22:43
- 名前: 空凡 ◆qBiuWfql4I (ID: 4RNL2PA4)
どうせこの時間にまた寝たら寝起きが悪くなると、遼火はこのまま起き続けることを覚悟してコーヒーを淹れた。その間に郷烏にはタオルを渡してあり、郷烏はタオルで体をふきながら部屋の様子を興味深そうに眺めている。
暫く使っていなかったお盆にコーヒーカップ二つ乗せて、ソファに座っている郷烏の元へと持って行った。
「コーヒーです」
「ありがとう」
郷烏はコーヒーカップを受け取るとその温もりを感じるためカップを両手で持っていた。遼火は向かい側のソファへと座り、郷烏へといくつかの質問をぶつけた。
「ところで、ここについてどうやって?」
「江藤探偵事務所、で検索したら直ぐに出てきたけど」
「……昔の名残か、あとで教えてくれ、連絡して消しておいてもらう」
どうやらまだどこかのネットサイトにこの事務所の情報がのっていたらしい。とにかく、これで江藤探偵事務所へのたどり着き方は分かった。では次だ、
「何でそのワードを?」
「店長の門松さん? だったかな、その人に電話をかけたよね」
「えぇ」
「あの時たまたま私が近くにいたからさ、無線を他の人に悟られないように少し」
「……"一変"だったか、あの時も助けてもらっていたのか」
ばれる可能性は元々低かったけどね、と郷烏は付け加えた。
しかしその可能性を少しでも0に近づけていてくれたのなら、彼女に感謝すべきだと遼火は思った。
つまり郷烏はその店長との会話を聞き、江藤探偵事務所というワードから遼火の正体を突き詰めたということだった。
だがいくら正体を突き止めたとはいえまさかその日に傘を返しに来るなんて、と遼火は郷烏の行動力にいささか疑問を持った。
漸く飲める程度の温度になったコーヒーを郷烏は少しすすり、その苦さからか、眉を少し寄せた。
「そういえば、今は休業中なんだって?」
「閉業です、もうやりません」
そう少しきつく返すと、遼火はコーヒーをすすった。その返しに郷烏はあまり気にしていないのか、そのまま言葉をつづける。
「この広い事務所、今一人で住んでるんだね」
「えぇそうですね……」
「じゃあ、少し頼みがあるんだけど」
そのトーンを変えない願い事に、遼火は少々嫌な予感を抱きつつも聞いた。その頼みは、トーンは変わっていなかったものも、先ほどの話とは明らかに様相が違った。
「私、非日常的なことがどちらといえば好きなんだ。それで、今日の事件とかも、普通じゃなくて」
「……それで?」
「君が元探偵って分かった時も結構楽しかったんだよね……だからさ、
—— 一緒にやらせてくれないかな、探偵」
その言葉をはっするとき、郷烏はじっと遼火の目を見ていた。
一方、遼火は思いもよらぬ頼みが来て混乱していた。まさか知り合ったばかりの人が来て探偵を一緒にやろうなんてことを言うとは考えていなかったのだ。普段の遼火であったのなら、すぐに断りの言葉を述べていただろう。遼火はもう探偵業にはうんざりしていたのだから、
だが、郷烏のマイペースさに今遼火はのまれかけている。
何とかこの目の前の人物を納得させることができる理由はないだろうかと、視線だけ動かして部屋の中を見渡せば、今は電源の入っていないパソコンが目に入ってしまった。
——イデアに関する論文、そういえばまだ完成には程遠かった。あまりにイデアに関する情報が少なすぎてろくに進んでいないのだ。
そして目の前には、イデア保持者がいた……
もし彼女の協力が得られれば、この論文は進むだろうか。と考えて、慌ててその考えを打ち消す。そんなことをするよりかは一度この論文を捨てて別の題材を見つければいいだけの話だ、と自分を納得させようとする。
「ねぇどうかな」
そう心の中で格闘している遼火に郷烏が追い打ちをかける。簡潔に「いやです」といったとしても、この女性は食い下がるだろうと既に理解している遼火は必死に否定するための理由を探すが、どうしても肯定的意見ばかりがわいてくる。
何故だ、もしや既にイデアが干渉しているのかとまで疑ったとしても、思考がうまくいかない。その間も郷烏はじっと遼火を見つめている。
試しに自分はもう探偵にはうんざりしていると告げたが、郷烏はやはりどうしてもといって食い下がった。
「……探偵じゃなくて、何かの手伝いレベルだけなら、いいぞ」
コーヒーを何度も口に運び、遼火がその返事を絞り出したのはおおよそ30分たった後であった。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.15 )
- 日時: 2015/10/05 21:38
- 名前: 戦崎トーシ ◆TYZSwCpPv. (ID: bU2Az8hu)
「そっか」
郷烏柚子の反応は案外そっけなかったが、表情を見るからに、嬉々としているのは明らかだった。
遼火は冷めてしまったコーヒーを飲み干し、コトリ、とカップを机に置いた。郷烏を見れば、既に空になったカップを両手で包み、持ち手を人差し指でしきりに撫でている。おかわりが欲しいのだろか、と遼火は腰を上げた。
そのモーションの途中で郷烏が口を開いたため、腰は再び、ソファーに降ろされることになったのだが。
「遼火くんは、探偵が嫌いなの?」
逡巡。ぶつかった目を僅かに伏せた。
「もし、俺が『探偵が嫌い』だと言ったら」
「駄目だよ。契約はもう成立してるんだから」
遼火の言葉を遮り、彼女は、依然にこにこと微笑んでいる。想像通り、郷烏は1度決めてしまえば、そうそう引き下がらない人物のようだ。
遼火は溜め息を吐き、窓の外へ視線を向けた。雨脚はすっかり弱くなっている。雲の隙間に星が現れるのも、時間の問題だろうか。
…………。
秒針の音が一定のリズムで流れる。部屋の外、コンクリートに降り注ぐ雨音でさえ、はっきりと聞こえるほどお互い何も話さない。
初対面の男女同士で盛り上がれる話題が、近くに転がっている訳でもなく——デパートジャック事件のことで盛り上がるのは、さすがに嫌だ——ただ、向かい合って座るだけ。
否、強いていえば、両者とも相手の様子を伺っていたのだ。素性もよく知らないまま、遼火は「郷烏柚子」や「探偵」から遠ざかりたいと思っていたし、郷烏は郷烏で、「江藤遼火」や「探偵」を逃すまいとしていたのだ。
遼火の方は、悪あがきでしかない、と半ば諦めてはいたが。
「一緒に探そうよ、楽しいこと」
十数分の静寂の後、郷烏はぽつりと呟いた。遼火がおかわりのコーヒーを注いでいる時のことだった。
インスタントの安っぽい匂い。室内は広く、すぐには充満しない。
「君は『探偵』をよく思っていないかもしれないけど、これからが、今までと同じとは限らないよ。ましてや『一変』の私がいるんだから」
「随分な自信ですね」
「せめて、自分のイデアだけは信じていたいもの。イデアがなかったら、君と知り合えなかったんだし」
カップを郷烏の前に置く。自分の顔が映っている。波紋によって表情は読めない。
ふと、遼火は彼女の脚の脇に置かれた大きなバッグが気になった。ボストンタイプのそれは、旅行以外ではほとんど使わなさそうな代物だ。日常では活躍の場がないような、そんなものが何故ここに。
「あ、ところでさ、一緒に住んでいいかな?」
「どこに?」
「ここに」
恐ろしく明瞭な空耳だ。お陰でつい聞き返してしまった。
「できれば、ここに住まわしてもらいたいんだけど」
「……は?」
住む? 一緒に? ここで?
きょとんとする遼火を尻目に、郷烏はのほほんとコーヒーを味わっている。
いやいやいや。
いやいやいやいやいやいやいやいや。自分が言った台詞の意味分かってるのか。異性で、ましてや初対面の人間に「住まわせて」なんていう奴がどこにいるんだ。そしてどうしてそんな、のん気にコーヒーを飲んでいられるんだ。
……おい待て。ということはあの大きなバッグの中には、衣服や日用品なんかが入ってるんじゃないか? もしかしたらこの人の目的には、『居住権を獲得すること』も含まれてたんじゃないか?
いくら聡明な遼火とて予測し得なかった事実に、正直なところ、彼は混乱していた。訳が分からない。普通じゃない。
脳内の整理をつけ、少し落ち着いた遼火が申し出の理由を問うと、彼女は何てことないように答えた。曰く、1人暮らしで部屋を借りるより、一緒に住んで家賃を折半する方がお財布に優しいから。
意外と庶民的な回答は、更に遼火を困惑させた。
「……ここに住むってことは、よく知らない異性と一つ屋根の下で過ごすことになるが」
「遼火くんは変なことしなさそうだし大丈夫かなーって」
それは、会って1日もしない間に、強い信頼をおかれたということか。それとも高速でなめられたということか。できれば前者であって欲しい。前者であったとしてもいささか厄介だがな。
兎に角、諸々の理由により、同居を易々と認めることは出来なかった。
「大学院に通ってるから日中は居ないし、家事も人並みにはできるけど」
「…………」
「できるだけ、迷惑かけないようにするし」
「…………」
「プライバシーも大切にするからさ」
「…………」
「どうかな」
ひたすら沈黙を紡ぐ遼火に、彼女は問いかけ続ける。先程よりも押しが強い。だが遼火も先程より渋っている。
すると突然、郷烏のハシバミの両眼が、思考する遼火の視界に飛び込んできた。反射的に逸らすが、また眼前に現れる。郷烏は遼火と目を合わせようと、躍起になって彼の周りをぐるぐる回り付き纏う。遼火もその双眸から逃れようと、うろうろと歩き周り顔を多方向に向ける。2年前と4年前に20を超えたれっきとした成人2人がやるには、不毛で下らない駆け引きを続ける内に、遼火はだんだんと虚しくなってきた。
しかし、暫く続いた駆け引きも、本日2度目の音であっけなく中断する。
——ピーン、ポーン……
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.16 )
- 日時: 2015/10/05 21:34
- 名前: 戦崎トーシ ◆TYZSwCpPv. (ID: bU2Az8hu)
時刻は既に4時手前。2人は、案外簡単なことで顔を見合わせる。このチャイムの音は、あいつか、警察か、それとも——。少し目線を落とせば、郷烏の瞳が期待に輝いているのを捉えることができた。
そこで彼は直感した。自分が厄介に思うことの大抵は、彼女にとっては至高の刺激であることを。
——ピーン、ポーン……
遼火はドアノブを握った。捻って押すだけの単純な動作。壁で隔たれた向こうへ、室内の光が徐々に漏れ出していき、人物を明確にしていく。
ドアを開け切ったその時、瑞々しい果実の匂いが鼻腔をくすぐった。
「こんな時間にすみません……江藤探偵事務所って、ここですよね?」
そこに立っていたのは、背の高い女性だった。
20代後半だろうか。グレーのレディースーツに身を包み、髪はひっつめられ頭の上でシニヨンにされている。
「それが、江藤探偵事務所は今、閉ぎょ」
「はい! 確かに江藤探偵事務所です! ご依頼ですか?」
1人で勝手に話を進めないで欲しいんだが……ほんの1、2時間前に『何かの手伝いレベルだけなら』と言ったばかりじゃないか。深刻な依頼だったらどうするんだ。
遼火は思わず溜め息を漏らす。
立ち話もなんだということで、女性を室内に入れた。が、遼火は直後に奇妙な『もの』を目にした。
ずっと下から見上げてくる、無垢な両眼。
女性の背後には、少年が立っていたのだ。
「この子は……」
「さっきそこで会ったんです。まだ暗いのに独りきりでうろうろしてたので、心配になって、連れてきたんです」
女性はハイヒールを脱ぎながら答える。どうにも違和感しか感じないが、違和の理由が分かる筈もなく、取り敢えず少年も部屋に上げた。推定8歳前後の子供を外に放っておくのは、さすがに良心が痛んだ。
訪問者2人を同じソファに座らせ、遼火と郷烏は向かいのソファに腰掛ける。
女性は出されたコーヒーを啜り、すぅと息を吸うと、至極真面目な表情で放った。
「猫探しをお願いしたいんです」
「……猫?」
「……探し、ですか?」
拍子抜けする遼火と郷烏の前に、おずおずと写真が差し出された。そこには、桃色の首輪を着けた猫が写っていた。よく見れば、首輪から下げられた金属プレートには、モモコ、と刻印されているようだった。
白い毛に、茶や橙や黒の独特な模様、所謂三毛猫である。
「うちで買っている猫なのですが、昨日の夕方に逃げ出してしまったみたいで。私も探してはいるのですが、なかなか見つからず……だからこうして、探偵さんに捜索をお願いしに来たんです」
女性はどうかお願いします、と丁寧に頭を下げる。その隣で少年が不思議そうに、オレンジジュースが注がれたコップを見つめているのは、なかなかにシュールな画だ。
「では、昨日のことについてお聞きしてもよろしいですか」と遼火が切り出した時。
「この人の猫じゃないよ」
周囲の大人たちの視線を一身に集めた少年は、もう1度言った。
「この人の猫じゃないよ。その猫は僕ん家のだよ」
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.17 )
- 日時: 2015/10/09 23:47
- 名前: Satsuki (ID: EZ3wiCAd)
「昨日といっても、いつもと変わらない一日でした。私も会社員ですので、お仕事から帰ってきてからお買い物に行こうとしたら、玄関からするりと抜け出してしまって。あいにくこのスカートですので……」
「すると、この猫は室内飼いで?」
「そう、ですね。たまにベランダを開けるくらいで、普段はずっと室内で飼っていました」
広げたノートにメモを取っていく遼火。時折ペンを弄びながら質問をし、それに女性が答えていく。
実に嫌そうな目をした先刻とは打って変わって、いざ始めてみれば遼火の目は真剣に事にあたっているもので、探偵という仕事の重みがひしひしと感じられる。
柚子の出る幕は、どうやらなさそうであった。割って入る余地もなく、両者を交互に見返すばかりである。
「普段の食べ物とかは何をあげてました?」
「餌ですか? 市販のキャットフード、だけですね」
「けっこう大人しい子でしたか? 猫のほうで何か変わった挙動とかは、ここ最近でありましたか?」
「そうですね、あまり動きたがらない子で、だから、昨日もおかしい動きは何も……」
成る程、と呟き、遼火はペンを走らせる。その動きを見ているだけの柚子、何かできないかと周りを見る。
とはいっても、何か動くものはない。女性は相変わらず静かに腰掛けており、少年は今もコップをつついている。
「ちなみにこの猫さんのご年齢は」
「けっこういってる、と思います。私が飼いはじめてからもう二年、三年くらいです」
「そうですか? この写真を見ると、まだまだお若いかと思うのですが」
「飼いはじめた頃にはもう成熟しているぐらいでしたので……」
「成る程、それでしたらよほど大切にされていたようですね、分かりました」
柚子は部屋に目を移す。ソファの空いた一角に薄型のテレビ、使われているのかも分からないラジオデッキ。食器棚の中にはその大きさと部屋の広さに反して中身はあまり入っていない。
このくらいの広さなら水槽でもありそうなのだが、どうやら遼火にその趣味はないようだ。
と思って目線を戻すと、遼火のペンを持った右手がある一点を指していた。
怪訝に思ってその先を見てみると、少年だった。——否、少年が手に持っているコップだ。空になっている。
何時の間に飲んだのだろう。そして遼火はいつそれに気づいたのだろう。慌てて冷蔵庫へと向かう柚子に
「お茶でいいよ」
後ろから少年の声。なんとおませな少年だ。オレンジジュースではなくガラスボトルを取ってきて、空のコップに注ぐ。
注ぎ終わってから一回濯いだほうがよかったのではと思ったが、少年は特に気にすることもなくお茶を飲んでいた。
柚子が席に戻った時にはどうやら女性への聞き込みは終わったようで、遼火が別のメモ帳を取り出して女性に差し出すところだった。
「畏まりました。それではこちらでも捜索させていただきます。もし見つかったり有力な情報が入ったら提供しますので、お名前と連絡先をいただいても構いませんか?」
それに女性が軽く記入し、返されたメモ帳を遼火が受け取る。一瞥し、それを机に置いた。
女性はコーヒーをもう一口啜り、それからおずおずと口を開いた。
「あの、依頼料についてなんですけど」
「ああ、前金は結構です。こちらでいただくのは報酬だけ、というスタンスですので。特に今回は猫探しということですし」
「え、いいんですか……?」
「いえいえ、探偵というのは結果ありきの商売ですので、お気になさらず。何十何百とは求めませんので、ご安心ください」
「……ありがとうございます」
女性の一礼を受けて、遼火は子供へと目線を移した。
少年はコップを軽く回し、お茶にできる小さな波紋をただただ見ていた。不思議な奴だ、と遼火は思った。
「この子はこちらで預からせていただきます。そちらも夕方からお疲れでしょうし、よろしければ今日はお帰りください」
「あ、でしたら……甘えさせていただきます」
また頭を下げた女性に遼火は目線を戻し、それでは、とソファから立ち上がり、玄関口へと歩く。
それに柚子もついていった。ドアノブを握り開けて、振り返った遼火の目は、まだ鋭い視線を放っていた。
ありがとうございます、と言って、女性はハイヒールを履いて、外に出た。
「無事に見つかるよう、こちらも頑張らせていただきます。では」
「お手数をおかけします、よろしくお願いします」
お互いに一礼をして、女性が玄関から出て行った。それを少し確認して、遼火はドアを閉めた。
ため息ひとつを吐いて、ドアノブから手を離し、振り返ると柚子の目線と合った。
「どうかな?」
そう訊く柚子。遼火は片手を口元に当てて少し考え込むが、半ば諦めたかのようにその手を翻した。
「違和感はあった。重要なところを避けられたな、謎は深まるばかり……。
と、思うだろうが。ただ、今回はその謎が解決の鍵になりそうだ。喜べ、猫を探すだけじゃ終わらなさそうだぞ」
「じゃあ、やるの?」
「……仕方ないだろ、探偵としての仕事はこれっきりだからな」
一瞬だけ目元を翳らせてみたが、しかし遼火が顔を上げると柚子の満面の笑みがそこにあった。完全に乗せられたな。
もう一回、わざと大きくため息をついて目を逸らしてみたが、柚子の表情は全く変わらなかった。その表情のまま首を傾げたのが面白くて遼火は咽ることになった。
「でも、あの子はどうするの?」
そんな遼火の様子に気づかい無しに柚子が問う。遼火は深呼吸して呼吸を整え、言う。
「……そのためのお引取りだ。"依頼人"には平等に話を聞かないとな」
そしてソファに座ったもう一人、詳細不明の少年を見やる。
ちょうどコップのお茶を飲みきったらしい少年が、笑みを浮かべてコップを傾け、二人に空の器を見せてきた。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.18 )
- 日時: 2015/10/12 21:49
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: k6jJPJUp)
もう一度コップの上から1cmほどの高さまで並々と注がれたコップを引き寄せ口につける少年の正面に座り、改めて“もう一人の依頼人”への質問を開始する(尤も、この少年は偶々やって来ただけで別に依頼をしてきた訳ではないのだから、厳密には依頼人ではないのだが)。
「まずは名前と年齢から」
「加藤武瑠(カトウ・タケル)。8歳」
「何でこんな時間に外をうろついてたんだ?」
自分に関する簡潔なその質問に少年は端的に答える。しかし、続けてされた次の質問に少年はしばし黙り込んだ。
「……猫を探してて」
「猫を探すにしても、ちょっと遅くないか? 4時だぞ? 一晩中探してたのか? 親だって心配するだろ? 親は何も言わないのか?」
それは率直に非常識であろう。それまで敢えて聞かずにいたことを遼火はここで容赦なく少年にぶつけ始める。
「だって、家族、だから。それに、父さんは今出張中で家に居ないし」
「お母さんは?」柚子が尋ねた。
「居ない」
少年は少しだけ力強く答えた。それがどういう心情からの強味なのか、それは推して然るべきものだろう。
遼火は心の中でなるほどと呟いた。片親で、代わりに普段一緒に居る猫が居なくなって心配したと。確かに一見理屈としては通っている。
しかしまだ足りない。遼火は質問を続ける。
「で。この猫、君のなんだって?」
「うん、そうだよ。うちの“モモコ”だよ」
写真を手に持ち少年に見せながら尋ねる。この写真は先ほどの女性依頼人が持ってきたもので、つまりは彼女が探して欲しいと言った彼女の猫の写真であり、それは当然この少年の飼う猫の写真である筈も無く、にも拘らずはっきりと自分の猫だと言い切る少年に遼火は改めて小さな溜息を吐いて改めて写真をテーブルの上に置く。
「探していたと言ってたが、どうして?」
「……放し飼いにしてたら、雨が凄くて、それで帰って来なかったから雨が止んでから探しに行ったんだ」
それを聞いて横で柚子が「雨凄かったもんねー」と頷く。その凄さは他でもない遼火自身が一番知るところでもある。確かにあの雨なら猫もどこかで必死に雨宿りをしていることだろうし、夜ならそのままどこかで休んで戻ってこないだろう。ただ子供であれば見つかる筈の無い猫を延々と探し続けるというのは理解出来なくも無い。
「でも、さっきの人も自分の猫だって言ってたんだ。この写真を持って来たのもさっきの人だ。君が勘違いしてるんじゃないのか?」
「知らないよ。僕も写真を見てビックリだったもん。でもそれは絶対にうちのだし」
「ふむ」
間違いなくうちの猫だと言い張る少年に、遼火はこのままでは埒が明かないと感じ始める。
他猫の空似ってことはないだろうか? それに何せ子供の言うことでもある。だが、名前まで同じというのはあり得るのだろうか?
