複雑・ファジー小説

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.7 )
日時: 2015/12/24 18:50
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: YohzdPX5)

『鋼鉄の海鷲』

 この時代、飛行機乗りは三種類に分けられる。
 愛国の形の示し方を飛ぶことに見出した者、仕方なしに入隊して適性があったために飛行機に乗り始めた者、そして飛ぶこと自体が純粋に好きな者。
 この三つである。

               *

 空は晴れ渡り、水平線にカモメが集まっているのが見えた。その下では小さな白い船が魚を獲っているのだろう。
 灰色の鋼鉄の巨艦は、その海を静かに進んでいた。向かい風。艦上の広い甲板には白銀の飛行機が並び、既にそのプロペラを回して待機している。彼はその中でも前の方にある機体に乗っていた。
 丘野一飛兵、17歳。大日本帝国海軍航空隊に入隊して1年、この航空母艦「赤城」に初めて乗ったのはつい昨日のことであった。
 甲板員が車止めを外して走っていく。前方の機が動き出し、加速し、発艦していく。丘野も左手のスロットルを上げ、エンジンの回転数を上げる。機体が動き出した。帽子を振る甲板員達を一瞥し、艦橋を通り過ぎ、加速していく。前は海しか見えなくなり、機体は一瞬がくんと落ちる。しかし慌てることはない。すぐにふわりとした感覚と共に機体の高度は上がり始めた。操縦桿を引き、更に機体高度を上げる。
 鋼鉄の鳥が飛び立った。

 高度2,000メートル。3,000メートル。4,000メートル。丘野の操る機体は高度を上げていく。
 三菱零式艦上戦闘機二一型の実用高度は3,000メートルから5,000メートル程度とされる。戦闘機としての性能を最も引き出せるのがそのくらいの高度だということだ。
 高度計から目を離すと、空を見渡す。風防越しに見る空は何処までも澄み渡り、少し離れた空に飛行機が見えた。同じ機体、同じ国籍標識。白銀の眩しい機体に赤い日の丸が目立つ。
 戦闘機にとって下半分は全て死角である。少し高度を下げてその機に近づくと、案の定気付かれなかった。速度を下げて、高度を上げて背後につく。撃墜。
 バンクを振ってから相手機の真上に行くと、操縦席から先輩搭乗員が苦々しげに笑ったのが見えた。「撃墜」されたその先輩搭乗員は母艦へと飛び去っていく。
 丘野は次の「敵機」を探した。
 すぐに発見する。同じ機体、同じ国籍標識。赤い日の丸。
 お互いほぼ同時に発見したらしく、戦闘機動に入ったのは同じタイミングだった。
 操縦桿を引き倒し、機体を垂直に、すぐに逆さに、またすぐに水平に戻る。身体がシートに締め付けられ、胃が裏返った。この極限の苦痛に打ち勝った者が空戦を制するのだ。お互いに相手の背後を取るために、時に操縦桿を倒し、時にスロットルを上げ、ひたすら苦痛に耐える。
 相手の機体が前上方に見えるようになった。右腕に全身全霊の力を込め、重い操縦桿を引き倒す。相手機が徐々に正面に捉えられ、その姿はエンジンの下へと消え入る。勝ちを確信し力を抜くと、相手機も丁度力を抜いて水平飛行に戻っていた。撃墜。
 丘野はこの演習で2機を「撃墜」した。

               *

 空はどこまでも青く澄み渡り、目の良い丘野は南へと飛んでゆく攻撃機隊の姿を風防越しにもくっきりと見ることが出来た。海上で波濤を切り分け、航跡を曳きながら、艦載機を続々と飛ばしている「赤城」は、普段乗っている時には巨大な鋼の城のようにも思えるが、空から見るととても小さなものに見える。
 ふと、斜め前を飛んでいた小隊長機が真横に来るまで速度を落としてきた。操縦席を見ると、小隊長は「高度を上げる」とハンドサイン。丘野は頷いた。
 小隊長機が高度を上げる。丘野もスロットルを上げて、操縦桿を引く。もう1機の僚機もついてくる。
 昭和16年12月8日、良く晴れた朝のことであった。
 大日本帝国陸軍がマレー半島に進撃を開始、その数時間後に大日本帝国海軍空母機動部隊が米国ハワイの真珠湾に奇襲攻撃を行った。マレー半島の英軍は日本軍を前に敗走と撤退を繰り返し、真珠湾に停泊していた米海軍太平洋艦隊は戦艦5隻を失う大損害を被り、事実上太平洋の覇権は日本の手に渡った。
 欧州で上がっていた戦火が、アジア太平洋地域にも拡大した瞬間である。
 しかし、艦隊の真上で防空任務についていた丘野にとっていまいち実感の湧かない事実でもあった。米軍はこの奇襲攻撃に殆ど対応出来ず、一方的な攻撃を受け、日本の機動部隊に襲来する敵機はなかったためだ。

               *

「『アリゾナ』が沈んでるぞ!」
「チクショー、なんてことしやがる!」
 航空母艦「エンタープライズ」の艦上で、パールハーバーの惨状を見て周囲の兵士達が喚く中、コリン・フーゲルフェルド少尉は静かに膝から崩れ落ちた。
 栄光あるアメリカ海軍太平洋艦隊は、戦艦5隻戦闘不能の大損害を受け、1941年12月7日は最悪の日曜日となった。
 そしてなにより、3人の兄弟全員がアメリカ海軍士官のフーゲルフェルド家の長男で、中尉だったショーンは開戦早々に戦死してしまったのだ。ショーンは戦艦「オクラホマ」の乗組員だ。その「オクラホマ」は多数の航空魚雷を受けて転覆し、無様に海面から艦底を晒す彼女の姿は、コリンに兄の死を確信させた。「オクラホマ」の乗組員の戦死者は400名以上に上り、その内の20名は士官だった。
 コリンの乗る「エンタープライズ」は12月2日にウェーク島へ海兵隊の戦闘航空団を輸送する任務を遂行しており、パールハーバーが攻撃されている真っ最中に帰還することになってしまい、一時的に入港を中止して日本海軍の艦艇を捜索したが発見出来なかった為、攻撃が止んでから入港した。
 そしてこの惨状を目の当たりにしたのである。
 コリンは日本海軍に対する復讐を静かに誓った。しかしその時、弟のジャックのことは不思議と思い出されず、そのまま頭から抜け落ちていた。


 12月10日、日本海軍航空隊の陸上飛行隊がマレー沖で英国海軍東洋艦隊を攻撃し、英首相チャーチルのお気に入りで、彼が「不沈艦だ」と豪語していた新式戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈する。停泊中だった米国の戦艦群を航空攻撃で壊滅させたことに続いて、作戦行動中の新式戦艦をまたも航空攻撃で撃沈したことは対艦巨砲主義が当たり前だった世界の常識を覆した。
 かくして、大日本帝国海軍航空隊はその華々しい戦果を以て、その名を世界に知らしめたのであった。


