複雑・ファジー小説

Re: 失意のセレナーデ ( No.1 )
日時: 2018/03/18 17:35
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: XM3a0L/1)

 ■失意のセレナーデ



 私の初恋は、きっともう叶うことはない。中学二年生の冬、修学旅行が終わり、楽しい思い出を語る同窓生たちの声を聴きながらそう思った。そもそも私は初恋をしていたのだろうか。憧れていただけだったような気もする。その憧れを、きっと私の前に立つ夕莉ちゃんは、好意だと勘違いしてしまっているんだ。
 もうすぐ下校のチャイムが鳴る。乾燥した冷たい風が厳しさを増してくる頃だ。この学校で生活をしてから、何にも挫けないと決めた意志は固く、どんなにひどい目にあっても早く帰りたいなとしか考えれなかった。目の前の光景も、今の私の惨状も、気づいているのに気づかないふりをしているのだから。心が、動かない。

 このまま怖さで泣いてしまったら、夕莉ちゃんは許してくれるだろうか。奏くんと何も話さないことを誓えば、許してくれるのかもしれない。いっそ謝ろうかと考えたけれど、一体私は何に謝ったらいいのか、分からなかった。私が奏くんと話していたことがだめだったのか。それとも、友達としての好意を持ってしまうこと自体が謝るべきことなのかもしれない。けれど、どうして好意を持ったらいけないのか、私には分からなかった。

「ねえちょっと。いい加減にしてくんない?」

 夕莉ちゃんが大きな声を出す。彼女が話すたびに全身の血液が足先に集まっていく感覚がして、自然と彼女を見る表情に力がこもってしまう。じんわりと頭の先がしびれていくような感覚と共に、腿に載せていた手が震えていた。

「あんたのせいで奏くんと全然話せないんだけど、あんただけのものじゃないのに独り占めしてんじゃねーよ!」

 私が普段使っている机を、力強く夕莉ちゃんが叩く。肩がはねた。私を睨みつける夕莉ちゃんと目が合う。頭全体が痺れてしまったように、何も考えがまとまらない。何か言ったらどうなのよ。そう強く言われ、何も考えられなくなる。

「私、夕莉ちゃんに、何かしたっけ……」

 目を離さずに、尋ねる。夕莉ちゃんの奥にぼやける蛍光灯の眩しさか、恐怖か、声が震えた。意地を張ったような声だと言ってから思った。

「奏くんと二度と話さないでっていってんの! 出来ないなら明日から学校来ないでよ! メーワクなんだけど!」

 もう一度机を叩かれ、心臓が強く締め付けられる感覚がした。

「——さい、うるさい!」

 黙って、お願いだから。何も言わないでほしい。私が強く当たってしまっていることも、夕莉ちゃんのせいで汚れてしまったなにもかもを、誰にも言わないでほしいと思った。

「夕莉ちゃんは自分から奏くんのところいったことないじゃん! えらっそうにいっつも私に文句ばっかり言ってこないでよ! 私の気持ちだって知らないくせに勝手なこと言わないで!」

 強く脈打つ心臓が痛い。必死に自分を落ち着かせようと深呼吸を努力してみても、しっかり酸素が入ってこなかった。逃げたくて、気持ち悪くて、涙があふれる前に大きく息を吸う。

「夕莉ちゃんの怒ってることを私のせいにしないでよ! だいっきらい!」

 埃で粉っぽくなった鞄を机の横から引ったくり、急いで教室から出る。廊下はすっかり冷えてしまっていて、終業後からコートを着ていてよかったという気持ちが浮かんできたような気がする。夕莉ちゃんへ強く当たってしまったことや、それ以外の様々なことで、胸の奥がぽっかりと空いてしまった感覚がした。
 涙は溢れるし、鼻水は止まらない。何が悲しいわけでも、辛いわけでもなかった。スピーカーから流れる下校を知らせるメロディが、気持ち悪さを伴った遣る瀬無さに沁みこんでくるような感覚がした。

 コートの袖口で目元をごしごしと擦りながら、玄関を飛び出し家を目指す。頭のてっぺんを手でほろえば、ぱらぱらと手にくっつきながら、ホコリやチリが落ちた。指先に絡まった誰のとも分からない髪の毛や大きなホコリをはたいて落とすが、その行動自体が可哀想な自分を演じているようで、涙がまた、じわりと溢れる。
 中央に一本だけ用意された柱の最上部から、白色の味気ない灯りが公園の一部を照らしていた。外周沿いにある、わずかしか灯りの届かないベンチに座り、息を整える。放課後の教室での出来事を思い返していく。ほとんど血の気が引いた時と同じ状態だったようで、自分が何を言ったのかという細かなことは思いだせない。

 けれど確かに、夕莉ちゃんを傷つけたことだけはしっかりと覚えている。奏くんとばかり話すことになったのは、私だけのせいではなかったはずだった。私にも仲のいい友達はいたけれど、二年生に上がる時のクラス替えで離れ離れになってしまい、苦手な子が多いクラスになった。
 それでも初めの方は何人かのグループに入れていた。みんな奏くんのことが好きだったのかもしれない。たまたま席が隣になって奏くんと話すようになってから、なんだか女子のグループに入らせてもらえなくなっていったなと、今になって思う。もっと早くに気づくことが出来ていたのなら、夕莉ちゃんにひどいことを言う必要だってなかった。きっと。

 今日はきっとダメな日だった。背もたれに体を預けて、足を振り子のように揺らす。帰りたくなかった。通っている中学校での最後の日。これから冬休みに入る日。みんなで修学旅行先で撮った写真は捨ててしまった。笑っているのに、笑えていない自分を見ることが苦痛だった。
 言いたいことをぶつけていなくなってしまうことは、なんだか逃げているような感じがした。私にひどいことをし続けていた夕莉ちゃんが悪かったのかと考えてみても、それは違うな、という結論しか出てこない。どちらが悪いのかは分からないけれど、きっと言ったもの勝ちになるんだろう。

 それなら負けていてもいいや。まだ胸に納得できない嫌な感情は残っていたけれど、帰りが遅くなって親を心配させてしまわないために、公園から出る。見上げると、眩しい暖色の街灯が空を照らしていた。昔アルバムで見たきれいな星空は、転校先で見ることができたらいいな。嫌な思いをなくせるようにと、公園からの道を駆け足で進んだ。