「首輪の色も同じなのか?」
「勿論。ピンクの首輪だよ」
「毛の模様も?」
「うん」
なんと首輪まで同じらしい。また、念の為聞いてみたが毛の模様も。
「ウソだと思ってるんでしょ? ウソじゃないよ」
「他に何か特徴は分かるか? ……そうだな、この写真を見ないで言って合ってたら信じてやる」
「……」
少年は黙り込んで幾らか減ったコップの中に視線を落とし、程なくしてから視線を上げ直して口を開いた。
「……首輪」
「首輪?」
「首輪の右のところに染みと擦り傷がある。擦り傷は触ってる時に僕が爪で付けちゃったんだ」
写真を見ると、一見分からないが目を凝らすと確かに染みのような物があるように見える。少年も先ほどから少なからず写真を見はしていただろうが、間近でじっくりと見ない限りこの染みに気が付くことはないだろう。これはそれだけ微妙な色合いの染みであり、今さっき初めて見ていきなりこんな染みに気が付くとは思えなかった。
なら本当に飼い主なのだろうか? ただ、擦り傷に関してはこの写真では良く分からない。毛で隠れてしまっているのかも知れない。
しかし、もしもウソなら、見つかった時すぐばれるようなことを言うだろうか? しかし子供なら? だが、先ほど言った染みは確かにあるように思える。
では、仮に子供が本当の飼い主だとすれば、あの依頼人の女性は何なのだろうか? 向こうの方が勘違いをしている? 似ている別の猫、この場合少年の猫を写真に撮ってしまったのだろうか? しかし、本当にそんなことがあり得るのだろうか? 名前も首輪も毛の模様まで同じなどということが。普通に考えれば、金をかけてまで猫探しをする依頼人が正しく、子供がウソを吐いていると考えるべきか。……。
考え込んだ遼火が黙り込むと、室内はやけに静かになった。少年も柚子も同じく口を開かず、時計の音だけが室内に響いていた。
女性依頼人の連絡先を書いたメモとコップのお茶を飲み干しガラスボトルからおかわりをしようとする少年の顔を交互に見比べながら遼火は考える。
ただの猫探しの依頼が来たかと思えば、何故か偶々やって来ただけの筈の少年が自分の猫だと言い張り、ただの猫探しではなくなってしまった。
一体どちらが本当の飼い主なのだろう? どちらも自分の猫だと言ってはいるが、今のところそれが本当であるのかどうかの確証は無い。
「あー…………」
遼火はソファーの背もたれに深く倒れ込んで頭をボリボリと掻きながら呻き声を出した。
「どうかな?」
それを柚子が真上から覗きこんで尋ねてきた。少々顔が近い。
しかし分からない。こんな情報だけでは分かる訳が無い。というか眠たいし頭も働かない。忘れていた訳ではないが、今の時刻は健常な生活を営む者なら夢の中で愛おしく安らいでいる時間の筈なのである。特に昨日と言うか今日と言うかは、あの事件や大雨の所為で体力を根こそぎ持っていかれてしまっているのだから、頭などまともに働く筈も無い。率直に言えば、疲れた。
「いよし」
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.19 )
- 日時: 2015/10/12 21:46
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: k6jJPJUp)
遼火は気合を入れて上半身をソファーから起こした。柚子は察して顔がぶつかる前に逃れて後ろに下がった。
とりあえず話は聞いたのだから、今日のところは切り上げることにした。時計を見ると5時を過ぎている。
「武瑠君はどうする? 泊まってく?」
家主でもない柚子が少年に尋ねた。というか彼女は既にここに住まう気でいるのだろうか。柚子のことも実はまだ許可を出してはいない筈なのだが。
一応遼火にも家主としてのプライドがあるので、少年が答える前に自分でも質問することにした。
「家は近いのか?」
「分かんない」
「は?」
「探してたら、来た事ないところまで来てたから。……僕、泊まっていきたい」
「そうだねぇ。この時間じゃ危ないしね」
結局、そろそろ朝だとは言え帰り道も分からないような子供をこの時間に一人で帰すというのも大人として問題があるので泊めざるを得なくなった。送っていくにしても、とりあえずもう寝て起きてからにしたい。
「……泊まってもいい?」
「うん、勿論。ここに住んでる私が許可します」
「待て。まだあんたのことは許可してない」
やはり彼女の中では既に確定されていたのか、咄嗟に突っ込みを入れる遼火。確かに探偵(厳密には違うと言いたいが、この際一先ず探偵ということで構わない)の手伝いは許可したが、住むことにはまだ同意していない。
「じゃあ、追い出す……?」
「え? こんな時間に?」
柚子が悲しげな声を出すと、少年が反応して驚いた声を出した。
「外、暗いよね」
「うん、それに寒いよブルブル」
「震えるくらい寒いなら、きっと風邪引いちゃうね。雨も降ってたし」
薄暗い窓の外を二人で見ながら、全く同じタイミングで恐る恐る遼火に振り返る柚子と少年。
「「チラリ」」
「待て。その子が震えてるのは単純に水分の取りすぎだろう」
あまり気にしていなかったが、ここに来てからの1時間弱で一体何杯飲んでいたと思っているのか。
「イタタタっ、お腹痛いっ」
「大変! 遼火君、薬は無いのかなっ?」
「さっきから何なんだその息の良さは?! とりあえずトイレはあっちな!」
勢い良くトイレに駆け込んで行く少年の後を追って柚子も付いて行く。
妙に息ピッタリな二人に手玉に取られているような気持ちで見送りつつ律儀に薬を取りに向かう遼火は、ふと“郷烏柚子”のことを考え始める。
彼女が言うには、非日常が好きで探偵に興味があるということだが、偶々事件の最中に知り合ったというだけで突然押しかけてきて、一緒に探偵を、それも住み込みでやらせて欲しいなどと言うのは少々不自然ではないだろうか?
彼女には何か別の思惑があるのだろうか? だが、正直不思議と遼火自身その不自然さを受け入れかねない奇妙な心境に陥り始めている。
日常を非日常に変える『一変』のイデア能力者。これもそんな彼女のイデアの成す結果の一つなのだろうか?
疑念を抱きつつもそれを確かめたくなるのは染み付いた職業病故なのか、彼女の持つイデアに対する興味の所為なのか、それとも。
トイレの前から戻ってきた柚子に遼火は話しかける。
「……郷烏さん。とりあえずなんだが、住んでも構わない。けど——」
「本当っ? ありがとう!」
言い切る前に向けられた不意を突くような満面の笑みに、一瞬思わず言葉を失ってしまう。胸の音が確かにドキリと言ってしまったような感覚。何かグッとした衝撃に、言葉と共にほんの短い間、遼火は時を奪われた。
しかし直後我に帰る。まさか江藤遼火としたことがこんなことで意識を奪われるとは不甲斐ない。ただの笑顔だ。自分を叱咤するように一度深呼吸し、目を逸らしながらも続きを告げる。
「その代わり、この依頼の間だけだ。終わったら出て行って貰う。やっぱり若い男女が同じ屋根の下というのはな、こっちとしても何かと問題が——」
だが彼女の姿は既にそこには無く、どこか恥ずかしさを堪えながらも言ったその台詞は柚子には全く届いていなかった。
「ねー! 紙無くなったぁー!」
「遼火君! トイレットペーパーの買い置きどこなのかなっ?」
「…………」
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.20 )
- 日時: 2015/10/12 23:55
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: k6jJPJUp)
翌朝、江藤遼火は、実にげんなりとした面持ちで燦々と照る午前10時の日差しがキラキラと煌きながらもその実かなりの紫外線を下から上へ照り返しているような凶悪なコンクリ地面の上を闊歩していた。その隣では郷烏柚子と昨日の少年とが仲良く手を繋いで最近人気のCMソングを歌いながら歩いている。
「隠者(いんじゃ)ー、隠者(おんじゃ)ー」
「隠者(いんじゃ)ー、隠者(おんじゃ)ー」
「隠ー(いーん)、隠ー(いーん)、隠ー(いーん)、隠ー(いーん)」
「隠(おん)隠(おん)隠(おん)隠(おん)、隠ー(おーーーーん)」
「てれれっ、てれれっ、てれれー」
「……」
聞き覚えこそあるが、自分では特に歌いたいとは思わないそのリズムを楽しげに歌う二人のことを、楽しそうだなぁとか鬱陶しいなぁとか色々思っても良さそうなものだが、どうやら遼火の顔はそれを特に気にしていない様子である。つまり感想無し。何とも人としての情と書いて人情を欠いた反応である。
いや、彼の名誉の為に言えば、それは気にしていないのではなく気にする余裕が無いの間違いである。何故なら現在時刻は午前10時。そう、10時である。お分かりだろうか? 就寝したのは5時過ぎ。あの後二人に空き部屋を紹介してすぐ自室に戻って倒れて即座に眠りこけたものの、まさか起床してすぐそれも3人もの人間が即座に外に出て朝の散歩を開始する筈も無いので、当然起床したのは10時より前。はっきり言えば9時8分である。
「隠者(いんじゃ)ー、隠者(おんじゃ)ー」
「隠者(いんじゃ)ー、隠者(おんじゃ)ー」
そう、4時間弱。それしか寝ていないのだ。何故そんな時間に起きる羽目になったのかと言えば、単純に少年と柚子に叩き起こされたからである。他に何の理由も無い。遼火としては本来、昨日は大分疲れたし今日のところは昼過ぎまでは寝て昨日の疲れをしっかり取ってからじっくり取り組むかぁーと言った内容だったのだが、探偵仕事がそれほど楽しみらしかった柚子に、半ば旅行気分で知らない他人の広い家にお泊りしてテンションの高い少年という二人によって布団ごと安眠を奪い取られた。遼火には、今日最初に視界に入った二人の笑顔に見たアレを「狂気」と呼ぶに何の躊躇いも無い。
よって、眠たい。頭がぼーっとする。激しく眠たい。いくら柚子が訪れてくる前から寝ていたとは言え、途中で起こされて1時間も経てばはっきり言ってそれまでの睡眠度合いはほぼ0へリセットされる。いや、本当にそれまでの睡眠が科学的に無駄になるのかは定かではないが、そんな気がする程度には眠たい。そう、眠たい。
「隠ー(いーん)、隠ー(いーん)、隠ー(いーん)、隠ー(いーん)」
「……」
「隠(おん)隠(おん)隠(おん)隠(おん)、隠ー(おーーーーん)」
「……」
対して二人はあの10時の太陽の眷属と説明されてもあながち疑いが出ないような元気の良さ。男一人だけが実に暗い。沈んでいる。因みにこの男、服まで黒い。
「うるせぇ……」
「あ、反応してくれた」
「やっと反応した」
「服のことは、馬鹿にするな……」
気に入っているのだ。世の中服は様々にあれど、自分とそれほどフィーリングの合う服にめぐり合うと言うのはそれだけでレアである。遼火にとってそんな希少で且つ気に入っている服がこれなのだ(というか、至って普通の服なのであるが)。
「でも、私も服のことはどうでもいいかな」
「うん。どうでも良い」
「どうでも良いって言うな。寂しいだろ……」
低い。今の遼火のテンションは激しく低い。その上折角のフォローも天邪鬼で無下に返す。いっそ性格すら変わってしまっているようにも見える。
「遼火君、疲れてるみたいだね。でも大丈夫。これから猫猫パラダイスに行くんだから。きっと癒されるよ。ね?武瑠君。猫沢山いるんだよね?」
「うん。いるよ。30匹くらい!」
数を聞いて柚子が「すごいすごい」と盛り上がる一方、遼火は想像する。30匹。完全に猫の独立国家じゃねぇか。遼火は入国した途端に手厳しい歓迎を始める猫たちの様子を脳内クリエイトして背筋を振るわせる。その際のやられ役は自分だ。このメンバーでは致し方が無い。
「居ると良いね、モモコちゃん」
そもそもどうしてこうして歩いているのかと言えば、この少年の言う「手掛かり」とやらがその場所だからである。つまりは、
『モモコはいつも猫の溜まり場に遊びに行くんだ』
ということなのである。
なので、遼火たちはそこへ向かい、まずは直にモモコを探すことになってしまったのである。
場所はと言うと、幸いそれなりにご近所とも言える距離のようだった。
「……しかし俺としては、まずネットで町の預かり情報を確認してからだな」
「探偵は足! 足を使えない探偵は駄目な探偵だって、某有名探偵も言ってたんだから」
この探偵を良く知りもしないお嬢様に中途半端な知識を植えつけた有名探偵は一体どこの探偵様なのか、小一時間説教してやりたい心境だった。お陰でこの二人に狂気を孕んだ行動を招き、遼火の睡眠及び体調が悲惨なことになっているのだ。
にしても、頭がぼーっとする。昨日の雨でやはり微風邪を引いているのかも知れない。おまけに朝食もロクに食べていないのだ。昨日コンビニで買ってきた食料は結局三等分され、そして尽きてしまった。お茶も昨日(というか今朝)少年一人に飲み干され、水分は水だけだ。中々に侘しい。猫探しと言うのは根本的に体力仕事なので、こういった状況ははっきり言って最悪の部類である。
「腹減ってるんじゃない? 兄ちゃんもガム貰えば? クチャクチャ」
「要る?」
差し出されたメロン味のガムを素直に受け取って口に放り込み、その味で舌と腹を誤魔化することにする。口に入った瞬間それは空きっ腹に染みるほどの甘酸っぱさ……甘酸っぱくはない。メロンだからである。どちらかと言えばメロンは甘い。果物の中ではマイルドな甘さがある。ただ今は甘酸っぱい方が良かった。気分的にである。甘酸っぱさこそフルーティと呼ばれる味わいの正体だろう。ひいては快活への招待状。快活な自分という大舞踏会へ行く為にはフルーティな甘酸っぱさが必要不可欠なのだ。快活を求めたかった。快活によって自分も日の当たる世界に相応しい住人として住民登録されたかった。
クチャクチャ。
しかし、噛めども噛めどもメロンはメロン。甘酸っぱくはならない。
クチャクチャ。
途中で自販機でもないだろうかと探す。しかし無い。はっきり言って皆無だ。
何なんだこの町は。自販機の一つくらいポンポコ置いておけよ。昨日のコンビニが中々見つからなかったことと言い、内心で愚痴る。ただ、快活の代わりに苛立ちによってせめて頭だけは冴えて来た気がしないでもない。