 コリンはハワイのオアフ島沖で航行する「エンタープライズ」の艦上で出撃の時を今か今かと待っていた。
 日本の潜水艦を撃沈したという攻撃機隊のパイロットの話を聞いていたが、コリンの戦闘機隊には一向に出撃の命令が出ない。
 元々海軍でも航空隊を選んだのは何故だったか。チャールズ・リンドバーグのような偉大なパイロットに憧れたからだったか、単純に飛行機を格好いいと思ったからだったか……コリンは考えていた。思い出せない。
 少なくとも、今は兄の仇をとることだけの為に戦闘機に乗っていることは確かだった。早く日本軍と戦いたい、早く日本兵を殺したい。
 時々弟から送られてくる手紙にろくに目も通さず、日本軍と戦うことばかりを考えて、その気持ちは日に日に強くなっていた。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.8 )
日時: 2015/12/23 04:31
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: HijqWNdI)

 12月17日。
「島田飛曹長がどこに居られるか、分かりませんか」
 廊下でばったり出会った乗組員に声をかける。目的の飛曹長は恐らく飛行甲板に居ると言われ、礼を言って甲板へと向かう。航空隊はガラが悪く、乗組員に対して高圧的な者が多いが、丘野は年齢と階級もあってあまりそういったことはなく、寧ろ可愛がられている方で、こうして艦内で人にものを聞く時も至極親切に答えてもらえるのであった。
 航空母艦「赤城」の艦内は迷路同然であった。丘野にとっては初めて乗り組んだ空母が「赤城」だったため、航空母艦というのはそういうものだと思っていたが、考えてみれば元々「赤城」は巡洋戦艦を改装した空母であり、更に大規模な近代化改装が行われていたのだ。丘野が幼い頃から雑誌でよく見た「赤城」とは艦影から随分と違うため、最初に見た時は同じ名前を継いだ全く違う艦ではないかと思った程だった。
 そして何より問題だったのは居住性だ。日本海軍の艦というのは兎角居住性に欠ける。戦闘能力を高めるために重武装、条約に合わせて小型化、そして犠牲になったのが居住性だったからだ。これは戦後の海上自衛隊護衛艦にも長らく受け継がれた悪しき伝統の一つである。英国のジョージ6世戴冠記念観艦式に日本海軍の巡洋艦が参加した際には英国の記者から「飢えた狼」と評された。これは「戦闘力ばかり重視して気品のない、まるで野獣のような艦だ」という意味の皮肉を多分に含んでいるものだ。世界中の植民地を回る長期航海を前提とした英国海軍の艦は士気の維持の為に居住性を重視する一方で、日本は基本的に敵を近海に引き込んで地の利と補給を生かして撃滅するという戦術の為、あまり居住性を意識しないという思考の違いによるものだったのだが、船を女性に例える欧米でそのような評価を頂戴したというのは、こうまで戦闘一辺倒な艦は相当に異質だったに違いない。
 巡洋艦でこの調子だったのだが、「赤城」は更に酷かった。
 航空母艦「加賀」の大改装の為に大金をはたいた海軍は続いて「赤城」の改装に取り掛かったのだが、予算不足はどうにもならず、「加賀」に比べて丁寧ではない仕上がりとなってしまった。丘野が個人的に気にしたのは木製飛行甲板の板の隙間を埋める防水補填剤が板と板の間からはみ出て黒く硬くなって残っていることで、いつか航空運用に影響が出るのではないかと内心危惧していた。
「小隊長、島田小隊長」
 飛行甲板上で煙草を吸いながら同僚と談笑する、目的の飛曹長を見つけ、声をかける。
「ん、丘野か。どうした」
「柴崎が……」
 右舷後方の居住区は、右舷でまとめて下方向に向けられた煙突の排気が流れ込むために窓が開けられず、ただでさえ悪い艦内の空気を更に悪化させ、そしてやたらと暑い。この為、丘野は普段ハンモックを廊下に吊って寝ているのだが、彼の僚機であり同期の柴崎一飛兵は生真面目で融通が利かない性格からか、頑なに自らの部屋で眠り続け、挙句の果てに肺結核に罹ってしまっていたのだ。元々「赤城」は「人殺し長屋」と呼ばれる程に居住性が悪く、艦内では赤痢と結核を発症する兵が多かった。丘野が「赤城」に乗り組むことになったのは、前の搭乗員が赤痢に罹って死んだ為だと柴崎が教えてくれたのだが、その柴崎もとうとう仲間入りを果たしたのである。飛曹長は唸った。
「仕方ない、今日から暫く二人だ」
 零戦の飛行小隊は三機で組むのだが、柴崎が病気で抜けてしまった以上は二人で飛ばざるを得ない。飛曹長は、はたと海の方を見た。丘野も釣られて海を見る。
 「赤城」から400メートル程の間隔を開けて、駆逐艦が走っている。2,500トンの排水量を持つ陽炎型駆逐艦は、駆逐艦としては大柄だが排水量40,000トンを優に超える空母に比べれば小さなものだ。
「駆逐艦の連中は飯が不味いらしいぞ」
 飛曹長と談笑していた彼の同僚が笑う。飛曹長も頷いた。駆逐艦の食事事情が悪いのはよく聞く話で、その話はどれも悲惨だ。空母や戦艦もそれに比べればマシだが、主計科の腕に左右されるため、艦によっては決して良くもなかった。その点で「赤城」は居住性の割に食事は上等で、特に飛行搭乗員向けに出される甘味類は極上のものであった。飛曹長と彼の同僚は最近空母「加賀」から異動しており、最初「赤城」の食事の質に驚いたという。
空母を始めとする大型艦は総じて治安が悪く、特に空母「加賀」は有名だった。開戦前に大改装を受けるまで煙突を艦尾まで伸ばす誘導煙突を採用していたが、周辺の室温を40度にまで引き上げ、搭乗員は蒸し焼き、航空機は燻り焼きで「海鷲の焼き鳥製造機」などという「赤城」の「人殺し長屋」に負けず劣らずのあんまりなあだ名を頂戴している。食糧類のかっぱらいや航空隊士官による艦乗員への私的制裁が横行していたといい、その陰湿な気風は自殺者や逃亡者を多く出しており、艦内風紀は帝国海軍随一の荒れようだった。その原因の一つに劣悪な居住環境と並んで劣悪な食事がある。住み心地も悪く、食事の質も悪いのでは風紀が悪化するのも当然の事である。その後、日華事変時のある甲板士官の努力と開戦前の大改装による環境改善で「加賀」の風紀は大分改善されたが、一方で「赤城」は「人殺し長屋」のままだった。それでも治安が極端に悪くないのは一重に食事の上等さにあったのだ。
「丘野、お前は『赤城』が初めてだったな」
 海に煙草を投げながら、飛曹長が続ける。
「『隼鷹』は艦橋と煙突が一緒になっていてなぁ。欧米の空母はあれが当たり前なんだとさ。これからは軍艦の居住性も良くなるぞ、きっと」
 元々が客船の「隼鷹」の居住性が良いのはある意味当然の事だと思ったが、丘野は黙っていた。
 「赤城」は機動部隊を引き連れ、日本本土へ悠々と航行していた。

