複雑・ファジー小説
- Re: 空の心は傷付かない ( No.17 )
- 日時: 2015/10/23 01:19
- 名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
第二章 確約された束縛
「教卓の上に課題出しといてねー」
英語の教科係が教壇に立ち、気怠そうに教卓へ課題を提出することを指示する。それを聞いたクラスメイト達が英語のノートを手に教卓へ向かうのを見ながら、僕は自分の机に入っている英語のノートを取り出す。
「…………」
昨日、教室へ課題を取りに戻ったは良いのだけど、机から持ってくるのをすっかり忘れていた。ポリポリと頭を掻きながら、どうした物かと頭を悩ませる。
見れば昨日の有沢さんと井上さんと上田さんが教卓の上にノートを置いていた。教室で化粧をしたり、イジメをしたりと不真面目なのかと思っていたけど、意外にも課題はちゃんと出していた。
僕に視線に気付いた三人は露骨に顔をしかめると、三人仲良く教室を出て行ってしまった。嫌われちゃったかなぁ。どうでもいいけど。
岩瀬さん(仮)もノートを教卓に置いていた。何冊も積まれてグラついていたノートの上に自分のノートを乗せた後、崩れないように整えていた。いい子だな。
因みに未だに(仮)を付けているのは本当に正しいか確認が取れていないからだ。
僕の視線に気付いた岩瀬さん(仮)が、ビクッと体を震わせる。それから顔をトマトの様に赤くして、視線をキョロキョロと彷徨わせた後に、ためらいがちに僕の方にやってきた。僕の方に来るのに彼女の中で一体何があったんだろう。
「か……課題」
僕の手にあったノートを指さして、岩瀬さん(仮)が小さく声を出す。課題がどうしたのだろうと考えて、「どうして提出しないの?」という意味であろう事に気が付く。
「ああ……昨日学校に忘れちゃってさ。やってないんだ。今からやろうかと思ったけど、答えを無くしちゃって」
帰った後、ちょっと調べたい事があったしね。課題の存在は完全に頭から抜け落ちていた。
「……自分でやらないと、駄目ですよ」
「面倒だしいいかなって」
僕の返答に眉を潜める岩瀬さん(仮)。さっきの行動からして真面目な子の様だ。自分の思っている事を言えない真面目な子って、漫画ではイジメられ役まんまだよな。そういえば、昨日皆がどうのこうのって語ったけれど、あれは漫画にあった台詞を拝借したものだ。別に僕が考えて言った訳じゃない。
それから岩瀬さん(仮)は自分の席に戻り、机から何かを取り出してこちらに戻ってきた。
「……」
手に持ってきた物を僕に突き出してくる。なんだろう? 彼女が持ってきたのは課題の答えだった。
「貸してくれるの?」
こくりと頷く岩瀬さん(仮)。うーん。課題はこのまま出さずにサボろうと思ったけど、答えを貸して貰ったんだったらやらないといけないな。
「ありがとう」
礼を言って課題を頂戴する。一限目は現国か。面倒だから一限の間に課題を終わらせる事にしよう。現国はノートだけ取っておけばいいや。説明を聞いていても大して意味ないだろうし。
「…………」
視線を感じて上を見上げると、岩瀬さん(仮)がまだ僕を見ていた。『ジッ』という効果音が付きそうな程、僕の事を見ている。その表情はどこか厳しい。眉にシワが寄っている。まだ何か用があるんだろうか。
「どうしたの?」
問いかけてみると、岩瀬さん(仮)が意を決した様に口を開く。
「あの……私の名前は——」
「席に付けよー」
そんな彼女の言葉を遮るようにして、現国の教師が教室に入ってきた。時計を見ればいつの間にか授業開始時間になっていた。クラスメイト達が課題を出す様子を眺めている時間が思ったよりも長かったらしい。いつの間にか教室の外に出て行った有沢さんと井上さんと上田さんも自分の席に座っていた。何故三人セットで呼ぶかというと、誰が誰か分からないからだ。個人でやって来られたら『有沢さんと井上さんと上田さんの内の誰か』の呼ばなければならない。まあ関わる事は無いだろうしいいだろうけど。でもクラスメイトの名前が分からないのは問題だよな。冷静に思い返すと、僕ってクラスメイトの名前を一体何人言えるんだろう……。
「うぅ……」
自分の記憶に問いかけていると、何かを言いかけた岩瀬さん(仮)が小さく呻き、肩を落として自分の席へと戻っていってしまった。結局彼女は何を言いたかったんだろう。名前って言ってなかったっけ? うーん、謎だ。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.18 )
- 日時: 2015/10/23 18:09
- 名前: キャッツアイ (ID: Z5cmkimI)
長編の力作、楽しんで読ませてもらってます(^^)
(コメントしてよかったのかちょっと不安ですが、もしダメでしたら消してくださいね。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.19 )
- 日時: 2015/10/23 19:50
- 名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
>>18
感想ありがとうございます。
だいたい八万文字くらいの作品なので、楽しんで頂けれれば嬉しく思います。
いえいえ、全然だいじょうぶですよ。
むしろありがたいです。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.20 )
- 日時: 2015/10/25 01:23
- 名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
昼休み。
さて、昼食だと鞄から弁当を取り出そうとして、今日の分の弁当を屋久から貰っていない事に気が付いた。いつもは朝とか遅くても二限目くらいに私に来るんだけどな。今日は朝から一度も屋久と顔を合わせていない。屋久が弁当を持ってきてくれなかった理由は何だろう。作り忘れた?
「おいっすー」
教室に入ってきた陣城が気の抜けた挨拶をしてくるけど、僕は昼食をどうした物かと頭を悩ませていた。まあ一食ぐらい食べなくてもどうという事はないから良いんだけどさ。
「何、お前今日弁当は?」
僕の悩み事をピンポイントで撃ち抜いてくる陣城。ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて僕にコロッケパンを見せつけてくる。奪い取って食べてやろうかと考えたけど、そこまでコロッケパンを食べたい気分でもないのでやめておいてやった。
「なんだよ、お弁当作ってきて貰えなかったのか?」
「というか、朝から屋久に会ってないんだよ。いつもなら教室に来るんだけど、今日は来なかった」
「じゃあ自分から行けばいいのに」
「そんな発想が存在していたとは」
盲点だった。いつも屋久が私に来るから、自分で取りに行くという考えが思いつかなかった。
「あいつが好きで僕に渡してるんだから、僕が取りに行く必要はない」とか言ったら正真正銘の屑になりそうなのは考えなしの僕でも分かったので、口にする事はない。
教室の隅で一人で弁当を食べている岩瀬さん(仮)がチラリと視線を向けてきたので、にこやかに笑って手を振る。すると彼女はいつもの様に顔を真赤にして顔を逸らしてしまった。
「何今の」
「僕の笑みには彼女の顔を熟したトマトにする能力があるのかもしれない」
「馬鹿だろ」
「…………」
「はぁ。なんで屋久さんはお前なんかに……うきぃぃ」
猿の様に喚く陣城を視線から外し、僕は『なんで屋久さんはお前なんかに』という彼の言葉について考えた。
屋久が僕に色々と世話をしてくれるのは、いつだったかも忘れた遠い昔に、彼女が一方的に僕にしてきた約束が原因だと思う。そんな約束、律儀に守る必要なんてないのに。僕が何を言っても屋久はその約束を破ろうとはしなかった。彼女の中でそれは勝手に確約され、その行動を束縛している。
だから、僕は少し期待したのだ。彼女がようやくその束縛を解いて、自由になったのではないかと。と言っても、どう行動するかは彼女の自由だから、僕はどうでもいいんだけど。
と、そんな風に思考する振りをしていると、教室の扉を開けて誰かが入ってきた。教室に誰かが入ってくるのは当たり前なのでいつもは気にしないのだが、入ってきた誰かが真っ直ぐに僕達の方へ歩を進めてきたので、そちらに視線を向けた。
「…………」
教室に入ってきたのは屋久だった。手にはいつもの弁当箱が握られている。
「やっ、陣城君。と、ついでにそこの君」
ついで扱いとは、相変わらず酷い幼馴染だ。
と、そこで僕は屋久の顔を正面から見て、違和感を覚えた。
笑ってはいるものの、態度がいつもより不機嫌で、何だか眉間に皺が寄っていたような気がする
屋久は弁当箱を僕の机の上に置く。その時の態度から、もしかしたら、万に一つの可能性で、彼女は不機嫌なのではないか、と思った。相手の心が分からない僕だけど、ある程度付き合いがある屋久の事なら、もしかしたら少しは分かるかもしれない。
だけど何故屋久は不機嫌なのだろうか。その理由が思いつかない。僕は屋久の癇に障る様な事をした覚えはないのだが……。
……覚えてないだけで沢山している可能性は、正直否定出来ないけど。正直どころか、余裕で否定出来ないんだけど……。
笑ってはいるものの、態度がいつもより不機嫌で、何だか眉間に皺が寄っていたような気がする。
「ああ、そうだ久次君。後でちょっとメール送るから、ちゃんと見ておいてね」
屋久は弁当を置いて、それだけ言うと帰って行ってしまった。ポニーテールを揺らす後ろ姿が特撮の怪獣の様だ、なんていう感想はどうでもいいんだけど、メールって何だろう。
「何だよ、結局弁当持ってきてくれたのかよ。うぎぎぃ」
屋久が来たことで猿化が解けた陣城だったが、屋久が去っていったことで再び猿化してしまった。陣城が猿化しても戦闘力が十倍とかになったりはしないけど、うざさは十倍くらいになっていると思う。勘弁して下さい。
「それにしても、屋久さん不機嫌だったな。お前何かしたのか?」
「……分からない」
僕が苦心して観察しても、確信に至らなかった屋久の機嫌を、僕よりも彼女との付き合いが短いはずの陣城は容易く見抜いていた。陣城に負けたからといって——というか勝ち負けではないけど——僕まで不機嫌になったりはしないけど、何だか複雑な気分になった……様な気がした。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.21 )
- 日時: 2015/10/25 22:40
- 名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
屋久の言っていたメールは僕が下校して自分の部屋で一息付いた頃に送られてきた。
迷惑メールじゃないメールがこんなにも連続して送られてくるのは珍しい。『夫がアリクイに殺された』とか『タイムスリップしてきた織田信長です』とかいう訳のわからないメールばかりがスマホに送られてくるのはスマホを買ってくれた祖父達に申し訳ないような気がするので、普通のメールが来るのはありがたい。
メールは『ちょっと早いけど、六時頃にファミレスに行かない(*´Д`)?』といった内容だった。僕は今夜に何が予定は入ってないか、と深く考える振りをしてから、『いいよ(´・ω・`)』と返信した。考えるまでもなく何も予定なんて入ってない。
今どきの人達はメールに顔文字や(笑)とかを入れるけど、あれチカチカしてあんまり好きじゃないんだよな。何も付けずにメールを送っていたら屋久から「何か怒ってるみたいで怖いから、顔文字とか付けなさい」と怒られてしまったので、それ以来顔文字を入れるようにしている。変換で出てくる数種類を使い回してるだけだけど。……何だか時代に取り残された老人みたいだな。
時計を見れば、いつの間にか五時半を過ぎていた。屋久が指定してきたファミレスには歩いて十分くらいで付くからまだ間に合うけど、遅れると屋久が起こりそうなので早めに出たほうが良さそうだ。
制服を脱いでハンガーに掛け、ジーパンと適当なシャツを着て部屋を出た。
部屋を出た瞬間にむわっとした熱気が体にまとわり付いてくる。日中よりは気温が下がっているとはいえ、まだかなり熱い。
屋久とはファミレスの前で待ち合わせをしているけど、家がすぐ近くなんだから一緒に行けばいいのに。何で別々で行く必要があるんだろう。昔から屋久にはよく分からない所がある。まあそれを言ったら僕は一体誰の事なら分かっているんだって話になるけどさ。誰の事も分かってないし。
自分の事ですら分からないのに、他の人の事が分かる訳がない。
分かろうと思ったことなんて、ただの一度もないけどね。
フラフラと歩いていると、目的のファミレスに到着した。
屋根はピンク色、壁は黄色という派手な外装が特徴的だ。
以前、一度だけ舎仁に連れられて来たことがある。その時にメニューが豊富で美味しく、その割に安いという学生にはありがたいお店だと、舎仁が説明してくれた。まあ、舎仁は僕に奢らせるつもりだったらしいんだけど、僕は自分の分すら足りなくて逆に奢って貰ったっけ。その時の舎仁はやけに引き攣った笑みを浮かべて「……流石先輩です」と言っていたけど、何が流石なのか今だに分かっていない。
現在時刻をスマホで確認すると、五時五十分だった。
太陽は完全に沈みきっておらず、まだ西の空の下の方に居座っている。薄暗くなった街が橙色に染められていて、眺めていると何だか眠たくなってくる。
親子が手を繋ぎながらファミレスに入っていくのを視界の端で捉えていると、首筋に生暖かい息が吹きかけれれた。振り向くと屋久が、顔を僕の首元にずいっと近付けて立っていた。
「もっとリアクション取ってくれないとつまらないよ」
無表情で振り返った僕が気に入らないのか、屋久が頬を膨らませた。そんな事を言われても困る。僕が「うわあああッ!?」って驚いたら屋久の方が驚くだろうし。
一歩後ろに下がり、屋久から距離を取る。
屋久も制服から私服に着替えていた。
水色の服に黒いズボンを着て、茶色の靴を履いている。
「……あのさ、今心の中で凄い適当に私の服装描写しなかった?」
「エスパー?」
あのねぇ、と屋久は目を吊り上げる。
「上はミニワンピース。下はショートパンツ。あとブラウンのブーツ」
自分の服を指さしながら説明してくれる屋久。何をムキになっているんだ。
「もう……せっかく私服着てきたんだから、そんなリアクション取ったら駄目でしょ。あと君の私服、最悪。今度一緒に買いに行ってあげるから」
「最悪って……。しょうがないだろ。僕は衣類に関して一部の知識しか持ち合わせてないんだから」
「一部でも知識を持ってる事がびっくりよ……。どんな知識を持っているっていうの?」
「そうだね……。僕が知っている衣類は、フルバック、タンガ、Tバック、ソング、ガーターベルト、ブラジリアン、ガードル、Gストリング、Cストリング、ビスチェ、ペチコート、ローレグ、ハイレグ、ビキニ、ローライズ、ボーイレッグ、ユニセックス、バンドルショーツ、サスペンダーショーツ、スキャンティ、リオカット、後はブルマくらいか」
「ぜ……全部パンツじゃん!?」
「ブルマはパンツじゃないよ」
「どうでもいいよそんなことっ!!」
「どうでもよくない!!」
「いつからそんなキャラになっちゃったの!? なんか気持ち悪いよ!?」
「…………」
屋久が僕から距離を取って、今まで見たこのもないような顔で僕を見てくる。何でだろう。分からない。分からないけど、何だかこれ以上は言っちゃいけない気がするので、もう屋久にこの話をするのはやめておこう。
「ほら、いつまでも店の前に立ってる訳にはいかないし、中に入ろう」
「君が変な事言うからでしょ……」
- Re: 空の心は傷付かない ( No.22 )
- 日時: 2015/10/27 00:16
- 名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
僕が店内に入ると、屋久は若干距離を取りながら後ろから付いてくる。この距離感は初めてだ……。
店員に案内されて僕達は席に座る。向かいに座る屋久の目が何だか冷たい。店内も冷房が効いていて冷たい。
微妙に余所余所しい屋久に促されて、メニューを決める。僕が選んだのはチーズハンバーグ。屋久はサラダセットというヘルシーなメニューを選んでいた。ピンポンする奴をピンポンして店員を呼んで注文する。
「それで、今日は急にどうしたの?」
注文を取り終わった店員が去っていったのを確認して、僕は屋久に用件を聞いた。
「んー。用件っていう程でもないんだけどさ、久しぶりに二人で話してみたくなったんだ。最近はこうやって二人だけで会うことってないでしょ?」
「まあ、そうだね。最後に屋久とこうやってご飯食べたのもかなり前だし」
そこで屋久はむー、と拗ねたように上目遣いで僕を睨んでくる。
「どうしたの」
「いや、最近は名前を読んでくれないなって思って」
「屋久だって僕の事君って呼んでるじゃないか」
「そーだけど……」
唇を尖らせる屋久。
「分かったよ、オワ」
「……くぅ君」
久次空と屋久終音。
くぅ君とオワ。
くぅ君の方は空から、オワの方は終から来ている。