そしてそれを自覚した頃、丁度目的地に到着したようだった。
「あそこだよ! あそこ!」
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.21 )
- 日時: 2015/10/25 18:09
- 名前: 空凡 ◆qBiuWfql4I (ID: 4RNL2PA4)
少年が指でさししめしたのは一本の細道だった。建物と建物の壁の余白にできた道の奥には、神社のようなものが見える。
ここが件の猫猫パラダイスとやらなのか、少年に聞こうと遼火がきこうとするときには、少年は我慢できなかったようですでに走り出していた。
それにつられ、郷烏もテンションを上げて続いていく。体長の悪さからか、遼火は悪態の一つもつかずゆっくりと二人を追おうとして、
「……ん?」
後ろで何か動いた気がして遼火は首だけ回してみたものも、そこには何もなく、気のせいだったかと思い直し歩を進めた。
◇
密閉感ある道を進んで行く、地面は舗装されておらず下は昨夜の雨によってぐちゃぐちゃになっていた。こんな所を走っていけば、転びはしなくても足回りが汚れるだろうと思いながら歩いた。足元には3組の靴の跡が刻まれる。
十数m程度歩くと、隣に立って居た壁の代わりの様に大きい鳥居が現れた。先ほど、ここに来たはずの二人は恐らく礼もせず通りすぎたのだろうかなどと思いながら、遼火は頭を少し下げて鳥居をくぐっって境内へと入った。
境内には、人影が二つ、無論先ほど走り出した二人だ。
そしてそこに集まる無数の猫たちがいた。
「ごめんなぁ、今日はおやつ持ってないんだ」
「君は……可愛いなぁ」
少年と郷烏はゆっくりと来た遼火を一瞥すると再び目的の猫を探し始めた。が、郷烏の方は頭の中の目的が「モモコを探す」ことから「猫を愛でる」ことに移り変わろうとしているのか、少年よりも動きが遅く一匹に時間をかけている。
遼火はその光景を見て、あることに気が付いた。
猫は二人に寄ってきている、というよりかは猫たちは少年を中心に集まっていた。それを裏付けるものとして。境内に入ってきた遼火に寄ってくる猫はいなかった。
「(武瑠君は猫に懐かれる程度にはここを訪れてるのか)」
"モモコいつも猫のあそび場に行く"と言っていたからそれを迎えに行っていたのだろうか?はたまた、彼自身ここがお気に入りだったのだろうか。
とりあえず猫探しはこの二人に任せてておこうと脳内の中で決めて、遼火は神社本殿へと向かう。道のわきにいくつかエサ入れが置いてあることからここの人が餌をやっているのだろう。
そう考察していると、丁度本殿の方から紫色の僧衣を纏った神主さんが現れた。どうやらこちらの気配を感じて出てきたらしい。
遼火は昔やらされた探偵業で培ったせいぜいの営業スマイルを持って挨拶をした。
「こんにちは」
「こんにちは、今日は……」
神主さんはゆっくりとお辞儀をし、遼火たちに目的を訪ねた。遼火は一旦"江藤探偵事務所"の単語を言いかけて、それを胸にしまって、代わりに胸ポケットからモモコの写真を取り出した。
「実は猫を探していまして……この猫なんですが」
「拝見します……ああ、この子ですか。この写真よりかは今は細いですが、よく灯篭に上って日向ぼっこをしていますよ」
お坊さんは写真の猫をモモコと言うと、境内の中に立っている灯篭を指さした。灯篭の中からはモモコとは違うが黒猫がこちらをのぞいている。
その横では二人が今もせっせと辺りの猫を確認しているが、成果はいまだ出ていない様だ。
「今日はいない、みたいですね?」
遼火の問いに、神主さんは無言で答えた。
とにかく、これで一つの証言が崩れた。
何故そんな嘘を吐く必要があったのか、と今考えてもしょうがないので、遼火は少年がこちらに意識を向ける前に神主さんに問いをぶつけた。
「ここの猫たちはすべて野良猫なんですか?」
「いえ、多くは境内の周辺に住んではいますが偶に放し飼いの猫なども来ますね。少し昔私の趣味で猫に餌をやり始めたら集まってしまって……中には夜のうちにここへ来た猫もおります」
そう少し悲しむようにしてお坊さんは猫たちを見た。つまりは捨て猫だろう、猫が多いところならばちゃんと飼ってくれるだろうと無責任な飼い主が捨てていったのだろうか。
ふと視線を上げると、境内には似つかわしい近代的なカメラが2台、こちらを見ていた。あれの映像を使えばモモコを追えるかもしれないと思ったが、それと同時にカメラに遼火は少しの違和感を抱いた。
その視線に気が付いたのだろうか、お坊さんは声をつづけた。
「そちらは一時期、捨て猫が急増いたしましてつけさせていただきました」
「……しかし、二台とも」
そう言いかけて、遼火は神主さんをじっと見つめた。
お坊さんもまた、少し恥ずかしそうに頭をかいた。
カメラは、何も映していなかった。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.22 )
- 日時: 2015/10/30 18:51
- 名前: 戦崎トーシ ◆TYZSwCpPv. (ID: /bs85MAK)
「こけおどし?」
「いやはや、お恥ずかしい限りです」
虚仮威し、言い換えればフェイク。
2台も設置するとなれば費用もそれなりの額になるらしく、ちゃんとしたものは購入できなかった、と神主は語った。しかし形だけでも抑止力になるらしい。事実、レンズの向こうは空ろだと分かっていても、監視カメラの『視線』をチリチリと感じる。
「おかげさまで、捨て猫の数は減りました」
足袋を履いた足元を、赤い首輪を着けた猫がすり抜けていく。遼火は猫へ視線を落とす。しなやかな胴に生える橙の毛は、どれも同じ方向に流れていた。
「その子も捨て猫ですか? その割には、随分と綺麗に見えますが」
彼は、遼火が見る方へ目を向けた。そこではさっきの猫が呑気に毛繕いをしている。「おそらく彼は『通い猫』でしょう」と、神主は言った。
「先ほども申し上げたとおり、ここには放し飼いの子も何匹かいます。ここと自宅を行き来きする子、餌を貰う為に幾つかの家を転々とする子、実に様々です。『通い猫』とは——私が勝手にそう呼んでいるだけですが——そのような猫たちのことです」
「なるほど……」
後者は放し飼いと言えるのか怪しいものだ、と遼火は思う。
赤い首輪の猫は、毛並みからしてきっと前者だろう。美しい毛並みは栄養が足りている証拠だ。モモコも同じなのだろうか。写真の中だと、栄養不足には見えず健康体といった感じだったが。
「彼は稀ですよ」
「そうなんですか?」
「どこで何を食べたのか分かりませんから。こちらで餌の量が把握できず、肥満になったり痩せ過ぎてしまったりする通い猫が大体なのです」
「モモコはどうでしたか?」
「そうですね……痩せていましたし、やや毛が荒れていたので、栄養不足だったのではないかと」
遼火の脳裏に1人の依頼人の顔が思い浮かんだ。
——『市販のキャットフード、だけですね』
——『私が飼いはじめてからもう2年、3年くらいです』
モモコに与えられていたのは市販のキャットフード。キャットフードについてはよく知らないが、猫に必要な栄養分がバランスよく含まれている筈だ。しかも彼女は猫を飼い始めたばかりではない。モモコの栄養管理ならある程度できていただろう。そもそも、
——『たまにベランダを開けるくらいで、普段はずっと室内で飼っていました』
——『あまり動きたがらない子で、だから、昨日もおかしい動きは何も……』
モモコは室内で飼われていたのだ、ここに来られる訳が無い。なら、ベランダからこっそり抜け出していたのか。だとしても偶に、である。普段は部屋の中で動きたがらない、どちらかといえば肥満になりそうだ。尚更栄養不足は考えられない。
もう1人の依頼人の顔が、脳内に描き出された。OLには怪しい点が多い。やはり飼い主は少年だろうか。
それでも、遼火は引っかかりを感じていた。
——『だって、家族、だから』
——『お母さんは?』
——『居ない』
母の居ない隙間を埋める、大切な家族。夜中ずっと1人で探すくらいなのだから、彼の言葉に嘘は無い。だがいくら放し飼いにしているとはいえ、痩せて毛並みが乱れているのに、そのままにしておくだろうか。自分なら医者に連れて行くなり、室内飼いにするなりして、何か手を打つだろう。もしかすると、少年は猫が痩せていっているのに気がつかなかったのか。否、
——『首輪の右のところに染みと擦り傷がある。擦り傷は触ってる時に僕が爪で付けちゃったんだ』
気がつかなかったなど有り得ない。首輪の細かな傷を知っている、つまり、彼は首輪をよく見ていたのだ。だとしたら当然、猫が細くなって『首輪と首の間に隙間が出来ている』ことにも気付く。それに、
「わあ、君、美人だねー」
「ハリウッド女優みたいだよ」
遼火の思考を容赦なく声が割り込み、彼は口元に当てていた手を力なく降ろした。
完全に当初の目的を忘れている柚子と少年が、1匹の猫を抱きかかえ無邪気に笑っている。少年の腕の中に収まっているのは、さっきの赤い首輪の猫だった。
「お前ら……」
「見て見て遼火くん、この猫ちゃんすっごく綺麗だよ」
「僕、この子初めて見るなあ」
「モモコ探しはどうしたんだ……あと言っとくが、その猫はオスだぞ」
「えっそうなの?」
「神主さんが『彼』って呼んでたからな」
「でも首輪は赤色じゃんか。赤といったら女の子だよ」
「戦隊物の真ん中も赤色だぞ」
「あ、確かに」と少年が神妙な面持ちで呟く。至極どうでもいいことなのに、彼は深く納得しているようだった。齢の割にはませた子だと思っていたが、相応に単純な面もあるらしい。
ふと、柚子が得意げな表情で遼火と少年を見る。
「ふふふ……ではここで問題です。回答権は1回だけだからね。これから言う選択肢の中で猫に与えてはいけないものは、どれでしょうかっ!」
一体自分たちはここに何をしにきたのか。何故
強制参加なのか。
「A、煮干し。B、鰹節。C、牛乳。さてどれでしょう?」
少年は少し悩んだ後「C!」と答えた。「遼火君は?」と回答を迫られ適当にAを選ぶ。
「正解は——A、B、C全部でしたっ!」
「えーずるいよー」
少年が抗議の声をあげるが、柚子は「うふふ」とにやにや悪戯っぽく笑うばかりだった。そして指を折りながら「イカ、ネギ、チョコレート、キノコ」と猫に与えてはいけないものを挙げ始める。
遼火は周りを見渡した。どこを向いても視界には猫がいて、何とも不思議な感覚になる。その中に三毛猫を捉えることはなかった。
「それから、ドッグフードも駄目なんだよね」
まだやってるのか、と何気なく彼女に視線を注いだその瞬間、彼は、郷烏の指折りが止まるのを見た。
「あと、猫は柑橘系の匂いが苦手なんだよ…………あれ……?」
「どうしたの?」
「なんか……私、矛盾してること言ったような……」
遼火は唐突に、無意識に過去を辿る。
「……柑橘系って、なんか、最近……」
「オレンジジュースのこと?」
「多分、それよりも前に……」
——ドアノブを握った。捻って押すだけの単純な
——壁で隔たれた向こうへ、室内の光が
——人物を明確にして
「柑橘系……シトラスの、匂い……?」
そうして、郷烏より一足早く『そこ』に行き着いた。
——ドアを開け切ったその時
——『瑞々しい果実の匂い』が鼻腔をくすぐった
——『こんな時間にすみません……江藤探偵事務所って、ここですよね?』
「……香水、か」
郷烏がハッと顔を上げる。
「香水、だよ、遼火くんそうだよきっと、ううん絶対。でもだとしたら……」
「猫を飼ってるのに、猫の苦手な『シトラスの香水』をつけてたって、こと、だよね姉ちゃん」
彼女はこくりと頷き、遼火を見た。ごくり、郷烏の喉が動く。感動で声を震わせながら、彼女は思わずこぼした。
「遼火くん……なんかこれ、探偵っぽいね……!」
「住所も受け取ってるし、次は依頼人の家に行ってみるか……気になる点は、他にもあるしな」
言葉尻と同時に一瞬少年を見る。少年はまるで郷烏の真似をするように、目を輝かせていた。来た時と同様に、元気な2人の後を追って再び鳥居の下をくぐる。
時計の短針は11時以降を示していた。もうすぐで太陽が自分たちの真上に現れる。
「いーん、いーん、おん、おん」。時折セルフで間奏を入れながら、最早洗脳の呪文にも聞こえるCMソングを、こんな時でも2人は楽しそうに歌うのだった。泥濘で汚れた靴底で、コンクリートの道路上に薄い色の足跡をつけながら。
「そういえば、増えてたね」
「? 猫ちゃんのこと?」
「違うよ、足跡だよ」
遼火と郷烏の足が、はた、と止まった。
「どうしたの? 早く行こうよ」
「そうだね、行こっか」
あの時、自分たちのほかに、境内に入ってきた人がいただろうか。
それは、誰のものだ。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.23 )
- 日時: 2015/10/29 11:06
- 名前: Satsuki (ID: EZ3wiCAd)
今更戻れない。
仕方なく遼火は柚子と少年に歩みを合わせることにした。
「いーん、いーん」
「おん、おん」
新しい謎だ。足跡が増えていた、しかし"三人はそれを目撃していない"。
単に目に触れる前に立ち去ったとか、此方が気づかなかったとか、確かにあれだけ猫の視線を浴びていれば感じ逃すことも十分有り得るだろう。
しかしそんな当たり前に思える情景が、その場所ゆえに当たり前にならなくなった。
「いーん、いーん」
「おん、おん」
何者かは"来た"。その来た場所は神社である。そして猫猫パラダイスである。
わりと奥まった場所に位置していたあの神社。お参りするにしろ、猫たちとじゃれあうにしろ、神主に縁があるにしろ、何かしらの目的がなければそうそう足を踏み入れることはないだろう。
そして目的があって来たのならば、神主は遼火が目をつけていた、猫たちは柚子と少年が目をつけていた、"目撃しないはずがない"のだ。
「いーん、いーん」
「おん、おん、おーん」
来た時点で目的は既に達成されていた?
あるいは悟られずに完了できるくらいの簡単な目的だった?
しかし先に挙げた他の目的があるか?
尾 行 ?