               *

 1942年2月1日。
開戦以来、敗北に敗北を重ねていたアメリカ軍の、最初の積極的攻撃が行われることとなった。
 主力の戦艦部隊が行動不能となった為にニミッツ大将が計画した、空母を中心とした任務部隊による一撃離脱のゲリラ戦である。
 目標に選ばれたのは開戦直後に日本軍の空襲や駆逐艦による砲撃を受け、上陸占領されたウェーク島と、日本が戦前から委任統治していたマーシャル諸島、そして開戦直後に日本が無血占領したギルバート諸島であった。占領して安心しきっている日本軍を奇襲攻撃するのである。
 しかし、コリンに出撃の機会はなかった。
 出撃の命令が出たのは攻撃機と爆撃機だけで、コリンの戦闘機隊にはやはり出番が無かったのだ。実際、「エンタープライズ」が担当したマーシャル・ギルバート諸島に駐留していた日本軍は潜水艦と練習巡洋艦、後は軍属の商船や輸送船ばかりで、航空戦力は乏しかった。空が晴れた満月で、しかも無風という、飛行には絶好の天候だったこともコリンの機嫌を損ねた。こんなに良い天気で、自分もこんなにやる気に満ち溢れているのに、戦闘機乗りであるばっかりに戦いに行けない。
実際の戦果は微々たるもので、日本軍には大きな損害はなかったが、大きな戦果を挙げたと誤認したアメリカ軍は初勝利に沸いた。一方で、日本軍と戦いたいのに戦えないコリンの不満は募っていく。

               *

 昭和17年2月19日。
 豪ポートダーウィンへの空襲は丘野にとって、非常に退屈な仕事となった。豪州北西のティモール海に布陣した日本機動部隊は実に200近くの艦載機を発進させ、港湾都市ポートダーウィンに激しい空襲を行ったのだ。この港湾都市には連合軍の部隊が多く駐留しているとされていた。
 しかし、蓋を開けてみれば豪州の守りはあまりにも緩かった。豪州側はまさか日本の機動部隊がやってきて空襲されるとは夢にも思っておらず、全くの無警戒だったのだ。空襲の警報システムすら構築されていなかったらしく、迎撃も殆どなかった。迎撃が始まってもその練度は非常に低く、日本側の被害は微々たるものだった。
 「海上で迎撃に上がってきた敵機と遭遇するだろうから、気をつけろ」と発進前に飛曹長が言ったのを思い出す。丘野達零戦隊は艦上爆撃機の護衛の為に飛んでいたのだが、その護衛の為の燃料が無駄なのではないかと思われる程に悠々と、爆撃機隊はダーウィン市街とポートダーウィン港とそこに停泊する船舶に空襲を敢行した。午前中の空襲で重点的に狙ったのは港湾施設で、丘野の眼には朝であるにも関わらず煌々と明るく感じた石油貯蔵タンクの爆発が焼き付いている。上から見れば、ただの景色に過ぎない。
 艦載機が引き揚げた後、午後には陸上攻撃機が空軍基地を狙って空襲し、やはり殆ど迎撃はなかったと聞いた丘野は、開戦から3カ月にして早くも終戦の気配を薄々感じ始めていた。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.9 )
日時: 2015/12/23 04:35
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: HijqWNdI)

 4月5日。
 マレー沖海戦で旗艦の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を失い、極東の最重要拠点だったシンガポールも失陥した英国海軍東洋艦隊はインド洋セイロン島のコロンボ基地とトリンコマリー軍港に立て籠もっているという。
 日本海軍機動部隊はコロンボ基地を空襲すべく、100機以上の艦載機を発進させた。丘野の所属する小隊はまたもこの第1次攻撃隊の護衛を務めることになる。天候はあまり良くなく、視界も良いとはいえなかった。小隊長の方を見る。小隊長は自分を見る丘野に気付くと、にやっと笑って何やら喋ったかと思うと、突如増槽を捨てた。丘野は面喰って空を見回す。居た。攻撃隊を狙って敵機が襲撃してきたのだ。
「歓迎されてないな……」
 悪態をつき、丘野も増槽を捨てた。同時に戦闘機動に入る。
 増槽というのは航空機の下に取り付ける追加の燃料タンクで、主に爆撃機に比べて短い戦闘機の航続距離を延ばす為にあるが、戦闘機動には邪魔な為、これが無くてはどうしても帰れないという場合等を除いては戦闘に入ると同時に切り離して捨てる。逆に帰ることが出来ないことを覚悟の上で増槽を捨てることもあり、それはまるで武者が抜刀した時を思わせる。もう戻らない覚悟だ。
 しかし、英軍の迎撃機の練度は想像を絶する低さだった。というのも、この頃の日本海軍航空隊の練度は世界一を誇っていたとされており、その中でも異様に高い練度を持っていたのが丘野も所属する「赤城」を旗艦とした第一航空戦隊であり、その中で丘野は無自覚に世界最強の航空隊の一員として、世界的に見て一流の飛行士になっていたのだ。
 丘野は時折護衛対象の爆撃機に目をやる程の余裕を持って空戦に臨んでいた。数が少ない上に、個々が弱い敵戦闘機部隊の撃退は容易だった。丘野は自身にあっさりと後ろをとられてしまった敵機を照準器に捉え、引き金を絞る。発射された7.7mm機銃の弾丸がホーカー・ハリケーン戦闘機の主翼に吸い込まれていき、そこから火が出る。丘野の初戦果であり、初めて生きた人間が乗った飛行機に実弾を撃った瞬間であった。丘野がその一機を撃墜する間に護衛戦闘機隊によって敵戦闘機部隊は居なくなった。
「……あ、落下傘」
 黒煙を吐いて落ちていく敵戦闘機から搭乗員が脱出し、白い落下傘がぱっと開くのが見えた。ふと、自分も撃ち落とされたらああなるのかと考える。
 元々、丘野は純粋に飛行機への憧れだけで入隊した身だった。
幼い頃から飛行機が好きで、雑誌の絵を見る度、白い機体に真っ赤な日の丸を描いた飛行機に憧れた。決定的な出来事は故郷の松江から広島の呉まで軍艦を見に行き、そこで戦闘機の搭乗員と会って話をしたことか。憧れは本格的な夢となり、目標となり、適齢になった途端に海軍に入って航空隊を希望した。空を飛びたい、どうせなら自由に飛べる飛行機が良い、それなら戦闘機だ、戦闘機といえば海軍だ。そんな短絡的で無鉄砲で夢見がちな少年が、不思議なことに合格し、希望通りの戦闘機乗りとなり、厳しい訓練に耐えながら空母の精鋭となった。
 戦闘機乗りの教育は兎角過激だ。空で死ぬ覚悟であれなどと、そんなことをよく言われていた。しかし、丘野はただ空を自由に飛ぶことにのめり込み、そんなことを考えたことなどなかった。
 これまでの人生で、「空での死」など意識したことがなかったのである。たった今になって初めて、「自分が撃墜されたら」などと考えたのであった。
 第1次攻撃隊は行きがけの駄賃にソードフィッシュ雷撃機の部隊を撃滅し、コロンボ基地に居た英軍の巡洋艦と駆逐艦をそれぞれ1隻撃沈して爆撃を大成功に収めた。大きな被害もなかったが、港湾施設への攻撃が不十分と判断され、第二次攻撃隊が編成されることになった。
 帰投した丘野はまず水を飲んだ。嫌に喉が渇いていた。無性に不安だ。一度死を意識すると、そんなものを意識したことのない丘野の中で、言いようのない恐怖が生まれたのである。しかし、同時に変に嫌な予感もしていた。その予感は「赤城」に着艦した瞬間からだった。
「丘野、二航戦が敵艦を捕捉したらしいぞ」
 飛曹長に声をかけられ、はっと我に返る。辺りを見渡すと、丘野の零戦はエレベーターで格納庫に下ろされたらしく、飛行甲板には九七式艦上攻撃機ばかりが並べられていた。陸用爆弾を魚雷に換装する作業を始めていたのだ。
「我々に出番はありますか?」
「さぁなぁ」
 飛曹長は煙草に火をつけながら飛行甲板を横切って格納庫へと降りるタラップを下って行った。取り残された丘野は艦橋を振り向き、作業の邪魔にならないように飛曹長の後を追ってタラップを下った。