両方共、屋久が決めて、ある日こう呼び合うように、と言ってきたんだ。
昔、互いに使っていた呼び名だ。前までは当たり前に使っていたけれど、高校に入ってからは殆ど使うことはなくなった。どっちが先に使わなくなったかは覚えていない。
「えへへ、なんか照れくさいね」
「……」
店員が置いていったお冷を手に乗って、渇いた喉を潤す。カラカラと氷が音をたてた。
「すごい久しぶりに聞いた気がするなー」
「こうやって二人だけで話す機会があんまりないしね。高校の中であだ名を呼び合う訳にもいかないし」
「んー、そうだね。でもくぅ君が『毎日一緒にご飯食べたい』っていうなら、食べてあげてもいいよ? お昼とか夕飯とか」
「遠慮しとくよ。ただでさえ噂されてるのに、そんな事したら余計に騒がれるよ」
「私と噂されるのはいや?」
「……というか面倒だろ。僕はクラスで静かに過ごしていたいんだ」
僕がそう言うと、屋久が目を細めた。
「静かに過ごす、で思い出したけどさ、くぅ君、昨日放課後に教室でクラスの女の子達の何かやってたみたいだね?」
首を小さく傾ける屋久の仕草はまるで猫みたいだと思った。
「ちょっとしりとり大会をしてたんだ」
「嘘つき。くぅ君にしりとりする様な友達いないでしょ」
「…………」
舎仁ならしてくれるし。
「それにそこにいた私の友達が話し聞いてたから、少しだけど内容は知ってるよ」
「盗み聞きとはちょっと趣味が悪いんじゃないかな」
「くぅ君と話してた……有沢さんとか結構大きな声で喋ってたみたいだし、聞こえてきちゃったみたいだから仕方ないと思うよ」
「………」
「珍しいよね。くぅ君が表立ってクラスの人と対立するなんて」
「別に。対立したつもりはないよ。ただの成り行き」
「イジメられてた女の子を庇って、対立するのが成り行きなの?」
教室の前で聞いていたという、屋久の友人は一体どこまで話を聞いていたのだろう。それなりに事情を知られてそうだ。
「その女の子って、くぅ君とはただのクラスメイトってだけなんでしょ? えっと……なんて名前の子だっけ」
「岩瀬さん」
「……そんな名前だっけ?」
……やっぱり岩瀬じゃないのかな。
「まあいいや。どうして、くぅ君がその子を庇ったりなんかしたの?」
「教室に課題を取りに行ったら、女子達がゴタゴタしてて、それに巻き込まれたんだよ。そこで彼女がイジメられるのはいやだって言ってたから、ちょっと注意しただけ」
自分で言っていても、言い訳だと分かる言い訳だった。
「いつものくぅ君だったら、どうでもいいって言って切り捨ててるでしょ?」
「……」
「なんで庇ったか当ててあげようか? 岩瀬さん……あの女の子が君の妹に似てたからでしょ?」
僕の妹。
僕が殺した妹。
久次心。
確かに。
確かに岩瀬さん(仮)は心に似ているかもしれない。
「……ごめん。意地悪した」
僕の沈黙をどう取ったのか、屋久が謝ってきた。謝られる様な事はされていないけど、取り敢えず「いいよ」と返しておいた。
そうこうしている内に頼んでいた料理が運ばれてきた。鉄板に乗ったハンバーグとライスが目の前に置かれる。屋久にはサラダセットが。見た目も凄くヘルシー。
「じゃあ、食べよっか」
「……うん」
しばらくの間、お互いに黙って料理を口に運ぶ。
「オワ」
「ん?」
「今度またハンバーグ作ってよ」
「どうして?」
「今食べてるのより、屋久のハンバーグの方が美味しいからね」
屋久が箸を動かす手を止めて、顔を俯かせながら「分かった」と呟いた。その拍子にポニーテールが尻尾の様に跳ねる。
「オワさ、ちょっと髪解いてみてよ」
「? 分かった」
屋久が髪を解く。尻尾の様に束ねられていた髪が滝のように広がる。
「何なのさ……」
ポリポリと頬を掻きながらこちらを伺ってくる屋久。最近はポニーテールの姿ばかり見ていたから何だか新鮮だ。
「いや、ポニーテールよりも髪解いたほうが僕は似合ってるなって思ってさ」
「……もう。くぅ君はそんな事を真顔で言ってきて……ずるいよ」
「?」
何がずるいのかを考えている間に、屋久が髪を元に戻してしまった。
「もったいない」
「また今度見せてあげるから……ほら、食べよ」
屋久に促されて、再び手を動かす。
またしばらく、お互いに黙って食べる。
「そういえばオワ。今日朝、なんで不機嫌だったの?」
ハンバーグを食べ終え、残りはライスのみ。僕は手を止め、屋久に話し掛けた。
「内緒」
「ふぅん。てっきり僕は、毎日料理作ってくるのが面倒になったのかと思った」
「馬鹿。そんな訳ないよ。あれは私が好きでやってるんだし」
約束だから、と屋久は言った。
約束——。
確約された束縛——。
彼女が一方的にしたこの約束。
それは確か、僕の妹が死んで、母親が逮捕されて、すぐに交わされた物だったと思う。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.23 )
- 日時: 2015/10/28 21:36
- 名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
幼馴染。
屋久と僕の関係はこの言葉で表せる。
それ以上でも、それ以下でもない。
僕達の付き合いは幼稚園にまでさかのぼる。同じ組になり、僕の母と屋久の母が仲良くなった。それが原因で僕はよく屋久の家に遊びに行っていた。
まあそれも、母が暴力を振るうようになるまでだけどね。
小学校に入り、男子と女子は別れて遊ぶようになったけど、屋久とはよく遊んでいた。家に帰ると母に殴られるからと、学校に夕方まで残っていたな。心とは一つしか年が離れてなかったから、僕達の遊びにも付いてくることが出来た。そういえば、屋久と心、二人とも結構仲が良かったんだ。よく屋久が心に何か相談していたっけ。どんな内容かは知らないけどさ。
だから、母に心が殺されて、母が逮捕されたと知って、屋久もショックだっただろうな。
空っぽの僕は何も思わなかったから、祖父に引き取られてからもいつも通りに学校に通っていたけど、屋久の方はいつも通りにはいかなかった。僕に対する態度が凄く変わったんだ。どんな風に変わったかと言えば、いままでの倍以上僕に絡んでくる様になった。休み時間はずっといたし、帰りも毎日一緒だった。
屋久が僕に約束してきたのは、屋久の家に遊びに行った日だ。屋久の部屋で話をしていたら急に屋久が涙をポロポロと流しながら僕を抱きしめていったんだ。
「私はずっと、くぅ君と一緒にいるから——私がくぅ君を守るから……」
約束だから……絶対だよ、と。
あの時の僕も別にいいよって言ったんだけど、屋久は「もう約束したから!」と言って聞いてくれなかったな。
それから、中学、高校に上がっていく度に屋久の世話焼きは激しくなっていった。屋久が僕の為に色々してくれるのは確かにありがたいけど、そのせいで屋久の時間が減っていると考えると、空っぽの心が痛む様な気がするので、あまり喜べない。
それを屋久に言うと「私の時間なんだから、使い道は私が決めるよ」と返されてしまったんだけどね。そう言われてしまうと僕は何も返せなくなる。僕の世話を焼くのは彼女の自由なのだから。
「くぅ君はさ、自分の事を空っぽって言うよね」
食事を終え、店員に追加の水を貰って口を湿らせていると唐突に屋久がそんな事を言ってきた。
その通り。
僕は空っぽだ——。中身のない空洞——。
何も感じない——。何も思わない——。
全てがどうでもいい——。
成り行きに任せて、死んだように生きている。
僕が口を開くよりも早く、屋久は言葉を続けた。
「『僕は何も感じない』とか『どうでもいい』とか、よく言うよね。だけど私は違うと思う。くぅ君は空っぽなんかじゃないよ」
僕が空っぽじゃなきゃ、一体何だって言うんだよ。
「だってさ、くぅ君は私とか岩瀬さんに優しくしてくれるじゃん。毎日弁当を作ってくるせいで私の時間が無くなっちゃうんじゃないかって心配してくれるし、岩瀬さんだってイジメから助けてあげた」
「それは違う」
思ったよりも強い口調で、僕は屋久の言葉を否定していた。
「オワのは一般的な常識だ。毎日弁当を作ってくるのは実際、時間が掛かるだろ。それに岩瀬さんのはさっき説明した通り、成り行きだ。流石に僕だってあんな風に助けを求められたら応えるよ」
「へぇ……助けを求めたら応えるんだ」
「常識の範囲内でね」
「ふぅん。常識の範囲内」
「今回のは範囲内だったし、その場に居合わせたから」
「……もう。君はどうしても認めないよね」
だったら——と屋久は僕の目を真っ直ぐに見た。
少しの間を開けて、屋久が言葉を続けた。
「私が君の心を満たしてあげようか?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
屋久の頬に朱がさしたと思うと、それが少しずつ顔全体に広がっていく。額からは汗が流れ、目が潤んできた。僕が笑いかけた時の岩瀬さん(仮)以上に赤い。
「何か言えよ!!」
「ごめん」
何か返さなければいけないとは思うんだけど、とっさの事だったし何を返せばいいか分からなかったから、つい黙ってしまった。
うるさいっ馬鹿っ、と屋久が吠える。
だから再び口を閉じ、屋久の顔を凝視する。
「う……うぁ」
小さく呻くと、両手で顔を抑えてしまった。これ以上やると後が怖いのでやめておこう。
「ごめん。からかいすぎた」
「くぅ君にからかわれるとか……屈辱」
それから、潤んだ目で睨んでくる屋久が機嫌を直すまでに、それなりの時間を要したのだった。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.24 )
- 日時: 2015/11/03 01:07
- 名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
「んー。結構時間も経ったし、そろそろ帰ろっか」
会話もまばらになった所で、スマホで時間を確認した屋久が言った。
空に居座っていた太陽はいつの間にか沈み外は暗くなっていた。この辺りは田舎だから夜になるとめっきり人通りが減る。あんまり遅くなるのも良くないか。
注文票を持ってレジに行き、お会計する。合計金額は千円よりも低かった。流石学生の味方。
「一括で」
割り勘にしようとする屋久を遮り、僕は千円札を出した。お釣りを受け取り、屋久と一緒に外に出る。自動ドアが開くと暑い空気が体を包み込んでくる。太陽が沈んだというのに、相変わらず暑い。
「くぅ君が奢ってくれるなんて……びっくりした」
「僕だって男だし、甲斐性を見せる時は見せるんだよ」
「くぅ君が甲斐性を語る日が来るなんて思わなかった……」
前に舎仁に奢らせた時、後から物凄く文句言われたからな……。いつもとは違った種類の笑みを浮かべながら、敬語で長時間お説教してくる舎仁。あれから外食する時はきちんとお金を持ち歩くようにしている。
「じゃあ、帰ろうか」
店の前でいつまでも話してる訳にはいかないし。
「あー、ごめん! 私この後行きたい所あってさ」
「……へえ」
「だから一緒には帰れないんだ」
「どこに行くの?」
「んー、内緒」
「そっか。ああ、そういえばさ」
「なぁに?」
「今日は楽しかったよ」
「うぇ!?」
僕の言葉に屋久が目を白黒させる。そんなに驚かせるような事を言ったか?
「何か、今日は色々くぅ君にびっくりだよ」
「普通だけどな」
「いつもが普通じゃないからな……」
「……これでも屋久には感謝してるんだよ」
「……うん」
「毎日お弁当とか夕食を作ってくれるしさ」
こんな僕でも——、空っぽの僕でも——、屋久と話していると自分に中身があるんじゃないかと錯覚出来るんだ。
普通の人間になったんじゃないかって、錯覚できるんだ——。
嘘でまやかしだと分かっていても、悪い気分にはならない。
だから本当に、感謝しているんだ。
「あ、明日は隕石でも振るんじゃないかな……」
「…………」
昔、僕に中身があったかもしれない頃の記憶。
あの時僕は、屋久の事を大切な人間だと認識していた。と思う。
今はもう分からないけど、まだ僕は屋久の事を大切だと認識出来ているんだろうか。
「ねえ、オワ」
その時僕は。
思ってしまった。考えてしまった。
もし大切な人が——、屋久が。
「ん? どうした?」
屋久が死んだら——僕の空の心は傷付くのだろうか——と。
絶対に出してはいけないはずの答え。
絶対に考えてはいけない答え。
「あのさ————『 』」
その答えはすぐに出ることになった。
その晩、屋久は行方不明になり————死んだ。
正確に言うならば『殺された』。
屋久の死。
殺害。
僕が感じたのは。
思ったことは。
答えは。
「あぁ。これからはご飯、自分で作らないとな」
- Re: 空の心は傷付かない ( No.25 )
- 日時: 2015/11/03 01:09
- 名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
第三章 反れて転じる
幼稚園年少組の時、僕はよく一人でいた。まあ、それは今も同じだけどね。
一人でボーっと座っていたり、本を呼んでいたり、たまに積み木とかブロックで遊んだりしていた。絵を書いたりするのも好きだったっけ。あんまり上手じゃなかったけどさ。あの頃はまだ滑り台とかブランコとかジャングルジムとか、色々な遊具があったなぁ。最近は危険だからって撤去されちゃったんだっけ。先生が「好きに遊んでいいわよ」って僕達を外に連れ出すんだけど、その時に部屋の外に出るのを嫌がってたっけ。理由は簡単で、一緒に遊ぶ友達がいなかったからだ。
幼稚園の先生は僕に他の子と遊ぶように言ってくるんだけど、他の子が僕を怖がっているからそれは叶わなかった。もしかしたら幼いが故に僕の異常性に気が付いていたのかもしれない。まあ、ただたんに口数が少なくて不気味がられてただけかもだけど。
今でこそ空っぽな僕だけど、あの頃は確かまだ誰かと一緒に遊びたいだなんて思ってたんじゃないかな。だからよく他の子と遊ぼうと近付いて行って逃げられたり、殴られて喧嘩になったりした。
幼稚園に来てから一年が経って年少組から年中組に上がる頃には、もう誰かと遊ぼうという考えは思い浮かばなくなっていたと思う。だから年中組になってからも僕は誰にも近付かずに、一人で過ごしていた。
「ねえねえ、なんできみはほかのことあそばないの?」
組が変わってから何日か経った頃、確かこんな風に僕に話し掛けてきた子がいた。長い髪をピンク色の紐で括ったポニーテールの女の子だった。当時の僕はポニーテールという単語は知らなかったけどね。頭の後ろ側に髪の毛の尻尾がある……怪獣の尻尾みたいだ、とか思ってたんじゃないのかな。
そんな怪獣の尻尾をぶら下げた少女に、僕は露骨に嫌そうな顔をしながら言葉を返した。
「ひとりでいるほうがたのしいから」
「そんなわけないよ!」
僕の返答が気に入らなかったのか、その女の子は僕の手を無理やり掴んで立ち上がらせた。何が起きているのか理解できなかった僕は、女の子になすがままにされていたっけ。というか、あの頃は力がなかったから、抵抗しても意味がなかったと思うけど。
「ひとりであそぶより、ともだちとあそんだほうがたのしいよ!」
女の子は「当たり前でしょ」とでも言いたげな表情でそう言った。
掴まれていた手が痛かったし、何より彼女の勝手な主張に頭が来て、僕は女の子の腕を無理やり振り払った。きょとんとする女の子に向かって僕は言った。
「みんなこわがってぼくにちかづいてこないんだよ。だから、ぼくにともだちはいない」
僕の言葉を聞いた女の子はしばらく不思議そうな表情をして、何か得心がいったのか、ニッコリと笑った。それから、僕に向かって握手をするよう手を差し出してきた。
女の子が何をしたいのかが理解出来なかった僕は、彼女の手を見て固まっていた。そんな僕の様子を女の子は楽しそうに笑うと、僕の手を掴んできた。
温かい手だった。
僕の手をぶんぶんと振りながら、女の子は言った。
「だったら、わたしとともだちになろっ!」
その日、僕に初めての友達が出来た。
そんな彼女の名前は、屋久終音と言う。
海の底から急激に引き上げられるように、僕の意識は無理やり覚醒させられた。耳元ではその原因である目覚まし時計が元気よく体を震わせている。停止ボタンを少々乱暴に叩いて黙ってもらい、重たい体をゆっくりと起こす。カーテンの隙間から漏れている光に目を細めながら、大きくあくびを一つ。
屋久終子が行方不明になってから二日目の朝が来た。
彼女が居なくなっても世界は気にせず回り続ける。それは僕も同じだ。
「……学校行かなくちゃ」
- Re: 空の心は傷付かない ( No.26 )
- 日時: 2015/11/04 01:27
- 名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
◆
学校。
屋久が行方不明になった事によって多少はざわついているものの、さして大きな変化は表れていない。集会が開かれて夜に出歩くのは極力やめましょう、という話がされたくらいだ。
屋久が消えてから二日。すでに両親が警察に通報したらしく、現在捜索中らしい。この辺は田舎だから山とか川とか色々探さないといけない場所があって大変だ。一生懸命探している皆さんや両親には申し訳ないけれど、そんな所をいくら捜索しても屋久は出てこないと思うなあ。無駄足って奴だ。
なんでそれを僕が知っているかって?
