複雑・ファジー小説

Re: BAR『ポストの墓場』 ( No.13 )
日時: 2016/10/13 11:59
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: wO3JvUoY)

【Live Log : Neutralized】

「こンのハッキング野郎ッ!!」
 がらがらとした濁声と共に、マスターは真正面から右ストレートの一閃を喰らった。
 咄嗟に身構えることも許されぬほどの刹那、しかしワインの瓶とデキャンタだけは放り出さないよう握りしめて、アンドロイドの重い機体が強かに背を打つ。どだん、と古い木の床全体が倒れた衝撃に揺れ、忙しい中で目まぐるしく動き回っていたスタッフも、客と共に音の方を見た。
 いち早く反応したのは、傍で空の食器を下げようとしていたナベシマである。
「マスター!? えっと、あのっ、どしたんですか!?」
「……見て察して頂ければいいのですが、私は大丈夫ですよ。ただ、個別に対応すべき事案が出ただけです」
 ざわつく店内、集まる人の眼。不安と焦燥の入り混じる中、マスターは慌てて近づいてきたナベシマに抱えていたものを押し付け、今しがた拳を喰らった場所に手を当てながら身体を起こした。一方のナベシマは困惑の表情も露わに、ぎこちなく立ち上がろうとするマスターと、肩を怒らせ立ち尽くす男とを交互に見ている。
「個別にって、マスターを張り倒した方ですか」
「ええ、多少時間が掛かります。今日はこれ以上お客様が増えることは恐らくありませんから、貴方とルークさんだけでも対応できるでしょう。もし私に取り次ぎがある場合は遠慮なく言って下さい、場合に応じて指示を出します。——それと、ナベシマさん」
 無感情なモノアイが、猫のような眼を真っ直ぐに見据える。
 ぎょっとしたように眼を丸く見開いた彼女へ、マスターは疲れたように肩を落とした。
「お客様の前で失礼な言動は慎んでくださいね」
「! すっすいませっ」
「構いませんよ、次から気を付けて下さい。……それ、五番テーブルにお願いしますね」
「は、はいっ」
 ワインのボトルとデキャンタを手に、ばたばたと慌ただしく客の間へ紛れていくスタッフの背を尻目に、マスターはエプロンの裾を軽く払う。そして男の顔をちらと一瞥し、ほんの僅か首を傾げたかと思うと、何事もなかったかのように深く頭を下げた。
「お待たせしました。此方へ」
「ふん」
 客とスタッフの起こす騒々しさなど、当然と言わんばかり。
 二人の姿が消える頃、フロアの空気は元に戻っていた。

 応接間、と手書きの札が下がった扉の向こうには、質素な調度品の置かれた部屋が広がる。やや手狭な空気の否めない中、頑丈なチーク材のテーブルを挟んで、マスターと男は対峙していた。
「ご用件は『コズミック・テレスコープ』の件でしょうか?」
「“今回は”、な。以前にもお前と似たようなことを仕出かしたハッカーが居たが、その時は『マクスウェル・オヴザーバトリ』、その前は『インフィニット・ベネディクト』。分かるだろ、お前が呼ぶその名は偽物だ」
 男の声色は堅く、非難の色を帯びる。
 マスターはそれでも、怖気づくことはなかった。
「確かに……かのサーバ内に潜ませたものが本当に『真理』を揺り起こすための情報ならば、わざわざ二万五千回もエラーを吐き出させる必要はないでしょう。重要性と秘匿性の齟齬には気付いておりました。中で待ち受けるものが何かも、私には予測が出来る。——防壁の厚さから見て、他に害を成すデータの集積なのでしょう」
「そこまで分かっててハッキングしたってのか!?」
 何てことを、と激昂しかけた男の声を遮って、投げかけた声は、冷たく。
「そのまま、同じ言葉をお返しします」

