複雑・ファジー小説
- Re: BAR『ポストの墓場』 ( No.20 )
- 日時: 2017/02/19 23:15
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: 0L8qbQbH)
- 参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode
【Live Log : 落果の腐敗】
「————」
淡い桜色の髪が肩口に落ちかかり、ぱさりと微かに音を立てる。しかし、彼女のあまりにも集中された意識は、その動きにさえ気付かない。薔薇水晶の瞳を見開き、ログを収めたクリアファイルを固く握りしめて、彼女——御坂はその身を硬直させていた。
御坂が見ているものは、第六千ログ。ある世界の終焉にまつわる、記録文書の一つである。
「御坂さん、そろそろ休憩時間も充電時間も終わりですよ」
「!……マスター」
「ログの閲覧は自由にして下さって構いませんが、業務を疎かにしないよう。見終わったログはきちんと元の場所へ戻して下さいね」
穏やかで丁寧な、しかしひどく淡々とした口調で、マスターは心此処にあらずと言った風情の御坂に告げる。一方の彼女はと言えば、戸惑いと混乱を隠せない様子で手にしたログとマスターとを交互に見つめていた。
数秒の静寂が両者に流れ、先に折れたのはマスターだ。
「どうされました?」
「ぁ、そのっ、いえ」
「仰ってください、何があっても怒りませんから」
少しだけ、呆れを込めて。紡がれた言葉に御坂は数秒言葉を失う。
そして、何かを振り払うように、ゆっくりと言葉を編んだ。
「あの——もしかして六千ログも、世界が滅んだ時のログなんです?」
「そう考えて頂いて構いません」
淀みのない返答。勢い込んで御坂は尋ねる。
「なら、どうして第一ログと別に? 私、第一ログはサブナンバーも含めて全部見ましたけど、これだけ別になってる理由が分かりません」
一瞬、沈黙が場を支配した。
しかし、それに御坂が不審を覚えるより早く、マスターからの答えが戻る。
「自戒の為でしょうか。第六千ログで滅んだ世界線は、私の不手際による部分が大きいものです」
「へ?」
「……希釈された特異点の処理を間に合わせることが出来なかったのは、紛れもなく私の罪過です。出来たはずのことを私は出来なかった。止められたはずの滅びを止めることが、私には出来なかった」
——そして、今度もまた。
ゆっくりと、低く、重く。掠れた声を、マスターは絞り出す。どう言う事だ、と思わず眉を顰める御坂に、彼はやりきれないと言った風に小さくかぶりを振ると、何も言わずに彼女の傍を離れた。彼らしからぬ乱暴な歩調でバックヤードへ戻っていったマスターを、御坂はただ見送るばかり。
クリアファイルに収められた写真の奥、幼児がクレヨンを引っ掻き回したように粗雑な目が、ただ虚ろに彼女を見ていた。
「四八九ログ、見ましたぜ」
逃げるようにログ保管庫へ入ってきたマスターを迎えたのは、ひょうきんな調子の混じった男声であった。
声の主は、腕に見え隠れする魚鱗を所在なく弄る壮年の男——もとい、ギルバート。もう休憩時間は終わりだ、と淡白に突っ撥ねようとするマスターの言葉は聞かぬふり、ずかずかと無遠慮な大股歩きで詰め寄り、彼は責めるように鳶色の眼を細める。
「流石に“演算系の致命的な機能不全”まで二度やらかすのは止めて下さいよ?」
「——私には、あれを解析することは出来ません」
込み上げる怒りを押し殺したような声だった。
その低く煮え立つ激情の矛先は、他でもない、マスター自身である。
「貴方のその願望に対して、私が何かを確約できることは、何一つありません」
「さいですか。マスターがそう言うなら俺たちゃ祈るしか出来ませんね」
「…………」
恐らく、ギルバート自身に彼を責める気はなかったのだろう。
しかし、マスターは言葉を返すことが出来なかった。
「人魚の諺(ことわざ)で失礼しますがねマスター、こりゃ“海に落ちた林檎を悔やむな”ってことでしょうよ」
沈黙を保つマスター。肩を竦めてギルバートが畳みかける。
「海の底に沈んだ林檎は浮き上がることもなけりゃ、そこから芽を出すこともない。そこで」
——終わりだ。
そう言いかけた彼の口を塞いだのは、鈍い殴打音。
ぎょっとして彼の眼が見る先では、マスターが握り締めた拳を保管庫の抽斗に叩き付けていた。その表情は何一つ変わることなく、大声を上げることもない。ただ須臾の間に振り上げ、降ろされた拳の微かな震えだけが、堪え難くも堪えざるを得ない感情の激しさを物語る。
席巻する静けさの中で、彼らは一体何を考えただろう。
「いちいち言われなくても、分かっている……!」
非難へ反駁するかのように、マスターは呻き。
呆気にとられるギルバートを見ようともせずに、彼は保管庫の奥へと姿を消した。
〔当事案をもって、第四八九ログは第六千ログへ移行となりました。 :マスター〕
〔あの、先だってはほんとすんませんでした。 :ギルバート〕
〔お構いなく。ただ、これっきりにしてください。怒るのは大変ですから。 :マスター〕
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