 4月5日にコロンボ基地を攻撃して英軍の巡洋艦と駆逐艦を撃沈し、更に退避中だった英重巡洋艦2隻を驚異的な命中率を誇る急降下爆撃で撃沈した日本軍機動部隊だったが、その後は9日まで敵を捕捉出来なかった。
 その9日に、事件は起こった。
 丘野は機体の不調により発艦出来ず、予備機を出す手間も惜しまれた為、艦橋の脇の日陰で乗組員達が忙しく発艦の準備をするのを眺めていた。しかし、それも稼働機が全機発艦すると「赤城」は他の艦と共にのんびり航行するだけになった。一応戦闘中ではあるのだが、その静けさは普段航行しているのとなんら変わりない。違うのは直掩の零戦が艦隊の真上を飛び回っていることくらいだろう。
 5日に感じた不快な死の意識も忘れ、丘野はぼんやりとしていた。時折空を見上げ、上空を通り過ぎる味方の零戦を恨めしく見つめる。自分も機体の不調がなければ空を飛んでいた。
 やがてトリンコマリー空襲から戻ってきた第1次攻撃隊が戻ってきて、今度は修理中で航空機運用能力のない英軍の航空母艦「ハーミーズ」を攻撃すべく、補給を行って攻撃機に魚雷を積み始めた。
 丘野は相変わらずその作業風景を艦橋の日陰から眺める。セイロン島沖は赤道の海だけあって4月でも日本の夏並みか、それ以上に暑い。額を流れた汗を拭い、防暑帽を被り直した時だった。
「て、敵機直上!」
 艦橋の見張り員が叫ぶ。甲板員達が石弓に弾かれたかの如く頭を抱えて甲板に飛び込むように伏せたが、丘野は一瞬のことに身体が全く反応しなかった。
 「赤城」の艦尾の右舷左舷両側に突然水柱が上がる。夾叉、至近弾。艦が揺れ、唖然と棒立ちしていた丘野はバランスを崩して飛行甲板に倒れ込んだ。直射日光を長時間浴びていた木製の板は暑い。鋼鉄製部分に触れていたら火傷くらいしていただろうか。
「なんば見よったね、こんだらが!」
 頭を抱えて伏せた甲板員の1人が大声で悪態を吐く。
 そこで漸く対空警報が鳴り響き、対空砲火が撃ち上げられ始めた。爆弾を投下されるまで、上空を飛ぶ英空軍機に全く気付いていなかったのだ。直掩の零戦隊が慌てて英空軍の爆撃機を追う。丘野は起き上がりながらその姿を見送った。
 自分もあそこに居れば。敵爆撃機をあっという間に叩き落とす味方戦闘機を見ながら、丘野はそう思った。

 セイロン沖海戦は日本の勝利に終わり、英国東洋艦隊はこの海から手を引かざるを得なくなった。
 一方で「赤城」を始めとする日本機動部隊には多くの課題が投げ掛けられた。しかし、日本軍は多大な戦果に目が眩み、問題を看過してしまった。


 5月になって、連日の出撃も落ち着いてきた頃だった。この頃の丘野はハリケーンを2機撃ち落とし、累計の戦闘機撃墜戦果3機となっていた。所属する小隊の累計戦果は10機を超えており、その殆どは小隊長のものだ。
 そんなある日のことである。丘野は整備員達に呼ばれ、航空機格納庫に行ってみると、自身の零戦と飛行小隊の面々が集まり、整備員達は航空機用の塗料を準備していた。
「一体何を始める気ですか」
 丘野が尋ねると、篠崎の代わりに来た高柳一飛兵がにっと笑って、機体に何か描くのだと答えた。何を描くつもりだろう、と思いながら飛曹長を見遣ると、その視線に気付いたのか飛曹長が苦笑する。
「何を描こうかね。丘野は何が良い」
 まさか自分に振られるとは。丘野は考え込む。派手な絵を描いて目立とうとは思わないが、多少の自己主張は良いのではないだろうか。ふと、丘野は自らの夢を思い出した。鳥だ。空を自由に駆ける鳥だ。飛行機みたいに、滑空する鳥だ。
「……鷲、とかどうでしょうか」
「鷲? 鳥の鷲か?」
 丘野は頷く。飛曹長は少し考えた後、整備員達にあれこれ指示を出し始めた。
 訓練された整備員達の迅速な作業により、その塗装はすぐに完成した。
 赤い日の丸のすぐ後ろ、細い胴体に合わせるようにしてスマートに飛ぶ鷲のシルエットと、その更に尾翼側に赤で「海鷲」の漢字が入れられたのだ。両方とも小さく、あまり目立たないが、印象は強くなった感じがした。
 すぐに同じ塗装が丘野と高柳の機にも入れられることになったが、時間と塗料の関係で2人の機には「海鷲」の漢字のみとなった。
 数時間後、飛行隊長にバレて大目玉を喰ったが、その機が駄目になるまではそのままで良い、と許された。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.10 )
日時: 2015/12/23 11:36
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: HijqWNdI)