そんなのは決まっている。
僕が殺したからだ。
屋久に会った後、人通りのない所に誘き寄せて殺した。ちょっと頑丈な紐で後ろから不意をついて首を絞めたのだ。屋久が完全に死ぬまではかなり時間が掛かってしまった。人通りがないとはいえ、誰かに見られないかとヒヤヒヤさせられた。やっぱり突発的な思いつきで人を殺すべきじゃないな。
やはり人を殺す時はあらかじめしっかりとした計画を立てる事が大切だ。前に人を殺した時はもっとスムーズに行ったからな。今回みたいに時間を掛けていたら足が付いてしまう。もしかしたら、もう僕の犯行が警察にバレているかもしれない。現場に証拠を残すような真似はしていないけれど、僕が屋久の首を締めている現場を見られたりしたらアウトだ。まだ未成年だしある程度罪は軽くなるだろうけど、出来る限り捕まりたくはないな。
捕まるとしても、もう少し待って欲しい。まだ僕は屋久を全て食べ終えていないのだから。空っぽだった器が満たされていくこの快楽。渇ききっていた僕の心が満たされていくのを感じた。
因みに屋久の死体は現在、冷凍庫の中に保存してある。首を絞めて殺したからか、血抜きがしにくくて大変だった。死体をバラバラに分解するのも凄く時間が掛かった。解体用に使いやすそうなノコギリをあらかじめ買っておいて正解だったな。ルミナール反応対策に風呂をシンナーで洗ってから、アルコールで洗ってみたけど、効果があるのか分からない。というか、家の中を調べられたら一発でアウトだ。パソコンで調べて対策を考えたくらいじゃ、警察の目を誤魔化すのは難しいかもしれないな。
前に殺した時は本当に運が良かったんだなぁ。日本の警察は優秀だ、とかよく映画やドラマで聞くフレーズだけど、さて。僕の事を捕まえられるんだろうか。
僕が屋久を殺した現場には多分証拠は残っていない。全ての証拠は冷凍庫の中だ。家族と一緒に暮らしていたら、こんな事は到底出来なかっただろうな。やはり、家の中で落ち着いて処理が出来るというのは大きい。
日本の優秀な警察に、バレないか、もしくは全て食べ終わってからバレる事を心の底から祈るよ。底って言っても、まだ浅いけどね。屋久を全て食べ終わる頃には、僕の空っぽの心が完全に満たされているといいな。
今日はどこの部位を食べようか。あの綺麗な手か、引き締まったふとももか。
……うん、悩むけれど、今日はふとももにしておこう。食べ応えがありそうだ。
想像するだけで口の中に唾液が溢れてくる。
ああ、僕は今、最高に幸せだ。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.27 )
- 日時: 2015/11/05 23:06
- 名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
◇
起きていながら、夢の中にいるような気がする。やたら世界がキラキラと輝いていて、周囲の喋り声がまるで街の雑踏の中にいるかのように聞き取りづらく煩雑だ。メリーゴーランドの上に乗っているような気分とも言えるかもしれない。馬が上下しながら決められた道をグルグルと回転している。僕はただボーっと馬の上に乗っているだけ。
……我ながら何が言いたいのか要領を得ない喩え話だな。
現国の授業を聞き流しているのはいつもの事にしろ、ここ数日は他の授業も全く頭に入ってこない。英語なんて、まるで他国の言葉を聞いているようだ。と思ったら他国の言葉だった。
そんなどうでもいいボケを自分の頭の中で繰り広げながら、ボケーッと黒板を眺める。僕がボケーッと授業を聞いているのはこれまたいつもの事だが、ここ数日はクラスメイト達も浮き足立っているようだ。今もチラチラと僕の方に視線を向けてくる奴が何人か。僕の顔を見ても板書は出来ないぞ、と見ている奴を名指しで直接突っ込んでやろうかと思ったけど、名前が分からないのでやめておいた。
というか、何度目の自問になるか分からないけど僕ってこのクラスの中でハッキリと名前を言える奴は一人もいないんじゃないか? 岩瀬さん(仮)は(仮)が付いている時点でアレだし、そもそも下の名前が分からない。そして有沢さんと井上さんと上田さんは誰が誰か分からないし、やっぱり下の名前が分からない。
「…………」
今まで僕はどうやってクラスメイト達と共にこの教室で生活してきたんだろう。友達がいないからクラスメイトと名前を呼び合う必要は無いんだけど、それにしたって一人の名前も分からないのはまずいんじゃないか。
取り敢えず、誰かの名前が頭のどこかにないか探してみるとしよう。
まずはこのクラスのクラス委員長の名前だ。クラスで何かを決めなければならない時、いつも教壇の上に立って僕達に意見を求める彼女だ。髪の色は黒で長さは肩に掛かるくらいまで。神経質そうなキッとした顔付きをしていた。身長は163センチくらいだったと思う。そして肝心の名前だ。確か頭に『え』が付いたと思う。え……え…。『江戸川』『遠藤』『江本』……そうだ、江崎だ。よくやったぞ、僕。この調子で下の名前も思い出そう。確かた行の名前だった。たちつてと……そうだ! チユリだ。クラス委員長の名前は、江崎チユリだ!
これでこの教室でちゃんとした名前を言える人が一人になったぞ。
……名前を思い出すんなら、岩瀬さん(仮)の方にするべきだったかな。彼女とはまあ……このクラスでは一番関わりが強いと思うし。だけど、どうやったって岩瀬以外の単語が出てこないんだよな……。下の名前にも全く心覚えないし。
い……い……石杖さやか。
誰だ。
フッと頭の中に浮かんできたけど、絶対に岩瀬さん(仮)とは関係がない。岩瀬さん(仮)の苗字には岩が付いている。絶対だ。間違いない。恐らくは。多分。きっと。もしかしたら。
僕が最近、ハッキリと名前を呼べる奴って、陣城一色、舎仁札、それから屋久終音と久次心だ。後ろの二人はもういないのでノーカウントにした方がいいかもしれない。ここにクラスメイトの江崎チユリさんを入れれば、三人! 致命的にやばい人数だ!
と、今更ながらに焦燥感を覚える振りをする僕だった。
僕が致命的なのはいつもの事なので、焦燥感を覚えた所でとっくに手遅れだと思う。もう数えるのも嫌になる程の膨大な借金を抱えていると、そこに多少の借金が増える事になっても、大して気にしないという。諦観し切っているのか、感覚が麻痺してしまっているのか。僕の現状はそれに近い物がある。まあ僕自身が何も感じていないという点は多少違うかもしれないけど。
致命的な事が今更いくら増えようとも——。
「どうでもいい」
と小さく呟いたら前の席の人に聞こえてしまったみたいでこっちを見られた。
しまった。声の音量調節に失敗した。ただでさえ屋久の事で注目されているというのに、これ以上下手な事をして注目されたら色々と面倒な事になる。それは得策ではないだろう。
クラス委員長の名前を思い出している内に授業が終わってしまったらしく、起立の号令が掛かった。この授業の教師は書くスピードが異様に早いからなぁ。そうじゃなくても最近はノートに手をつけていないというのに、こんなに早いとどうしようもないね。うん。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.28 )
- 日時: 2015/11/08 00:21
- 名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
休み時間。
僕はふと屋久が行方不明になって、あの屋久大好きっ子はどうなったのかが気になった。屋久を食べているから、僕は昼飯抜きなので、いつものように一緒に昼食を取ることはしていない。なので最近はあまり顔を合わせていない。
前にトイレに行く振りをして隣の教室を見に行った時、死んだような顔をしていたな。会話した時も上の空だった。可哀想というか、哀れだったな……。悪いことをした。
と、罪悪感に胸が締め付けられる振りをする。
僕は罪悪を感じる以前の問題なので、振りをすることしか出来ないんだ。屋久を全て食べ終えれば、もしかしたら本当に罪悪感に胸が締め付けられる、なんて事があるかもしれないけど。
「とか考えてみたけど、本当に罪悪感を覚えている人がいるのだろうか」
僕は自分が空っぽだと自覚している。それはどうしようもない事実だ。僕が生きていく上でどうしようもなく向き合っていかなければならない現実だ。
だけど、これは本当に僕だけの現実なんだろうか?
僕の周りで生きている人間は皆、器が満たされているように振舞っている。私は空っぽなんかじゃないんだぞ、と感情豊かに生きている。だけど本当は皆、自分が空っぽなのを自覚して、それを上手く表に出さないように生活しているんじゃないだろうか。
哲学的ゾンビという言葉を知っているだろうか。
僕もあんまり詳しくないんだけど、知ったかぶりで話させてもらう。
哲学的ゾンビという言葉は、外面的には普通の人間のように怒ったり悲しんだり喜んだりと振る舞うけど、実は何の意識も持っていない人間を指している。どれだけ長い間哲学的ゾンビと一緒に過ごしても、体の中を解剖しても、それが哲学的ゾンビだと知ることは出来ない。怪我もするし風邪もひく、反応は普通の人間と全く変わらない。違うのは意識を持っていないという点だけ。
なんで急に哲学的ゾンビという単語を引っ張り出してきたかというと、まあ僕の疑問に少し似ていたからだ。
僕の意識は僕の中だけにしかない。だから他の人が空っぽかどうか判断する事は出来ない。仮に他の人が空っぽだったとしても、哲学的ゾンビと同じようにどうやっても判断することは出来ない。
僕が分かるのは自分の事だけで、他の物は認識出来ないし証明する事は出来ない。こういうのを確か独我論とか唯我論って言うんだっけ。
というか、何で僕は哲学的ゾンビとか独我論について知っているんだろう。頭のキャパシティをもっと他に使うべきだろうに。
「ま、ようするに考えるだけ無駄って事だな」
台無しな言い方をしてしまえば、どうやっても判断する事が出来ないのならば、考えたりする意味が無い。今日の夕飯のメニューについて考えていた方がまだ有意義ってもんだ。
考え始めたのは自分だというのに、僕はそんな風にその考えを打ち切り、今日の夕飯のメニューを考え始める。
そうだな……屋久みたいな料理スキルがない僕には凝った料理が出来ないし、そのまんまステーキにして食べようか。味付けは塩胡椒。
こんがり焼いた屋久のふとももステーキ。
その味を想像するだけで腹が減ってくる。
屋久の肉を弁当にして持ってくる訳にはいかないので、学校では昼食抜きだ。お腹が減った。
そうしている間に、次の授業が始まったのだった。
勉強したくない。
学校休んで家に居たい。
入ってきた現国の教師の眠そうな顔を見て、心の中で溜息を吐く僕だった。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.29 )
- 日時: 2015/11/08 23:03
- 名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
◇
退屈な授業を聞き流して、ようやく昼休みがやってきた。と言っても僕はお弁当持ってないから食べれないんだけどね。と、そこで教室を飛び出ていくクラスメイトの姿を見て、購買や食堂で食べるという案があった事に気が付いた。
そんな発想が存在していたとは。
毎月の仕送りのお陰で実はお金に不自由はしていない。それどころか、屋久のお陰で食費が浮きまくっていたからな。お金なら大量にある。だから購買や食堂に行ってランチしても特に問題はないのだが……。
「まあ、やめておこう」
騒がしい食堂に行くくらいだったら、教室の中でボーっとしてた方がいいや。最近寝不足っぽいし、眠ろうかな。
机に突っ伏して目をつぶる。周りのざわめき声のせいで眠たいのに眠れない。だけど気にせずに眠ろうと頑張る。どれくらい経っただろう、意識が少しずつ眠りに傾いていった辺りで、不意に肩を叩かれた。それによって僕の意識は覚醒へ一気に傾いてしまった。
のっそりと顔をあげると、岩瀬さん(仮)が僕を見下ろしていた。
前にも同じような事があった気がする。これがデジャビュか。
「なに?」
「お昼、食べないの?」
「ああ、うん」
だ、だったらっ、と岩瀬さん(仮)は近くの椅子を持ってきて、僕の机の近くに座る。そして机の上に青色の弁当箱を置いた。何をしているんだろう、と彼女を見ているとそのまま弁当箱を開いた。中はカラフルだった。タコさんウインナー、卵焼き、ミートボール、ハンバーグと、何だか可愛らしいおかずが多い。
食べる物がない僕に向かってこんな風にお弁当を見せるなんて、何かの嫌がらせだろうか。岩瀬さん(仮)をジト目で見ると、顔を赤くして、どこかから割り箸を取り出した。
「?」
割り箸を僕に手渡してくる岩瀬さん(仮)。首を傾げて見ている僕の手の中に割り箸を押し込んできた。それからもう一つの箸を取り出す岩瀬さん(仮)。今度は割り箸ではなく、プラスチック製だ。
「……食べる物ないなら、私のお弁当を一緒に、食べましょう」
ああ、そういう事か。僕に見せびらかしたい訳じゃなかったんだな。
「いいの? 見たところ、おかずとかそんなに多くないけど」
「い、いつもはもっと量少ない……んですっ」
これよりも少ないって、そんなので足りているんだろうか。屋久といい、岩瀬さん(仮)といい、女子の食べる量は少なすぎる。もっと肉とかガツガツ食べた方がいいんじゃないだろうか。
「じゃあ、いただくよ」
昼食は抜きにしようと思っていたけど、岩瀬さん(仮)がくれるというのなら少しは貰っておこう。
最初に目がついた卵焼きを一個貰う事にした。プルプルしていてとても柔らかく、そして中に明太子とヨネーズが入っていた。屋久の作る甘い卵焼きも好きだったけど、この明太子マヨネーズ味も結構好きだ。
「この弁当って自分で作ってるの?」
「い、一応……毎朝自分で作ってます」
「へぇ……。この卵焼き美味しいね。明太子マヨネーズ味」
「ほ、本当ですか……? ありがとうございます」
えへへ、と嬉しそうに笑う岩瀬さん(仮)。何だか頭を撫でてみたい衝動に襲われる。
それから僕はタコさんウインナーやミートボールなど、ひと通りのおかずを頂いた。いつも食べている弁当とは違った味付けで、何だか新鮮だった。屋久と岩瀬さん(仮)。甲乙つけがたい。
「あ、あの……」
「ん……?」
料理を食べ終え、「ごちそうさまでした」「お、お粗末さまでした」のやり取りをした後、岩瀬さん(仮)が迷っているように口を開いた。
「屋久さんの事……なんですが。その……見つかると、いいですね」
「………………………………、そうだね」
「えっと……それだけです」
「そっか、ありがとう」
「はい…………」
そこで会話が途切れて、二人の間に沈黙が訪れる。ソワソワと落ち着きなさそうに、僕の対面の席に座っている岩瀬さん(仮)。彼女はどんなつもりで僕と関わっているのだろうか。この前のお礼にひとりぼっちの僕と関わってくれている、とか? もしそうだったら、それはやめてもらいたいな。僕は何かお礼をされるような事をしたつもりは全くないのだから。
「あのさ、なんで僕に関わってくるの?」
思ったよりも、突き放すような口調になってしまった。岩瀬さん(仮)は「え」と少し怯えたような表情を見せた。
「いや、単純な疑問だよ。ほら、僕ってあんまり人と関わらないだろ? だから気になってさ」
僕の言葉に少し平静を取り戻したのか、岩瀬さん(仮)はおずおずと口を開いた。
「わ、私が……久次君と関わりたいからって、思ったからです」
「…………」
お礼です、って言われたら辞退するつもりでいたんだけど、そういう言い方をされるとなんて返していいか分からなくなる。
「そ……そっか」
「う、うん」
また沈黙。
岩瀬さん(仮)は顔を赤くしながらも、何だか満足そうな表情をしているような気がした。なんでか無性に頭を撫でてやりたい。彼女の頭からは何か、僕の手を惹きつける引力のような物が放たれているのかもしれない。引力に逆らうのをやめて頭を撫でてみたいな。
「何だか、久次君、最近上の空……ですよね」
僕が引力に抗うのを諦めた時、岩瀬さん(仮)が口を開いた。初めてあった時は「えっと」とか「……」が多くてあんまり会話にならなかったけど、最近は普通に喋れるようになってきてるな。他のクラスメイトとはどうか知らないけど。
「上の空ねえ。僕はいつもこんな感じだと思うけど」
「……いつもはもう少し、こう…………上手く言えませんけど、とにかく上の空な気がします」
「そうかな。まあ、授業中とかたまに僕の事見てるしね」
「うぇ!?」
なんだろう、そのリアクションは。気付かれていないと思っていたんだろうか。結構高頻度に僕の方を見ているから、何か伝えたい事があるのかと思ったんだけど。
「う……いや……とにかくですね。やっぱり、屋久さんの事心配ですか」
何だか、よく屋久の話題を出してくるな。これ以上詮索しない方が君の身の為だぜ、とか忠告してあげる訳にもいかないかないからなぁ。
「まあ、そりゃ、心配なんじゃないかな」
「そうですか……あの、」
「そろそろ授業始まるし自分の席に戻りなよ」
岩瀬さん(仮)の言葉を強引に打ち切って、僕は時計を指差す。授業開始まであと少ししかない。
「分かりました……」
岩瀬さん(仮)は何か言いたそうにしたけど、結局何も言わずに席を立った。
「弁当ありがとね。美味しかったよ」
自分の席に向かう彼女の耳元が少し赤くなったような気がした。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.30 )
- 日時: 2015/11/10 22:47
- 名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: cMNktvkw)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
放課後になった。相変わらず授業は耳に入ってこなかったけど、岩瀬さん(仮)のお陰で空腹は多少しのげた。感謝しなければいけない。
学校に留まる意味がないので、HRが終わったらすぐに教室を出る。帰宅部として、帰宅のスピードだけには自信がある。目指せ帰宅部選手権優勝。
教室を出たらすぐに階段を降りて、僕は下駄箱に到着した。
一年の教室は一階、二年の教室は二階、三年の教室は三階となっているので、二年生である僕は一階分の階段を降りて下駄箱へ向かわなければならない。なので、当然三年生よりは早く下駄箱に着くはずなのだが。
「もしかしてお前久次?」
下駄箱の前には三年生が三人、陣取っていた。知らない人達だ。髪の色が茶色だったり、制服が着崩されていたりと、何だか素行が悪そうな気配がする。
何故三年生だと気付くことが出来たかというと、校内で使用するスリッパの色が学年によって違うからだ。二年生は緑色で、三年生は青色だ。一年生は覚えていない。
「はい、そうですが」
「そうか」
と、先輩の一人が頷いたと同時に、目の前に拳が迫っていた。反射神経が働くよりも前にそれは僕の顔面ど真ん中に直撃した。脳裏に火花が散り、視界が激しく振れ、体のバランスが取れなくて後ろにぶっ飛んだ。
幸いな事に背後には誰もおらず、僕が地面に叩き付けられるだけで済んだ。背中を打ち付けたせいか呼吸が上手く出来ない。
「終音が行方不明になった日、お前、夜にあいつと会ってたんだろ」
体を起こす僕を見下ろしながら、殴ってきた先輩がキツイ口調でそう言う。
鼻がジンジンと熱を発している。頭がクラクラするな。
「そうですけっ」
口元に蹴りを叩きこまれた。言葉の最中だったのに酷いな。切れたのか、口内に血の味が広がる。
「あの夜、終音はお前に会いに出て行って、帰ってこなかった。聞けばお前、あいつを家にも送らずに自分だけさっさと帰ってきやがったらしいじゃねえか」
一体誰からそんな事を聞いたのだろうか。一応、屋久が行方不明になってから警察の人と話をしたけど、そこから漏れたりしてる?
