複雑・ファジー小説
- Re: 紫電スパイダー ( No.20 )
- 日時: 2015/10/30 20:24
- 名前: Viridis ◆8Wa6OGPmD2 (ID: AurL0C96)
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死体は重りをつけて、海に投げ捨ててしまうのが一番手っ取り早い。
週末の夜、ユイイツは数日前に殺した男の死体を持って海へ来ていた。
幸いユイイツが住む場所から車で少し行った場所は、湾岸に面している。見通しも良く、夜中であれば人通りが全くない場所であるため、色々と都合も良かった。人ひとりの死体を運ぶのはそれなりに重労働だが、警察官であるユイイツはそれなりにしなやかな肢体を鍛え上げている。多少の手間は取るが苦労というほどの事でもない。
しかしやはり何事も後始末とは面倒なもので、ましてや事の最中で汚物まで撒き散らした男の死体にげんなりとしながら、170cm程度の皮袋に包まれたそれを引きずり出す。
その作業の最中、港にひとり立つ男を見つけた。
周りに誰かいれば、警戒するユイイツが見逃すハズはない。気配もなくそこにいた男の方へ目を向けると、その男は——いや、少年は特徴的な容姿をしていた。紫色の髪を港風に遊ばせ、身体の上下を黒衣で包み、腕は肘の前まで捲っている。黒い手袋をはめた指はタバコを挟んでいた。
近頃、ユイイツには気になる噂があった。大規模な不良グループ『アマテラス』に対し、たった一人で大立ち回りを繰り広げたり、あちこちの暴力団と行動を共にしているという、紫色の髪の少年——そんな他愛もない噂。
ユイイツには、他者には隠している不思議な力があった。自分が受けた痛みを、相手に移すというものだ。もし紫色の髪の少年に、自分と同じく何らかの不思議な力があったとするならば——不良どもを薙ぎ倒し、力を悪用しようと考える奴ばらに魅入られる。あり得ない話では、ないのでは。
他愛のない噂、されど現実たり得る可能性を感じた時、ユイイツは確かめずにはいられなかった。仕事の傍ら、独断かつ秘密でその少年の動向を探っていた。
その少年が今、目の前に居るかもしれない。
少年の方を向きながら、もはや壊れたオモチャなど用はないとばかりに死体を海へ投げ捨てる。静かで黒い夜の海にだぱん、と水の音が響き、少年——シオンがこちらを向いた。
シオンの方へ歩み寄りながら、ユイイツが問い掛ける。
「あなたがウワサの『紫色の髪の少年』でしょうか」
「何がどうウワサになってんのか知らないけど、俺みたいな頭のガキはそう居ないだろ」
かつかつと音を立て、両者の距離が縮まっていく。
「お名前を伺っても?」
「ヒトに名前を訊く時は先ず自分から名乗れよ」
「これは失礼しました。私は警視庁勤務、憂霧唯一といいます」
「藤堂紫苑だ。それで警察が何の用? 捕まえにでも来たか」
「職務上そう申したいところですが、私は」
数メートルの距離へ差し掛かったところで——。
「あなたの苦しむ姿を見たく思いまして」
——ユイイツの懐から、警棒とナイフと拳銃が手品のように現れた。
「なるほど、変質者だな?」
空を切って迫る警棒。シオンはその腕を蹴って弾く。続け様にナイフの刺突。前に出て躱しながら腕を掴み背負い投げ。ユイイツは受け身を取ると二度転がり、距離をとった。
ただ者の動きではない、この少年で間違いないと確信する。相手もユイイツの腕を感じ取ったのか、二人は互いに小さく口の端を吊り上げた。まるで獲物を見つけた獣だ。
「ただのマッポじゃないなアンタ」
「あなたこそただの子供ではないでしょう」
銃は始末書が面倒くさい、などという些事はもはやどうでもよくなっていた。手の警棒が素早く拳銃に持ち替えられる。一発。二発。シオンの足元をめがけて放たれた銃弾は、いずれも軌道を読まれて避けられた。間髪入れずにユイイツは駆け出す。駆けだしながらナイフを——自分の太腿に深々と突き立てた。後ろに下がろうとしたシオンが僅かに目を見開く。ほんの少し動きが綻ぶ。新たにナイフが袖口から飛び出し投擲される。ナイフはシオンの髪を数本掠めるも、避けられ遥か後方に転がった。
接近したユイイツはまたも警棒で水月を撃ち抜こうとする。しかし——シオンが軽く手を振ると小さく紫電が走り、警棒は細かく切り裂かれる。予想外のことに不意を取られた瞬間、逆にシオンの蹴りがユイイツの腹部を捉えて吹っ飛ばした。
久しく感じていなかった強力な痛みに、ぞくぞくと込み上げるものを感じながら受け身をとって態勢を整えた。
何か妙な得物を持っているか、でなければやはり自分と同じ不思議な力だ、と確信する。
「——痛覚の共有、それがアンタの篝火か」
シオンが呟いた。
どうやら自分や彼のような力の類いは『カガリビ』と呼ぶらしい、とユイイツは知る。
カガリビ、かがりび、篝火——不思議な力。ユイイツに相手と自分の痛みの共有を許した、ふしぎな力。しあわせのちから。どうやら自分が知らないだけで、自分以外にそんなものを持っている人間は、少年の口ぶりからすれば、他にも何人もいるらしい。
思わず、くつくつと笑いが込み上げる。
怪訝な目線を向けたシオンに向けて、ユイイツは言い放った。
「これは失礼しました。私、苦痛というモノが大好きでして——」