「レディ・レックスが沈んだってよ」
「マジかよ、畜生。俺達はこんなところで何やってんだ」
 「エンタープライズ」の航空格納庫で噂話をする兵員達を後目に、コリンは士官室へと歩き出した。「レディ・レックス」とは航空母艦「レキシントン」の愛称だ。余談だがこの「エンタープライズ」には「ビッグE」という愛称がある。
 1942年5月8日、ソロモン諸島の南、珊瑚海にて史上初の航空母艦同士の艦隊決戦が行われた。珊瑚海海戦である。結果は日本の空母「祥鳳」が撃沈され、空母「翔鶴」が大破、アメリカは空母「レキシントン」と油槽船「ネオショー」と駆逐艦「シムス」が撃沈され、空母「ヨークタウン」が大破するという痛み分けに終わった。特に「レキシントン」は40,000トンの排水量を持つ大型空母である。彼女の密閉式格納庫は被弾した時に漏れ出た航空燃料が気化した際、それが艦内に充満して籠ってしまうという欠陥を持っていたのだ。結果として引火爆発して大火災が発生し、最終的に駆逐艦によって雷撃処分されるという憂き目を見た。
 一方で「エンタープライズ」は、空母「ホーネット」から陸軍爆撃機を無理やり飛ばして日本本土を空襲するという無茶な作戦の為に日本本土の近海に派遣されていた。コリンは直掩のために「エンタープライズ」の上を飛んでいたが、襲来する敵機も艦船もなく、退屈な飛行となった。
 そして肝心の珊瑚海海戦は「エンタープライズ」が駆け付けた時には終結しており、またもコリンは日本軍と戦うことが出来なかった。

 ここでふと、コリンは弟のジャックのことを思い出した。これまでぽっかりと頭から抜け落ちていたが、一年遅く士官学校を卒業した少尉だ。雷撃機のパイロットで、空母「ヨークタウン」の艦載雷撃機隊の搭乗員である。
 いつの間にか読まずに置いておくようになっていた弟の手紙を読もうと思い、最も新しい手紙を手にとって封を切る。珊瑚海海戦の直後に書いたらしく、空母「ヨークタウン」とその航空隊が健在であることと細々した雑事、そして魚雷に対する不満だった。
「『ショーカク』か」
 弟の手紙には日本の空母「翔鶴」を狙って魚雷を放ったが、どうやら不発だったようで戦果にはならなかったと、アメリカの魚雷は不良品揃いだという文句が書かれていた。この頃アメリカが使用していた魚雷は不発率が異常に高く、潜水艦が日本の輸送船に魚雷を数発放ったら全て不発で、魚雷が突き刺さったまま逃げられたなどという洒落にならない笑い話もある程だ。
 兵器の不利の話はコリンも他人事ではない。コリンの搭乗するF4F戦闘機を駆るアメリカ海軍は日本の「ゼロファイター」に全く勝てなかった。否、陸軍のP38でも滅多に勝てる相手ではない。実際にゼロと交戦したパイロットが行った戦闘指南では「ゼロと積乱雲に遭遇したら逃げろ」とまで言われた。しかし、コリンは考える。
 真珠湾を襲ったのはゼロであり、一機でも多く叩き落とさねば兄に顔向けが出来ないのだと。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.11 )
日時: 2015/12/23 11:43
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: HijqWNdI)

 昭和17年6月。
 空母「赤城」は艦隊を率い、ミッドウェー攻略に向かっていた。
 「赤城」の僚艦である空母「加賀」「蒼龍」「飛龍」は勿論、戦艦「榛名」「霧島」、巡洋艦「利根」「筑摩」「長良」と駆逐艦12隻、油槽艦8隻で構成される第一航空艦隊を筆頭に、軽巡洋艦「香取」を旗艦とした潜水艦中心の第六艦隊が先遣隊を務め、後方には戦艦「伊勢」「日向」「扶桑」「山城」を中心に巡洋艦や駆逐艦と油槽艦で構成される第一艦隊、戦艦「金剛」「比叡」と多数の水雷戦隊や駆逐隊、航空戦隊を複合させて攻略部隊とした第二艦隊、そして戦艦「大和」「長門」「陸奥」を中心とした連合艦隊が控えており、正に決戦の様相を呈していた。空から見ても、海に多数の航跡が曳かれる様子は壮観であり、これならどんな敵が相手でも勝てるだろうと丘野は思った。


 この時、アメリカは日本の作戦をほぼ完全に掴んでいた一方で、その対処法を殆ど見出せていなかった。珊瑚海海戦で中破しながらもパールハーバーまで戻り、3日で修理を済ませるという荒療治で戦列復帰した「ヨークタウン」や、日本本土空襲の為に陸軍の爆撃機を無理やり飛ばした「ホーネット」、そしてコリンの乗る「エンタープライズ」も参加し、日本軍を待ち伏せていたが、どの空母も威勢が良かったのは新規編成された雷撃機隊の航空兵ばかりで、他の航空隊のパイロット達の空気は暗澹としていた。まともに戦えばまず勝てない。ゲリラ戦、奇襲を行っても勝てるかどうか怪しい。
 ミッドウェー島の守備隊は更に悲壮感に満ち溢れていた。敵が上陸して来たらこの島では壮絶な白兵戦が展開されるに違いない、ここは第二のウェーク島になるかもしれない。アメリカ兵達はまだ見ぬ日本軍を恐れていた。この地上で何よりも恐ろしい敵だ。日本人はその小さな体に、世界中のどこの民族よりも大きな闘志を秘めている。それは中国方面やシンガポール方面、南方の戦場での日本軍の活躍が証明しているのだ。将校は狙い撃たれぬように階級章を毟り取られ、機密書類の類は一切処分され、ある兵士はお気に入りの曲を演奏した後お気に入りのアコーディオンを海へ捨てた。
 ミッドウェー島の航空基地にはろくな飛行機が配備されておらず、パイロット達の練度も悲惨なものだった。中には総飛行時間4時間などという本来机に向かっての勉強からやり直さねばならないようなパイロットまで居た。6月2日頃には近海を日本の艦隊が通ったという飛行艇の報告に基づいて攻撃隊が出されたが、巡洋艦と駆逐艦、輸送船で構成された輸送船団を大艦隊だと誤認し、戦艦や空母を撃沈したと誤認する有様だった。実際には1隻も大した被害を受けておらず、何もかも誤認だったのだが、それ程までにアメリカ兵達は緊張状態に陥っていた。これでは日本の精鋭パイロット達には勝てる筈がないと、誰もが神に祈っていたのだ。
 そして、6月5日の早朝。とうとうミッドウェー島に日本軍機が襲来した。

