複雑・ファジー小説

Re: 紫電スパイダー ( No.30 )
日時: 2016/03/18 16:29
名前: Viridis ◆8Wa6OGPmD2 (ID: /qKJNsUt)





「そういえば『シュヴァリエ先輩』ってスゴい響きですよね」
「いきなり私の苗字を呼んだかと思ったらなんだい喧嘩を売っているのかなキミは」

 黒い色調で統一されたオフィスの中に、二人の男女がいた。片や銀縁メガネの男であり、片や深青の髪を肩まで伸ばした白衣の女である。二人で大量に積まれた書類と格闘する中、男が少し退屈を紛らわそうと女に話しかけたのだ。

「名前は単にからかっただけですね」
「なるほど私の実験台になってみたまえよ、キミ」
「それ遠まわしに殺すって言ってますよね」
「そうとも限らないさ。この世には『死んだ方がマシ』と思えるコトなんて幾らでもあり得るんだから」
「それはともかくとして」
「ともかくって」

 男がシュヴァリエ——『マルグリット・シュヴァリエ』から目を逸らして数秒の静寂。

「清明紋の学園都市から抜け出して、本土へ逃げ込んだ黄河くん居ましたよね」
「誰だっけそれ」
「……ええと、黄金色の火炎を操る子です」
「ああ思い出した! 何せ『色付き』の篝火だ、よく覚えているよ」

 マルグリットは勢いよく柏手を打ち、あの目つきの悪い少年を想起する。更に言うなら、もはや長い事登校してきていないが、清明紋学園でマルグリットが受け持つクラスの生徒でもあった。

「篝火で覚えているんですね……」
「当たり前じゃないか」

 マルグリットは、何がおかしいのか皆目見当もつかないといった風の表情で男を見る。もっとも、彼女の篝火に対する知識欲を思えば仕方ないのかもしれない。思えば陰陽寮の職員は、皆どこかネジがハズれている。研究者とはそんなモノなのだろうか。

「それで彼がどうかしたのかい?」
「もう彼が『この島』から抜け出してしばらく経ちますが、彼が回収されないのはなぜかと思いまして。回収班の人数が万年不足しているにしても、このまま放置してはマズいのでは?」

 篝火使いとはいってもピンキリだ。本当にスプーンを曲げる事しか出来ない程度の微弱なものから、その気になればワイドショーを騒がす大惨事を引き起こすことが出来る篝火まで実に幅広い。
 篝火使いの回収に際しては、戦闘になることが少なくない。いわゆる雇われ篝火使いの回収を行うこともあるからだ。そして事後処理、即ち陰陽寮へ篝火使いを運び込むときに、その篝火使いに関わったヒトたちの、篝火に関する記憶の消去——そのための調査も入念に済まさねばならない。なので実際のところ、増える篝火使いに対して回収・監視の人数が足りていないのだ。

「なるほど、確かに彼の篝火は『色付き』であることを抜きにしても目立つからね。使えば目につくだろうし、このままでは世間様に篝火の存在がバレかねない。よりにもよって本人は触れるもの全てを傷つけるナイフのような気質、これがまたトドメだ」

 マルグリットの記憶力は良いらしい——本人のことについては篝火で思い出したくせに。
 陰陽寮とは、篝火使いを一手に回収・管理するための組織である。強力な篝火を持った個人が暴走し、思わぬ惨事が起こらぬように監視するため遥か昔——平安の時代から歴史の陰で暗躍している、篝火使い達の集団。
 実に一〇〇〇年もの昔から、陰陽寮は世間に対して篝火の存在を隠匿してきた。これも篝火を悪用する人間が現れかねないためである。過ぎたテクノロジーは管理しなければ、人類自身がその身を滅ぼしかねない。また使いようによってはこの上なく強力な兵器とも成り得る篝火を、いつでも転用できるようストックしておく意味合いもあった。——実際に陰陽寮が成立してから二〇〇年後、大陸を席巻していたお隣の帝国が攻め入って来た際も、海上にてこれを迎え討ち侵略の阻止に成功している。いわゆる『一般の教科書』では2度の台風——神風が吹いたためなどと記されているが。
 篝火の存在が広まり、陰陽寮以外でその力を管理しようと目論む組織が他に現れれば、国内で篝火使い同士の対立が起きかねない。その隙を他の列強国に突かれれば、この国はあっという間に侵略・蹂躙される。実際、陸から離れ独自の文明を築いた『黄金の国』は昔から虎視眈々と狙われ続けてきたのだ。
 これらは無数ある理由のうちひとつに過ぎないが、だからこれまでは篝火の存在を隠匿することが絶対であった。

「もしバレたとしても、お上さん達が躍起になって集めている『記憶干渉』系の篝火使い様方のお陰である程度までならなかったことに出来るけれどね。そのあとマスコミに介入して情報を操作すればハイ終わり。何しろ大臣より陰陽寮(ウチ)の頭領様の方が権力は強い。だから今まではそうしてきた。だけど」

 マルグリットは手元の缶コーヒーに手を伸ばし、書類を眺めながら一息ついた。

「先ほども君が言ったように、陰陽寮の管理が追いつかなくなり始めている。遠からず、篝火と篝火使いが表舞台へ立つ時は来る。無論そうならなければ良いが、何しろ私たちの頭領様は未来をも見通す。つまりは逃れられないさだめとでも言ったところなのだろう。だから、止まることのない流れを無理に押し留めようとするよりは、来るべき『その時』の為に先手を打てるよう準備もしておきたいワケさ」
「それで黄河カズマが放置されているのと、いったい何の関係が?」

 すっかり冷めきった缶コーヒーはすぐに飲み干され、マルグリットの口許を離れる。

「ただの茶番さ」

 言った意味がよくわからず、思わず怪訝な視線を差し向けた。しかし彼女は空になったコーヒーの缶を手近なくずかごに投げ入れたきり、こちらに視線を向けようとしない。
 どうやらこれ以上を詳しく語るつもりはないようだ。

「……そうすると、この『塔堂ガイスケ』『藤堂シオン』『大太法師』『赤い影の少女』なども、黄河カズマと同じ理由で?」
「それもあるだろうね。けれど、彼らをはじめ『ブラックリスト』の何名かは——単に、強すぎて手に負えないだけってのもある」