「まさかな」
「ん、どうかしたの?」
「いや、何でもない」
かぶりを振っただけのつもりが思わず声も出てしまった、振り向いた柚子に遼火は即答する。
変なの、と苦笑いのような横顔を残して、彼女は少年との合唱を再開した。
それを見て、遼火も再び物思いを再開する。
尾行だなんて。その発想が浮かんだことに遼火は内心で笑ってしまった。
最後にそんな依頼をこなしたのは何ヶ月前だか。それとももう年単位になるだろうか。
懐かしいものだ。最初の頃はよく自販機や看板に激突したり、ゴミ箱を蹴り飛ばしたりして、ごまかすのに必死だったものだ。
サスペンス系の漫画やアニメでよくあるようなベタな尾行シーンというのは、経験者であるから語れることだが、意外とリアルにもよくあるものだ。
足が必要なものは足が要るし、足が要らないものはそれ以外でまた必要なものがある。徒歩による尾行も、未だどころか現在進行形で現役なのだ。
さながらカーチェイスのようにわざわざ迂回かつ爆走などを平然とこなした親父には、もしかしたら理解されないかもしれないが。
遼火が生まれる前の話はあまりしてくれないが、絶対に峠攻めはやっていたに違いないと遼火は思っている。
閑話休題。
得体の知れない者に素性を探られる、あるいは探られているかもしれない——といったことの気味悪さは、それを仕掛ける側だった遼火にもひしひしと感じられた。
しかし、それに近しいものを感じた、だからといって安直に尾行と結論付けてはいけない。そういえば入る時にも誰かの視線を感じたような気がするが、きっとただの思い過ごしだ。経歴が過剰に反応しているだけだ。
そう、いわゆる職業病だろう。いや遼火の職業は大学生のはずなのだが。
「そういえば遼火くん」
そこで前からお声がかかった。遼火が顔を上げると、意外と近いところに柚子と少年の姿があった。少し歩みを遅め、遼火に合わせている。
あのそろそろ眩暈がしそうになってきたCMソングが何時の間にか聞こえなくなったのを感じて遼火もちょうど前を向こうとしていたところだった。
聞こえないくらいに先行していたわけではなく、単純に声が止まっていた。つまるところ二人もようやく飽きたのだろう。
「……どうした?」
「もうすぐ12時になるよね」
「……そうだな」
何故その話を振ってきたのか、遼火はすぐに悟った。
悟った上で、とりあえず待ってみる。
「お昼休みの時間だね」
「奢らないからな」
「えー」
「えー」
「待て、郷烏さんはともかく武瑠お前はもう少し謙遜しろ」
本当は柚子にも謙遜をしてほしいものだが、——いややっぱり柚子宛てにも言っておくべきだった。
「たくさん歩いたから、喫茶店とかでゆっくりしたいな」
「僕はお昼はオムライスとか食べたいなー!」
「だから謙遜な!?」
そのお金を出すのはどうせ遼火になるであろうことを考えると頭が痛くなる。
しかし、確かに遅めだったとはいえ朝食の量が量、遼火も追加で何か胃に放り込んでおきたかった。
はあ、ため息。出費が嵩む。幸い遼火はただちに困窮を極めるような財布状況ではないが、こう手玉に取られているのはなかなかよろしくない。
「ったく……コンビニでも喫茶店でもレストランでも、一番最初に目に入った所にするからな」
せめて店くらいは自分で決めさせてくれ、という趣旨を込めてこう発言してみた。
「一番最初だって、姉ちゃん姉ちゃんどこか良いお店知ってる?」
「駅前とかけっこういい感じのお店が並んでたと思うな。確かその辺り通るはずだから……」
「そこ、丸聞こえだぞ」
もうどうにでもなれである。何よりいよいよ空腹が身を刺し始めてきた。頭も上手く回らない。
何も入れないという選択肢は無い。できるだけ安く済みますように、と願うばかりだ。
「ん?」
そんな遼火の身体と頭、だがその目は前の視界に変化が現れたのを逃さなかった。
前方から誰かが走ってくる。黒い服——スーツか? に身を包んだ人間が、前方から走ってくる。
テレビ番組で似たような光景を見たことがある。確か芸能人がスーツの集団から逃げるような趣旨の番組があったはずだ。遼火はあまり興味が湧かない番組だったが。
近づくにつれ男——おそらく男だろう——の全貌が見えてくる。身の丈は遼火よりも高い、黒いサングラスをかけていて目元が見えない、高い姿勢のまま走り込んでくる。
その只ならぬ非日常感。柚子と少年も気づいたか、少し引き目でその人間を眺める。
その男は三人の手前で止まった。失礼、と声をかけられ、遼火が顔を見やる。サングラスの向こうは見えない。
「この辺りに猫が集まる場所があると耳にしたのだが、ご存知か」
「それだったら、ちょうどこの道沿いに暫く行くと左手に細い道があるからそこに入ればいいよ」
「……ご協力感謝する」
少年が伝えると、男は深々とお辞儀をした、と遼火が見た次の瞬間には男は再び姿勢の良い走り込みで三人を抜け、後方へと去っていった。
それを見送った遼火、視線を戻すと、首を傾げて遼火を見つめる柚子と少年。
そんな目で見られても、遼火も首を傾げることしかできなかった。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.24 )
- 日時: 2015/10/30 05:32
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: ugb3drlO)
「何にしようかなぁ」
「僕、このステーキの奴が良い。大きいの」
「何々? セットはライスかパンかで、今ならスープバーも付くんだって。でもサラダバーは別かぁ」
「サラダなんていいよ」
「武瑠君、サラダバーじゃないとね、ゼリーの食べ放題が、食べられないんだよ……」
「食べ、放、題……?!」
「そう。お値段にして590円。中々ね、高いよね……」
値段を聞いて絶望する小学生にご所望してたオムライスはどこへ行ったと突っ込むべきか、まさに全力でこのランチイベントに立ち向かわんとする彼女に食べ放題の元を取るような時間は無いとキッパリ告げてやるべきか迷いつ、遼火は店員が用意したグラスの水にまずは一口付けた。
訪れたのはファミレス。値段も手頃、大人も子供もお姉さんも大体の層が気軽に入れるという云わば庶民にとってのお決まりの店である。神社から10分程度の位置にあったのでそのまま入った。
「……姉ちゃん……違うよ……メイン料理を頼んだら……セット料金で280円になるんだよ……」
「……え? ウソだ……」
「……本当だもん。ボク見たもん……」
ここ。そう言って指差す武瑠少年と砂漠の中で漸く見つけた植物の芽に対するように希望と愛おしさの満ちた目でメニューに微笑む柚子。
「ありがとう。約束された勝利のお店……」(ニッコリ)
〈エクスカリバー〉と言う。柚子が発したのと同じ名称の上に小さくそうルビが振られているのだが、何度見ても意味は良く分からない。少々長い為、遼火としての呼称は「カリバー」である。略称は「エクス」だったり、何故か「スイカバー」などと呼ぶ者もいる。但し「約束された(略)」で呼ぶものはあまりいない。そう呼ばせられるのは自信過剰的な印象から腹が立つ所為なのかそれは分からない。
まぁ何にしても。
このファミレスは全国規模でのチェーン展開をしている店であり特にこの町ではよくよく見かけ、探偵時代は遼火も父親と共に度々世話になった店でもあり、今更メニューに対して目新しさなどは感じない。
「決めたか? 店員呼ぶぞ」
「遼火君は何にするの?」
「俺は」
言われて視線をメニューに落とす。席の向かいに座る柚子と少年がそこに載る料理に視線を向ける。
「あ、ハンバーグだ」
「ふふふふ。遼火君は、ハンバーグが好きなのかな?」
「別に好きでもなんでもない」
値段が手頃なのだ。来た時は選ぶ手間も掛けず凡そこれである。ライスとスープが付いても200g500円のワンコインで食べられる。シンプルではあるがこの店の人気メニューであるには違いない。
「サラダバーは? ゼリー食べないの?」 少年が意外そうに尋ねる。
「ああ」
短く答えて流す。副菜として野菜があってもいいなとは思うが、まさか誰かさんの分の支払いがある所為だとは言えもしない。いや、そこまで切迫した経済状況と言う訳でもないのだが、かといってそこまで豊かだと言う訳でもないので気持ちはどこか節制に向かってしまっていた。そもそも唯でさえ外食というのは高く付くのである。
「良いからさっさと決めろよ。飲み物も頼むんだろ?」
「うん! ……うんと、うんと」
「私決めたよ。後は武瑠君だけ。タイムリミット15秒。1、2、3……」
「え!? うんと、うんと……!」
そうこうして料理が運ばれて来た。内容は多種多様、十人十色。全員がバラバラである。
「それじゃあ、頂きま〜す」
几帳面に手を合わせてから漸くまともな食事にありついた3人がそれを食し始める。ナイフを入れたハンバーグからは肉汁が溢れ、ソースの掛かった熱々のそれをフォークで口に運んだ後すかさずライスも放り込む。肉と肉汁そしてライスの絡み合った旨みにさしもの遼火も程々にご満悦な様子を見せる。
実に空腹と体調に染み渡る美味さである。世の中のグルメな連中からは理解が得られないかも知れないが、この国の昨今の食糧事情から言えば最早味に値段などそこまで厳密には関係していないのだと実感する。
「美味しいね」
「うん!」
柚子が少年に笑いかけ、二人共美味しそうに食べている。こうして見ると、親子というにはさすがに若すぎだが、精々歳の離れた姉弟、もしくは叔母と甥というところだろうか。そこにある朗らかな空気に決して悪くない気持ちを感じ、遼火は自分の食を進める。
ぐるりと店内を見渡してみると、店内にはとてもゆったりとした時間が流れていた。窓からは明るい日差しが差し込み、老夫婦、子連れの母親、大学生のグループ、色々な客層が訪れている。休日の昼ということもあり、店員たちは急がしそうでもあり、暇そうでもある。
他の客たちはこんな日に一体どこへ行くつもりで店を訪れているのか。遼火たちのように猫探しの依頼を受けている訳ではあるまい。
「モモコちゃん、どこにいるんだろうねぇ?」
「言っておくけど、あのおばさんの家には居ないよ? 絶対居ないからね」
「大丈夫だよ、武瑠君。あの人の家に行くのはあの人のウソを見抜く為に行くんだから」
少年は自信を持った様子であの依頼人が飼い主だと言うことを否定する。柚子は今後の行動指標を固めるようにフォークをクルリと回しながら依頼人の矛盾する行為を挙げている。
「それにしても、あの依頼人がウソを吐いているんだとしたら、どうしてそんなウソを吐いたんだろうね?」
「吐いてるんだとしたらじゃなくて、完全にウソだよ」
「はいはい」
柚子は笑いながら少年をいなす。
どうしてそんなウソを。そう。問題はそこである。この謎を解明するに当たり、大きく焦点となるのはその動機である。あの依頼人の目的はなんなのだろうか。
「ただの猫好き?」
「それはアンタのことだろう」
「ちょっとー。そりゃあ私は猫好きだけど、猫嫌いな人なんて居ないよね? ねぇ、武瑠君?」
「でも、ウチの父さん、猫あんまり好きじゃないんだ。犬の方が良いって言って犬飼おうとしたんだけど、犬は母さんが好きじゃなくて反対されたんだ。だからウチには」
「えー、武瑠君のお父さん猫好きじゃないのっ? びっくりー」
柚子は残念そうにしゅんとして、コップのストローを吸い上げる。
「まぁ、そこはおいおい調べるとしよう」
「さっきも猫の溜まり場の神社に行った時、沢山の猫ちゃん達に出会えて囲まれて時には引っかかれてそりゃあもう幸せだったよ!」
「ああ、まだ続くのか」
そして、引っかかれたのか。てへへと笑う柚子の手の甲に小さく血が滲んでいるのが見えた。確かにあの時の柚子の顔は猫によっては敵とみなされてもある意味では仕方がなかったのかも知れないと思い返す。
「私はね、オシキャットもアメリカンショートヘアもロシアンブルーも好きだけど、やっぱり三毛猫ってカワイイと思うんだよね! さっきも2匹見つけてフェイント掛けながら思わず全力で追跡しちゃった」
「そりゃあ引っかかれるだろうな。仕方がないな」
何となくL字型に急カーブを決めてもう片方の猫に追い迫る柚子が思い浮かんだ。
「どうしてあんなに無造作な色合いなのに心惹かれるのか、私はそれを大学の論文にしようと思ったことあるんだ」
「マジで?」
「うん。ウソだけど」
「ウソ吐くなし」
「えへへ」
そして柚子はグラスを持って立ち上がりドリンクバーに向かい出す。それを見て遼火と少年も残りを飲み干し代わりを注ぎに続いていく。
黒いケースに各種飲料のラベルが貼られたそれの前に立つ遼火たちに店員が「いらっしゃいませー」とか「ごゆっくりどうぞ」とかそういった台詞を投げかける。少年はより取り見取りのそれらの中から次は何を飲もうかじぃっと睨みつけている。
3人並ぶと場所を独占したようだった。そして丁度、向こうを見ると老夫婦の老人が同じく飲料のおかわりを注ごう並んで待っているのが見えた。
「さっさと注いでしまおうか」
「ねぇ、知ってる? 混ぜたらトロピカルジュースになるんだよ?」
「え、やめ」
その言葉から何をするのかすぐに察しが付いた遼火だが、言い切る前に柚子はグラスの1/5程度の量を次々混ぜて行く。
「おいおいおいおいおい」
5種類の飲料の混じったそれは既に何色と呼べば良いのか何とも危ないカラーリングが施されてしまっていた。
「ふふふ」
「ふふふじゃねぇよ。は、恥ずかしいからそういうことは止めてくれ」
「ふふふだよ。もしかして、私のイデアを忘れてしまったのかな、探偵君?」
「!?」
なんてことだ。というか、なんて無駄な力の発揮の仕方をするんだこの女は。
確かに周りを見るとこちらに注目している者は誰一人として居なかった。タイミング良く店員達は全て奥に篭り、すぐ後ろに並んでいた筈の老夫婦も何故かドリンクを諦めスープバーでコーンスープを注いでいる。ドリンクのコップに。(それはおかしいだろ爺さん!!)
「うわぁ! 僕もやる!」
「やりなよやりなよ。折角だからね」
「奇特な状況を作り出して子供に変なことを教えるな!?」
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.25 )
- 日時: 2015/10/30 05:35
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: ugb3drlO)
席に戻ると、トロピカルジュースの味わいに涙を飲んだ二人が再びドリンクバーに向かい、やがて改めて席に戻って来た(尚、再び別の混合ドリンクに変貌していた。もう何も言うまいとばかりに遼火は突っ込むことを止めた)。
「よいしょっと」
「勘弁してくれ……」
「ふふふ。でも遼火君、言っておくけど私の能力はそこまで便利な物じゃないからね?」
「うん?」
「さっきのだって偶々だよ。私のイデアは思い込ませるだけだから。相手の行動まで変えさせてしまうほどじゃないんだよね」
「うーんと?」
「何の話?」
「うん。私のイデアの話。武瑠君知ってる? イデアって」
「うん。友達の兄ちゃんが持ってる。でも良くは知らない」
「じゃあ、武瑠君にも分かるように、ちょっとだけ私のイデアの復習をするね」
そう言って柚子はテーブルの上のナプキンを一枚引き抜いて、ペンを取り出して簡単な図を描きながら説明していく。
「私のイデアは『一変』。どういう能力かって言うと、日常的なものを非日常に、非日常的なものを日常に思わせる能力なのね」
「ああ」「うん」
「それで、例えば私がここで遼火君のエッチーって叫び声を上げたとする。すると」
「待て」「兄ちゃんエッチなんだ」「うるさい乗るな」
「ふふふ。すると、普通ならなんだなんだ?ってなって注目を浴びると思うんだけど、私のイデアが発動すると注目されなくなるのね。ふぅ〜んって感じに」
「えー、すごい」「でしょ?」
柚子は自慢げに両手を腰に当てた。
「で?」
「だから、さっきのも私たちがやっている行動に違和感を持たれなかっただけの話で、別に私のイデアが作用したから店員さんが奥に戻った訳でも、おじいさんがやっぱりスープバーを注ぎに行った訳でもないって事」
「じゃあ、店員は兎も角、爺さんはボケてただけだと?」
「そうなります」
キリッとした顔つきで見詰め合う遼火と柚子と少年。そして一斉に笑い出す。「ハハハハハ!」
「いやいやいやいや。そんな時に限ってなんてノリの良い爺さんだよ」
「私としては、熱くなかったかそこだけが心配なのです」
「ジュースのコップにスープ入れたらダメなの?」
「一応熱で割れる可能性もあるからな」
「へぇー」
…………。
その後は何故か理科の実験的な会話になったり、再び猫会話になったりでドリンクバーを度々往復して時間が過ぎて行った。
「ところで」
しばらく話した辺りで、ふと柚子が切り出した。
「うん?」
「遼火君は、明日は学校?」
「ああ。昼過ぎから。……そっちは?」
「私も、明日はお昼からちょっと行って来なくちゃいけなくって。夕方には戻って来れるんだけど」
全く考えていなかった訳ではないが、遼火は「そうだろうな」と思った。お互い大学生という身であるらしいので、平日ならそういう話になるだろう。今日は偶々祝日であったので特に気にもせずそのまま朝から行動してしまっていたが。
それに、猫探しとなると普通は何日にも及ぶので、腰を下ろしてじっくりと取り組んで行く必要があるし、その辺りに関してどうするか等は予め決めておく必要がある。
「じゃあ明日は一先ず昼までの捜索だな」
夜の猫探しはさすがに無理だろう。それは今日にも言えることではあるが。
「武瑠君は?」
「…………」
柚子が流れで少年にも尋ねる。とは言え、少年が今こうして共に居るのは半ば偶々のようなものであるので本来確認を取る必要は無いのだろうが。
「明日は平日だし、あるだろ」
「そうだよね」
「…………」
しかし黙ったまま答えない少年。気になって遼火は言及する。
「……学校サボって猫探しするとか言うなよ?」
「明日、学校休みなんだ」
「あ、そうなんだ? いいねぇ」
「へぇ? 明日は創立記念日か何かか?」
「うん。だから休みで」
「どこの学校だ? 確認取ってみるから」
「え……」
少年は明らかに動揺して言葉に詰まった。遼火はそれを少々厳しい目付きで突き刺すように見つめる。
「は、遼火君」
柚子が思わず口を挟み、その言葉に遼火はハッとする。
しまった。つい癖で突っ込んでしまったことに気が付いた。少年は持っていたコップから手を離し俯いてしまった。
遼火はその様子と変わってしまった空気に一つ深く溜息を吐いて場を濁す。
「……ったく。ま、今日で見つかるかも知れないしな」
「…………」
しかし、そう言った後で遼火は「惜しかったな」と頭の半分で考える。この様子では「何かある」ことは確かだと判断する。それがイコール「うちの猫」発言がウソだということにもならないが、このまま突っ込んで聞いてしまえば謎の半分がここで解明されたかも知れなかった。
「そうだ、武瑠君、ゼリー食べようよ。折角サラダバー付けたんだから食べなきゃ勿体無いよね。ほら、行こう行こう。あ、遼火君もお裾分け欲しい? 大丈夫大丈夫。ちょっとくらいなら怒られないよ。イチゴとメロンどっちがいい? やっぱり、……メロン?」
「……じゃあ——」
サラダバーのショーケースに向かう二人の背中を見遣り遼火は考える。
……解明は出来たかも知れないが、言及することで折角の朗らかな空気を無くしてしまうのも何か残念にも思えた。2人より3人の方が賑やかだろうし、柚子の調子には遼火一人では耐えられないかも知れない。
それに、別に少年の言い分がウソであったところで、またはいっそあの依頼人ですらウソだったところで、こちらとしては兎に角猫を見つけてあの依頼人に引き渡すことが仕事であり、それで目的達成なのだからどっちがウソであれ正直何の不都合も無いのだ。
その場合どちらにしても少年の元には猫が行かないことにはなるが、少年の言い分がウソならそれは仕方のないことである。
だがしかし、少年の言い分が本当だったと言うのなら……? 遼火は自分でも気が付かない内にうんと唸った。
兎に角、この後依頼人の家に行けば少なくとも向こうの言い分がウソかどうかについてはもう少し分かるだろう。場合によって猫を飼っている形跡がなければそれだけでウソだと断定出来なくも無い。
また、肝心の猫探しに関しては別の方面から情報を集めてみる必要がある。
いつの間にか腕組みをして熟考してしまっていることに気が付くと、そこへ二人が帰ってきた。
「じゃーん! 取ってきたよ!」
「僕も!」
どーん!!