「終音が事件とか事故に合ってて、死んでたらてめぇ、責任取れるのか?」
言葉と共に蹴りが腹にねじ込まれる。呼吸が止まる。
……事件ねえ。
もう手遅れですよ、先輩、と言ってやりたいけれど、口を噤んでおく。
僕はクラクラする頭を抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。
それにしても、終音、ね。随分親しげに呼ぶじゃないか。
「あの、先輩方は屋久の何ですか?」
僕の質問に大して、殴ってきた先輩の右側にいた先輩が応えた。
「俺達は終音ちゃんの部活の先輩だよ」
なるほど、部活の先輩ね。まあ屋久は先輩後輩同級生関係なく人気があったって、陣城が言っていたから、先輩からも好かれてたんだろうな。
だけど、そんな事は。
「どうでも、いいッ!」
起き上がってすぐに、俺を殴った先輩の顔面に拳を叩き付けた。不意を付けたようで、僕が喰らった時と同じように顔面ど真ん中だ。僕よりもガタイがいい先輩なので、倒れはしなかったが怯ませる事には成功した。その隙を突いて、僕は彼の体にタックルをかます。バランスを崩して倒れこんだ先輩の上に跨がり、拳を打ち付ける。
まあそこまでは良かったんだけど、帰宅部の僕じゃとても先輩三人に太刀打ちが出来る訳がないので、あっという間に引き剥がされてボコボコにされた。
こんなに体を痛めつけられたとは一体いつ以来だろう、と地面に倒れてされるがままになっている僕。殴られたり蹴られたりする時に生じる痛みはまあいいとしても、痣とかになるのはやめて欲しいな。動きにくくなるから。まあ完全に頭に血が上った先輩方にそんな事を言っても無駄だと思うので、僕はただ伏して彼らが飽きてくれるのを待つだけだ。
「おいやめろ!」
と、そこで騒ぎを聞きつけたのか何名かの先生が走ってやってきた。それでも尚僕に攻撃を加える先輩方を、先生が力尽くで取り押さえて引き離す。それでも騒いでいる先輩方だったが、やがて引きづられてどこかに行ってしまった。
「大丈夫!?」
そんな僕を泣きそうな表情で見下ろす誰か。先生じゃないな。女の人だ。
と、よく見たら岩瀬さん(仮)だった。今日はよく会うな。
「うん、大丈夫」
伏して待つ時間が終わったので、僕はサッと立ち上がる。攻撃を受けた場所が熱を発している。視界が曖昧だ。バランスが上手く取れなくて、僕はよろけてしまった。そこを岩瀬さん(仮)が支えてくれた。
「ありがとう」
それから僕は先生に引きづられて保健室に行かれた。五十を越える何だか石鹸の匂いがする保健室の先生(女)によって、手荒い診療を受けて幸いなことに骨は折れていないという事が分かった。頭の中がどうにかなっているかもしれないので、一度病院に行った方が良いとも言われた。
やっと解放され、外へ出る僕と岩瀬さん(仮)。
なんと彼女はずっと僕に付き添ってくれていたのだ。感謝しなければならない。
「久次君ってどこに住んでる?」
駐輪場まで歩く最中、岩瀬さん(仮)にそんな事を聞かれたので、マンションの事を教えた。
「じゃあね」
「うん……気を付けてね」
それで僕は岩瀬さん(仮)と別れ、自転車に乗って一度帰り、保険証とかその他諸々を鞄に入れてから病院に行った。体中が痛いけど、頭の中がどうにかなっていたら嫌なので検査を受けないといけない。……正直、もう僕の頭の中はどうにかなってると思うんだけどね。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.31 )
- 日時: 2015/11/12 20:00
- 名前: 之ノ乃 (ID: cMNktvkw)
「疲れた」
結局、僕の頭の中はどうにもなっていなかった。痛み止めや傷薬を貰い、僕は帰宅した。
痛みを気にせず風呂に入って、痛み止めを飲んで傷薬を塗り、ようやく一息。
さてこれから——という所で、訪問者の存在を知らせるチャイムがなった。盛大に溜息を吐いて誰だよ、と確認すると『お見舞いに来てあげましたよ先輩』とスピーカー越しに聞き慣れた声が。
訪問者は舎仁だった
。
前に家の場所を教えておいたのが災いした。まさか舎仁が直接尋ねてくるなんて、想像していなかった。
それにしてもお見舞いとは。
「耳が早いじゃないか」
『まあ、私は先輩と違って友達多いですしね』
「……今忙しいから、気持ちだけ受け取っておくよ帰っていいよ」
『冗談言わないでください。早く入れてください』
「嫌だ」
『刺し殺しますよ』
「キミが言うと洒落にならないんだけど」
まあそんなやり取りがあって、仕方なく僕はマンションの入口を開いた。部屋には誰も入れたくなかったんだけど、まあいいか。舎仁なら。
「やあ先輩、ご無事ですか?」
と何だか凄く嬉しそうに言う舎仁を中に入れる。下手に探索とかされたら嫌なので、そのまま真っ直ぐ僕の部屋に連れて行く。
「へえ、なんにもない殺風景な部屋を想像していたんですけど、意外と家具はあるんですね」
僕の部屋にはベッドと勉強机と本棚があるけど、それが意外なんだろうか。
「漫画とか小説とか結構色々ありますね。本読むんですか?」
「僕を何だと思ってるんだ。本くらい読むよ」
「ほえぇ」
「……座りなよ」
勉強机の椅子に座らせると、手に持っていた袋を差し出してきた。
「ケーキと紅茶を持ってきたので、皿とフォークを用意して、それから紅茶も淹れてきてください」
「お前、お見舞いに来たんじゃなかったのか?」
「お見舞いに来たけど存外大丈夫そうだったのでいいかなって」
「殴られたり蹴られたりした時に頭を打ち付けていて、頭の中がどうにかなっているかもしれないだろ」
「先輩の頭の中がどうにかなっているのはいつも通りじゃないですか」
全く持ってその通りだったので、僕はおとなしく舎仁の言う通りした。
キッチンに行って皿とフォークを取り出す。袋の中にはケーキが入った箱と紅茶の素がいくつか入っていた。ケーキは三種類あって、ショートケーキとチーズケーキとチョコケーキが入っていた。
お見舞いにやってきて自分もちゃっかり食べる辺りあいつらしい。
適当にショートケーキとチーズケーキを皿に乗せておく。
それから湯沸し器で湯を沸かし、紅茶の素の袋に書いてある通りに紅茶を作る。コーヒーなら淹れたことあるけど、紅茶を入れるのは初めてだな。
二人分の紅茶とケーキをお盆に乗せて部屋に戻る。
「…………」
扉を開けて中を覗いて、僕は固まった。
椅子に座っていた筈の舎仁がどこかに消えているかと思ったら、いつの間にかベッドにいた。僕の毛布に包まって、ゴロゴロと回転している。しばらく扉を開けた状態で様子をうかがってみるけど、一向に僕に気が付く様子がない。それどころか、僕の枕に顔うずめだした。
「…………おい」
流石に見かねて声を掛けると、ビクゥ!! と体を大きく震わせ、ぎこちなく僕の方を見る。たっぷり一分ほど視線を合わせたまま固まってから、舎仁は真顔のままベッドから降りて勉強机に座った。
「先輩、紅茶が冷めてしまいますよ」
「僕はお前の行動に肝が冷えそうだ」
「またまたー。先輩の肝が冷えるなんてありえませんよ。ほらほら、早くこっち来てください」
「そんな風に自然に流せると思うなよ舎仁」
「先輩が何を言っているのか理解できません」
「…………」
舎仁のすっとぼけた態度に溜息を吐いて部屋の中に入る。これ以上追求すると「殴殺しますよ先輩」とか言ってキレてきそうだ。前に何度か似たような事があったから、流石の僕も学習する。
言葉を打ち切って、勉強机の上に二人分のケーキと紅茶を置く。舎仁は僕に「ご苦労さまです」と薄っぺらい労いの言葉を掛けてから、ショートケーキの乗った皿を手に取った。僕は余った方のチーズケーキの皿を持って、座る所が無かったので仕方なくベッドに腰掛けた。紅茶は後で飲もう
- Re: 空の心は傷付かない ( No.32 )
- 日時: 2015/11/14 23:46
- 名前: 之ノ乃 (ID: cMNktvkw)
「いやー、それにしても災難でしたね、先輩」
フォークでケーキを切って口に運ぶ。ケーキにはレモンも使われているのか、チーズの甘さとレモンの酸っぱさが口の中に広がる。
「先輩をボコボコにした人達はどうなるんでしょうね。退学か、停学か」
「さぁね。これ以上僕に関わってこなければどうでもいいよ」
「あはは、言うと思いましたー」
よく見たら、このチーズケーキはチーズの部分がクッキーの上に乗っている。クッキーのしっとりとした食感が中々いい感じだ。
「先輩」
僕がチーズケーキに舌鼓を打っていると、いつの間にか目の前にまで舎仁が近づいて来ていた。
「一口ください」
「…………」
買ってきたのは舎仁だから断るわけにもいかないだろう。舎仁に食べかけのチーズケーキを皿ごと差し出す。しかし舎仁はそれを受け取らない。
「あーんしてください先輩」
「…………」
チーズケーキを一口サイズに切って、フォークに指して舎仁の口の中に突っ込む。舎仁は「はむっ」とわざとらしい声を上げて口を閉じると、もぐもぐとケーキを咀嚼する。
「美味しいか」
「はい、流石私が選んだケーキですね。こんな美味しいケーキが食べられる先輩は私に感謝するべきです」
「……ありがとう」
「いえいえお気になさらず。そうだ先輩、私もあーんしてあげますよ」
舎仁はショートケーキを切ってフォークに刺し、僕の口に向かって突き出してくる。無視すると強引にフォークを口の中に突撃させてきそうなので、おとなしく食べることにした。
ショートケーキのクリームは甘すぎずちょうどいい塩梅で、生地もしっとりとしていていい口どけだ。自画自賛していたけど、確かに舎仁の買ってきたケーキは美味しいな。
チーズケーキを食べ終え、皿を机において代わりに紅茶の入ったカップを手に取る。またベッドに戻って、それを啜る。
舎仁もケーキを食べ終えたようで、僕と同じように紅茶を啜っている。
「さて先輩、唐突ですがクイズをしましょう」
「唐突だね」
「では問題です。ある所に二つの箱があります。どちらかにはチーズケーキが入っていて、もう片方には何も入っていません。その箱の前には本当の事しか言わない先輩と、嘘しか言わない先輩が立っています。どちらの先輩もケーキが入っている方の箱がどちらなのか、分かっています。先輩のどちらかに一度だけ質問して、ケーキが入っている箱を当ててください」
「ふぅん。僕はどっちが嘘を言う僕なのか分かるの?」
「分かりません」
「じゃあ、どちらに質問しても、答えが分かる様な質問じゃないと駄目なわけだね」
「そうですね」
どんな質問をしたらいいか……。
本当の僕に聞いても、嘘つきの僕に聞いても、同じようにケーキが入っている箱が分からなければならない、か。「どちらにケーキが入っていますか?」と質問しても、聞いたのが嘘つきの僕だったら逆の箱を教えられてしまう。嘘を教えられても答えが分かる質問。正と嘘、鏡写しの答え。
「ああ、分かった。『隣の門番はどちらの箱にケーキが入っていると答えますか』って聞けばいいんだね。それで、その反対の箱を選べばケーキが手に入る」
「先輩はなんだかんだ言っても頭の回転が早いのがムカつきます」
「正解みたいだね」
「元は『天国と地獄』って言う問題なんですよ。それを先輩に置き換えてみました」
ややこいしいな。
「なんでその問題を出したんだ?」
「先輩の頭の回転の早さを確かめたかったんですよ。先輩は馬鹿ですけど、頭の回転が早い馬鹿ですね」
褒められてるのか貶されてるのか分からないな。自己評価としては馬鹿以前に何も考えてなくて、頭の方は回転しすぎて空にぶっ飛んで行ってしまいそうな感じだ。
そう言う舎仁の方は頭が良いのだろうか。こういう問題を出してくる時点で賢いと思うんだけど。
「そりゃどうも。じゃあ次は僕が問題出すのかな」
「いいえ、先輩の出した問題なんて解きたくないので遠慮しておきます。紅茶も飲み終わりましたし、そろそろ帰ります」
「後輩とは思えない不遜な態度だな……。お前本当に僕の事を先輩だと思っているのか?」
「いやいや、先輩の事はちゃんと先輩だと思ってますよ。頭の中がどうかなっていなければ、凄く尊敬出来る先輩です」
「最後のは結局尊敬してないってことじゃねえか」
僕の言葉が面白かったのか、舎仁は小さく笑って椅子から立ち上がった。それから、「んっ」と大きく背伸びをする。その際に胸部が強調される体勢になるのだが、うーん、屋久の方が大きいな。サイズとしては岩瀬さん(仮)、屋久、舎仁の順に大きい。接してる時は気にも止めなかったけど、岩瀬さん(仮)って意外に胸デカいんだよなぁ。それに比べると舎仁は随分慎ましやかなサイズだ。
「私の胸の大きさを他の人と比べないでください。圧殺しますよ」
その胸でか? と聞かなかった自分を褒めてやりたい。
それにしても何故僕の考えが読まれたのだろう。
「エスパー?」
「そんな訳ないじゃないですか、馬鹿なんですか?」
「…………」
「……先輩の考えている事なんて、すぐ分かりますよ。分かり易すぎです」
「そんな馬鹿な」
「手に取る様に分かります。分かりやすすぎて逆に私の考えている事が先輩にも分かるぐらいです」
「以心伝心じゃねえかよ」
残念だけど、僕にはお前の考えている事がさっぱり分からないよ。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.33 )
- 日時: 2015/11/17 01:10
- 名前: 之ノ乃 (ID: cMNktvkw)
「そういえば先輩。今日殴り掛かってきた人達は、先輩のせいで屋久先輩が行方不明になったみたいな事を言ってきたそうですね?」
ベッドに座る僕を見下ろし、舎仁は自分の胸を揉みながらそんな事を聞いてきた。先輩を見下ろして、更に自分の胸を揉みながら会話する後輩なんて聞いたことがねえぞ。
舎仁の問に大して、少しの間を開けて答える。
「そうだね」
その通りだよ、とは言わない。
こいつに対して、下手に口を滑らせると厄介だ。
「それがどうかしたの?」
「いえ? ただ聞いてみただけです。それにしても、屋久先輩は今頃どこにいらっしゃるんでしょうかねぇ」
……。
「さぁね。警察にも聞かれたけど、僕は屋久がどこに行くか聞いてないから、どこに行ったのかは分からないよ」
「別れる前に聞かなかったんですか?」
「聞いたけど秘密って言われたんだよ」
「ふーん。秘密ですかぁ。ところで先輩、屋久先輩が行方不明になったのは、事故と事件、どちらだと思いますか?」
「…………。さあ、僕には分からないよ。どこかに行く途中に学校に嫌気が差して遠くに旅に出たのかもしれない」
「家出ですかぁ。大した荷物も持たずに家出はないんじゃないですかねえ。それとも先輩が会った時、屋久先輩は何か荷物を持っていたんですか?」
「荷物は財布ぐらいしかなかったと思うな。というか、家出っていうのは適当に言っただけから、そんなに真剣に考えないでくれ。」
「いえいえ、真剣にもなりますよ。なんせ先輩のご友人なんですからね。私はあんまり面識はないんですけど。まあそれはそれとして、先輩は屋久先輩が行方不明になったのは、事件ではないと考えているんですね?」
「……さあ。分かんないよ」
「私はそうは思いませんね。偶然に起こった事故ではなく、誰かの手によって必然的に起こされた事件だと思います」
…………。
「根拠は?」
「ありませんね。乙女の勘です」
勘ねえ。
舎仁が乙女かどうかは置いておくにしても、確かにこいつの勘は鋭い。勘と言っていいのかは悩むところだけど。
「へえ。だったら、その勘で屋久の居場所とか分からないの?」
「レーダーじゃないのでそこまでは分からないですが、犯人とかは何となーく当たりが付いていますよ?」
「…………誰?」
「……嫌だな先輩、そんな怖い顔しないでくださいよ。冗談ですよ冗談。証拠もないのに犯人が分かる訳ないじゃないですか」
「そうだな」
「私に分かるのは、先輩の考えている事だけですよ」
何だかわざとらしく、舎仁が笑う……胸を揉みながら。
一体いつまでお前は揉んでいるつもりなんだ。むにむにむにむにと話しながら揉まれたら、そっちに気が行って話が耳に入ってこないだろうが。
「先輩が小さいなあ、的な視線を向けてきたので、揉んだら大きくなるかなと」
「自分の家でやって欲しいな。というか、あのな舎仁。 胸っていうのはただ揉むだけじゃ駄目らしいぞ。揉むときに性的興奮が必要なんだよ。だから僕の目の前じゃなくて、自分の家に帰ってから一人でやってくれ」
「ぁんっ」
「帰れ!」
もうお前何をしにここ来たんだよ。
というか、そろそろ帰りますと言ってからもう結構な時間が経過しているぞ。いつまでも人の部屋に胸を揉みながら居座るんじゃない。
不満そうな表情をしつつ、ようやく舎仁は胸から手を話す。それから少し息を荒らげながら、何歩か後ろに下がる。
「先輩ってたまにドン引きするぐらい、そういう変な知識に詳しいですよね。真面目に気持ち悪いのでやめてください」
何だか、屋久にも同じリアクションを取られたような覚えがあるぞ
。
「後輩としての忠告ですが、あんまりストレートに言わずにビブラートに包んで言った方がいいですよ」
声を震わせながら言えということか?