 作戦は順調に進んだ。ミッドウェー島空襲は概ね成功し、攻撃隊の「第二次攻撃ノ要ヲ認ム」という報告の元、「赤城」艦上では第2次攻撃の為に爆撃機に陸用爆弾を積む作業が行われていた。その様子は「赤城」の直掩についている丘野にも見えた。
 小隊長機が急にバンクを振る。丘野は周囲を見回した。敵だ。低空で敵機が「赤城」に迫ってきていた。雷撃機か。丘野は増槽を捨てずに雷撃機に襲いかかった。
 敵雷撃機は戦闘機の護衛も付けずに来ていた。しかも、よく見ると魚雷を抱えた陸上爆撃機が混ざっている。時折ふらつく挙動は飛ぶのがやっとといったところか。まず小型の雷撃機を零戦隊が3機叩き落とした。更に艦隊の対空砲火で2機が撃墜され、今度は爆撃機が2機撃墜された。丘野は爆撃機を追ったが、如何せん7.7mm機銃では威力不足であり、敵機を穴だらけにはしたが撃墜には至らなかった。恐らくもう二度と使えないだろうとは思ったが。しかし、この陸上爆撃機が飛んできたというのはミッドウェー島の米軍が健在な証拠だ。その後も何度か低空で雷撃機が侵入してきたが、いずれも護衛の戦闘機がなく、腕も良くなく、あっさり撃墜されていった。
 一度着艦して補給を受け、再発進して暫く経ってからだった。丘野は「赤城」の艦上で「敵空母を発見した」との情報を得ており、次に来る敵は精鋭に違いないと警戒しながら周囲の見張りを続けていた。
「また雷撃機か……」
 またも低空侵入の雷撃機だった。零戦隊と対空砲の餌食となっていく。それもまた数度続いた。数分毎に敵の雷撃機はやってきて、無様に撃墜されていく。埒が明かない。丘野はもう何機雷撃機を撃墜したか記憶していなかった。10機から先は覚えていない。あまりにも簡単に撃墜できるので、途中で数えるのも馬鹿馬鹿しくなってきたのだ。艦隊の対空砲要員達もウンザリしているに違いない。
「次は……」
 目の前を飛んでいた敵雷撃機を撃墜し、周囲を見渡す。弾薬の残量はそろそろ心許なくなってくる頃だ。次の敵を撃墜したら一度着艦して補給しよう。そう思った。
 ふと、自分を含め、直掩の零戦が皆低空に居ることに気付く。低空侵入の雷撃機ばかりを相手にしていたためか、高高度に気を張っている者はいないようだ。そのことに今疑問を持ったのは、丁度「赤城」の真上に急降下中の敵機を見た為だった。世界が全てスローモーションで見えた気がした。
 「赤城」の飛行甲板に、敵の艦上爆撃機が投下した爆弾が突入する。その直前に滑走に入っていた1機の零戦がなんとか飛び立つことに成功したのが見えた。一方、木製の飛行甲板を貫通した航空爆弾は航空格納庫の中で炸裂した様子だ。降りていたエレベーターの穴の奥が一瞬明るくなる。丘野は少し考えて、ぞっとした。
 今、「赤城」の航空格納庫の中には攻撃隊の攻撃機が多数入っており、爆弾から魚雷に換装していた筈だ。「赤城」の航空機格納庫は密閉式である。炸裂した爆弾、気化した航空燃料、そして出されたままの魚雷や爆弾。導き出される答えは単純だった。
 「赤城」の飛行甲板が一瞬浮き上がった気がした。エレベーターの穴から炎が噴き出すと同時に、爆風によって1機の零戦が甲板上で逆立ち状態となった。再び格納庫内で爆発が起こり、「赤城」は一気に炎上する。爆弾や魚雷に誘爆したのだ。
 艦上で乗組員達が慌ただしく走り回っている。丘野はふとセイロン沖海戦でのことを思い出した。あの時も、対空警戒警報が遅れ、真上から爆撃されたではないか。空母「ハーミーズ」発見の報を受けた時には随分と攻撃隊の武器換装に手間取ったではないか。全てが、あの時反省をしなかった報いのように思われた。
 兎にも角にも、最早「赤城」への帰還は不可能だ。しかし燃料も弾薬も心許ない。飛曹長と僚機にハンドサインにて別空母で補給する旨を伝え、少し高度を上げる。
「……『加賀』は……」
 高高度から艦隊を見渡し、丘野は言葉を失った。「赤城」以外の艦からも黒煙が立ち上っている。よく見ると空母だ。「加賀」と「蒼龍」も「赤城」とほぼ同時に被弾していたのだ。「加賀」の被害は「赤城」より酷いかもしれない。仕方なく、「飛龍」に向かうことにした。
 少し離れた所に居た「飛龍」は被弾していなかった。甲板も空いているようだ。着艦する旨の信号を送り、了承を得て着艦する。「飛龍」の甲板は「赤城」より狭く、艦橋が左にあるという特徴は搭乗員泣かせであったが、左艦橋は「赤城」も共通の特徴だった為、丘野は甲板の狭さだけに気をつけていれば着艦は容易だった。
「燃料と弾薬の補給だけで良い、すぐ上がる!」
 駆け寄ってきた整備員達にそう叫ぶ。整備員達は言われた通り、燃料と弾薬の補給だけをしてくれた。しかし、「発艦よし」の合図が出ない。
「早くしてくれ……!」

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.12 )
日時: 2015/12/23 11:49
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: HijqWNdI)

 アメリカ軍が日本の空母3隻を先に発見し、先制攻撃によって一挙に戦闘不能に出来たのは全くの偶然であった。
 雷撃機隊が無謀にも護衛戦闘機もなしに突っ込んだことは、アメリカ側からしてみれば完全な用兵ミスである。本来護衛につくべき戦闘機はミッドウェー島の上空に襲来した日本軍機への対応に全て投入されてしまい、悉く撃墜されたのだ。一方の空母は、発進した飛行隊を片っ端から日本空母に差し向けた。この戦力の小出しも戦術としては非常に不味い選択である。しかし、これらのミスは結果として日本軍側の目を低空に惹き付けた。高高度を飛んでいた爆撃機隊が、本当に偶然にも日本艦隊を発見し、そのまま攻撃に移った時、日本軍は完全に低空に注目していたのだ。
 「赤城」に最初に直撃弾を与えた「ヨークタウン」艦載の爆撃機隊は新米揃いで航法もままならず、雲が多いこの日は隊長機についていくので精一杯だった。真下に日本艦隊がいると気付いたのは隊長機のみで、あるパイロットは最初隊長機が降下したのは味方の空母に帰投しようとした為だと思ったという。