戻ってきた二人がそれぞれ抱える大皿には赤と緑で彩られたゼリーが山盛りに積まれてプルプルと揺れていた。ひょっとすれば、ケースのゼリー全てなのではないだろうか。
遼火はあんぐりと口を開けて二人の財宝を見つけたような顔とその産物というか惨状というかを見比べてテーブルの上に崩れ落ちた。
「全部食えよ? お前ら責任持ってこれ全部きちんと食えよ?」
自信溢れる二人の顔が真逆になるのにはそう時間は掛からなかった。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.26 )
- 日時: 2015/10/30 05:43
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: ugb3drlO)
「それじゃあ、先に依頼人に連絡してくるから会計頼むな」
「割り勘だからね? 後できちんと貰うからね?」
人より散々食べてた奴がよく言うよ。心の中で呟きながら携帯片手に先に店を出る。
外は先ほどとそう変わらない良天候だが、青暗い影の色合いの微妙な変化で時間が進んだことを理解する。携帯の時計を見ると時刻は14時前。何だかんだで結構長居をしてしまったようだ。
依頼人の家に向かう前に予め本人に伝えておく必要がある為、遼火はノートから依頼人の連絡先を取り出し番号を打ち込む。
呼出音が何度か鳴り続ける。1度、2度、3度、4度……。10秒ほど鳴った後留守電に切り替わった。携帯の番号であるので、この時点で留守電なら今から行っても会えない可能性がある。ガイダンス音声が流れ始め電話を切ろうとした時、ピッという音が鳴り相手の声が聞こえた。
『……はい?』
依頼人の檜山綴(ヒヤマ・ツヅリ)の声である。何か警戒したように少々控えめな印象。また、電話口の向こうからは何かざわついた音が聞こえてくる。
「ああ、檜山さんですか? 江藤です。今朝方の猫探しの依頼の件でお伺い出来ないかと思いまして」
『……ああ、探偵さんですか。すみません。そちらの番号をまだ覚えていなかったもので。……もしかして、もう見つかったとか?』
「いえ。残念ながらまだ。ただ、猫探しをする上でもう少し情報があると助かると思いまして、それで」
『…………』
依頼人は黙り、返答をしない。ざわつきは尚も聞こえてくる。
「檜山さん?」
『……ああ、すみません。これからですか?』
「はい。これからです」
『…………』
依頼人は再び黙った。考えているようだ。
『申し訳ありませんが、今はちょっと都合が悪くて。別の日にして貰えませんか?』
そう来たか。しかし想定内ではある。仮に来させたくない理由でもあったのだとしたら当然そうなるだろう。
「出来れば今日の方がありがたいのですが。今日であれば何時頃ならご都合が良いですか?」
依頼人はまた少し黙ったが、今度は程なくしてからすぐ返事をした。
『……申し訳ありません。やはり今日は終日時間が取れませんので、別の日に』
「では、いつなら良いでしょうか? あまり時間が経ってしまうと、猫の足取りを追うにも難しくなってしまう可能性もありますので」
『……それもそうですね。ちょっと待って下さい? ……ええと、明日の、17時なら何とか。そんなに長くは取れませんが』
「それでは、明日の17時にそちらのお宅に御伺いさせて頂きますので」
『ああ、いえ。こちら家に戻る時間はありませんでして、町でお会いしましょう。どこか適当なお店で』
「……了解しました」
それから数言を話して電話を切った。一先ず一々打ち込むのも面倒なので依頼人の番号をメモリーに登録しておく。
しかしながら、それらしい理由を連ねて食い下がって尋ねてはみたが、結局家に上がることは出来そうも無かった。つまり、猫を本当に飼っているのかの点を調べることが出来ないということだ。これで会いに行くメリットが半分は失われた。
しかし、何とか会うことは出来そうである。会った際には極力相手の矛盾を見つけ、場合によってそのまま言及する必要がある。
ただ、今日は会えないとのことなので、今日のところは素直に猫探しをする他無い。
もしくは無理やり押しかけてしまおうか? 近所で話くらいは聞けるだろうし、依頼人の家の様子からも色々情報が得られるかも知れない。
尤も、恐らくそれで猫が見つかる訳でもないので、ここはやはり依頼人のウソを見抜くことよりもまずは猫を探し出す事を優先すべきだろうか? その場合、市役所にでも行けば何か情報を掴めるかも知れない。この町の「地域ローカルネット」を見るのも良い。この町独自の情報が色々更新されている便利な代物だ。
「ふう」
携帯をポケットに仕舞い込み店内からまだ出てこない二人に視線を送る。二人は何やら楽しげにカウンターの前で会話をしている。
手持ち無沙汰に辺りを見渡していると、ふと向こうに居た大学生グループと目が合った。こちらを見ているようだ。先ほど店内に居たグループである。正直あまり柄が良いとは言えない。
「調子こいてガンでも飛ばしてんのか」
意気揚々とした若者というのはどこにでもいるもので、いい気はしないものの、だからと言って一々気にしても居られないので忘れることにする。
「遼火くーん、お待たせー」
振り返ると柚子と少年が漸く店から出てきていた。二人の手には何かお菓子が握られている。
「エクスカリバー限定、遥か遠きナントカクッキー」
「……それ、俺の名前と掛けてるんだろ?」
「おー、よく分かったね!」
「さすが探偵だな兄ちゃん!」
「……まぁな」
何か慣れてきた気がしないでもない。
「はい、レシート。割り勘だから一人1754円ね」
「…………」
遼火が食べたのは精々税込み700円程度の筈なのだが、少年の分もあるので素直に財布から1800円を出す。釣りは要らないと言ってやった。自讃するほど男らしい姿に思えた。
ただ、レシートよく見るとその御菓子代も含められている。500円。…………。
……こういうことを指摘しないことも果たして男らしさと言えるんだろうか。
人生経験というのは20年経っても30年経ってもまだまだ足りないものだというのは父親の言葉である。
「因みに兄ちゃん、最近のファミレスのコップって耐熱性だからスープ入れても大丈夫なんだって」
「へぇ」
「兄ちゃん、探偵なのにそんなことも知らなかったんだろ? じゃあこれでちょっとは賢くなれたかな?」
「…………」
小さな間。小さな笑顔。
少年の米神を両サイドから拳が襲う。
ゴリゴリゴリゴリ!!
昼下がりのファミレス前で凡そ1000円分の子供の悲鳴が上がったが、偶然にも『一変』という名称の能力を持つイデア能力者が近くに居たので通報はされなかった。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.27 )
- 日時: 2015/11/04 19:57
- 名前: 空凡 ◆qBiuWfql4I (ID: 4RNL2PA4)
栄養補給を済ませたご一行は雨はれてからりと晴れた昼過ぎを歩いていた。目指すは市役所、掲示板も途中にあれば確認するようにしている。
建物の隙間があれば体の小さい少年が探り、ちょっと人目があって入りずらい場所であれば郷烏の異能によってその"異"をなくす。
まさしく探偵業にはふさわしい所業であると遼火は口でほめながら周りに気を配る。
現在も、謎の視線を感じている。だが遼火は決してその方向へ首は向けない、気づいているそぶりを相手に見せてしまえば、尾行者はさらに姿をくらます。そうなればいざと言うときにその姿をとらえることができない。
「(けど、もう一方の方は何なんだ……?)」
偶々あったミラーに目を動かすと、三人組を追う謎の集団……先ほどファミレスにいた大学生のグループの一部が目に入った。こちらは何故の視線よりも杜撰で、郷烏ですら気が付いているほど哀れな尾行者どもだ。
三人が出るとともに会計を済ませ、店から出てきたのに気が付くと遼火はため息が出た。
店の中で何をしているか探るのならば、仲間を一人外に置いてその仲間が遼火たちを追うことで、時間差をつくり店を出るといったこともしない間抜けな尾行者たちだ。
こちらはもう相手にしなくともよいだろう、やろうと思えばいつでもまける相手だ。
今はそれよりも猫の行方について考えを巡らすべきだと遼火は思った。
「あ、ねぇねぇ武瑠君!アソコに猫がいるよ」
「ホント?……うーん、三毛っぽいけどモモコかなぁ……?もうちょっと近づいてみるね」
「(この掲示板にもとりあえず預かり猫の情報はなし、と……ほかは不審火注意とかその程度か)」
少年と女性の意見が一致していることといえば、いなくなった日、猫の容姿と名前の二つ。本当に昨日あたりにいなくなったのであれば、情報が出てくるのは明日辺りだろう。とりあえずやっておくべきことは地域の掲示板に迷い猫の情報としてモモコの情報を載せる程度だ。
三毛猫のモモコ、ピンク首輪、そう記載すると遼火はペンを仕舞い、二人の行動が終わるのを待つ。
待っている間に遼火はじっくりと頭に血を巡らす、昼食のハンバーグが効いてきたのだろうか、体長が悪かった朝と比べ未だ本調子ではないが頭がよく回る。
よくクイズであげられる「嘘つき村」というのをご存じだろうか?
正直村にたどり着きたい旅人は分かれ道で二人の人に出会う。片方は嘘つき村の住人、もう片方は正直村の住人で質問をたった一度だけし、正直村にたどり着けという奴だ。
答えは簡単「貴方の住む村があるほうはどちらだ?」である。これで正直者は正直村を指すし、嘘つきは自分の住んでいない、正直村の方を指す。
二人の証人、どちらかが本当であれば必ず見抜けるはずなのだ。態々嘘を吐く必要はない……というのが遼火の子供のころの考え方だったかもしれない。
だが、現実はそんなに単純ではない。二人とも嘘の証人である場合、例え片方が本当の猫の飼い主だとしても後ろめたいことがあってそれを嘘を吐かせている。そんなことも考えられる。
「うーん、この子は違うよ。ほら、"メスだこの子"」
さて今回はどうだろうか?
まず二人の依頼主、女性と少年について考えてみよう。
女性は確かに猫の写真を所持、だが彼女の臭い、神社でえた証言との食い違いがある。そして余り家に上げたくない事情があるようにも取れた。
では少年はどうか?一見、今のところ証言には食い違いがないように見えたが遼火は少年の発言を一言たりとも聞き逃がしてはいなかった。
『でも、ウチの父さん、猫あんまり好きじゃないんだ。犬の方が良いって言って犬飼おうとしたんだけど、犬は母さんが好きじゃなくて反対されたんだ。だからウチには』
ウチには、少年は何かを言いかけた。その先は何だったのだろうか?
"犬はいない"この言葉が入ったのだろうか?だとしたら"でも"が引っ掛かる。直前の言葉は"猫が嫌いなことなんていない"これに反論するのであれば……
猫はうちにいない
この言葉が続くのがとてもしっくりと来た。
疑念渦巻く遼火の目は、年相応に笑う少年を捉えていた。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.28 )
- 日時: 2015/11/15 08:20
- 名前: 戦崎トーシ ◆TYZSwCpPv. (ID: 9IfQbwg0)
「——そうですね、今のところ、市民の方からそのようなお電話等は頂いておりません」
程なくして、3人は神北市の中心に位置する市役所に到着した。したのだが、結果は芳しくなかった。考えてみれば、モモコが居なくなってから1日も経っていないのだから、当然情報量も少ないだろう。遼火が役所の役員に問い合わせている間、柚子と武瑠は備え付けのPCでネットの方の市役所掲示板を確認しているが、あちらにも情報はない。
「大学生さんの間では、三毛猫がブームなんですか?」
女性役員の突然の言葉に、遼火はやや驚いて彼女を見た。丸いレンズの眼鏡を掛けた、40がらみの女だ。
「特にそういったものはないですが……」
「あら、そうなんですか」
いくら遼火がやや浮世離れしていると言っても、彼だって大学に通う若者である。今時の流行にだってそれなりに敏感だ。
「近頃、あなたと同じくらいの方たちが、定期的に『三毛猫の目撃情報はないか』と訊いてこられるのでてっきり」
からからと朗らかに笑う役員。遼火は息を嚥下して、溜め息を吐いた。思い当たる節がある。
「もしかして、お知り合いの方ですか?」
「いえ、まったくの他人です」
そう、まったくの他人なのだ。まったくの他人なのに思い当たる節があるということは、遼火はそいつ等について知っているのだ。
だから彼は、役員に礼を言い、他の2人と連れ立って市役所を出ると、外で彼らを待ち伏せしていた『大学生グループ』の方に迷わず歩き出した。
まさか自分たちが尾行していた人間が自ら近づいてくるとは、夢にも思わなかったらしい。レンズの奥から視線に射抜かれて、3人の『大学生』はあからさまに狼狽えた。
遼火は構わず、言葉を発する。
「少し、訊きたいことがあるんだが」
字面の割りに彼の声は柔らかなものだった。しかし、大学生達は不自然なまでの焦りようを見せる。声音を変えないまま、彼は続けた。
「三毛猫を探してるっていうのは、お前らか」
「何言ってんの、三毛猫を探してるのは僕らのほうだろ」
「武瑠には訊いてない」
少年はむっと口をつぐんだ。大学生たちはおそるおそる、互いの目を見た。数拍のアイコンタクトの後、リーダーらしき男子学生が口を開く。
「確かに、オレ達は三毛猫を探している。でもアンタらには関係ないだろ」
「なんで三毛猫を探してんのさ」
静かにしていたのもほんの一瞬、武瑠がくってかかった。大きな瞳を見開いて大学生達を睨みつけている。さながら猫のようだ。学生は視線をうろうろとふらつかせた。少年に威嚇されても、なかなか理由を言おうとしない。
「もしかして……兄ちゃん達がモモコを『誘拐』したんじゃないの」
「は、ゆ、誘拐なんてしてねえよ!」
すぐさま言い返すが、少年は言葉で飛びかかった。「そんなこと言って、嘘吐いてるんだろ」少年の目が攻撃的に吊り上がる。毛を逆立てて、誤って触ってしまえば怪我をしそうな程の気迫だった。
「まあまあ、落ち着いて」
柚子が宥めても、少年は敵意を剥き出しにしたままだ。
「誘拐はないと思うぞ」遼火は冷静に言った。仮に彼らがモモコを誘拐していたら、自分達を尾行する必要は無いからだ。誘拐した子どもの両親を尾行する誘拐犯など、今までに聞いたことがない。
「なんなんだよ、このガキ……」
「生憎、何でも疑ってかからないと気が済まない職業病がうつったみたいでな、許せ」
しかしこちらも、ずっと後ろをウロチョロされ続け苛々していたのだ。その上理由を隠されるのは不愉快極まりない。
「三毛猫ならどこにでもいるだろう。わざわざストーキングしてきたのは何故だ」
「……オレらが探してるのは、ただの三毛猫じゃねえ。『オス』の三毛猫のだよ」
「えっ、でも、三毛猫はオスもメスも可愛いと思うけど」
柚子の言葉に、男は不快そうに眉間に皺をつくる。そして「2000万」と、ぼそりと呟いた。
「オスの三毛猫は高けりゃ『2000万円』で取引されるんだよ」
——人間は男女で持つ染色体が異なる。女性の場合はXX、男性の場合XY。それは、三毛猫であろうと変わりはない。
——だが、染色体によって生える毛の色が決定する。そして、オスのXY染色体では、三毛猫のような黒や茶色の斑模様にはならない。つまり、オスの三毛猫は本来存在してはならないのだ。
「ところが、ごく稀に生まれるんだよ。『XXY』の染色体を持った、オスの三毛猫が」
——その確率、およそ3万分の1。
「3万分の1 !?」
柚子が驚嘆の声をあげる。たとえ三毛猫が3万匹いても、その内オスはたったの1匹しかいない。あまりにも希少過ぎて、気が遠くなりそうだ。その上三毛猫のオスは生殖能力がなく、メスよりも短命らしい。増やすことも出来なければ、長く生きることも難しい。なるほど、どおりで家1件が建てられるほどの価値があるわけだ。
勿論、湯水のように使えば2000万円なんてあっという間になくなってしまう。それでも、一介の大学生にとっては十分に魅力的だった。
武瑠は2000万と聞いても、小さな口の端を下げて、変わらず憮然としている。お金に興味が無いのか、それとも——。
「それで、ここで三毛猫のオスがいるって噂を聞いて、探してたんだよ」
「そうやって見つけて誘拐したんだろ」
「しつけーな、してないって言ってるだろうが。そもそも見つけてすらねーよ」
荒々しい言葉尻で、男子学生は吐き捨てた。武瑠の態度に嫌気が差してきたのだろう。その雰囲気を感じ取ったのか、柚子がもう1度少年を宥める。
「武瑠くん、あんまりつんけんするのはよくないよ。それに、あの人達が探してるのは『オスの三毛猫』だからモモコは関係ないよ」
ぴくり、武瑠の眉根があがった。
「僕、『モモコがメス』だなんて1度も言ってないんだけど」
武瑠は、さも当然であるかのように柚子の方を向いた。
「武瑠くん、その言い方だとまるで、モモコが」
実は、遼火の中では1つの予想が組み上がっていた。
武瑠が三毛猫のオスの値段に驚かなかったこと、大学生グループがモモコを『誘拐』したんじゃないかと疑ったこと——何よりここに来る前、メスの三毛猫を見て、『メスだから違う』と言ったこと。
最後の1つなど最早答えだ。どうして今まで気がつかなかったのだろうか。
「そうだよ——『モモコ』なんて名前だけど、モモコは『オス』だよ」
「しかも、武瑠は三毛猫のオスの価値を知っていた。そうだな?」
「まあ、ね。前に、テレビで偶々知ったんだ」
既に知っているのだから、聞いても驚かない。そして、既に『モモコ』の価値について知っていたから、もしかしたら大学生グループが『誘拐』したのではと思った。
「言っとくけど、僕はモモコがオスだから飼ってるんじゃないから。三毛猫のオスだとかメスだとか、希少価値があるだとかないだとか、そんなのどうだっていいよ。モモコはモモコだもん」