それからも何かと理由を付けて居座ろうとした舎仁だったが、僕が「もう疲れたから帰ってくれ」と頼むと、意外なことに引いてくれた。
「そんな意外そうな顔されると傷付くんですけど。私は先輩のお見舞いに来たんですから」
玄関の扉を開きながら、舎仁が頬を膨らませる。
お見舞いの割には僕への労りが足りなかったような気がするけどな。
「家に送って行かなくても大丈夫か? お前が言うには屋久は事件で行方不明になったんだろ? そんな時に一人で帰るのは危なくないか?」
「嫌だ先輩、送り狼ですか? いやらしい先輩ですねぇ」
「…………」
「あはは、冗談ですよ。ありがとうございます、でも遠慮しておきますよ」
しかし、後で僕は思うのだ。
やはり舎仁を送っていった方が良かったのだと。
翌日、舎仁は死体となって見つかった。
みたいな展開を想像したけれど、舎仁を襲ったら襲った側が翌日死体になって見つかりそうだな。こいつなら襲われても余裕で返り討ちにしそうだ。
「何かまた失礼な事を考えているような気がしますが……。それでは先輩、ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
バタンと扉が閉まり、ようやく家に静寂が戻ってきた。舎仁の相手は冗談抜きで本当に疲れる。先輩方に殴られた後だと尚更だ。
それにしても、舎仁は一体何をしに僕の家に来たのだろう。あいつはお見舞いだとか言っていたけれど、本当にそうなんだろうか。
それとも。
私は犯人が分かっていますよ? と言いに来たのだろうか。
だとしたら——僕は。
「……まあいっか。舎仁だしな」
あの女は犯人が分かっていたとしても、何もしないだろう。
確信しているわけではないけど、何となくそうなんじゃないかと思う。
僕の頭の中がどうにかなっていると舎仁は言ったけど——舎仁もまた頭の中がどうにかなっているのだから。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.34 )
- 日時: 2015/11/19 18:47
- 名前: 之ノ乃 (ID: cMNktvkw)
◆
ようやく、屋久の肉を食らうことが出来る。
冷凍庫から凍った屋久の太腿を取り出して、時間を掛けて解凍していく。瑞々しく、美しい屋久の肉だ。
解けた屋久の肉を、熱したフライパンで焼いていく。油が音を立てて弾ける。屋久の肉が焼けていく、心躍る匂いがキッチンに漂う。
気付けば口の中に唾液が溢れていた。唾液を飲み込み、僕は焦らずに肉を焼いていく。
意外に思うかもしれないけど、僕は肉の焼き方にはうるさい男なのだ。ロー、ブルー、ブルーレア、レア、ミディアムレア、ミディアム、ミディアムウェル、ウェル、ウェルダン、ヴェリーウェルダンと肉の焼き方は十種類存在している。本当に美味しい肉はウェルダンが一番良いと聞いているんだけど、色んな焼き方を試した結果、僕が一番美味しいと感じるのはミディアムレアだった。ミディアムレアは、肉の表面は焼けていけど、芯の部分はまだ赤い、ぐらいの焼き具合だ。この焼き方は肉が柔らかく、凄くジューシーになるのだ。
「これくらいかな」
ちょうどいい具合に焼けたので、僕は肉を焼くのを止めて皿に乗せる。
最初はミディアムレアにしようとして何度か失敗してしまったけど、今は完璧な焼き具合にする事が出来る。
フォークとナイフ、それから飲み物をテーブルに乗せ、僕も椅子に座る。
「愛してるよ、屋久」
皿の上の屋久にそう告げて、僕は食事という名前の愛情表現を始める。
肉をナイフで一口大に切り、フォークに刺して口に運ぶ。
人肉はかなり癖があって、食べられない人は多いだろうな、と思う。けど僕に取っては、どんな食材にも勝る至高の味だ。
肉の味としては、ちょっと酸っぱい感じがする。食感も特徴的で上手く説明出来ないが、似ている肉を上げるならば豚だろうか。
屋久の肉を何度も何度も咀嚼する。噛む度に肉汁が溢れ出てくる。それらが喉を伝い、僕の胃の中へ落ちていく。至福だ。世の中のどんな出来事にも勝る幸せ。僕は今、世界で一番の幸福を味わっている。
「ごちそうさま」
屋久の肉を喰い尽くし、僕はしばらくその余韻に浸る。
全身の力が抜け落ちて、意識が天に昇っている。放心状態っていう奴だろうか。
古代の中国では、人間を『両足羊』と呼んで美味しく食べていたらしいけど、現代の日本に食人文化がなくて本当に良かった。
何故かって?
そりゃ、決まってる。
屋久が他の人に喰われたら、嫌だろ?
- Re: 空の心は傷付かない ( No.35 )
- 日時: 2015/11/22 22:39
- 名前: 之ノ乃 (ID: cMNktvkw)
◇
「くぅ君はさ、私の事どう思ってるの?」
中学生の頃だったか。
屋久にそんな事を聞かれた。
「どうって……そりゃ幼馴染だと思ってるよ」
屋久は僕の答えが気に食わなかったのか、肩にパンチを打ち込んでくる。弱い威力かと思ったが、肩の奥の方までダメージが伝わってきた。この右なら世界を狙えるかもしれない。
「それは関係であって、私が聞いているのは、私個人に対する君のか・ん・じ・ょ・う」
「感謝してるよ。色々世話してくれてさ」
今度は反対側の肩にパンチが来た。今度は左手だったので、それ程の威力はない。世界を目指すには左を鍛えなければいけないなぁ。右は強力だけど、それだけでやっていける世界ではないだろうし。いやどんな世界か知らないんだけどさ。
「くぅ君はこういう時、いっつもはぐらかして答えてくれないよね」
「こういう時ってどういう時さ」
「うるさい! 分かれ! このトンチンカン鈍感!」
トンチンカン鈍感ってなんか語呂いいな。
そんなどうでもいい事を考えていると、屋久が僕の両肩をガッチリと掴んだ。
唇が触れ合ってしまいそうなほど顔を近付けて、屋久は言った。
「答えてよ! 私の事、どう思ってるの?」
屋久がその台詞を言った瞬間、急に周囲が暗くなった。まるで舞台の証明が落ちたみたいに。誰もいなくなった舞台の上で、一人僕はなんて答えればいいのかを考える。
僕はなんて答えればいいのか。
僕はなんて答えたいのか。
屋久はなんて答えて欲しいのか。
屋久は僕をどう思ってる?
僕は屋久をなんて思ってる?
「僕は屋久の事、××だよ」
僕じゃない誰かが、屋久にそう答えた。
「……どういう夢だよ」
目覚まし時計がハイテンションに鳴り始めるよりも早く目が覚めた。いつもよりも三十分早い。ベッドから天井を見上げて、二度寝しようかと考えるけど、やけに目が冴えて眠れる気がしない。
だけどまだベッドから出る気が起きなくて、大の字になって軟体生物のように体の力を抜いて横たわったままで居る。
「屋久……オワ」
夢に出てきた彼女の名前を、小さく呟いてみる。当然ながらその呟きに答える者はいない。
「あの日から毎日僕の夢の中に出てくるなんてな」
毎晩毎晩、場面は違うけど、屋久と会っている夢を見る。幼稚園の頃だったり、小学校の頃だったり、中学校の頃だったり。
こんなに連続して誰かの夢を見るなんて、一体いつ以来だろうか。
そういえば、前に誰かの夢を連続で見た時も、こんな風に思ったんだっけ。
それが正しいのか、少しだけ本人に聞いてみたいような気がした。
「屋久。お前は僕を恨んでいるか?」
相手が『憎んでいる』と答えたら僕は何か感じるだろうか?
悲観? 歓喜? 絶望? 希望? 後悔? 安堵?
違う——どれも違う。
きっと、僕はなんとも思わない。
そんな事はどうでもいい、といつものように言うだろう。
「さてと」
僕はベッドから体を起こす。
「行くか」
- Re: 空の心は傷付かない ( No.36 )
- 日時: 2015/11/26 00:33
- 名前: 之ノ乃 (ID: uRukbLsD)
◆
学校。
退屈な授業。
寝ようと試みるけど、やはり眠ることが出来ない。朝も思ったけど、何でこんなに目が冴えているんだろう。睡眠時間なんてロクに取っていない筈なのに、土曜日の昼に目が覚めた時みたいにスッキリとしている。やっぱり、屋久が原因なんだろうか。屋久の亡霊が僕に対して「真面目に授業を受けろ。寝させんぞ」という意図で、目が冴え渡る呪いでも掛けたんだろうか。それは勘弁して欲しいな。僕は今すぐにでも家に帰りたいというのに、何が悲しくてこんな授業を聞いていなければならないのか。
「はぁあ」
暇だ。退屈だ。窮屈だ。
屋久が行方不明になってすぐに、下手に学校休んだりして怪しまれたら行けないと思ったから学校に来てるけど、そろそろ休んでもいいだろうか。数日間、風邪ですとか言って休みたい。そうすれば三食屋久を食べられるというのに。
まあでも、待つというのも大切な事かもしれないな。自由に食べるよりも、こうやって焦らされた方が食べた時の喜びが増すだろう。
そう考えると、学校にいる時間も悪くないと思った。
のは一瞬だけで、やっぱり早く帰りたい。
昨日の屋久のふとももの味を思い出して、何とか時間を潰す。何も考えずにボーっとしていると一分が十分くらいに感じられるのに、屋久の肉を食べている時は一時間が一瞬に感じる。不思議だ。逆だったらいいのに。授業は一瞬で終了し、屋久の肉を咀嚼しているのが何時間にも感じられるとか、それどこの天国だ。
そんな事を考えていると、若干だけど時間の経過が早くなったような気がした。
なのでダメ押しとばかりに、今日は屋久のどの部位を食べるかを考える。
昨日はふとももだったし、今日は手の肉にしようかな。腹部の肉という手もある。眼球付近の肉は人体の中でも格別に美味しいので、それは最後までとっておくと決めてある。
よし、今日は腹にしよう。
どうやって食べようかなあ。
昨日と同じように、ミディアムレアのステーキにするのもいいけど、シチューに入れるのもいいかもしれないな。衣を付けてカリッと揚げる唐揚げもいいかもしれない。焼いてよし、煮てよし、揚げてよし。人肉料理は素晴らしい。
そんな風にメニューを考えると、時間の経過速度が倍くらいになった。だけど、周りのざわめき声のせいで加速が止められてしまう。煩わしい。
現在の授業は生物だ。
生物の教師は教科書に書いてあることをそのまんま板書しているだけなので、授業を聞く意味があまりない。喋り方もゆっくりで聞き取りづらく、生物の授業を真面目に聞いている生徒は殆どいないだろう。だから、大半の生徒は寝るか喋るかをしている。
僕もそれにあやかって眠りたいんだけど。
僕の席は教室の一番後ろ、その中でも真ん中にある。真面目な生徒にとってはどうか知らないけど、不真面目な生徒にとっては最高の席だろうと思う。
不真面目よりではあるけど、僕は正直席はどこでもいいんだけどね。
一番後ろの席は、教室を全て見渡すことが出来る。
名前の知らない彼が本を読んでいるとか、名前の知らない彼女が名前の知らない隣と雑談してるだとか、名前の知らない誰かが名前の知らない誰かにちょっかいを出していて、相手はそれを凄く嫌そうにしているとか。
僕のとっては全く興味がない事だ。だけど、この光景は僕が世界にいなくても、世界は何も変わらずに回り続けるということを意味している。
……なんて、ちょっと哲学的な事を考えてみたけど、すごいどうでもいい。
どれくらいどうでもいいかって言うと、ムチムチと無知の知を聞き間違えるくらいどうでもいい。「あの女の子のふともも、無知の知だな!」とか。それは無知の知というよりは無恥の恥って感じだ。
うん、本当にどうでもいいな、この話。
暇になると、他愛もないどうでもいい事ばかり頭に浮かんでしょうがない。
少しは有意義な事を考えよう。
そういえば、隣のクラスのあいつ…………あいつが今日、学校で熱を出して早退したらしい。
のだけど、そのあいつの名前が出てこない。
興味がないとすぐに名前を忘れてしまうからなあ。
顔は出てくるんだけど。
友達の名前を忘れるっていうのはあれだけど、あいつなら許されるような気がする。
許せ。
自覚してるけど、やっぱり僕の頭ってどうにかなってるんだな。普通は興味がなくなったからって、すぐに名前を忘れたりしないだろうに。頑張って覚えようとするけど、中々覚えられないんだよなぁ。
と、有意義かどうかは少し首を傾げなければならない内容を頭のなかで羅列していると、ようやく授業が終わったようで、クラス委員長が「起立」と号令を掛けた。
全ての授業が終了し、ようやく放課後になる。
クラスメイトの間を通り抜けながら、僕は速攻で教室を出る。
急ぐ理由はただ一つ、屋久だ。
授業中に考えていたんだけど、今日の夕飯はやっぱり胸にしようと思う。あいつの胸は結構大きめだったからな。食べ応えがありそうだ。
血抜きとかをする前に揉んだりして感触を楽しませてもらったけど、大きいだけじゃなくて綺麗で良い手触りだった。美乳っていう奴だな。
あれを想像したら屋久の胸が食べたくて仕方なくなってしまった。他の部位はもう考えられない。夕飯にはカレーを食べるぞ、って思う口の中がカレー待機状態になって他を受け付けなくなると同じだ。
屋久の胸待機状態の口が早く食べさせろとうるさいので、僕は帰りを急いだ。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.37 )
- 日時: 2015/11/28 23:56
- 名前: 之ノ乃 (ID: uRukbLsD)
◇
ガチャリ、と音を立てて玄関の扉が開く。
中はひんやりとした空気が漂っており、夏だというのに涼しく感じる。
中に入ってから鍵を締める。用心深さは必要だ。泥棒が怖い。
扉を開けた鍵をポケットに入れて、僕は家の中に入る。
何だかやけに疲れたな。ここに来るまでにそこまで時間は掛かっていない筈なのに。僕も歳かな、なんてどうでもいい事を考えながら、家の中を歩いて行く。
それにしても、舎仁が前に部屋に来た時に僕が漫画とか小説を持っている事を驚いていたけど、そんなに驚くような事だろうか。別に読書が趣味と言えるほど本を読んでいる訳ではないけど、暇つぶしに本くらい読む。あんまり使わないから、結構お金が貯まっているしね。漫画と小説を合わせて、月に十冊くらいは読むだろうか。
中に入ってから僕がやったのは、おかしな所がないかチェックする事だ。家中を周り、念入りにチェックしていく。何かを見逃していたりしたら大事だ。
おしいれや本棚、勉強机の中、ベッド、風呂場、冷蔵庫などを隈なく調べる。
「ふむ……」
ひとまずのチェックが終了した。
椅子に座ろうとした時、胃から熱いものが競り上がってきて、僕は慌てて洗面所に向かう。口から酸っぱいものが溢れ出てくる。大量の吐瀉物を洗面器にぶちまけて、ようやく気持ち悪さが収まった。全て洗い流して、口の中をすすぐ。
「はぁ……はぁ……」
何故だろう。
体調が優れない。急に体が怠くなってきた。
風邪をひいた?