 丘野は結局「飛龍」の甲板上に足をついた。敵の空母を発見したとの報せがあった為、攻撃隊が編成された為だ。3空母が被弾し、戦闘不能に陥ったことは既に知れており、「飛龍」の乗組員やなんとか合流した航空搭乗員達は復讐心に燃えた、鬼の如き形相だった。否、鬼なのだ。この時ばかりは復讐の鬼と化していたのだ。
 第1次攻撃隊が発艦していき、続いて第2次攻撃隊が編成される。丘野はこの第2次攻撃隊に入れられ、臨時に組まれた部隊の指揮下に入った。一応空を見上げてみたが、元の小隊の機は見つけられない。
 第2次攻撃隊は第1次攻撃隊に続いて空母「ヨークタウン」を攻撃した。しかし、この時、第2次攻撃隊は別の空母を攻撃したものと勘違いしていた。「ヨークタウン」は攻撃を受けた後の復旧作業中で、火災も見られなかった為、別の空母だと思われたのだ。これは「飛龍」の司令部に米空母2隻を戦闘不能にしたと誤認させることになる。
 丘野は米戦闘機の迎撃から攻撃隊を守ることに徹した。米海軍戦闘機との交戦は初めての事だったが、やはり零戦が俄然有利であった。
 増槽を捨て、艦上攻撃機に気を遣いながら、敵の戦闘機に喰らい付く。敵機の尾翼を照準器に捉え、引き金を引いた。放たれた20mm機関砲弾が敵戦闘機の尾翼を丸ごと吹き飛ばす。撃墜した。一度艦上攻撃機を見て、次の敵を探す。味方の零戦が撃墜されるのが見えた。その零戦を撃墜した敵戦闘機が襲い来る。

 コリンの神経は燃え上がっていた。ゼロを1機撃墜し、有頂天だった。
 第2次攻撃隊の迎撃に当たったのは「ヨークタウン」の艦載機だけではない。寧ろ、第1次攻撃で被害を受けた「ヨークタウン」の艦載機より「エンタープライズ」艦載機の方が多いくらいだ。コリンはその中の1機に乗っていた。
 味方機を撃墜したゼロを発見する。コリンはそのゼロに襲いかかった。ゼロの対応は素早かった。コリンが別のゼロを撃墜するのを見ていたに違いない。
 そのゼロのパイロットは見事な腕を持っていた。後ろを取ったと思ったら、急減速と旋回でかわされた。まるで空中で静止したかのような機動だった。
「何!? どうやった!?」
 急なことに対応が遅れたが、急上昇で逃げると相手は追ってこなかった。奇妙に思ってそのゼロを目で追うと、攻撃隊の護衛に戻っていた。奴は冷静だ。コリンの中で、急激に熱が冷めていった気がした。

 「飛龍」に帰艦することは叶わなかった。それどころか、日本の航空隊は着地点を失っていた。
 空母「飛龍」は第2次攻撃隊が帰艦した後、夕方にまた攻撃をしようと準備していた。しかし、米艦載機が襲来、丘野含む6機の零戦が迎撃に向かい、最初の攻撃は凌いだが、次の攻撃は阻止出来ず、急降下爆撃によって「飛龍」は炎上した。横付けした駆逐艦も協力して消火活動を行ったが、誘爆によって消火不能となり、最終的に駆逐艦の雷撃処分となったのだ。
 丘野は暫く飛んでいたが、救助活動に一段落ついたところで駆逐艦の近くに不時着水した。風防を開け、体を固定するハーネスを外し、救助を待っていると、丘野機に気付いた駆逐艦の短艇が寄ってくる。
「無事ですかいね?」
 艇長らしき水兵長が声をかける。丘野は主翼の上に降り立つと、肯定の意を示した。水兵長はにかりと笑って手を差し伸べてくる。しかし、その笑顔にはどこか陰が差している気がした。
「よう生きちょって、間に合ぁてほんに良かったわ」
 聞き慣れたイントネーション。丘野の故郷、松江でもよく聞く出雲弁だ。
「お陰さんで」
 丘野は柔和な笑みを浮かべ、故郷の言葉で返した。

 丘野を救助したのは駆逐艦「巻雲」の短艇だった。
 「巻雲」は「飛龍」を雷撃処分した駆逐艦だ。艦としてはこの海戦が初陣であり、散々なデビュー戦となったといえる。それだけに、「巻雲」乗組員達は相当の怒りに燃えていた。
 「巻雲」艦内には退艦した「飛龍」の乗組員や、丘野と同じように救助された航空搭乗員の他、捕虜となった米雷撃機の搭乗員も3人居た。
 3人は1人ずつ艦長の少佐が尋問していたらしいが、夜になって後部甲板上に引き出されてきた。捕虜達は困惑した様子で、自分達を見つめる日本兵達を見回す。丘野は魚雷発射管にもたれかかってその様子を見ていた。
 海軍士官は英語が分かって当然だが、下士官や兵達も全員英語が使えるわけではない。捕虜達は急に言葉の通じない相手に困ってしまったようだが、兵達はそんなことは無関係に、怒りに任せて捕虜を殴り倒すと、うち2人の体にロープを括り付け、ロープの反対側にはドラム缶を括り付けた。
「Hey, you! What you doing!?」
「No, no, help!」
 パニックに陥った捕虜達は喚くが関係ない。重油が入っていたと思しきドラム缶には海水が詰められていた。そのまま甲板の隅まで引き連れていく。2人の捕虜の顔が青ざめたのが分かった。これから自分がどんな目に遭うのかを察したのだ。もう1人の捕虜は数名の兵に連れられて再び艦内に連れ込まれていった。
 1人の下士官がドラム缶を蹴落とす。足を括り付けられた捕虜は当然引っ張られ、海へと落下した。ドラム缶には海水が詰めてある為、急速に沈む。続いてもう1人もドラム缶を蹴落とされ、最早言葉にならない悲鳴を上げながら落ちていく。数秒程海面で暴れていたが、ドラム缶に引っ張られてあっという間に沈んでいった。2人の捕虜が浮き上がってくることは永遠にない。
 丘野はその光景を何も思わずに見ていた。夜空を見上げ、救助者用に支給された服の感触を枕に眠りに就く。丘野には、全て無関係に思われた。
 翌朝、もう1人の捕虜の死体が海に投棄された。浴室で蒸気をあてて蒸し殺していたのだという。


 6月20日、丘野は「巻雲」の艦上で18歳の誕生日を迎えた。
 だが、丘野自身はそんなことも忘れ、ただ「巻雲」から海を見てその日を過ごした。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.13 )
日時: 2015/12/23 13:40
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: HijqWNdI)