武瑠は屈託なく言い切った。きっとその言葉に嘘はない。
もう1人の依頼者——檜山 綴はどうなのだろうか。2000万円なら、1人暮らしのOLにとっても大金だ。
彼女は、モモコがオスであることを知っていたのだろうか。それから、三毛猫のオスの価値については? こればかりは、本人に聞かなければ分からない。もっとも檜山は自分達を避けようとしているようだが。
「モモコがオスだからって盗ったりしたら、僕許さないから」
子どもとは思えない凄みで、少年は大学生たちを睨みつけた。男子学生は顔を引き攣らせるだけだった。彼らはYESともNOとも答えなかったが、もうついてこないだろう、と遼火は思った。これ以上武瑠に関わったらもっと面倒なことになるのは明らかだ。それに、彼らは後ずさりさえし始めていたから。
遼火達はモモコ探しを再開することにした。日が沈むまであと3時間も無い。とにかく、隅から隅まで隈なく探したい。探偵の仕事など、実際はそういった地道な作業が大半だ。
「でも、どうしてモモコなんて女の子みたいな名前をつけたの?」
柚子が武瑠に問いかける。武瑠は細い路地裏を覗き込みながら、一言、「首輪」とこぼした。
「……首輪が、桃色の首輪が似合うと思ったんだ。だからモモコ」
「でも、モモタロウとか、モモスケとかモモヒコって、男の子っぽい名前もあるよ?」
「そ、そん時はメスだと思ってたんだよ!」
瞬間、暗闇の中で何かが、ごそりと蠢いた。3人はじっと目を凝らす。黄色のアーモンド型の目が黒の中に現れ、3人を見つめ返した。どうやらただの黒猫らしい。
黒猫、トラ猫、キジ猫、ブチ猫、サバ猫、シマ猫、サビ猫、三毛猫、のメス。
結局、モモコは見つからなかった。明日は、遂に檜山 綴と接触する。
柚子と武瑠は今日も泊まっていくようだ。遼火は、柚子と楽しげに話す武瑠から眼を逸らすと、星が煌めく夜空を仰ぎ見た。思考にかかる靄は未だ晴れない。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.29 )
- 日時: 2015/11/24 01:22
- 名前: Satsuki (ID: EZ3wiCAd)
日が暮れ、声が消え、世界は静の刻。
ソファに腰掛け、自室から持ってきたデスクライトを灯し、遼火は一人ノートに向かっていた。
来る明日の夕方、檜山との会談に持っていくものだ。
沸々と小さな音に眼を洗い場に向ける。ヤカンに水を入れて火にかけているのだ。
用途は勿論、朝の分の武瑠の麦茶である。いや武瑠だけのものではないのだが(というか武瑠のものでもないのだが)昨日の様子を見るに夕方に作った量だけでは遼火と柚子の分が足りないと踏んでのことである。
どうやらまだ完成してはいないようだ、そう確認し遼火は再びノートに目を向け、ペンを走らせる。
カンペだ、などと笑われたくはない。仕事にしていた以上、そして今回だけは仕事になってしまった以上、聞き忘れや聞き逃しはあってはいけないことである。
聞くは一瞬の恥聞かぬは一生の恥、とも言う。今回の場合は誤用だが、しかしさほど変わりはない。と、遼火は思っている。
モモコを飼っているならあるはずのペット用品抜粋。
モモコを飼っているなら分かるはずの質疑応答。
そして"偽"と思われる疑問。そこで引っかかった場合の切り口。できればやりたくはないのだが。
昔は親父がやっていた。遼火は隣で見ているだけだった。
それでも何度も同席していれば、コツを少しずつ掴んでいくものだった。
話の持っていき方。心の開かせ方。はっきり言うべきこととそうでないこと。語気を強めるべきところとそうでないところ。
その豪快さと強引さが遼火は少し苦手だった——嫌い、と言ってもいい——が、その腕に関しては認めざるを得なかった。
探偵行を畳んで、もうすぐ一年になるだろうか。少なくとも年は跨いだはずだ。
それでも電話が残っていたのは、おそらく畳んだと銘を打ちながら仕事じたいはきっちり終わるまで受け持っていたからだろう。
豪快さとズボラさを仕事に持ち込むことはせず、責任を持って最後まで遂行していた経歴。彼がジョブチェンジに成功したのはそこを評価されたからだろう、と遼火は思っている。
何かが飛ぶような音がする。と遼火が思い、思ったが直ぐペンを放り投げ、立ち上がった。
何時の間にかお湯の準備が完了していたらしい、デスクライトから洩れる僅かな光に、ヤカンの口から盛大に吹き上がる蒸気。
近所迷惑だっての。心の中でごめんなさいをして、遼火はコンロの火を消した。蓋を開けて麦茶パックを放り込み、再び蓋をする。
ちなみにどうせ冷やすのだしと思い、直に水に麦茶パックを放り込んで冷蔵庫に入れたことがある。とても飲めたものではなかった。贅沢な発言だとは思うが、お湯から作って冷やしたほうが美味しく出来上がるのだ。
お茶ひとつ作るのにも様々な製法があり、同じ茶葉でも作り方で様々な味わいに変貌する。なるほど茶道というものが生まれるわけだ。
再びソファに腰掛けようとした遼火だが、ドアの閉まる音を耳に拾う。
ひたひたと歩く音、そして居間のドアが開けられ、柚子が顔を覗かせてきた。斜めのチェック模様の入った赤い寝巻きを、顔の下にぶらさげて入ってくる。
ちなみに対面する遼火はネズミ色のスウェットであった。珍しく真っ黒ではない。
「起こしたか、悪い」
「ううん、少し飲みたかったから。何をやってるの?」
「調書の準備」
もっとも今回の場合、問いただし調べ上げた"い"事柄だが。
ペンを握り締めたところで、遼火はアイスコーヒーを注ぎ足すのを忘れていたことに気づいた。
「すまない、ついでにコーヒー頼む」
「また寝れなくなるよ?」
「どの道期待してないさ」
お前らのおかげでな、とは言わなかった。
何も言わずに柚子はすっとグラスを持ち去って洗い場に行く。水の撥ねる音がした。軽く濯いでくれたらしい。
「聞くべきが聞けなきゃ、面会する意味がないからな」
腕を頭の後ろで組み、肩を伸ばしながら遼火が呟いた。
それができなければ、いったい何のために檜山と対面するのだろう。山場であることには間違いないので、準備は入念に行っておくべきだ。
大学の件は、昼のときは「ある」とは言ったが、それは勉強のためではない。であれば、これに関しては準備の必要はなく、その後の檜山との対面に備えられる。
正直な話、大学に関しては今日でなくても、担当の講師が出ている日なら何時でもいいのだ。が、たまの気分転換は誰にだって必要である。
猫とじゃれたり、外食したりなどは、普通は気分転換のはずなのだが。
とても昨日今日の状態では、そう思うことはできなかった。
「お待たせ……わぁ、凄い量」
アイスコーヒーを手に入れたグラスを遼火の手元に置いた柚子は、ノートに眼を移して驚いたようだった。
びっしり、ではない。多少の空白を空け、微細な文章、矢印の乱舞、あらゆる発言のパターンを予想し、可能な限り先回りして質疑を羅列してあった。
その一節に「柑橘系の香水を使用→常用か——」との筆跡を見つけ、柚子の口元が緩んだ。
「これ、全部訊くの?」
「最悪の場合、そうなる。興信所じゃないんだけどな、謎があるからには弾劾していくしかない」
興信所、探偵、弁護士。これらに共通することは、確かな情報を足掛かりにすることだ。"予想"という行動には、その基盤となる"実像"が必要不可欠である。
つまり、依頼するからには確かな情報を与えられて然るべきなのだ。そこで謎を与えられては、興信所も探偵も弁護士も、本来の仕事を行使できなくなってしまう。
「ひょっとしたら、ダウトダウトの連続で調査どころじゃなくなるかもな」
「……探偵って、凄いんだね」
その"凄い"の中にはきっと遼火が一瞬で思い浮かんだものよりもっと多くの感情がいっしょくたに混ざり込んでいるだろう。
確かにそうだろう。歩いた。聞き込みをした。謎解きをした。一通りとはいかないが、探偵業の齧りというには十分すぎる苦労と、幸いなことになかなかの成果を経験できた。
が。
「今日一日でもずいぶん進歩したと思うだろうが、まだスタート地点にすら立っていないぞ」
「……うん」
遼火の問いかけに、しかし柚子は小さく頷く。昼間に追い詰めれなかった問題がある。
「武瑠の素性も、まだ明らかになっていないからな」
考えてみれば、今回の事件で一番おかしな話だ。依頼人の素性が知れないなど。
探偵という仕事に慣れるために、父から幾度となく推理小説を拝借させられて読んだことがある。匿名率のなんと高いこと高いこと。初めから犯人が分かっている推理は推理と呼ばない、という風潮が一時期出ていたせいでもある。
逆にその発想を逆手にとって、犯人が明らかに分かっているのに捕まえられないというコンセプトの推理ゲームが出て一時を風靡したこともあった。確か、「犯人は康夫」とかいうタイトルだった。いやサブタイトルだっただろうか。
そういう風潮や発想はあくまで創作の上だから楽しめる話であって、現実でやっている者にとってははなはだ迷惑な話なのだ。
特に、その"素性が知れない者"があやしい場合。
「じゃあ、私はもう一回寝るね。遼火くんもあまり遅くならないように」
「……善処はする。おやすみ」
「おやすみなさい」
丁寧なことに一礼して部屋を出て行った柚子を見送り、遼火はペンを握る手を変える。
ペン先を弾いた。人差し指の基節を勢いよく回り、すぎて跳ね、机に落ちる。チッ。心の底からの舌打ちが出た。
拾い上げ、両手で弄くりながら、ふと昼間に思い挙げた「嘘つき村」の問題を、もう一度頭に思い浮かべる。
嘘つき村の謎掛けが解けるのは、どちらかが正しいからだ。"確かな情報"が必ずひとつ手に入るから、簡単に解ける問題なのである。
仮定ではあるが——もしも、檜山も武瑠も嘘つき村の出身であるならば、しかも「嘘つき村の住人である」と解答者に知らされていないならば、いったいどうやって正直村に辿り着こうというのだ。
そして何より、元はといえば猫探し、モモコが見つからなければ正直村に辿り着けたところで何の意味もないのである。
あるいはモモコが正直村に案内してくれるだろうか。
まさかな、とは思わなかった。
モモコの好きなもの、好きな場所、遼火が聞いた限りでは件の猫猫パラダイスしか思い出せない。それに、モモコとて猫、生命なのだ。
忘れないうちに、ノートの隅っこに追記しておいた。まだまだ出るものだ。
夜の闇は丑二つになろうとしている。もう少しだけ、遼火の探索は続くことになった。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.30 )
- 日時: 2015/11/28 00:36
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: ugb3drlO)
17時過ぎ。待ち合わせた喫茶店で遼火は檜山綴と再び対面した。
「随分お忙しそうですが、お時間は大丈夫ですか?」
「ええ、半頃までであれば」
檜山は数分遅れでやって来た。時間きっかりである必要は無かったが、それでも急いで来たのかそんな様子であり、また時計に数度目を遣り時間が押している様子でもある。檜山はやや乱れた髪やジャケットを整えて席に着いて、出迎えた店員が注文を取り去って行った。
遼火は檜山の姿を改めて一望する。
檜山の印象は一言で言えば、キャリアウーマン。今時で言えばそうも珍しくもないか若しくはその若さでそれなりの役職に就いて部下の上に立ち指示を出しているような腕の良い一会社人の女。まだ学生の身である遼火にとっては自分よりも年上且つ大人の女である。ご立派な大人の顔とはそういうものなのか自信の表れか、どこか無機質そうで険しい表情をしているのは依頼時にも思ったことである。尤もそれは誰にとっても同じ事であるかも知れないが。
遼火はそんな女性に気後れしないよう心静かに息を飲み込み席の向かいの相手を見据える。
「それで何が聞きたいですか?」
「そうですね。まずは猫の、モモコさんの性格等についてもう一度」
当たり障りのないところから尋ね始める。
今回の目的は彼女の矛盾を明らかにすることである。場合によって依頼を断ることも考える必要がある。
果たして、飼い主であると言うのは「嘘」であるのか。それを判断する為の対面である。
「はい。……おとなしい子でした。あまり悪戯もせず、私が家に居るとソファの隣でジッと一緒にテレビを見たり、窓から外を眺めたりして」
「あまり動きたがらないと仰っていましたね。やはり、色々うろつかれるよりも手が掛からなかったのでしょうか?」
「ええ。頭の良い子でもありました。飼い主の私の迷惑にならないようにしてくれているようで」
「確か、室内飼いということでしたよね。ということは、体力面ではあまり? 長距離を歩くというのは難しいと考えられるでしょうか?」
「ええ。多分それほどには」
檜山はモモコについて語る。遼火はそんな彼女の視線や表情の微妙な変化を意識して眺めた。
だが、それは自然なものであった。作り話の類には思えない。まるで本当に猫を飼っていて、その猫が居なくなってしまったことを悲しんでいるような。
これに関して遼火は考える。仮に大金目当てでその猫を探しているのだとしてそんな顔を浮かべるだろうか? いや、猫を飼うことくらい珍しいことではない。大金目当てに飼っている猫とは別の猫を探している、という形ならおかしくは無い。
「……別の質問ですが」
「はい」
更なる情報を得る為、話を変える。
「貴女が連れて来た男の子なんですが、あの子は自分の猫だと言っていました。それについてどう思いますか?」
「あれは、私も驚きました。偶然連れて来た子供があんなことを言い出すなんて。でもきっと勘違いしたのでしょう。三毛猫など比較的どこにでも居ますし。そうでなければ子供の言う事ですし」
それも夜中にうろつくような子供の。悪戯のつもりなのだろうと檜山は言う。
しかし先ほどの猫の話と違い、その口ぶりに少々の上辺さを感じなくもない。食い込んで聞いてみることにする。
「実は、あれから昨日一日あの子と猫探しをしてみたのですが、あの男の子の証言から幾つか情報が得られまして」
「あの子から?」
「ええ」
檜山はさも意外そうな態度でオウム返しのように返事をする。
「それでは、居場所が分かったとか?」
「まだ特定までは出来てはいないのですが、何でも猫の溜り場である神社がありまして、そこに首輪を着けた三毛猫が出入りしていたらしいと」
「本当ですか? ……神社。もしかしてあの神社でしょうか?」
一度俯いて考え込んだが、すぐに思い当たったようで反応を示した。あの神社は檜山の住所からも比較的近辺にある。知らないことは無いだろう。そうでなくても神社など一つの町に住み続けていればこのご時勢早々巡り合えるものでもない。
また、期待の眼差しが浮かぶ。それは大金の居場所が分かったことに対するものなのか、または愛猫を思ってのことなのか。
ただ、近所の神社が猫の溜まり場になっているということは知らないのだろうかと遼火は疑問に思った。
「これを」
考えつつも一先ず遼火は一枚の写真を取り出し檜山に見せた。複数の猫が集まる昨日の神社の写真である。檜山は手に取りそれを確かめる。
「やっぱりあの神社。……いえ、普段は滅多に行かないものですから。……ええ、仕事が忙しいですし、近所を散歩するということもあまりないもので。しかし、そうですか。ここにモモコが」
尋ねてみてすぐに考えを払拭した。疑問に思うまでも無いことであった。社会人ならそんなものだろう。家を出てすぐ見えるのなら兎も角そうでないのなら知っていなくても不思議ではない。
「実はこちらでもう足を運んでいまして。ただ、その時には見つけられませんでした」
「そうなのですか」
檜山は少し目を伏せて写真をテーブルの上に戻した。
「ですが、そこの神主の方が確かにモモコさんを見たと仰っていまして」
「では、やはり」
漸くの有力情報らしさに彼女の目に再び期待の色が加わる。だがそれは彼女にとって嬉しい話とはならないであろうことを遼火は理解していた。
ここからだ。遼火は内心で意気込む。一つずつ突きつけていくのだ。
遼火は檜山が次に言葉を発する前に遮るように切り出した。
「しかし、彼が言うにはモモコさんが現れたのは"昨日に限ったことではない"とのことです」
それが一体どういうことなのか、その理解を求める必要は無かった。檜山の顔が変わった。それは一瞬ではあったものの見逃しようも無い大きな表情であった。檜山は何か言い出しそうにしたがすぐに目を逸らし黙った。
遼火は畳み掛けてその先の回答を突きつける。
「貴女の言う通り室内で飼われていたのなら、それはおかしい筈です。どうしてでしょうか?」
だが、檜山は再びこちらに視線を戻すとスルリと抜け出るように反論を返した。
「それは、別の猫のことなのではないでしょうか? ほら、あの男の子の言う猫とうちのモモコは似ているのですよね?」
「そうですね。そのようです。何せ名前まで同じ"モモコ"のようですから」
「そうなんですか? なら、やはりあの子供が嘘を吐いているんでしょうね。初めにも言いましたが、そもそも子供の言う事ですよ、探偵さん」
確かに、武瑠の言い分が嘘なのだとしたらこの言及は効力を発揮しない。彼女の言う通りとなる。
尤も、嘘ではないのなら似た姿の猫が名前まで同じであることになる。それもどちらもオスの三毛猫ときたら、もう考えるまでも無い。あり得ない。モモコは一匹であり、つまり依頼人である檜山が嘘を吐いていることになる。勿論、武瑠が嘘を吐いている可能性も否定は出来ないが。
「しかし、神主さんも見ているのです。彼の見たそのモモコさんは痩せており、栄養失調気味とのことです」
「ではその神主さんが別の猫と勘違いをしたのでしょう。私の言うモモコは栄養失調ではありませんし痩せてもいません。そう考えると、もしかしたら、その人は嘘つきの子供とグルなのかも知れませんね」
グルである、何やら神主のイメージが黒いものに変わってしまいそうだが、可能性としてそれもあり得るのだろうか?