それとも何か変な物を食べただろうか?
思い返してみるけど、特に思い当たる物がない。岩瀬さん(仮)の弁当のおかずのせいかな? なんて失礼な事を考えたけど、美味しかったし特に変な所もなかったよなぁ。
思い返してみれば、昔から食中毒とかになったことがないんだよな。胃袋が頑丈なんだろうか。母に腐りかけの食材を生で食べさせられたり、完全に腐った食材を生で食べさせられたりしたというのに、腹が下ったりしなかったし。妹の方も食べた後平然としてたな……。僕達二人とも胃袋は強いみたいだ。まあ、平然としてる僕達が気に入らなかったみたいで、それから数日ご飯抜きにされたけどね。
母の攻撃というのも、中々にレパートリーがあった。
腐りかけとか腐った食材を食べさせられる、ご飯抜き、床に料理をぶちまけて犬の様に食べさせられる、皿を投げられる、熱々の味噌スープをシャワーのように浴びせられる、風呂に沈められる、風呂場に閉じ込められる、冬に外に放り出される、殴られる、蹴られる、灰皿で殴られる、火の付いた煙草を押し付けられる、寝ている時に布団たたきで叩かれて起こされる、とか色々あったな。授業参観とか運動会とか、学校行事に来ないのは当たり前だった。妹が堪えていたのは、学校で作った『お母さんへの贈り物』を目の前で破られた事だったっけ。号泣したから、それに母が不機嫌になってボコボコに殴られたな。
給食費とかお金は払ってくれていただけマシだったのかもしれないけどね。飯抜きなんてしょっちゅうだったから、学校の給食が命綱だった。余ったコッペパンを家に持って帰って妹にあげていたなぁ。犬に餌を持って帰る子供の気分はあんな感じなんだろうか。妹にコッペパンをあげているところを見られたせいで母にボコボコにされたけどね。
先輩方に殴られたお陰で、あの頃の感覚を何となく思い出した。ボコボコに殴られると、最初はジンジンと熱いのに段々と寒くなってくるんだよなぁ。
母に真冬にボコボコに殴られてから、外に出された時は凍死するかと思った。寒すぎて手足の感覚が段々なくなっていくだんよな。眠くなってきて、あぁこのまま寝たら死ねるのかな、なんて考えたけど、妹が母に泣いて頼んだせいで死に損ねた。
あのまま死んでも良かったのになぁ。
なんでまだ生きているんだろう。
僕が死んで代わりに妹が生きてれば良かったのに。
口元を拭い、ようやく一息。
すすいだのにまだ口の中がちょっと酸っぱい気がする。
こんな風に吐いたのは、母にお腹を蹴られて以来だろうか。あれとはまた違う感覚だけど。
最近、何だか昔の事を思い出す。クラスメイトの名前とかは出てこないのに、何でこんなどうでもいいことばかり覚えているんだろう。
妹の死に顔とかよりも、岩瀬さん(仮)の名前の方を覚えてる方が良かったよ。
妹の灰皿で殴った時と感覚とか、生暖かい返り血が頬に付着する感覚とか、力がなくなった妹のまだ温もりが残っている体の感覚とか、返り血を拭う時と感覚とか、どうでもいい。
どうでもいい。どうでもいい、どうでもいい、どうでもいい、どうでもいいどうでもいいどうでもいい、どうでもいいどうでもいいどうでもいいどうでもいいどうでもいいどうでもいいどうでもいいどうでもいいどうでもいいどうでもいいどうでもいいどうでもいいどうでもいい。どうでもいいどうでもいいどうでもいいどうでもいい、どうでもいい。
——本当に、どうでもいい。
それよりも今は。
「そろそろかな」
時計を確認して、僕はさっきチェックした時に見つけたちょうどいい場所に移動する。そこで壁に持たれて時を待つ。
どれくらい経っただろうか。
ガチャリ————玄関のドアが開いた。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.38 )
- 日時: 2015/12/02 01:34
- 名前: 之ノ乃 (ID: uRukbLsD)
◆
恋愛感情と食欲は似ている。
愛する人を抱きしめて自分で包み込みたいという欲求と、愛する人の肉を喰い千切って自分の中に取り込みたいという欲求。
この二つはとても良く似ていると思わないかい?
しいて違う点を上げるのならば、恋愛感情よりも食欲の方が上に位置している、という点だろう。
僕が最初に人間に対して食欲を覚えたのは、もうかなり前の事だ。
自分は空っぽで、常に渇いていて、何をしても満たされない。そんな苦しみに耐えながら生きてきた僕の隣には、常にある少女がいた。最初は彼女の事なんて何とも思っていなかったけど、次第に彼女の事が気になる自分が居ることに気が付いた。
最初は恋愛感情だと思っていた。こんな僕にも、恋愛感情なんてものがあったんだと、当時は驚いたものだ。
僕と彼女はたくさん遊んだ。今でも確信は持てないけど、多分彼女は僕に恋心を抱いていたんだと思う。何となく、そんな事が分かるようになった頃には、僕は自分の感情が恋愛感情以上の物だということに気付いていた。
それが食欲だ。
彼女の肉を貪り、眼球を舌で転がし、血を啜りたい。
そんな欲求が、徐々に強まっていくのを僕は感じた。
人を食べるなんていけないことなんだと、最初の内は自分を抑えていたれた。だけど僕は気付いたんだ。人を食べてはいけないなんていう常識に、一体何の意味があるの言うのか、と。
常識? ルール? 決まり事? 規則? 法律? 憲法?
そんな物で、何故僕の『愛』が縛られなければならない?
その考えに至った時、全身がフッと軽くなるのを感じた。体を縛り付けていた常識とかそういった物が解けたのだ。
僕の頭が完全にどうにかなったのは、恐らくその瞬間だったのだろう。
それから僕は、どうやって彼女を喰らってやろうかと考えた。誰にも邪魔されず、肉の欠片まで喰らい尽くすにはどうしたらいいだろかと考えた。
考えに考えた末に、僕は誰にもバレる事なく彼女を殺し、そしてその肉を喰らい尽くす事に成功した。
彼女が僕の一部になっていく。
僕と彼女が一つになっていく。
本当の意味で彼女と分かり合えた。
僕の空っぽだった器が、心の渇きが満たされていく。
「あぁ……美味かったなぁ」
思い出すだけで唾液が溢れてくる。
それから数年の間、本当に幸せだった。全てが満ち満ちていた。渇きを覚える事もなく、生きてこられた。
だけど高校に入って二、三ヶ月、再び僕はどうしようもない渇きに襲われた。満たされていた筈の心が空になってしまっていた。誰かを愛したい。誰かを喰らいたい。そんな欲求が湧き上がってきた。
そこで目を付けたのが、屋久だったのだ。
屋久終音。
美人で、可愛くて、優しくて、気が利いて、頭が良くて、運動が出来て、料理が出来て、友達が多くて。
何より、最初に食べたあの少女によく似ていたんだ。
一度彼女に食欲が湧いてしまえば、もうそこからはどうやって彼女を喰らってやろうか、という事しか頭に思い浮かばなかった。どんなに美味しい料理を食べていても、思い浮かぶのは彼女の顔だ。
屋久の肉はどのくらいの固さなのだろうか。どの部位が一番美味しいだろう。どんな風に料理したら美味しいだろう。どんな焼き方をするのが一番美味しく食べられるだろうか。処理にどれくらいの時間が掛かるだろうか。屋久の肉を喰らった時、僕の心はどのくらい満たされるのだろう。あいつと屋久はどっちが美味いだろうか。
屋久はどんな味がするんだろうか。
あの頃は、お預けを喰らっている様で辛かったけど、同時に楽しかった。どうしたらバレずにあいつを殺せるだろうとか、家に呼んで殺した方がいいだろうかとか、色々な事を考えた。結局は計画とか頭から吹っ飛んで、強引な手段を使って殺してしまったけどね。二回目とはいえ、やはり食材を調達する瞬間は緊張するものだ。現実、中々想像通りには行かないものだよね。最初の一回が上手く行っただけに油断していたよ。
最初の時は全く邪魔が入らなかったけど、今回は邪魔な奴が居たしな。名前を忘れたあいつ。あいつのせいで計画がかなり狂った。まあ、僕が屋久を喰らってからはかなり落ち込んでいたから、チャラにしてやろう。心が満たされている僕なら、多少の同情を覚えないでもないからな。
ま、何はともあれ、色々と成功して良かった。願わくばこのまま警察にバレないといいんだけどなぁ。屋久の肉を食べきるのにもう少し時間が掛かるから、その間に捕まるとかあるかもしれない。
うーん……。
それはどうしても避けたいな。せっかく手に入れたのに食べられないなんて、僕にとっては拷問に等しい。
「明日が学校休むかな」
そうしよう。
熱が出たとか、風邪をひいたとか適当な理由を付けて学校を休んで、屋久の肉を食べるペースを早めよう。残りの量によっては追加でもう一日休むのもありかもしれない。屋久が行方不明になってから少し時間も経ったし、二日休むくらいだったら怪しまれるような事もないだろう。三日は流石に休み過ぎかな。あんまり休み過ぎると授業についていけなくなるしね。と思ったけど、元々あんまりついていけてなかった。
そうと決まれば、今日からは肉パーティだ。屋久の料理を美味しく食べていこう。
よし、コンソメとかカレールーとかシチューのルーとか、あらかじめ料理用に色々と買い込んでいるから買い物に行く必要はないな。
今日の夕飯は屋久の胸肉。
明日は何を食べようかな。悩む。
サンチェがあるから、焼き肉のタレで焼いてからサンチェで包んで食べるのもありかもしれない。ヘルシーだし、朝食にはいいかもしれない。
ああ、想像したらますますお腹が減ってきた。
「やっと着いた……」
学校から三十分ほど掛けて、ようやく家に到着した。
三十分がかなり長く感じたよ。
夏だから三十分自転車を漕ぐだけでもかなり汗をかくな。帰ったら屋久を料理するよりも先に風呂に入って汗を流した方がいいかもしれない。
車の止まっていない駐車場の中で自転車を降りて駆け足で玄関へ向かう。ポケットから鍵を取り出して、鍵穴へ差し込む。
「そういえば、あの鍵結局どこ行ったんだろう」
今使っている鍵は合鍵だ。最初に使っていた鍵はどこかになくしてしまった。落とした、なんてことはないと思うんだけどな。ちゃんと鞄の中に入れておいたのに。チャックも閉めておいたし、落ちるわけがないんだが。
ガチャリ。
鍵が音を立てて開いた。
中はひんやりとした空気が漂っており、夏だというのに涼しく感じる。
「外もこれくらい涼しければいいのにな」
独り言を呟いて、廊下を歩いて行く。
現在、この家を使用しているのは僕だけだ。元々は父や母、弟も居たんだけど、父が台湾の方に転勤することになって、僕だけが家に取り残された。まあ多分、家族は薄っすらと僕の異常性に気が付いて居たんじゃないだろうか。僕を腫れ物みたいに扱っていたし、少し怯えていたようにも見えた。
だから、現在家には誰も居ない。
誰もいない筈なのに、背後から物音が聞こえて、振り返った瞬間に僕の右頬に何かが叩きこまれた。
なにが、起きている?
後ろに大きく仰け反って、倒れそうになる。危うい所でバランスを取って転倒することだけは耐えられた、と思ったのも束の間、今度は鼻っ柱に何かが激突した。
火花が散るっていうのはこういう感覚なんだろうか。
鼻の骨がぶつかってきた固いものにゴリッと嫌な音を立てる。
視界が点滅して、頭の中が真っ白になる。
今度はバランスを取ることが出来なくて、後ろに思いっ切り倒れた。壁に頭から激突する。呼吸が止まるほどの衝撃。一瞬だけだけど、意識が完全に消失する。
すぐに復旧。
しばらくの間、体に力が入らない。
何かがぶつかった頬と鼻がジンジンと熱を放っている。後頭部はぶつけた瞬間はかなり痛かったけど、今は鈍い鈍痛程度だ。
あぁ、鈍い鈍痛って意味が重複している。
頭がボーっとしているせいで、思考が上手くまとまらない。
十秒ほど掛けて、ようやく意識が安定してきた。青や赤や黒や白に点滅していた視界もある程度クリアになった。
この間、僕に攻撃をしてきた何者かは手を出してこなかった。ただすぐ近くで僕の事を見下ろしている気配を感じる。
「だ……誰だ」
頭を抑え、壁にもたれ掛かりながら僕は上を見上げる。
そこに立っていた奴を見て、僕は呼吸が止まった。
「やあ」
そいつは僕の事を見下ろして、無表情のまま手を上げた。
そこで僕は自分が何をされたのかに気が付いた。
殴られたのだ。こいつに。
そいつは死んだ魚の様な目で僕を見ながら言った。
「なんで……なんでお前がここにいるんだよ」
訳が分からなかった。
なんでよりにもよってこいつが、僕の家に居るんだよ。
だって、お前は。
熱が出たからって、今日学校を早退したじゃないか。
顔を見て、ようやく名前を思い出した。
こいつの名前は————。
久次空。
「——屋久の肉は美味かったかよ、陣城」
- Re: 空の心は傷付かない ( No.39 )
- 日時: 2015/12/03 20:42
- 名前: 之ノ乃 (ID: uRukbLsD)
間章 回る想い
「寒いね……お兄ちゃん」
ある冬の日の事だ。
母にひとしきり殴られた後、僕達は暖房のない部屋の中、薄い毛布で夜を過ごしていた。
母曰く、お前達は悪い子だからこうされて当たり前なんだ。
僕や妹の心が何か悪いことをした記憶はないのだが、母の基準では何かしらがアウトなんだろうな。何がアウトなのか教えてくれればそれをしないように努力するというのに、母の基準や言い分は彼女の気分によってコロコロ変わるため、僕達にはどうする事も出来ない。この前と言っていること違うよ、なんて指摘すれば痛い目に合うのは分かっているので口には出さない。
「僕の毛布使うか?」
僕の言葉に心は首を振る。じゃあどうしようかと考えていると、心が僕の毛布の中に入り込んできた。それから自分の分の毛布をその上に重ねる。
「こうすれば二人とも温かいよ」
「こんな発想が存在していたとは」
「お兄ちゃんって馬鹿だよね」
「…………」
心は僕の体に手を回して抱きついてくる。柔らかい体の感触。体温が伝わってきてほんのり温かい。
少しずつ体が暖まってきて、眠気が襲ってくる。
夢の世界に意識が完全に落ちる前に、心が話し掛けてきた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なに?」
「幸せってなにかな?」
「人によって違うと思うよ」
「じゃあ、お兄ちゃんは幸せ?」
「……どうかなぁ」
眠さで思考が働かない。
「分からないや」
そう言って、僕の意識は夢の世界へ落ちていく。
意識がなくなる瞬間。
「私は、幸せなんかじゃないよ」
心がそう言った気がした。
翌日。
家に入ると、母の笑い声と心の泣き声。
リビングに駆けつけると、ビールの缶が数本、そして紙屑が床に落ちていた。
床に散らばっていた紙屑は、心が学校の道徳の時間に作った母への贈り物だった。母への日頃の感謝を書いた手紙だったらしい。
家の中に道徳が存在していないのに、学校で道徳を習うなんて滑稽だな、なんて思った。
心が母にその手紙を渡すと、読む前にビリビリに破り捨てたという。
泣き崩れた心を指さして、母は笑っていた。
ざまぁみろ、お前からの手紙なんていらねえんだよ、気持ち悪い、目障りだ。
そんな事を言いながら笑う母の顔は、この世で一番醜悪だと思った。
僕は心を泣き止まそうと声を掛けるけど、一向に泣き止まなかった。最初は笑っていた母だけど、次第に苛立ち初めて、最後には酒臭い息を撒き散らしながら怒声を上げて、僕達を煙草の灰皿で殴った。
ガツンと頭に衝撃が走った。
温かい物が頭から流れてきて、血だった。
僕よりも強めに殴られた妹は床にうずくまって、血を流しながら息を押し殺して泣いていた。
心のそんな様子に満足したのか、母はゴロンと横になって寝息を立て始めた。酔いが回っているようで、大きないびきを立てている。
「ねぇ……お兄ちゃん」
床で横になったまま、心は昨日と同じように僕に話し掛けてきた。
「なんで自分が生まれてきたか分かる?」
「……分からない」
「私も分からないよ。自分が何で生まれてきたのか」
「…………」
妹はどこかボーっとしているようだった。
「なんで痛みを感じるのかな」
「……生きてるから、だと思う」
「死んだら痛みを感じないのかな」
「分かんないけど……多分、そうなんじゃないかな」
「なんで辛いのかな」
「……それも生きてるから、かもしれない」
「そっかぁ……」
心は納得したという風に、頷いていた。
「……心?」
いつもと違う彼女の様子。何とも言えない、嫌な感じだった。ボーっとしていて、まるで夢を見ているような、そんな様子だった。
「だったら——生きている意味なんてあるの?」