 虚を突かれ、刹那出来た思考の空隙に、マスターは言葉を捻じ入れる。
「私を私たらしめるものは、貴方方がかのデータの奥底に幽閉するものと同じ——電子媒体上を飛び交う情報の山積。私は、私と出自を同じくする者の声を聴いたのみです」
 ふざけるな、と、地獄の底から這い出たような声が、それを破った。
「お前は自分が何を言っているのか分かっているのか。仮にあのクソ忌々しい天使どもが“氷地獄(コキュートス)”から這い出てみろ、俺達の世界はどうなる。星間通信サーバーを破壊されて、俺達の住む地球は一体全体全宇宙の損失を何で贖(あがな)えと言うんだ!」
 激しい殴打音。男の激情を込めた拳がテーブルを揺らす。
 それでも、マスターの態度は変わらない。
「此処が『ポストの墓場』と呼ばれる理由はご存知でしょう、カノープスさん」
「知らずに来るほど愚かじゃねぇよ、Nとやら。此処は漂着するもの全てを受け入れるのだと——だがな、あんなもの受け入れられるアテが此処にあるか!? 悪意の塊、マルウェアの集合体みたいなもんなんだぞ!」
「判断するのは私です」
 マスターの冷徹な声が、煮え滾る怒りを覚まして響く。
 思わず声を喉に詰まらせたかの者へ、続く声は厳しい。
「貴方に口を出される謂れは、ありません」

 男と、彼と。睨み合い、緊張の糸が張り詰める。
 その空気を打ち払うは、控えめなノックの音だった。
「あ、あのー……・マスター、今大丈夫ですかー……」
 ドア越しにも険悪な空気を感じ取ったのだろう、開けもせずにおずおずと尋ねてきたのは、他でもないナベシマである。牽制するようにかの者へ視線を送っていたマスターは、声が届いた瞬間、何の感慨もなくレンズの向く先をその方へと向けて膠着を破った。
 どうした、と、ソファに座ったまま声を投げ掛ける。そこで、ようやくドアを開けて彼女は顔を出した。
「えっと、マスター、ちょっとフロアに出てきてもらえません?」
「フロアに? トラブルと言う事でしょうか。ルークさんでも解決出来そうにありませんか?」
 ナベシマは申し訳なさそうに点頭を一つ。
「いきなりフロアの電気が全部止まっちゃって……直前まで何とも無かったんですけど……」
 相当に焦っているらしい、揺れに揺れた声は、後少しで泣きそうなほどだ。
「こんな状態じゃ仕事出来ないですし、真っ暗でフロア大パニックになって……あの、ルークさんと一緒に何とかお客さんだけ帰したんですけど、ええっと」
「状況は分かりました。落ち着いて下さい」
 もごもごと弁解の言葉を並べようとするナベシマを、マスターはきっぱりと声で制した。
 ハッとして彼女が口を噤むと同時、彼は身を沈めていたソファから立ち上がる。
「ありがとうございます、ナベシマさん。残りのシフト分も付けておきますから、今日は上がって構いませんよ」
「えっ? でも、マスターだけじゃ」
 人手が足りないだろう、と続けかけたナベシマの肩を、数度叩き。彼女とすれ違いに部屋を出ながら、マスターは思い出したように二人を振り返った。
「店ごと木っ端微塵にでもされない限りは、大抵私一人で対応できる事案です。人手の心配はならさずとも大丈夫ですよ。……貴方もお帰りください、カノープスさん。私はフロアの状況を確認しに行かなければなりませんから」
「————」
 言葉はない。その代わりに、彼は黙ってソファから立ち上がる。そして、足音荒くナベシマの横を通り抜け、マスターより先にフロアへ出ようとして、その背を重たい声が撃った。
「貴方は私の綽名を御存じのようですが、由来を聞いたことは?」
「ねぇよ、そんなもん。俺はサーバーの使用履歴にNってのが並んでるのを見ただけだ」
 苦いものを吐き捨てるような声。振り向きもせず、そのまま歩み出ようとするその足を、マスターは静かに止める。
「“Neutralize”。それが私の識別名です」
 扉の閉まる音が答えとなった。



〔停電は翌日の午後三時までに問題なく復帰し、午後から営業を再開しました。当事案に関する追加のLive Logは存在しますが、都合により内容は秘匿されています。 :マスター〕
〔停電した後の方が知りたかったです! :ナベシマ〕
〔↑中々スペクタクルな 〔ここから先は人為的に破り取られている〕〕

〔追記: しつこい。怒るぞ。 :マスター〕
〔大変申し訳ございませんでした。 :ナベシマ・ルーク〕



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