そもそもあの場所へ案内をしたのは武瑠である。あの神主と顔見知りであってもおかしくはない。どんな理由かは知らないが、武瑠の望みを叶える為に口から出任せを言ったのだろうか?
「ところで、依頼時に貴女の付けていた香水ですが」
「……それが何か? 女性として香水の一つや二つを付けていたとして何かおかしいでしょうか?」
「猫はシトラスの、……柑橘系の匂いを嫌うそうですね」
「一般的にはそう言われますね。ですが、私はあの時そんな香水など付けてはいません」
確かに、猫が柑橘系の匂いを嫌うというのは一般論に過ぎない。人間も色々な嗜好を持つ者が居るように、猫とて絶対無いとは言い切れない。
また、檜山が本当にシトラスの香水を付けていた証拠が無い。そもそも実証することが出来ない。知らないと言われてしまえばそれまでである。それに、遼火たちがあの時そういった匂いを感じたというのは本人たちの中では確かであるが、感覚ほど宛にならないものもない。集団催眠宜しくに誰かがそう言うと不思議と他の者までそんな気になってしまう現象が起きたとでも言われれば、それを完全に否定することも出来ない。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.31 )
- 日時: 2015/11/28 00:39
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: ugb3drlO)
「そう言えば、オスの三毛猫の価値を知っていますか?」
「価値? ええ、希少価値が高いらしいですね。それが?」
「高ければ2000万はするそうです。貴女は依頼時に性別を言いませんでしたね。改めて教えて頂けますか?」
「ええ、オスですが何か? だから余計に探しています。偶然にもオスの三毛猫を手に入れられたので、その特別さも相成って愛着を持って飼っていました。ですので、探偵事務所などに押しかけ致した次第でして。オスであることは伝えませんでしたっけね? 申し訳ありません。最近は仕事が忙しく疲れていたものですから。あの日も、あの時間にお伺いしたのは仕事であの時間まで駆けずり回っていたからだったもので。それにしても、2000万もするのですか? 希少価値が高いということは知っていましたが、具体的な金額のことまでは知りませんでした。そうですか。そんなに……。そうであれば尚更探し出したいので是非頑張って頂けますか?」
依頼時にはぐらかされた点をストレートに指摘してみると、檜山は淡々と説明し返し、最後に金額に納得すると改めて猫の捜索を遼火に依頼した。とても落ち着いた様子である。筋も通っているように遼火には思えた。ここで焦った相手が疑われぬよう口をついてメスだとでも言えばそれ一つでほぼ決定打に持ち込むことも出来たかも知れないが、そうはならなかった。
「因みに、どうしてモモコという名前にしたのでしょうか? それはオス猫に付ける名前ではないように思えるのですが。……一般的には」
「昔飼っていた別の猫の名前がモモコでして、その猫はメスだったのですが、その猫は子供の頃からの家族でとても愛着があったので、ついオスにも拘らず同じ名前を。まぁ猫は人間と違って名前の性差の違いからそれを恥ずかしがったりもしませんし、こちらとしても何だか逆に一層可愛く思えてくる始末です」
檜山はニコリと多少気恥ずかしそうに笑ってコーヒーに一口付けた。
これも確かに。そういう飼い主もいることだろう。名前が女みたいだと文句を付けるのは人間だけである。
「警察等には届出が出ていない様子でしたが」
「時間がありませんでした。今は忙しく、あの時も仕事の帰宅からフラリと立ち寄って衝動的に依頼を致しましたので。昨日も、休日でしたが探偵さんからお電話を頂いた時は仕事の移動中でして」
「しかし、やはり届出は必要でしょう。探偵に依頼するほど大事な猫であれば」
「正直言うと、警察や役所というものが嫌いでして。以前に物を落とした時には事務的というか、寧ろ面倒臭そうに対処されたことがありましたし、結局それは見つかりませんでした。それに、価値が価値ですし、極力多くの目に留まらない形で探したいと思いまして」
確かに。探偵業とはその為にあるといっても過言ではない。また、遺失物届けを出しても比較的そんなものだろう。どちらかと言えば偶然見つかりさえしなければ根本的に連絡など来るものではない。
……さて。色々と尋ねてみた後で遼火はもう一度思考する。
結果、予め用意していた全ての疑念に対して綺麗に返されてしまった。それらは確かにその通りに頷けるもので、疑念を解消出来る回答であった。
こうなって来ると、やはりこの依頼人は嘘を言っている訳ではなく、武瑠が嘘を吐いているということになるのだろうか? しかし、だとすればどうしてそんな嘘を言う必要があったのか? それは武瑠が子供だからである。檜山の言うとおり悪戯小僧が大人を困らせようと無邪気な顔でやってのけたのである。難しい話ではない。根本的にそれだけの話で終わる可能性がある。
だが、仮に檜山が尤もらしい事を言っているだけでやはり嘘を吐いているのだとしたら?
彼女の反論は飽くまで可能性の範疇でしかない。可能性として武瑠や神主が嘘を言っている。しかしそちらが嘘ではないのだとしたら、当然嘘を言っているのは檜山であることになる。つまりそれは「モモコの飼い主ではない」ということだ。飼い主ではない者が2000万という価値の為に探偵を使ってまで探し出し、利益を得ようと考えているということである。
しかし、檜山は猫の価値を認めている。そして口ぶりからしてその価値を理由に探していることをどうやら隠してはいない。偽の飼い主であればその点を極力隠すのではないか? そして落ち着いてもいる。それは隠す必要が無いからではないのか? つまり、本当の飼い主であるので隠す必要が無く、且つこちらの疑念にも綺麗に返すことが出来る。今のところ何かを隠している様子である武瑠に対してこの檜山の堂々とした様子では、どちらを信じるべきかというのはある意味では簡単な話であるように思えた。勿論そんなものは主観的な判断でしかないが。
結果として、檜山への疑念はどれも矛盾とは言い切れない。しかし、現状本物の飼い主だと断定することも出来ない。
ならどうするか? ……情報が必要だ。しかし、それは現状すぐに得ることは出来ない。
つまり、今回に関しては手詰まりだった。尤も、初めから情報収集のつもりだったのだから、この結果には特に不満はない。
その考えに到った遼火だったが、同時に、今現在の状況に関して別の認識も持たねばならないことを理解した。
「探偵さん」
檜山が言った。その毅然とした表情からは確かな不快さが伺える。
「さっきから何ですか? よく分からないのですが。貴方の先ほどからの言い分を聞いていれば、まるで私が嘘を言っているかのような物言いに聞こえますが? 貴方は仕事を、私の依頼を引き受けたのではないですか? あの子供に何を言われたのか知りませんが、私は正式に依頼を貴方に頼みました。それを貴方は依頼人では無いどころか、夜中に一人で外をうろつき回るような小学生の突拍子も無い言い分を信じて依頼人である私を疑うのですか? 普通あり得ますか? 依頼された猫と同じ猫を偶然一緒にやって来た赤の他人である子供が自分の猫だなどと言うだなんて」
「…………」
遼火は押し黙り、無言の返答をする。
彼女の言っていることはそれだけ切り取ってみれば至極尤もだ。おかしな疑念こそあったが、それも彼女の言うとおり一応は否定の出来る疑念ではある。そして、武瑠の言い分が全て嘘で偽の飼い主なのだとしたら、遼火は本当の飼い主である依頼人に対してあってはならない態度を取ってしまったことになる。彼女が怒るのも無理は無い。
——だが、その一方で過ぎる。
本当に? 武瑠の言い分は本当に「全て嘘」だったのだろうか? 何もかもが間違っていた?
何か違和感があった。昨日一日の行動を振り返り、遼火はもう一度考える。
「もし、貴方が断るつもりで来たと言うのであれば構いません。必要なら今日までの費用をお支払いします。お幾らですか?」
檜山は腕時計を見て時間を確認する。まだ半にはなっていないが、時間に追われた様子で引き上げムードである。
遼火は考える。何か、何か見落としている気がして、それが拭えない。
その時。
ピリリリリッ。
携帯が鳴った。遼火のものではない。
檜山は鞄から携帯を取り出し、「ちょっと失礼します」と電話に出た。
「……はいっ、はいっ。申し訳御座いません。それに付きましては、……はい、必ず間に合うように。はいっ、……いえ、それは、……はい、はいっ、申し訳御座いません。近日中に必ず、はいっ……」
腰が低い性格、という訳では無さそうな様子で檜山はただただ頭を下げていた。それがどんな状況であるのか。恐らく社会のシの字も知らない学生身分では分からない苦労がそこにはあるのだろう。遼火の将来においてもいつかこんな光景に遭遇するすることも起こり得るかも知れない。知った気になってはいてもまだまだ知らない大人の世界が恐らくこの先の人生で遼火にとっては待ち構えているのである。
数分の間只管謝罪の言葉を繰り返した後、檜山は疲れた面持ちで小さく息を吐いて電話を終えた。
「……失礼しました。お見苦しいところを」
「取引先の方ですか? 会社人になると言うのは大変そうですね」
「……こんなことは、中々ありませんけれど」
「こんなこと、と言うのは?」
「…………」
檜山は嫌悪感を強めた目で遼火を見遣った。他人の事情に一々口を出す者に不快感を持ってもそれは致し方の無いことだろう。
だが、情報収集の為にそれを敢えて行うのも「探偵のイロハ」の一つである。
檜山は視線を僅かに上に上げて黙った。遼火は振り向いてその視線の方向にあるものを確かめた。
店内に置かれたテレビでニュースが流れていた。それは忘れもしない先日のデパートジャック事件のものであった。レポーターが事件が起きたデパート・コーホクの前で現在の状況や犯人グループの目的などに関して語っている。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.32 )
- 日時: 2015/11/28 00:40
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: ugb3drlO)
「……あの事件で大きな痛手を被りまして」
「痛手?」
「大きな商談があったのですが、店はあの通り営業休止中ですからお陰で台無しに」
檜山は画面に視線を向けたまま、苦々しそうに顔を歪めた。
画面には主犯格の男たちの顔写真が映し出されていた。それは遼火にも覚えのある顔であった。あのテロリストたちに中央で常に指示を出し、最終的には水を操作するイデアで襲ってきた相手である。名前は「猿渡賢助(サワタリ・ケンスケ)」。
事件から2日目、デパート・コーホクにはまだ仕掛けられた爆弾の調査や破壊された店の修繕、現場検証などで営業の再開は未定である。
要は、あの事件によって被害を被ったのはあの場で人質とされた者たちだけではなかったということである。それは「店」という場所に関わる全ての者へ多かれ少なかれ影響を与えているのだ。場合によって大きな問題を被った者も居た事だろう。遼火は檜山がその一人だということを知った。
ガタッ。
檜山が席を立ち上がった。
「探偵さん。申し訳ありませんが、私はそろそろ戻らねばなりません。費用に関しては先日渡したメールアドレスに振込先を記載して送って下さい」
「いえ。あの時も言いましたが成功報酬ですので、その場合は費用は結構です」
「そうですか。分かりました。では私はこれで」
「待って下さい」
立ち去ろうと背を向ける檜山を引き止める。檜山は横顔で視線のみを向けて返事をする。
「……まだ何か?」
「依頼は断った訳ではありません。ご安心下さい。猫探しはこのまま続けます」
「ですが」
「あのような特殊な状況ではこちらも確認をせざるを得ませんでした。例えそれが子供の妄言なのだったとしてもです。場合によってトラブルに巻き込まれる可能性があるのがこういった仕事ですので、それを避ける為にもこちらとしては細心の注意を払う必要があります。お気を悪くされたのなら申し訳ありませんが、何卒ご容赦下さい」
遼火の謝罪に檜山は数秒考え、最後にもう一度真正面に振り向いて口を開いた。
「分かりました。ですが今後は、探しに行く前に有力そうな情報を得た時点で私に教えて下さいますか?」
「得た時点で、ですか? しかし」
「時間はどうにか都合します。それでは宜しくお願いします」
檜山は踵を返し店を出て行った。遼火は窓の向こうを過ぎっていく彼女の姿をしばし見つめて、彼女が上手く隠し通したかも知れない「最後の矛盾」に関して頭を走らせた。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.33 )
- 日時: 2015/11/28 01:00
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: ugb3drlO)
***
『こっちはもう終わったよ。今から帰るね。そっちはどうだった? もう終わった? 良い情報引き出せたかな?』
携帯を取り出し、メールを確認する。袖子からである。メールで返信するのも煩わしく思えたので、通話で返事をする。
『お疲れ様。それで、どうだった?』
「結果だけ言えば、本当の飼い主である可能性が高くなった」
『そうなんだ? でも、それだと武瑠君が』
「まぁな。ただ、何か引っ掛かっているんだ。何かを見逃しているような。だが、疑念の全てに対して綺麗に反論をされたよ」
どれもある意味では筋が通っており、その視点においてはまるでそもそも最初から何を疑っていたのか分からないほどに。
とはいえ、結局は可能性の問題で、どちらに関しても50%50%(フィフティフィフティ)である。
結局今回のことで分かったのは、どちらにも嘘の可能性があるということで、要は振り出しに戻ったということだ。
袖子は言葉少なに相槌をする。
『ふぅ〜ん』
「ガッカリしたか?」
香水の件と言い、袖子はどちらかと言えば依頼人が嘘を吐いていると思っていたのであろう。
『ん〜ん。ただ、そうなんだぁと思って。……でも、それじゃあ、この依頼は引き受けたままで、猫探しは引き続き行うんだよね?』
「ああ。そのつもりだ」
仮に依頼人の嘘が発覚した場合、その後の行動として普通ならどう判断するか?
前にも考えた通りこちらの仕事は飽くまで猫を探すことであり、依頼人の是非などは問わないのである。是非が起こるとすれば、それは探偵という手段を用いて猫を手に入れた依頼人側の問題であって、探偵はただ申し込まれた仕事を行うのみだ。一々そんなものを問いていたらこんな職業、食いっぱぐれること間違いないのである。勿論時間は有限だし、依頼主が本当に嘘を言っていたのであれば、トラブル回避の為にも断る者もいるだろうが。それに関して言えば、今回の仕事は遼火としては金目当てではなく半ば勢いで受けてしまったものなのだから、寧ろ後者の判断が正しいとも言えただろう。
しかし、依頼人が嘘を言っていないといった判断になるのであれば、断る理由など無いのでそのまま依頼を続行することになる。グレーな状況でも同様である。
『遼火君』
「うん?」
『私は、あの依頼人はやっぱり嘘を吐いていると思う』
どうやら袖子はまだ怪しんでいるようだ。
遼火は、引っかかるとは言ったが、はっきりとした根拠が無い以上下手に言及することも出来ないことを伝える。
『全てに対して綺麗に反論出来るなんて、ちょっと都合が良すぎるんじゃないかな?』
「けどな」
『ある意味余計に怪しい気がするかな。ただ、それを言うなら勿論武瑠君も』
遼火は言葉を止めた。袖子が武瑠にも懐疑的な目を向けたのが少々意外だった。
『帰ったら詳しく聞かせてね。私も推理してみるから。大丈夫きっと真相に辿り着けるよ。勿論モモコちゃんのことももちゃんと見つけてあげようね。きっとね、お腹も減らしてると思うんだ』
「あ、ああ」
『あ、そうだ、遼火君。ところで今、どこにいるのかな?』
「今? 今は3丁目の……」
ピッ。
「それじゃあ」と場所を告げて報告を終え、携帯をポケットにしまいこんで道沿いに歩き出す。
今後の指標としては、聞き込みなどを続けながら猫探しをしつつ、武瑠への疑念を追求することだろうか。そうすればあの"違和感"がなんであったのかも見えて来るかも知れない。
「まぁ、なるようになるだろう」
ふと、更に遼火は考える。
仮に最終的に"二人とも嘘を吐いていた"という場合で、且つこの先遼火が猫を見つけたとしたら、その猫は一体誰の物になるのだろう?
懐が暖かくなるような思いを感じつつ遼火は帰路に着く。
やがて工事現場が見えてきた。この町は小都市ではあるものの、開発は徐々に進んでおり、部分的にビルやマンションが建ち始めている。
その内、この町も大都市と呼ばれるようなことになることもあるんだろうか。その時自分は幾つでどんな人間になっているのか。ふと父親の姿が浮かんで、しかし何か強めに首を振って遼火はイメージを掻き消した。
建設中の現場は、鉄パイプで足場を組まれ、部分的にビニールシートが被せられている。しかしそろそろ晩も近く、本日の工事は既に終わっているようである。
そうして一度見上げて前を向き直し、柵で囲まれた壁の脇を歩いていたその時——。
ヒュンッ——!!