心の言葉に、僕は何も答えられなかった。
言葉が出てこなかった。
生きていれば幸せになれるとか、生きている間にその意味を探せばいいとか、そんな言葉を口に出来ていれば、何か変わっていたんだろうか。
「ねぇ、だったら」
心の言葉。
嫌な予感がした。
この先を聞いてはいけないと、何かが僕に警鐘をならしていた。
「私を殺してよ」
駄目だと、言えば良かったんだろうか。
嫌だと、言えば良かったんだろうか。
分からなかった。
ただ、何も言えなかった。
「ね? お兄ちゃん」
僕は。
「お母さん酔っ払ってるしさ。お母さんが殺したって事にすれば、お兄ちゃんには迷惑掛からないよ。あそこの灰皿で殴って、殺して?」
僕は。
「もう、私ね。生きていたくないんだ。辛くて、不幸で、生きているのが苦しい」
僕は。
「お願い、お兄ちゃん。私を殺してよぉ」
ポロポロと涙を零して、懇願してくる心。
いびきを立てて眠っている母。起きる気配はない。
僕は————。
「本当に、いいのか?」
母の灰皿が、手の中にある。
「ありがとう、お兄ちゃん。お願い」
「心」
「ごめんね……。でも、私ね、殺されるならお兄ちゃんがいいの」
「心」
「ごめんね……。お兄ちゃんは辛いよね。勝手だよね」
「心」
「来世では、幸せになりたいね」
「心」
「お兄ちゃんと、また会えるといいな」
「心……」
僕は。
灰皿を。
心に——。
「心」
もう、動かなくなった妹の名前を呼ぶ。
返事はなかった。
部屋には酔っ払って寝ている母と僕しか居ない。
「心」
何度呼んでも返事はなかった。
死んだ人間は喋らない。
そんなことは分かっている。
だって、僕が殺したんだから。
頬を伝って、何かが手に落ちてきた。
温かい。
それは次々と溢れ出てくる。
一粒何かが零れ落ちる度に、僕の心の中にあった何かがなくなっていくようだった。
僕はまだ死なない。
殺した妹の魂を喰らって、生きながらえた。
この日——僕は空っぽになった。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.40 )
- 日時: 2015/12/04 20:25
- 名前: 之ノ乃 (ID: uRukbLsD)
第四章 終える幕
まずは一発、振り向いた瞬間に殴った。思ったより当たりが弱かったのでもう一発。今度は目論み通りに倒れてくれた。
壁に頭をぶつけて朦朧としている所を、反撃を喰らわない程度の距離で見下ろす。
「だ……誰だ?」
僕が誰か分かっていないようだったので、「やあ」と手を上げた。僕を見て大きく目を見開き「なんで……なんでお前がここにいるんだよ」。まるで小説の一幕の様だな、と思った。
「屋久の肉は美味かったかよ、陣城」
僕の言葉に更に目を見開く、陣城一色。
「何で僕がここにいるかって? 一度学校に行って、君がいるのを確認してから早退してここに来たんだよ」
「どうやって家の中に入った!」
「簡単だよ。君の鍵を使った」
そう言って僕はポケットから、この家の鍵を取り出した。数日前に陣城がなくしたとぼやいていたけど、実はあれ、僕がこっそり盗んでおいたんだよ。
「泥棒が……」
屋久の死体を泥棒している君に言われたくないな。それに、人間っていうのは一度命を失ってしまえば、もう元に戻せないんだよ。返せない分お前の方が質が悪い。
「だけど……待てよ。お前が僕の鍵を盗んだのは、屋久を殺す前だった筈だ。なんで盗んだんだよ」
「勘違いだったら、申し訳ないなと罪悪感に浸る振りをするつもりだったんだけどね」
「何を言ってるんだ」
「石杖さやか……って名前に聞き覚えはないかな」
僕が口にした名前に、陣城は大きく目を見開く。
「七年前にこの辺りで行方不明になった女の子の名前だ。当時は確か、小学四年生の女の子だっけ?」
「なんで、そいつの名前が出てくるんだよ!」
声を荒らげる陣城。まあ落ち着けよ。
「その女の子、お前が喰ったんじゃないか?」
当たりだったのか、口をパクパクと閉口し始める陣城。
「勘って言うのかな。初めてお前に会った時、他の連中とは違うなって思ったんだよ」
「はぁ?」
まあ普通はそんな反応だろうね。
「それと経験から、かな。類は友を呼ぶ、なんてことわざがあるけど、僕に近付いてくる人って、頭のネジが何本か外れてる奴が多いんだよ」
舎仁とか、お前とかな。
屋久と岩瀬さん(仮)は多分除外してもいいと思うけどさ。
「だからちょっとお前の事を調べさせてもらった」
友達がいないからかなり苦労したけどね。
「そしたら偶然、七年前の事件が出てきたってわけさ。石杖さやか。お前の幼馴染だったんだろ?」
「…………」
沈黙。肯定と捉えさせて貰おう、
「僕に近づいてきた奴の幼馴染が、過去に行方不明になっている。もしかしたら、何かあるかもしれないと思って、鍵を盗ませてもらった。屋久が行方不明になったと聞いて、真っ先にお前を思い浮かべたよ。『屋久屋久』いつも言ってたからな。それで、遅くなったけど今日、忍び込ませて貰ったら、ビンゴだったって訳だ。まさか切り刻んで冷凍保存しているとは思わなかったけどね」
ふらつきながら立ち上がり、僕の方を睨み付けてくる陣城。ギリギリと歯ぎしりをしている。そんなに強くやったら歯が欠けちゃうよ、という言葉は掛けてやらない。
「興味本位で聞くんだけど、どうして屋久や石杖さやかを食べたりしたんだ?」
無視されると思ったけど、意外な事に陣城は答えてくれた。バン、と壁を強く叩き、叫ぶような口調ではあったけど。
「理由? 決まってる! 好きだったからだよ! 僕は石杖さやかと屋久終音を愛していた! それ以上の理由があるか!? お前という邪魔な奴がいたせいでロクに屋久に近付く事も出来なかった! 本当に鬱陶しかったよ! だけど、今はもう、屋久は僕の物だ! ざまあみろ! お前が屋久に好意を抱いている事は気付いていたさ! 僕に屋久を奪われた気分はどうだ!」
どうだ、と言われてもな。僕はお前が思っている様な感情は屋久に抱いてなんかいないし。
「お前が屋久とファミレスで食事した後に僕は屋久と会っているんだよ! そこであいつに告白してみたんだけどな、『私には好きな人がいるから、応えられない』だってさ! 恐らくお前の事だろうなぁ! 嫉妬しちゃって、その場で絞め殺してやったよ! 屋久が死ぬ瞬間をお前に見せてやりたかった!」
嬉しそうに、僕に色々と教えてくれる陣城。彼の表情を見て、僕は妹からの手紙をビリビリに破って笑っていた母を思い出していた。母も、陣城も、どうしようもなく醜悪な表情を浮かべている。
「屋久の肉は美味しかったぜ、久次。太腿の肉はステーキにして食べたけど、本当に美味しかった。屋久の肉はな、ミディアムレアで焼いて食うのが一番美味しいんだよ。お前はそんな事知らなかっただろ? 僕は知ってるんだよ!」
そんな風に勝ち誇られてもな。そう口にしようとして、ガリっと歯が欠ける感触が伝わってきた。ペッとそれを吐き出す。歯が弱ってるのかな? 歯磨きはちゃんとしているつもりなんだけど。
陣城の話を聞いているのにも飽きたので、僕は手を上げて彼の話を中断させる。
「事情を聞かせてくれてありがとう。僕から聞いておいてあれだけど、クソどうでもいい事情だったよ」
こんな事情で殺されたら、死んでも死にきれない。
屋久も、多分石杖さやかも。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.41 )
- 日時: 2015/12/07 20:44
- 名前: 之ノ乃 (ID: uRukbLsD)
僕の言葉に顔を真っ赤にして何事かを叫ぶ陣城。笑み限定じゃなかったけど、僕はやっぱり誰かの顔を完熟トマトの様にする能力を備えている様だった。
それにしても損したな。陣城から事情を聞くためにこの家で待っていたのに。こんなんだったらさっさと帰って小説でも読んでいればよかった。
「ここにお前がいるって事は、もう警察は呼んでいるのか?」
あ。
警察呼ぶの忘れてた。
「さぁ、想像に任せるよ」
そんな事はおくびにも出さず、僕はハッタリをかます。効果があったのかなかったのか、眉を顰めっぱなしの陣城からは判断できない。ギリギリセーフだろうか。
しかし、暇な時間の間に警察を呼べばよかったな。頭の中からすっかり抜け落ちてたぜ。僕としたことが、こんな失敗をしてしまうとは。まあ、こんな失敗は日常茶飯事過ぎるんだけどね。
「僕はまだ、屋久の肉を食べ尽くしてないんだよ」
酔っ払っているみたいに、陣城は顔を赤くしたままそう言う。体をブルブルと震わせている。携帯のバイブみたいだな。
「誰にも、邪魔される訳にはいかないんだよ。お前なんかに。僕の愛を邪魔されてたまるか」
「…………」
そうだ、と名案を思い付いたように陣城は頷く。酔っ払っているかのように上擦ったその声に、僕は僅かに陣城から距離を取る。
「今、お前を殺せば間に合うかもしれない。どうにかして誤魔化す事が出来るかもしれない。そうだ、そうだ。きっとそうだ。そうしよう。お前をズタズタに殺そう。死体はバラバラにして、近所の犬にでも食わせてやろう」
僕の肉なんか食べたら、その犬死にそうだな。
「まだ大丈夫だ。大丈夫、大丈夫。屋久の肉を喰らい尽くすくらいの時間は残ってる」
警察の捜査状況は知らないけど、実は通報してないからまだ結構余裕あるんだよ。教えてやらないけど。
一人でコクコクと頷いた後、陣城は制服のポケットに手を突っ込んだ。そして手を取り出すと、折りたたみナイフが握られていた。陣城の手の中で刃が鈍い光を放つ。
「僕からの連絡が途絶えたら、お前を即逮捕して貰うように後輩に頼んである。僕を殺しても無駄だぞ」
嘘です。舎仁には首を突っ込むなと釘を刺しているから、あいつがどうこうすることはない。頼んでいたら言うこと聞いてくれたかもしれないけど。
今度のハッタリは利かなかったようで、陣城はジリジリと距離を詰めてくる。目がギラギラと異様に輝いていて、何だかやばい。
「ッ!」
ナイフを前に構えて、陣城が突進してきた。幸いにもこの家は広かったので、横に飛び退くスペースがあった。間一髪の所で攻撃を回避する。背中から壁に激突するけど、今はその衝撃を気にしている暇はない。
というか、こいつの前に姿を表したら戦闘が開始されることくらい分かっていたのに、何で僕はなんの対策も取っていなかったんだ。考えなしの行動のツケが今、ナイフを構えて僕に向かってきている。
「くっ」
ナイフが右肩をかすった。制服を切り裂き、その下の肌に線を引く。傷口から血がジワリとにじみ出てくる。
「おい陣城、今僕を殺したら屋久と同じあの世に行っちゃうんだぜ。いいのかよ」
「残念だったな、久次。屋久はあの世に行ってない。屋久は今、僕の体の一部になってるんだよ。つまり、僕が屋久なんだよ」
何を言っているんだこいつは。
「やっぱりお前、尋常じゃねえよ」
「お前にだけは言われたくないな久次」
「まあね」
「それに僕は陣城、だっ!」
そう叫ぶと、三度目の陣城の攻撃。首を狙った攻撃だったけど、僅かにそれて肩が切り裂かれた。ナイフを突き出している一瞬を狙って蹴りを繰り出すけど、軽々と躱された。
陣城に背を向けないようにしながら、突っ込んでくるタイミングを合わせて回避しているけど、それも限界が近い。無理な体勢で飛んだり跳ねたりしているから足首をぐねったし、壁際に追い込まれてしまった。
「はぁ…はぁ……」
勝利を確信して、にじり寄ってくる陣城。次の攻撃はもう躱せない。ぐねったせいで右足に力が入りづらいし、何より回避するスペースがない。
危機一髪。
窮途末路。
絶体絶命。
僕の状況をざっと並べてみたけど、絶体絶命が一番相応しい気がする。どれでもいいし、どうでもいいんだけど。いつもの如く現実逃避している暇はなさそうだ。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.42 )
- 日時: 2015/12/09 00:43
- 名前: 之ノ乃 (ID: uRukbLsD)
「そろそろ諦めろよ、久次」
陣城は勿体ぶるように、一歩一歩ゆっくり近付いてくる。それは確実に僕を殺せるという余裕があるからか、それとも僕に恐怖を感じさせようとしているのか。どちらにしろ、僕が絶体絶命の状況にあるのは変わりないが。
それにしても、諦めろ、か。
今更だけど、何で僕はまだ生きようとしているんだろう。いつも疑問に思っていた。何で僕は生きているんだろうって。お前なんか、死んだほうがいいんじゃないか、って。それなのにどうして、僕は僕を殺そうとしてくれる陣城の攻撃を回避してしまっているのだろうか。
そう考えると、何だか全身から力が抜けた。強張っていた筋肉が伸びる。
「諦めたみたいだな」
諦める。生きる事を、生存しようとする事を諦める。まるで肩の荷が下りたような気分だった。
「なぁ、陣城」
死ぬ前に、聞いてみたいことが会った。
「生きている意味ってなんだ?」
「生きている意味? お前にはもうないだろうけど、僕には屋久の肉を食べることが、今生きている意味だよ」
なるほど。そういう考え方もあったんだな。
「じゃあ、もう死ねよ」
ナイフを構えた陣城が突進してくる。
ナイフが僕の体に突き刺さるまであと一秒程度。やけに時間の経過が遅く感じた。走ってくる陣城の動きがスローモーションの様に見える。
これで終わる。
僕は死ぬ。
僕が死んでもきっと世界は何も変わらないだろう。
心が死んでも、世界は何も変わらなかった。
屋久が死んでも、世界は変わらなかった。
だから、僕が死んでも何も変わらない。
だから、死んでも構わない。
ああでも、もしかしたら、祖父と祖母と舎仁と岩瀬さん(仮)は悲しんでくれるかもしれない。
もしそうだったら。
僕は嬉しい、のかもしれない。
屋久は僕が死んだら、どう思うだろう。
「 」
誰かが何かを叫んだ。
叫んだのが自分だと、遅れて気付いた。
次の瞬間、僕の右手にナイフが突き刺さった。肉を突き破って刃が手の裏から突き出る。刺された瞬間は焼けるような痛みが走った。次の瞬間には、肉の中に氷を入れられていると錯覚するぐらいの冷たさを感じた。これが刺されるということか。
「お前……」
陣城がナイフを引き抜こうとする。僕はナイフが刺さったまま、陣城の腕を掴んだ。溢れ出る血で滑りそうだ。
「悪いな、陣城。もう少しだけ、生きてやりたいことがあったんだ」
僕はまだ、屋久の葬式に出ていないから。もう少しだけ生きていたいんだ。
「ふざけ」
陣城が叫ぶよりも早く、左手をチョキの形にして陣城の眼球に突き刺した。ツルンとした感触。
陣城はナイフから手を離し、目を押さえてよろめいた。僕はナイフを右手から抜いて、地面に放り捨てる。傷口から血が滝みたいに溢れ出てきた。僕は気にせずに、まだ目を押さえている陣城にタックルした。
肩が陣城の腹に減り込む。「ぎゃ」と悲鳴を上げて地面にぶっ倒れる陣城。僕は倒れた陣城の上に馬乗りになって、目を押さえている手を強引に引き剥がす。そして、あらわになった陣城の顔面を殴りつけた。
両手で、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
何度も何度も殴りつけた。
その度に血が陣城の顔面を赤く染め上げていく。完熟トマト以上に赤くなれ。もっと赤く染め上げろ。
「僕はまだ、死なない」
- Re: 空の心は傷付かない ( No.43 )
- 日時: 2015/12/12 02:09
- 名前: 之ノ乃 (ID: uRukbLsD)
気付いたら、顔を血でグチャグチャにして、陣城は気絶していた。涙とか涎とか鼻水とかが混ざってとんでもないことになっている。殴っていた僕の両手も酷い有様だ。特に右手は傷口から溢れでている血の量がとんでもない。これはまずいんじゃないか。
僕は立ち上がって洗面所へ向かう。両手の血を洗い流して、勝手にタオルを拝借する。右手をタオルできつく縛って止血を試みた。白かったタオルがあっという間に赤くなる。
それから僕はスマホで警察に電話を掛けた。何て説明していいのか分からなかったので、取り敢えずナイフで襲われた事と、誰かのバラバラ死体が冷凍保存されていた、という事を報告しておいた。電話相手はバラバラ死体という単語にギョっとしている様だった。すぐにこちらに来るので、君はその場に留まっていて欲しいと言われた。
「……ふう」
電話終了。
鍵を盗んで陣城の家に忍び込んだことを言ったら怒られそうだな。祖父母にも連絡が行くだろうし、この後も色々大変そうだ。
