複雑・ファジー小説
- Re: 紫電スパイダー ( No.3 )
- 日時: 2015/10/14 14:17
- 名前: Viridis ◆8Wa6OGPmD2 (ID: AurL0C96)
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おぼろげな雲が月を隠す夜、建設途中で破棄されたビルの建設現場に、幾人かの男たちがいた。そよぐ風の音が聞こえるほどに、とても静かな夜だった。
篝火使い同士の決闘では、篝火使いは仮面を被るのが常である。相手に素性を隠す為だ。サイキの仮面はヒヒを模している。冗談半分で拵えたモノだが、その容貌は却って相手に不気味さを与え威圧したのか、純粋に実力を称えられたのか、サイキはいつ頃からかこう呼ばれるようになった——狒々のイワシロと。
狒々のイワシロと言えば、今や自他ともに認める一介の実力者であり、熟練者だ。
たかだか一山いくらの、弱小の組織が誰かをけしかけて来たところで高が知れている。驕りでも慢心でもなく、事実これまで幾つもそうして潰れた組織を知っていた。弱小は、所詮弱小。下手に警戒をしてドツボにハマる方が不測の事態を招く。だからこれでいい。自分は泰然自若と構えて挑戦者を待ち受ければ良い。そう思っていたのに……。
五感ではない別の何かが、イワシロの中でざわついている。
——井沢組の面々と共に現れたのは、黒衣に身を包んだ男——いや、少年だった。顔の黒い仮面には、眼の辺りに都合12個の球がある。その配列は、まるで蜘蛛の複眼を思わせた。上背が際立って高いワケでも、服の上から分かるほど逞しいワケでもない。仮面と、夜風に揺れる薄紫の髪以外はただの少年か、高く見積もっても青年といったところ。
組の命運を分ける最後の一手にしては、些か頼りない。何か策があるのやもと勘ぐったが、やはり見当を付けた通り、ただ自棄になって、今にも切れそうな蜘蛛の糸に縋ったというだけのようだ。——それだけの、ハズだ。
西東京清真会と、井沢組。それぞれの長、幹部、篝火使いが向き合う。
「久しぶりですな、井沢組サン」
「御託は良い。さっさと始めようや」
井沢組の頑固親父は相変わらずの気勢だった。
出雲は、そう逸るなよとでも言いたげに肩をすくめる。
「仔細はそちらが事前に申し出た通りで良い」
篝火使いを互いに一人ずつけしかけ、どちらかが死ぬか戦闘不能になるまでやり合う。最終的に立っていた方が勝者だ。
——降参なんていうのもあるにはあるが、形だけに過ぎない。自らの命が惜しくて組織の負けを認めたとなれば、どのみちけじめは逃れられぬからだ。
サイキと相手方の少年。二人を残し、他の面々は離れて距離を置く。離れる間際に出雲が「やれやれ、このジジイは相変わらずの不愛想だよ」とでも言いたげに、口の端を吊り上げ眉根を寄せていたのを見た。
だが、その因縁も今夜限りで決着がつく。このガキを潰して俺が引導を渡す。何よりも、このガキ一匹をけしかけた程度で狒々のイワシロを打倒出来ると、見くびった返礼だ。
加減はしない。圧倒的に仕留める。驕りは無く、プライドに満ちていた。
「見たとこガキだが、手加減はしねえぞ」
サイキは腰を落とし、両の拳を顔面の斜め前に添えた。些か重心は低いが、言うなればボクシングに似た構えである。
対して少年はポケットに手を突っ込んだまま、直立不動を貫いている。ただ呆とこちらを眺めているだけのようにすら思えた。
取り決めがあると言えど、所詮は無法者どもの決闘に号令は無い。どちらか仕掛けたらば、それが合図だ。
サイキは拳を真上に振りかぶり——そして、地面に下ろした。腹の底まで響くような、地鳴りの音は拳が地面を叩いた音じゃない。サイキの『帝王の腕』が発動した証拠である。拳の地点からコンクリの地面がひび割れる。砕ける。隆起する。そしてひび割れは少年の足元へ来ると、岩の剣を打ち上げた。
少年は辛くもこれを避ける。避けなければ、胴体の骨が砕き潰されていたことだろう。この初手に反応したのなら、素人ではない。ほう、とサイキは嘆息した。
だが追撃の手は緩めず、反対の腕がまた足元を叩く。今度は都合7つ、次から次へと岩の剣が少年に襲い掛かる。少年はまたも最低限の動きで追撃を逃れる。
うろちょろと、鬱陶しい。
サイキはまさか、この少年に三手目までを出すとは思わなかった。初手は遠距離からの岩石の剣による奇襲、二手目は一気に岩石の剣を増やしての追撃、そして三手目は。
先ほどまでに起こした、都合8つの岩石の剣で相手を囲い、相手の逃亡範囲を狭める。そして自身が腕に岩石を纏っての突撃である。
いかに素早くとも逃げ場を失えば意味がない。サイキの右腕は岩石によって大きく膨張し『帝王の腕』の名に恥じぬ威容を放っていた。
追い詰められた少年に岩石の腕が迫る。少年はこのまま押し潰されるかに見えた——が。
少年は腕を中空に振る。ただ、それだけだった。
淡い紫の閃光が迸り、少年を囲う岩石も——サイキが腕に纏う岩も寸断された。