複雑・ファジー小説

Re: 空の心は傷付かない ( No.38 )
日時: 2015/12/02 01:34
名前: 之ノ乃 (ID: uRukbLsD)

 ◆
 
 恋愛感情と食欲は似ている。
 愛する人を抱きしめて自分で包み込みたいという欲求と、愛する人の肉を喰い千切って自分の中に取り込みたいという欲求。
 この二つはとても良く似ていると思わないかい?
 しいて違う点を上げるのならば、恋愛感情よりも食欲の方が上に位置している、という点だろう。

 僕が最初に人間に対して食欲を覚えたのは、もうかなり前の事だ。
 自分は空っぽで、常に渇いていて、何をしても満たされない。そんな苦しみに耐えながら生きてきた僕の隣には、常にある少女がいた。最初は彼女の事なんて何とも思っていなかったけど、次第に彼女の事が気になる自分が居ることに気が付いた。

 最初は恋愛感情だと思っていた。こんな僕にも、恋愛感情なんてものがあったんだと、当時は驚いたものだ。
 僕と彼女はたくさん遊んだ。今でも確信は持てないけど、多分彼女は僕に恋心を抱いていたんだと思う。何となく、そんな事が分かるようになった頃には、僕は自分の感情が恋愛感情以上の物だということに気付いていた。

 それが食欲だ。
 彼女の肉を貪り、眼球を舌で転がし、血を啜りたい。
 そんな欲求が、徐々に強まっていくのを僕は感じた。
 人を食べるなんていけないことなんだと、最初の内は自分を抑えていたれた。だけど僕は気付いたんだ。人を食べてはいけないなんていう常識に、一体何の意味があるの言うのか、と。

 常識? ルール? 決まり事? 規則? 法律? 憲法? 
 そんな物で、何故僕の『愛』が縛られなければならない?
 その考えに至った時、全身がフッと軽くなるのを感じた。体を縛り付けていた常識とかそういった物が解けたのだ。

 僕の頭が完全にどうにかなったのは、恐らくその瞬間だったのだろう。
 それから僕は、どうやって彼女を喰らってやろうかと考えた。誰にも邪魔されず、肉の欠片まで喰らい尽くすにはどうしたらいいだろかと考えた。

 考えに考えた末に、僕は誰にもバレる事なく彼女を殺し、そしてその肉を喰らい尽くす事に成功した。
 彼女が僕の一部になっていく。
 僕と彼女が一つになっていく。
 本当の意味で彼女と分かり合えた。
 僕の空っぽだった器が、心の渇きが満たされていく。

「あぁ……美味かったなぁ」

 思い出すだけで唾液が溢れてくる。
 それから数年の間、本当に幸せだった。全てが満ち満ちていた。渇きを覚える事もなく、生きてこられた。
 だけど高校に入って二、三ヶ月、再び僕はどうしようもない渇きに襲われた。満たされていた筈の心が空になってしまっていた。誰かを愛したい。誰かを喰らいたい。そんな欲求が湧き上がってきた。
 そこで目を付けたのが、屋久だったのだ。

 屋久終音。
 美人で、可愛くて、優しくて、気が利いて、頭が良くて、運動が出来て、料理が出来て、友達が多くて。
 何より、最初に食べたあの少女によく似ていたんだ。
 一度彼女に食欲が湧いてしまえば、もうそこからはどうやって彼女を喰らってやろうか、という事しか頭に思い浮かばなかった。どんなに美味しい料理を食べていても、思い浮かぶのは彼女の顔だ。
 屋久の肉はどのくらいの固さなのだろうか。どの部位が一番美味しいだろう。どんな風に料理したら美味しいだろう。どんな焼き方をするのが一番美味しく食べられるだろうか。処理にどれくらいの時間が掛かるだろうか。屋久の肉を喰らった時、僕の心はどのくらい満たされるのだろう。あいつと屋久はどっちが美味いだろうか。
 屋久はどんな味がするんだろうか。

 あの頃は、お預けを喰らっている様で辛かったけど、同時に楽しかった。どうしたらバレずにあいつを殺せるだろうとか、家に呼んで殺した方がいいだろうかとか、色々な事を考えた。結局は計画とか頭から吹っ飛んで、強引な手段を使って殺してしまったけどね。二回目とはいえ、やはり食材を調達する瞬間は緊張するものだ。現実、中々想像通りには行かないものだよね。最初の一回が上手く行っただけに油断していたよ。

 最初の時は全く邪魔が入らなかったけど、今回は邪魔な奴が居たしな。名前を忘れたあいつ。あいつのせいで計画がかなり狂った。まあ、僕が屋久を喰らってからはかなり落ち込んでいたから、チャラにしてやろう。心が満たされている僕なら、多少の同情を覚えないでもないからな。

 ま、何はともあれ、色々と成功して良かった。願わくばこのまま警察にバレないといいんだけどなぁ。屋久の肉を食べきるのにもう少し時間が掛かるから、その間に捕まるとかあるかもしれない。
 うーん……。