唐突に風切り音がどこかから耳に届いた。何か不穏な重みが自分に近づいてくる感覚。
歩きながらゆっくりと顔を頭上に向ける。コンマ数秒刻みでそれは近づいてくる。しかしそれが何であるのかは視認するまでは分からない。
歩みを弱め、顔を上げる。工事中の建物が見える。空が見える。音が聞こえる。そして——。
鼻先を掠め切るような鋭利な空気の流れ。直後、地面のコンクリを砕く耳に痛い金属音と、足の裏から跳ね返るようにビリビリと響くその重衝撃。遼火の目の前にそれが「落下してきた」のだと気づいたのは数秒遅れてのことだった。
「……何、だ?」
それは2メートルほどの長さの鉄パイプだった。1センチほどの厚みのある太く重量のある管状の金属の塊。
どこからこんなものが? 決まっている。建設中のあの建物からである。
見上げると、ビニールシートが風でバサバサと揺れているだけであった。
あそこから? ネジが緩んでいた?
しかしすぐに気がつく。距離がありすぎる。建設中のそれから道までは5メートルはある。あんなところからどうやってこんなものが落ちてくるというのだ。風に煽られるにしてもあの重さでは届かないに思えた。
その時、ふと視線を感じた気がした。何か覚えのある視線。あの視線だ。昨日から感じていたこちらをただじっと見つめる奇妙な視線。
悟られないように間を置き、そして急遽そちらを向いて一気に駆け出す。
「そこだッ!!!」
道脇の向こうに居たそいつに向かって呼びかける。相手は咄嗟に逃げ出したが、その瞬間そいつの服が翻ったのが見えた。茶色の裾。確かに見えた。
「逃がすか!」
足には多少の自信があった。相手がいくら逃げてもこの距離なら捕まえられるだろう。さっきの鉄パイプがそいつであったのなら、こちらは危なく命を失うところであったのだ。事と次第によってはただでは済まさない。
——が。
「……居ない?」
道の向こうに居る筈のその相手の姿はどこにも無かった。柵を乗り越えたのかと思ったが、柵は3メートル近くあり、こんなに素早く上り切れるものではなかった。
何かのイデア能力者だろうか? 考えられなくは無かった。空を飛んで逃げたのかとも思い空を見渡したが、空には姿は無い。もしくは別の能力か? 壁を抜けたり、地中に潜る能力なども考えられる。
兎に角、追跡は困難だった。これ以上ここに立ち尽くしても答えは出ない。
遼火は舌打ちを一つして再び振り返って歩き出した。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.34 )
- 日時: 2015/11/28 00:55
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: ugb3drlO)
家に着くと、武瑠の姿が無かった。
武瑠は、現在父親が出張中で家では独りきりになってしまうので、という理由で父親が帰って来るまで遼火の事務所で預かることになった。昨今誘拐が何だのとうるさいご時勢であるので遼火としては乗り気ではなかったが、
『私のイデアがあればきっと大丈夫、かな?』
そう袖子が言うので、遼火もそれ以上突っつくのを止めたのである。それに、正直3人でと言うのは悪い気はしなかった。(尤も、日数が掛かるようなら真面目に考えなければならないが。やはり誘拐罪には問われたくは無かった)
「ったく、遊びにでも行っているのか?」
武瑠が脱ぎ散らかした服を片付けながらソファに座り込む。
テレビを点けると特に見たことも無いアニメがやっていた。武瑠が見ていたチャンネルがそのままになっていたようだ。しばしそれを見て時間を潰す。
途中から見たので10分ほどで番組は終わってしまった。子供向けのロボットアニメであった。内容は良く分からない。EDテーマは最近流行の女性アイドルの歌で、子供たちへの小さな頃からの洗脳教育という必死さ、などとひねくれた感想を持った。
画面左上の時刻を見ると18時25分。もうこんな時間か。時間を見て漸く夕食のことを思い出した。
その時丁度メールの着信音が鳴った。相手は袖子だった。
『もう家に着いた? 良かったら夕飯買って行くけど何が良い?』
「……」
グッドタイミング。向こうもこれから帰ると言っていたにも拘らず中々帰って来ないとは思ってはいたが、逆に上手い結果に結びついたものだった。
それに、何だろうか。この言葉に何か感じるものが無くも無いように思えた。同居人というのも悪くないのかも知れない。一人暮らしでは味わえない感覚である。
「じゃあ、適当に弁当でも」
返信を打って、しばし何もせずテレビの天気予報を見て、今度は体勢を変えてソファに寝転がる。
「ふう」
夕食の到着まで特にすることが無い。楽だ。そして暇だ。なんてありがたい時間だろう。ソファーに沈み込む体に少々の疲労を感じる。
脳みそを使うと糖分を消費する。チョコレートを取りに冷蔵庫に向かう。今日檜山に会う前に抜かりなく買い溜めしておいたのだ。
ピロロロロッ。
扉に手を掛けた時に再びメール着信音が鳴った。……相手は袖子。
『ごめん。ちょっと出てきてくれる? 早く早く!><』
「…………」
板チョコを齧りながら何だと思って行くと、袖子が指差す店のPOPが目に入った。
「トイレットペーパー大安売り! 一人2パックまで」。
「…………」
遼火で2パック。袖子で2パック。但し持つのは全て遼火一人で4パック。重くは無いが大きいので持つのは割合大変である。袖子の手には弁当の袋が握られ二人で事務所までの道を歩く。
「よかったー。ほら、買い置き無くなってたでしょ? お得お得」
よく気が付く良い女だな、とでも思ってやれば良いのか、何か複雑な気持ちになる遼火。
「あ、いい夕日。遼火君、ちょっとそこに立ってて」
周囲を見れば程好く赤焼けに染まった空の光があちこちを赤く染めていた。今日は天気もよく、振り返るとそこには真っ赤に染まった日没の日が今まさに落ちようとしていた。
ビルの隙間から顔を出す赤い日を背に、袖子に言われて歩道の先の段の上に立つ。
「動かないでねー。こっち向いててねー。撮るよー? ハーイ、モンテスキュー」
「いや、どんな顔したらいいんだよ」
キューって口をすればいいのか、キューー。
その顔と一人で大量のトイレットペーパーを抱えるという何とも欲張りな姿で袖子の携帯カメラに収まる遼火。後で確認せねばならないと微妙な好奇心が沸く。
だが、その時——。
カメラのシャッター音が鳴った直後、不意に音が近づくのを感じて咄嗟に背後を振り向くと、そこには遼火に向かって突っ込んでくる車があった。しかし目に掛かる夕日に目を細め、若干反応が遅れる。
不味い——。
遼火は慌てて前方に転がり込んで車を回避した。車は大きく歩道側に寄りながら制限速度以上の速度で突進し、そして歩道に乗り上げる前にハンドルを切って道路の向こうに走り去って行ってしまった。
「大丈夫?! 遼火君!」
「あ、ああ」
キッ、と睨んで車の後部を見遣るが、顔を上げ直した時には既に車は遠方に逃れ、また夕暮れの暗さでナンバーを確認することは出来なかった。
「もう、失礼しちゃうね」
見るとトイレットペーパーが1パック台無しになっていた。一応使えなくは無いだろうが、ビニールパックは破れ見るも無残な姿になってしまっている。
兎に角、無事で良かったと二人は帰宅する。
「あれ? 武瑠君?」
その途中、事務所の近くで武瑠を見つけた。武瑠は何か地面に向かってキョリキョロとしている。
「どうしたんだお前?」
「あっ、兄ちゃんたち。もう帰ってきたんだ」
「もうって、もうこんな時間だぞ」
時計を見せると、武瑠は素直に納得した。時刻は19時。子供はもう帰宅する時間である。
「それじゃあ、帰ろうか」
武瑠が袖子の隣に並び、三人で歩き出した。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.35 )
- 日時: 2015/11/28 01:33
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: ugb3drlO)
「それじゃあ、配るね。今日はお弁当でーす」
ガサガサガサガサ。
袖子が袋から一つ一つ取り出してそれぞれの席の前に置いて行く。
「武瑠君には、ノリ弁当。私には、ノリ弁当。そして、遼火君には、……マヨノリ弁当ー」
ポン、ポン、ポン。
触ると暖かく、程好い塩気のホンワリとした香りがした。
「……喜んで良いのか?」
「うん。大奮発」
受け取ったレシートには、他より20円高い金額が記載されていた。……まぁ、いいか。敢えて何かを言うことはしない。
「何で、兄ちゃんだけマヨノリ弁当なの?」
武瑠が羨ましそうに尋ねる。実際はマヨネーズが付いてオカズにチクワが一つ追加されているだけのほぼ普通のノリ弁当なのだが。武瑠の物とほぼ全く同じものではあるのだが。敢えて口を閉じる遼火。高々マヨ一つの待遇であったとしても、正直特別扱いというのは悪くない。
「それは——」
「まぁ、家主だしな」
当然の権利だろうと箸を取り、ビニールの切り口を開け、醤油とマヨをニョロニョロと掛けて行く遼火。
「前に並んでた人が、『言い間違えた、やっぱりキャンセルする!』って言っちゃってね、お店の人困ってたから、じゃあそれ下さいって」
「仕方が無くかよ」
ブチョリッ。勢い余ってマヨが一気に飛び出てその辺に撥ねた。
「あーあー。気をつけないと服に付いちゃうよ? ……喧嘩になるといけないし皆同じ物にしようかと思ったんだけどね」
「喧嘩なんかするか」
食うに困ってる訳でもあるまいし食べ物で言い争うほど小さな人間ではないと豪語する遼火。
「じゃあ、兄ちゃん、そのチクワ頂戴」
「駄目だ」
キッパリと拒否する遼火。争いはしないが断りはする。何故ならたっぷりマヨも掛けたのだ(不可抗力だが特に豪勢に掛かってしまった)。遼火としては今更手放すつもりも無い。コレを渡してしまえば、プラス20円分の価値が掻き消える。
「そんな! それクリーム乗ってるみたいでめちゃくちゃ美味しそうだし! 僕もそっちが良い!」
「武瑠。人間は誰しもな、自分に配られたカードだけで勝負するしかないんだ」
「……遼火君、そんなに深そうな言葉を」
断固拒否をする遼火に対して袖子がぼそりと呟く。武瑠に対しては些か遼火も大人気ない。
「くそー、家主だからって」
「まぁな。悔しかったらお前も家主になってみろ。何なら明日はお前の家に泊まって食卓を囲んでやってもいいんだぞ? 食事の用意も片付けも皿洗いも風呂焚きも翌日のゴミ出しも何もかも全てお前持ちな」
「鬼かー! 大の大人がこんな小学生にご飯の用意から何からやらせるなんて、鬼かー!」
「……遼火君、時々本気で容赦ないよね」
自分のノリ弁当に掛ける醤油の口を切りながら袖子は苦笑する。
「そんなことないさ。他人の権利を横から奪おうとするのは悪いことだ。……あーん」
モグッ。マヨがたっぷり詰まれた限定1ヶのみ(この食卓において)のチクワを一口で口の中に放り込んでいく遼火。
「あー!! 僕のデコレーションホイップチクワー!!」
横文字化されてどことなく洋風になってしまったマヨチクワを本気で惜しんで叫ぶも空しくそれは家主の栄養として胃袋に納まっていく。
「ほら、武瑠君、乗り出したらダメだよっ、……あっ」
袖子が掛けようとしていた醤油がその拍子にスカートの上に撒かれてしまった。
「おいおいおい。ほら、早く拭けよ。……武瑠、お前が乗り出すからだぞ」
「う、ご、ごめん姉ちゃん」
ティッシュを箱ごと袖子に手渡し、武瑠を叱り付ける。袖子は数枚とって押し付けるようにスカートに付いた醤油を吸い取って拭く。
「あはは、大丈夫大丈夫。ほら、このスカートお醤油と色が似てるし。でも、染みになるといけないから、ちょっと着替えて濡らして来るね」
袖子は立ち上がって部屋に戻った。
「気をつけろよ?」
「兄ちゃんが悪いんじゃないかー」
「そんなに言うなら、マヨなら冷蔵庫に入ってるから取って来い」
「ホントに? やった!」
チクワというかマヨが羨ましかったのか、その後弁当付属のマヨ程度では表せない量をゴッソリと掛けた武瑠が、マヨというのは掛けすぎてもダメだと一つ人生を学ぶ姿を、多少感慨深く見つめる遼火であった。
全員が食べ終わり、それぞれがゆっくりとしているところで、パジャマ姿の袖子が再び声を上げた。
「じゃーん。アイスでーす」
カップに、棒アイスに、あとは小粒タイプの小さな箱アイス。どれも種類が違う。
また無駄遣いを。……とは思うものの、まぁ食後のデザートというのも悪くないかと遼火は考え直す。
「因みに私はカップを所望しまーす」
「じゃあ僕は棒の奴!」
「え、じゃあ」
ヒョイっ、ヒョイっ。
袋の中にはもうそれ一つしか残されていない。
「遼火君、ハイどうぞ」
選択権などないのか。先ほどの喧嘩になるといけない云々をもう一度思い出して欲しくなった。平等とか公平とか、そういうものは群れ社会において如何に重要なのかその定義について論文をまとめて提出してやりたい気持ちが芽生えた。そういえばイデアに関するレポートのこともここ数日微妙に忘れていた。そちらの方も何とかしなければならない。
残ったアイスの名称は「ペコ」。バニラアイスをチョコでコーティングしてあり、中央にベコっと窪みのあるアイス。量が少ないのであまり買ったことはない。
……まぁいいか。チョコ関連だと何となく許せて仕舞う遼火であった。
「……ふわぁ〜あ」
ふと、武瑠が大きな欠伸を上げた。
「武瑠君、疲れちゃった?」
「まぁ、あれだけ食えば眠くもなるんじゃないか?」
弁当一つを食べ切るというのは、小学生低学年にとっては中々の量だろう。
「もう寝なよ。でも、歯は磨くんだよ?」
「でも、アイス……」
「明日にしなよ。大丈夫アイスは逃げないから」
「でも、兄ちゃんに食べられるかも……」
「食わん食わん」
どれだけ信用が無いのか。悲しくなりつつも袖子が武瑠の手からアイスを回収したのを遼火は受け取り、冷凍庫に仕舞い、洗面所へ向かう二人を見送った。
「ふふふ」
「どうしたんだよ」
武瑠を寝室まで運んだ後、ベッドに寝転がり早くも寝息を立てる武瑠の寝顔を見て、柚子が笑い声を上げる。
「かわいいなぁって思って」
「そうかぁ?」
「えい、えい」
武瑠の頬をツンツンする袖子。
「ふふ、柔っこい」
「やめてやれ。起きるぞ」
「はーい。よいしょっと」
スヤスヤと眠る武瑠一人を残し、ベッドから離れて扉を閉め、二人でリビングに戻る。
「それじゃあ、私、シャワー浴びてくるね」
「ん? ああ」
そう言ってテーブルに置いていたアイスを結局食べずに冷凍庫に仕舞う袖子。
「さっぱりしてから食べるんだ」
風呂上りのアイスか、と思い、自分もその爽快さを想像してみるが、既に食べ始めていたので構わず次の一個を口の中に放り込む。そしてテレビのバラエティを見ながら更にもう一つ。
「タオルタオル」
「…………」
「着替え着替え、……って、もう着替えてたっけ」
「…………」
「あっとと! 下着下着」
「…………」
向こうで脱衣所と自室を行ったり来たりする袖子に何と無く目を向けてしまう。
そうして、やがて漸く扉を閉めたかと思えば、
「……あ、遼火君も入る?」
「は?」
再び扉を開けて、脱衣所の扉から顔だけ出してこちらを覗き込むようにして言う袖子の言葉に遼火は耳を疑った。
…………は???
「……えーと?」
「入るならいっそお風呂沸かした方がいいかな?と思って」
「あ、ああ。そういう」
いや、何だと思ったのか。自分に思わず突っ込んでしまう遼火。
「いや、俺は良い」
「そう? 残念。じゃあ今日はシャワーで我慢しようかな」
そう言って今度こそ扉を閉めて、しばらくした後で聞こえてくるシャワーの水音で本当に入ったのだと確認して遼火は一息を吐いた。
……何なんだか。
独りごちて雑誌を手にとってそちらに視線を移し、突如沸いたおかしなイメージを払拭しようとする。
兎に角、明日は明日で今度こそ本格的に猫を探さねばならないのだ。違和感の正体のことも考える必要があるが、今日のところは忘れることにした。武瑠だけでなく、遼火もまた今日は疲労を感じてしまっていた。
具体的に何をどうするべきかはまた明日考えるとして、ペコをまた一つ口に放り込みながら疲れた頭で本日の残りの時間中、考えを巡らした。
- Re: 【合作】IDOL−A Syndrome ~全世界英雄症候群~ ( No.36 )
- 日時: 2015/11/28 00:56
- 名前: チャム ◆VFDOEYR7G2 (ID: ugb3drlO)
***
…………。
ザァーー……。
シャワーに打たれながら、ジッと動かない袖子。
考えている。何かを。しかしそれを外から読み取ることは出来ない。
数分間、何もしないでその状態が続く。
シャワーの水音だけが響いていく。静かに、静かに。ただ水が流れていく。
ふと、小さく唇が動いた。だがシャワーの音にかき消され、はっきりとは聞こえない。
「…………のに」
ザァーー……。
……
…………
………………
……………………。
一方、江藤探偵事務所の正面に止まる一台の車。暗がりで中は定かではないが、暗闇にタバコの火が灯る。
車の中の男が事務所を窓から覗き込んだ。それは黒いスーツを着た男。
こちらもただジッと事務所を睨みつけるように眺めていた。