複雑・ファジー小説
- Re: 紫電スパイダー ( No.32 )
- 日時: 2016/03/19 20:47
- 名前: Viridis ◆8Wa6OGPmD2 (ID: /qKJNsUt)
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たとえ世界を滅ぼす力を手に入れたからといって、それと食っていけるかどうかは別の問題である。
農家が田んぼに苗を植え、実りの秋が来れば稲を収穫し、脱穀した米が袋詰めにされ、某と名付けられたブランド米がお近くの店頭にて並び、カネを払って米を買い、米を洗う、炊飯器にブチ込んでスイッチをポチっとな、待つこと約30分、今あなたの目の前でいかにもおいしそうな湯気を立てているお茶碗一杯のご飯ですらも、これだけの人生……否、米生を歩んでいるのだ。そしてたったこれだけの行程に、農家の人、運送業者の人、米屋もしくはスーパーの店員さん、炊飯器を開発する人、炊飯器を作る工場の人、炊飯器を売る人、そしてお母さんと実に大勢の人が関わっているのだ。
つまり何が言いたいかって、ヒトは誰しもが誰かの支えを受けて生きている。ヒトが社会的動物という形態をとっている以上、無人島で0円生活でもするか某疾走島を開拓するかしない限りはこのルールからは逃れられないんじゃないかな。
目黒エンを名乗る怪しげな男から貰った力を振るうのに、裏社会の用心棒という職業は非常に好都合であった。相手をうっかりブッ殺しても文句は言われない。謝礼も割が良い。力なき者は淘汰される世界——翻っていえば、力ある者には誰も逆らえない。見るからに自分よりも屈強そうな男たちが、雁首揃えて自分に平伏するのは独特の快楽がある。
ガイスケ自らが『頂の星(アブソリュート・ワン)』と名付けたこの篝火で屠った人間は、1年でとうに3桁を超えていた。うだつの上がらないサラリーマンだったひとりの青年は、今や裏社会の残虐な超大型ルーキーとして名を馳せている。
だからこそ、気に食わない事があった。まずひとつめに「それでも裏社会の頂点と呼ばれている男は他に居る」ということ、もうひとつが「自分と同じく、超大型ルーキーが他にも複数いる」ということだ。
今や無二の篝火を手に入れたガイスケにとって、前者はいずれ仕留めるにしても後者は甚だしく不快なことであった。今や激しく膨れ上がった自尊心は、誰かと同列に扱われることさえ嫌悪している。
なのでそのひとりと相対する機会を得たガイスケは、凶悪に牙を剥いて笑んだ。
彼の名は藤堂シオンと言うらしい。苗字の読みが同じことすら、ガイスケには少し不快だった。これまで殺してきた屈強な男たちとは打って変わって、中肉中背の——むしろ、華奢とすら言える体躯の少年。場違いですらあった。どうせ少しばかり強い篝火で調子に乗ってここまで来ただけの、ただのガキだろう。そんな見当をつける。
それよりも気にかかったのは、シオン以外に相手側の人間が見当たらないこと。強めの風が吹く夜の屋上には、自分と自分の雇い主、そしてシオン以外の人影は無い。篝火使い同士の決闘は、その雇い主も立会人として同席するのが常だ。どうやら自分の雇い主も不審に思ったようで、怪訝な表情である。
「安心しなよ。俺が藤堂シオンだ」
よく通りながらも、恐ろしく落ち着いた、まるで温度のない声だった。
「……そっちの立会人は?」
「要らないらしい」
言葉の意図が分からず、ガイスケが眉根をひそめる。それと見て取ったシオンが言葉を継ぐ。
「俺がアンタに負けるワケがないから、見届ける意味がないってさ」
はっきりと、血管の切れる音がした。
ガイスケの全身から、迸る白いオーラのようなものが立ち上る。大気が震えて、足元が揺れる。バチバチと稲妻のような閃光が弾けて消える。目には見えない莫大な力が、烈風のように流れてゆく。
篝火(イグニス)とは詰まる所、雷子(スプライト)を操ることで発生する異能の総称である。
「——クソみてぇに」
大量の雷子は他の物質にすら干渉し、それよりも密度の薄い雷子を——つまり他の、弱い篝火を消し飛ばす。
そしてガイスケの篝火『頂の星』とはまさしく、圧倒的で膨大な雷子をそのまま振るうというものだ。端的に言えば最強の盾であり矛であった。
振りかざした右腕に、純白の強烈な光が集まる。あまりのエネルギーに周囲の空間さえもが歪んで見えた。腹の底から震わすような低い音が響く。
「クソみてぇにグチャグチャになって無様に死ね! クソガキ!!」
まるで特大の落雷だった。
ガイスケが腕を振り下ろすと同時。ビルが屋上から真っ二つに割れる。山がひとつ転がりまわったような轟音。大地は深くから砕かれめくりあげられる。空の上に居る神様が、塔ごと巨大な指先で地面を掬い上げたような——そんな規格外の一撃が、辺りを蹂躙した。