「返すよ」
盗んだ鍵を適当な場所に放り投げる。
それから僕は冷蔵庫に向かった。冷蔵庫の二段目は冷凍庫になっていて、そこに屋久の死体がバラバラになって入っている。
手とか足とか胸とか腹とか、色々な部位が中に入っている。これだけだと誰の物かは判断がつかなさそうだ。
あった。
冷凍庫の奥の方に、スイカくらいの大きさの物が転がっていた。
屋久の首だった。
いつものポニーテールじゃなくて、髪は解いてある状態だった。凍りついて白くなっている。
表情はなかった。両目と口は閉じられていた。だから、死ぬ瞬間に屋久がどんな感情を抱いていたのかは知ることが出来ない。
陣城が尋常じゃない事には気付いていた。なのに僕は、お前を陣城から守る事が出来なかった。あの時、強引にでも着いていっていれば、お前は殺されなかったのにね。
「お前は僕を恨んでいるか?」
返事はない。
当たり前だ。死んだ人間は喋れない。
「ごめん」
僕はまだ死なない。お前の魂を喰らって、また生きながらえた。
頬を温かい何かが伝ったような気がした。
- Re: 空の心は傷付かない ( No.44 )
- 日時: 2015/12/15 03:59
- 名前: 之ノ乃 (ID: uRukbLsD)
エピローグ しろいそら
あの後は本当に色々面倒だった。
病院に行って治療やら検査を受けたり、警察の人に色々聞かれたり、答えたら説教を喰らったり、やってきた祖父母に説教を喰らったり、担任教師とか校長先生にも説教を喰らったり。
屋久の母親に、色々な事を言われたり。大きな声で罵られた。何度も何度も。僕は何も言わなかった。ただ、それを聞いていた。冷静になった屋久の母親には後から謝られた。それから「ありがとう」と礼を言われた。
礼を言われる事なんて、何もしていないのに。
右手が結構酷い事になっていた様で、医者にも怒られたな。だけどあの時はああしてなかったから死んでたんだし、そこは多目に見て欲しかった。手術をするのは初めてだったからどんな物かと思ったけど、特に大したことはなかった。麻酔のせいで何も感じなかったし、ただ医者達の声を聞いているだけで終わった。
右手の握力は多少落ちるらしい。何の運動もしていなくて良かった。帰宅部たる僕の帰宅に多少影響は出るかもしれないけど。まあどうでもいいや。
そしてしばらく念の為に入院しろと言われて、何日か入院生活を強いられてしまった。お見舞いにやってきた岩瀬さん(仮)がフルーツの詰め合わせを置いていったり、お見舞いにやってきた舎仁にそれを全て食われたりと色々あって、そこまで退屈はしなかったけど。
休んでいる間、学校の単位がどうなるのだろうと疑問に思っていたけど、何だか学校側が配慮してくれて『公式欠席』みたいなのになるらしい。つまり単位の心配はしなくていいんだって。ありがたい。留年とかしたら舎仁と同級生になってしまうからな。それだけは避けたい。同級生になったら舎仁が僕をなんて呼ぶのかは少し興味があるけど。
陣城と言えば、「屋久を食わせろ」と大暴れして警察の方々に迷惑を掛けたらしい。僕にボコボコに殴られた後だというのに、そんなに元気があるなんてな。びっくりだよ。
冷凍保存されていた屋久の死体は無事回収された。僕が警察を呼んでから十分と経たずにやってきた警察の方々だけど、バラバラ死体を見て顔を青ざめていたなあ。死体は見慣れていると思ったんだけど、やっぱりあの光景は尋常じゃなかったんだな。心中お察し……出来たらいいのに。
陣城は当然退学で、精神鑑定とか何か色々とあるみたいだけど、まあどうでもいいから適当に聞き流しておいた。後は僕と関係ない所で自由に生きてくれ。
それから数日後、屋久の葬式が行われた。
葬式には屋久のクラスメイトとか、部活の先輩とか、かなりの人数が集まっていた。僕を殴った先輩方も当然来ていたけど、何も言われなかった。
死体はとてもお見せできない状態だったので、棺の中は未公開だった。陣城に食われて足りない部分もたくさんあったらしいし、見たらその場の人に一生モンのトラウマを植え付けそうだな。
声を上げて皆が泣いている中で、泣いていないのは僕と舎仁と屋久の遺影だけだった。遺影の屋久の写真はポニーテールで、解いた状態の方があいつには似合うのにな、と思った。
泣くこともせず、ただ無表情で参加している僕と舎仁は他の人から見て、異様に映っただろうな。僕はとにかく、舎仁は屋久と大して関係なかったし、泣けなくて当然かもしれないが。その場の雰囲気に流されて涙を流すような奴でもないしな、こいつは。
……涙を流している人達が少しだけ、羨ましいと感じた様な気がした。
なんて。
本当はどうでもいいけど。
そして、火葬が行われて、屋久は骨だけになった。
全てが終わって、皆は屋久の母親に会釈して帰っていく。その時、僕の番になった時に「終音は貴方の事が好きだったの」と言われた。「貴方に見つけて貰えて、多分嬉しかったと思うわ」とも言われた。
僕は何て返していいのか分からなくて、ただ黙って会釈をして、家に帰った。
何となく、妹の葬式の事を思い出した。あの時は僕の身内だったから、皆が僕に何か声を掛けていたような覚えがある。内容は覚えてないけどね。あの何とも言えない、静かな雰囲気を思い出した。屋久は人気者だったみたいだから、妹より来てくれた人は多かったけどね。
僕の葬式には誰が来てくれるのかな。
空はどんよりと曇っていて、白かった。空を見上げながら、そんな事を考えた。
これでもう、僕は永遠に屋久に会うことはない。
これが別れだ。
永遠の別れ。
屋久の葬式が終わった今、僕の生きる理由はなくなってしまったけど、もう少しだけ生きていこうかな、と思った。
心や屋久、色々な人の魂を喰らって、僕はまだ生きている。
ばいばい、屋久。
今度お墓参りしにいくよ。
手ぶらでは何だから、花でも持って行こうかな。
お前だったら、花よりも食べ物の方が喜びそうだけど。
「……じゃあね」
- Re: 空の心は傷付かない ( No.45 )
- 日時: 2015/12/18 22:50
- 名前: 之ノ乃 (ID: uRukbLsD)
それから更に数日後。
僕は舎仁と二人でショッピングモールに買い物に来ていた。
服とか帽子とかアクセサリーとか色々と欲しい物があるから、先輩も付き合ってください、と僕の都合を完全無視したメールが送られてきて、暇だったし、特に断る理由がなかった僕がそれに付き合ったという形だ。
舎仁は試着室で、まるでファッションショーをしているかのように何着も試着していた。店員さんが舎仁に何か言おうとしていたけど、その度に「これ買おうかなーどうですかー先輩」と棒読みで言ってたな。
着替え終わると、胸を張りながら「どうですか」と言ってくるんだけど、その時に胸のなさが強調されてちょっと滑稽だった。それを舎仁に指摘した所、「屠殺するぞ!」とマジギレしてきてやばかった。その後、僕がトイレに行って、こっそり戻ってきたら一人で椅子に座りながら自分の胸を凝視していてやばかった。
結局何も買わなかった舎仁と服屋を出てから、僕達はグルメ街という色々な店が並んでいるコーナーにやってきて、舎仁の希望によりピザやパスタが食べ放題の店に入った。
席に熱せられた鉄板が置いてあり、それでピザを温める事が出来る。バイキング形式だから置いてあるピザは徐々に冷たくなっていくからな。鉄板で温かくして食べられる、というのは面白い発想だと思った。
「へぇ……そんな事があったんですねぇ」
舎仁は自分の持ってきた分のピザを温め、コーヒーを啜りながらそう言った。彼女の向かいに座っている僕は、左手でパスタをフォークに巻いて、一口で食べる。カルボナーラだ。上に掛かっているホワイトソースが濃厚で美味しい。胡椒がピリッと聞いているのもいい。具の厚切りのベーコンはジューシーで、ホワイトソースがよくあっている。
「大変でしたね、先輩。ボコボコに殴られたと思ったら、今度は右手をナイフで刺されるなんて。そんな経験、滅多に出来ませんよ」
「こんな経験はしたくなかったよ」
左手でご飯を食べるのにも、大分慣れてしまった。右手にはまだ包帯が巻かれていて、しばらくは使うことが出来ない。色々不便だよと舎仁に愚痴ったら「私がお世話してあげましょう先輩、あーん」とかしてきたのでもう愚痴らない。
後、岩瀬さん(仮)にも同じことされた。前にマンションの位置を教えたから、あいつも僕の家に来たんだよな。カレーを作りすぎちゃったとかで、僕にお裾分けに来たらしい。メインはお見舞いだと言ってたけど。その時に「右手が使えないと不便……だよね?」って聞かれたから、「そうだね」と答えたら、「じゃ、じゃあ、私が……その、色々手伝いましょうか?」とか言ってきた。何を手伝ってくれるんだろうと疑問に思いながらも断っておいた。何だか残念そうな顔をしていた気がするけど、気のせいだと思いたい。「また来ますね」という言葉を残して去っていった岩瀬さん(仮)だけど、今度は何をしにくるんだろう。
あ、カレーは納豆カレーにして食べました。屋久のカレーよりも甘かったな。
「そういえば舎仁。お前、陣城が犯人だって気付いてただろ」
「気付いていたというか、前にも言いましたが勘ですよ。陣城先輩が先輩の側にいるのを見た時に、何となく『この人は先輩と同じで頭がどっかおかしいんだろうな』って思いまして。それで調べてみたところ、まあ七年前の事件に行き当たったと言うわけです」
前にこいつと話した時に七年前の事件について知っていますか、と聞いてきたのは僕への忠告のつもりだったらしい。その時にはすでに僕も陣城について粗方調べ終わっていたんだけどね。
「屋久先輩が行方不明になったって聞いた時、最初は遂に先輩が殺したのかって思いましたけどね」
「…………」
「先輩の雰囲気から違うなーって思って、だとしたら後は陣城先輩くらいかな、と思いました」
舎仁は陣城と全く関わっていないのに、勘だけであいつが犯人だと気付いていた。やっぱりこいつの勘は普通じゃないな。
「ま、乙女の勘という奴ですよ」
「乙女というよりは、異常者の勘って奴だろ」
こいつも僕と同じで、過去に人を殺している。殺人者なのだ。異常な人間に対して勘が働くのも頷ける。
舎仁は目を細めて笑うと、「失礼ですねー」と頬を膨らませる。
それから温め終わったピザを手にとって、美味しそうに頬張る。屋久や岩瀬さん(仮)は少食だったけど、こいつは僕よりも多く食べる。カロリー摂取を控えている屋久と岩瀬さん(仮)の方が胸が大きくて、カロリーを多く摂取しているこいつの胸が小さいのは何故だろうな。本人に聞いたら怒りそうだから言わないけど。
「それにしても、これで一気に先輩の周りから人がいなくなってしまいましたね」
と、舎仁は次のピザに手を伸ばしながら言ってくる。
「元々、僕の周りに人なんて殆どいなかったし、こっちの方が普通だよ」
「そうですか」
ほんの数ヶ月の間、友人と接していた陣城。
だけで結局、あいつが僕の友人になったのは、屋久に近付く為だった。屋久と仲の良い僕に近付けば、屋久にも近付けると思っていたらしい。
「『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』っていうやつですね」
僕が持ってきたピザに手を伸ばしながら、舎仁がそう言う。
結局、あいつは僕に対してこれっぽっちの友情も持っていなかった様だ。友情なんて物、僕だって感じた事はなかったけどね。
「まあ、そんな事どうでもいいじゃないですか」
もう終わった事なんですし。
そうだね。もう終わった事だ。
全部終わった。
幕は下りた。
終幕。
「それに先輩には私がいますから、そんなに気にしなくていいんじゃないですか」
「…………。そうだな。僕にはお前がいる」
「ふぇっ!?」
あと、岩瀬さん(仮)も。
祖父も祖母もいる。
屋久はもう居なくなったけど、まだ僕の周りには人がいる。屋久が居なくなっても、世界は何も変わらなかった。だけどほんの少しだけ、僕は変わったのかもしれない。自分の周りに誰が居るかなんて、気にした事はなかったから。
誰が死んでも世界は変わらない。
だけど、誰かに変化はあるかもしれない。
心が死んだ時、僕が空っぽになったように。
屋久が死んで、周りにいる人間に気付いたように。
彼、彼女達の魂の喰らって、僕がまだ生きているように。
心がいたから。
屋久がいたから。
彼、彼女がいたから。
僕はまだ生きていくことが出来る。
僕はあの夜、屋久を呼び止めて言った言葉を思い出した。
僕が気まぐれに掛けた、あの言葉を。
屋久が生きている間に、言うことが出来てよかった。
それを僕は、小さく口にした。
「ありがとう」
- Re: 空の心は傷付かない【12/18 完結】 ( No.46 )
- 日時: 2015/12/21 02:24
- 名前: 之ノ乃 (ID: uRukbLsD)
—ネタバレ注意—
登場人物紹介 『バラして晒す』
・久次空(ひさつぎ くう)
主人公。
物事に対して『どうでもいい』としか感じられない『空』の少年。
幼い頃から母から虐待を受けており、その頃はまだ『空』ではなかった。
『空』になったのは、虐待に耐えかねた妹を救うために、自らの手に掛けたからである。
屋久が殺されたことで『空』だと思い込んでいた心が動き、動揺する。
そのため、屋久を殺した犯人の対処へ動き出した。
・屋久終音(やく ついね)
ヒロイン兼幼馴染。
妹を殺したことで空っぽになってしまった空に甲斐甲斐しく世話を焼く。
空に好意を抱いている。
食人鬼に目を付けられ、物語の中盤でその『役を終えた』。
・陣城(じんじょう)
友人兼食人鬼。
愛した者に対して食欲を抱いてしまう、『尋常』ではない少年。
過去に石杖さやかという幼馴染を喰らっている。
一人称は『僕』。
・舎陣札(しゃじん さつ)
空の後輩。
過去に人を殺した経験を持つ『殺人者』。
陣城を見ただけで異常者と見抜いており、本人曰く『乙女の勘』。
空に好意を抱いており、時折家に上がり、空のベッドに潜り込んでいる。
『◯殺しますよ』が口癖。
・岩瀬さん(仮)
本名不明の同級生。
飄々とした空に憧れを抱いており、いじめから助けられたことで好意を抱くようになる。
陣城との一件で怪我をした空の面倒を見ている。
空に「岩瀬さん」と呼ばれた時の反応から、岩瀬という苗字は空の覚え間違い。
・石杖さやか(いしずえ さやか)
陣城の幼馴染。
屋久に似たポニーテールの少女。
陣城が最初に好意を抱いた相手で、また最初に食べられた相手でもある。
乾きに飢えていた陣城を潤し、彼の『礎』となった。
・久次心(ひさつぎ こころ)
空の妹。
兄と同じように母から虐待から受けており、幼くして世界に絶望する。
『生きているから痛くて苦しくて辛いんだ』という考えに至り、空に自分を殺すように頼み込む。
空の『心』を殺した原因。
- Re: 空の心は傷付かない【12/18 完結】 ( No.47 )
- 日時: 2015/12/24 20:31
- 名前: 之ノ乃 (ID: uRukbLsD)
後語り
どうも、空の心は傷付かないを執筆しました之ノ乃(ノノノ)と申します。
ここまで物語にお付き合いしてくださった方、ありがとうございました。
これにて、ひとまずは空の心は傷付かないは完結となります。
プロローグからいきなり食人描写と、かなりぶっ飛んだ話になりましたが、グロが苦手だった方、申し訳ないです。
ヒロインがサクッと死んだり、頭の中が食人しかない奴とか色々アレな展開でしたが、書いていて最高に楽しかったです。
この作品、途中から叙述トリック……といいますか、キャラの入れ替わりが起こっております。
◇の時は久次空、◆の時は陣城の描写です。
違和感がないように時系列をあわせたり、空に思わせぶりなことを言ったりしましたが、読んでいて気付いたでしょうか?
誰が誰か分かってから読み返すとまた面白いかもしれません。
この話、実は過去にカキコのシリアス大賞を取った物語のリメイクとなっております。
といっても、前の話は削除申請して管理人様に消してもらったので、今はもう記録に残っていないのですが。
今回は屋久と空と陣城に視点を置いた物語でしたが、乙女殺人者の舎陣札や、岩瀬さん(仮)を主軸に置いた物語なんかも構想にあります。
同時並行で書いている物語が三つくらいあるので、手を付けられるかは分かりませんが……。
ともあれ、ここまでお付き合い頂きありがとうございました!
それでは失礼します。