複雑・ファジー小説

Re: 紫電スパイダー ( No.16 )
日時: 2015/10/27 18:39
名前: Viridis ◆8Wa6OGPmD2 (ID: AurL0C96)





 ——それこそが『唯一』の幸福なのだから!



 とある昼、警察署の食堂にて、同僚同士の会話。

「サイコパスって知ってるか?」
「警察に勤めていてそれを知らない奴こそ居ないだろうよ」
「極度のエゴイズムと冷徹さ、良識や罪悪感・責任感の欠如、慢性的な虚言癖——だとかに特徴がみられる、反社会性人格」
「乱雑に言うなら犯罪的にアタマおかしい奴ってとこかな」
「本当に乱雑だな。人格の差別みたいになっちまうから、厳密には『反社会性人格障害』なんて呼ばれてる。サイコパスなんて学術用語は無い」
「他人にとってその人格が有害かどうかっていうのが判断基準だな」
「猟奇殺人犯(シリアルキラー)や重大犯罪者・カルトの教祖なんかこれに分類することが多いとか言われてる。人喰い殺人だったり殺した死体を飾り付けてみたりなんて事件もあったろう、あれもサイコパスの仕業であることが多かったり、そうでもなかったり」
「原因の多くは脳のホルモン分泌の異常だとかなんとかだっけ?」
「生育環境だとか、その他にも幾つか考えられるけどな。だから簡単に他人をサイコパス呼ばわりしたり、逆にネットの診断結果だとかの程度で断定できるようなモンじゃないな。マジでそうかなと思ったら、速やかに専門家へかかれこのグーグル先生におんぶに抱っこのファッキンサイバーチルドレン共めらがってトコだ」
「アタシ、サイコパスかも☆ とかなんとか言ってるガキ見てると正直鼻で笑いたくなる。なぜなら」
「ガチのサイコパスはやることなすこと考えることがマジで笑えないから」
「その通り」
「さっき言った食人も現代的前衛アートもそう。やること成すことが異常なのもそうだが、現実的かつ合理的に、異常なことを実行するための道筋を考えるのも特徴だ。それも良心の呵責が一切欠けたまま、な」
「サイコパスの目の前で、自分が崖から落ちそうになっている時は、崖を掴んでいる指がひとつひとつ折られていくと思え。サイコパスが向かいのビルからこちらを指さしている時は、いま自分が居る階を数えていると思え、てな具合かな」
「それこそネット診断の話じゃねえか」
「とは言ってもガチもんの奴ほど自分からそう名乗ることは無くて、案外日常を見る限りではごくごく普通だったり、むしろ善良だったりすることが多い」
「自分が社会一般とは何か違うと分かっていながら、他者の前ではそれを悟られないようにするからだ。サイコパスは自分の中の異常性を自覚していて——それが満たされる環境が奪われることを極端に嫌う」
「そして自分の異常性を自覚しても、それが異常だとはこれっぽっちも思わない」
「サイコパスたる所以だな」
「だからもし、サイコパスが日常のすぐ隣に居たとしても大概は気付かない」
「しかも更に輪をかけて厄介なのは、そういう人間ほど強烈な魅力を持っている事が多い」
「強烈な自己中心性と異常性は、極端な話、強烈な自我と個性とも言い換えられてしまうワケか」
「さっきの、妙にサイコパスに憧れる人間が多い理由もこれに帰結するな。アイデンティティー確立のなっていない踊る赤ちゃん人間が、巨大な質量を持つヒトに得体の知れない引力で惹き寄せられていく、憧れる——割とよくある話だ」
「ただの中二病ならまだかわいいモンだが、何が厄介かってつまりは本物のサイコパスに対する抑止力が失われてゆくこと」
「そして過ちを正しいと思い込むフォロワーまでも現れること」
「だからサイコパスによる犯罪は防止が極めて難しいが——凶悪な犯罪に繋がる可能性も高い。難儀なモンだ」
「おまけに良心の欠如から、更生も難題ときている」
「故に、そういったある種の異常心理に対する犯罪対策も、充実させていく必要がある。それは昔から何度も言われてきたのに、実情と実績が追いついていない」
「あくまで異常は異常、数は少ないから優先度が低いんだろうな」
「それにしても牛歩過ぎるだろう——なあ憂霧(うさぎり)、お前はどう思う?」

「——ええ、そうですね。私もそう思います」

「ヒトがどんくらい犯罪をやらかしそうか、人格を一発で測定するようなシステムでも、開発されたら良いんだろうけれどな」
「どんくらい犯罪をやらかしそうか、その指標は『犯罪係数』なんて呼ぶのはどうかね」
「面白いな。犯罪係数が高ければ何かをしでかす前に確保するワケだ」
「実際にそのつもりのないヤツまで捕まえるワケだから、それはそれで割とディストピアになりそうだけれどな」
「うまいばかりの話もないもんだ。それじゃ憂霧、資料の整理があるから、俺たちは先に行ってるぜ」
「はい、先輩方」

 長い黒髪をポニーテールにした彼女は、微笑みながら先輩ふたりの後ろ姿を見送った。ずっと隣で聞いていた、先ほどまでの会話を思い出し、彼女は思わず黒い瞳を細める。
 異常者が日常のすぐ隣に居たとしても、大概は気付かれない。彼女は、まったく本当にその通りだと思った。