 それはどうしても避けたいな。せっかく手に入れたのに食べられないなんて、僕にとっては拷問に等しい。

「明日が学校休むかな」

 そうしよう。
 熱が出たとか、風邪をひいたとか適当な理由を付けて学校を休んで、屋久の肉を食べるペースを早めよう。残りの量によっては追加でもう一日休むのもありかもしれない。屋久が行方不明になってから少し時間も経ったし、二日休むくらいだったら怪しまれるような事もないだろう。三日は流石に休み過ぎかな。あんまり休み過ぎると授業についていけなくなるしね。と思ったけど、元々あんまりついていけてなかった。
 そうと決まれば、今日からは肉パーティだ。屋久の料理を美味しく食べていこう。

 よし、コンソメとかカレールーとかシチューのルーとか、あらかじめ料理用に色々と買い込んでいるから買い物に行く必要はないな。
 今日の夕飯は屋久の胸肉。

 明日は何を食べようかな。悩む。
 サンチェがあるから、焼き肉のタレで焼いてからサンチェで包んで食べるのもありかもしれない。ヘルシーだし、朝食にはいいかもしれない。
 ああ、想像したらますますお腹が減ってきた。


「やっと着いた……」

 学校から三十分ほど掛けて、ようやく家に到着した。
 三十分がかなり長く感じたよ。
 夏だから三十分自転車を漕ぐだけでもかなり汗をかくな。帰ったら屋久を料理するよりも先に風呂に入って汗を流した方がいいかもしれない。

 車の止まっていない駐車場の中で自転車を降りて駆け足で玄関へ向かう。ポケットから鍵を取り出して、鍵穴へ差し込む。
「そういえば、あの鍵結局どこ行ったんだろう」
 今使っている鍵は合鍵だ。最初に使っていた鍵はどこかになくしてしまった。落とした、なんてことはないと思うんだけどな。ちゃんと鞄の中に入れておいたのに。チャックも閉めておいたし、落ちるわけがないんだが。
 ガチャリ。
 鍵が音を立てて開いた。
 中はひんやりとした空気が漂っており、夏だというのに涼しく感じる。

「外もこれくらい涼しければいいのにな」

 独り言を呟いて、廊下を歩いて行く。
 現在、この家を使用しているのは僕だけだ。元々は父や母、弟も居たんだけど、父が台湾の方に転勤することになって、僕だけが家に取り残された。まあ多分、家族は薄っすらと僕の異常性に気が付いて居たんじゃないだろうか。僕を腫れ物みたいに扱っていたし、少し怯えていたようにも見えた。

 だから、現在家には誰も居ない。
 誰もいない筈なのに、背後から物音が聞こえて、振り返った瞬間に僕の右頬に何かが叩きこまれた。

 なにが、起きている?

 後ろに大きく仰け反って、倒れそうになる。危うい所でバランスを取って転倒することだけは耐えられた、と思ったのも束の間、今度は鼻っ柱に何かが激突した。

 火花が散るっていうのはこういう感覚なんだろうか。
 鼻の骨がぶつかってきた固いものにゴリッと嫌な音を立てる。
 視界が点滅して、頭の中が真っ白になる。
 今度はバランスを取ることが出来なくて、後ろに思いっ切り倒れた。壁に頭から激突する。呼吸が止まるほどの衝撃。一瞬だけだけど、意識が完全に消失する。

 すぐに復旧。
 しばらくの間、体に力が入らない。
 何かがぶつかった頬と鼻がジンジンと熱を放っている。後頭部はぶつけた瞬間はかなり痛かったけど、今は鈍い鈍痛程度だ。
 あぁ、鈍い鈍痛って意味が重複している。

 頭がボーっとしているせいで、思考が上手くまとまらない。
 十秒ほど掛けて、ようやく意識が安定してきた。青や赤や黒や白に点滅していた視界もある程度クリアになった。

 この間、僕に攻撃をしてきた何者かは手を出してこなかった。ただすぐ近くで僕の事を見下ろしている気配を感じる。

「だ……誰だ」

 頭を抑え、壁にもたれ掛かりながら僕は上を見上げる。
 そこに立っていた奴を見て、僕は呼吸が止まった。

「やあ」

 そいつは僕の事を見下ろして、無表情のまま手を上げた。
 そこで僕は自分が何をされたのかに気が付いた。
 殴られたのだ。こいつに。
 そいつは死んだ魚の様な目で僕を見ながら言った。

「なんで……なんでお前がここにいるんだよ」
 
  訳が分からなかった。
 なんでよりにもよってこいつが、僕の家に居るんだよ。

 だって、お前は。
 熱が出たからって、今日学校を早退したじゃないか。
 顔を見て、ようやく名前を思い出した。

 こいつの名前は————。

 


 久次空。



「——屋久の肉は美味かったかよ、陣城」