 ミッドウェーでの勝利後、コリンはあの時戦ったゼロのパイロットのことを思い出していた。奴は本物の兵隊だ。冷静に任務を理解し、冷えた頭でそれを遂行していた。
 そんな時、ある一報が飛び込んだ。あの海戦では多数の雷撃機が犠牲になったが、その中に弟のジャックも含まれていたのだ。
 コリンは自身の中で再び復讐の炎を燃え上がったのが分かった。兄弟の仇を討つ。開戦時に胸に誓ったではないか。


 「エンタープライズ」はオーバーホールの為に1カ月程戦列を離れた後、8月7日からのソロモン諸島方面での反攻作戦支援の為に送り込まれた。海兵隊はガダルカナルなどという誰も知らない一火山島に上陸し、日本軍と死闘を演じることとなる。
 8月8日が9日に変わる頃、ソロモン諸島サヴォ島沖の海域に巡洋艦「鳥海」を旗艦とした巡洋艦と駆逐艦の日本艦隊が、文字通り殴り込んだ。夜間、揚陸作業の為に停泊していた連合軍に襲いかかったのだ。この嵐、否、荒らし屋のような艦隊は、暗闇の中最大戦速で泊地に突入し、連合軍哨戒艦隊の間をすり抜けて連合軍の艦隊を荒らしまわった後、夜が明ける頃には航空攻撃可能圏外に消えた。昔ながらの目視とサーチライトの照射を行う日本軍との夜間戦闘で連合軍艦隊は殆ど一方的に敗北、多くの重装備を積んだ輸送船は無事だったが、結局揚陸を中止して退避してしまった。アメリカ海軍最悪の敗北の一つである。
 8月24日、日本の空母部隊がソロモン諸島に襲来した。コリンは防空戦闘で1機のゼロを撃墜したが、気は治まらなかった。奴だ。奴を墜とそう。
 この東部ソロモン海戦でアメリカ海軍は日本の空母「龍驤」を撃沈し、輸送作戦も阻止して勝利を収めたが、日本の主力空母を取り逃した上、「エンタープライズ」が空襲で中破、更にその後空母「サラトガ」が潜水艦の攻撃を受けて大破、そして空母「ワスプ」が潜水艦に撃沈された為、ソロモン方面で活動可能な空母は「ホーネット」のみになっていた。

 1カ月間の修理の末、「エンタープライズ」は再び南太平洋へと戦列復帰する。
 サンタ・クルーズ諸島海戦にて、コリンはまたもゼロを1機撃墜した。日本の空母に乗っているパイロットは勇猛な航空兵揃いで、まともに戦っていればまず勝てそうになかった。しかし、コリンは敢えてゼロとの対決に拘った。敵の攻撃隊を見つければまずゼロに襲いかかる。奴はどこだ。奴と戦わせろ、とでもいうように。
 しかし、ミッドウェーで出会ったゼロと、南太平洋の空で出会うことはなかった。あの姿を思い出す。白い塗装に、赤い日の丸。細身のボディに描かれた、小さいが複雑な文字らしき記号。漢字というものが読めない為、なんという意味かは知らないが、他の機にはない特徴だった。
 この戦いで「エンタープライズ」は再び被弾し、更に「ホーネット」は撃沈され、アメリカ海軍はこの方面で使用可能な空母が無くなった。

               *

 ミッドウェーの後、丘野は暫く本土、横須賀の海軍病院で他の搭乗員達と共に軟禁状態にあった。
 外部との関わりは一切断絶され、手紙の一枚家族に送ることも許されなかった。
 そして、なんとか手に入れた新聞に書かれていたのは信じられない事実であった。米空母「エンタープライズ」と「ホーネット」の2隻を撃沈し、日本側の被害は空母1隻の喪失と空母と巡洋艦が各1隻ずつ大破とされていたのだ。あの海で見た現実と全く違う事実だった。
 海軍病院では元の小隊の隊長だった飛曹長とも再開した。高柳は「飛龍」に向かったと言い、会わなかったのかと聞かれたが、丘野は会っていないのでその旨を伝えた。

 海軍病院から解放された後、丘野は二飛曹に昇進し、故郷の島根に戻った。航空母艦「赤城」に替わる新たな配属先は山口県の岩国基地であり、一度故郷に戻ろうと思ったのだ。何より、実家の両親には言いたいことがあった。
「あだん、よう帰ってきたね。軍服がよう似合ぁて」
 玄関先でそんなことを言う母親を適当な言葉で押しのけて玄関をくぐり、靴を脱いで上がり込むとすぐ居間に入る。言いたいことの山ほどもあり、まずどっかり座った。奥から父親が出てきた。外の母の声が聞こえたのだろう。
「おお、帰ってきただかや。手紙の一つもごさんで、心配しちょったで。どげかね、海軍の航空隊は?」
 別に、と一言。そんなことより、だ。テーブルをだんと叩く。
「なして俺ん何も言わんこに結婚決めただかや!?」
 丘野の剣幕に父親は唖然とし、母親も居間の入り口で驚いて固まっている。
 原因は海軍病院から出た直後に渡された、軟禁中に送られてきていた両親からの手紙だった。そこには近所に住む同い年の少女知恵と丘野を入籍させたと書いてあったのだ。確かに知恵は見知った幼馴染であり、幼い頃からよく遊んだものだが、まさか結婚させられるとは夢にも思っていなかった。
「そげん怒ーなや、知恵ちゃんならお互いよお知っちょーし、な?」
 そういう問題ではない。丘野は頭を抱えた。
「……知恵は?」
「今出掛けちょー。夕方には帰ってくーわ」
 丘野は頷くと階段を上って久しぶりに自室に入った。丘野の自室は四畳程の小さな部屋だ。お気に入りだった飛行機雑誌や少年雑誌が本棚に並べられている。入隊の日に片付けたままだ。思えば入隊から2年、空を飛ぶことに明け暮れて一度も帰宅していなかった。知恵の顔もすっかり忘れ、手紙に同封された写真を見て最初誰だか分からない程だった。畳の上にゴロンと寝転んだ。休暇は3日間。少しくらいのんびりしても良いだろう。そう思って、うとうとし始めた。

「ユキやー、降りてこーい」
 呼ぶ声がする。母親の声だ。丘野は飛び起きた。外は真っ暗だ。少しうとうとしているうちに本格的に寝てしまい、夜になったらしい。寝過した。慌てて部屋を飛び出した。
「出てきた、出てきた」
 階段の下に立っていた母親の横をすり抜けて居間に入る。食卓には父親と知恵が座っていた。
「ユキ、久しぶーだね」
 にっこり笑う知恵。丘野は一瞬面喰ったが、すぐに頬を緩めた。「ユキ」というのは丘野の愛称だ。
「おべたがや、いきなぃ結婚なんぞ。お前もおべただら」
 丘野が言うと、知恵はクスクス笑い出した。父親も笑っている。丘野は怪訝な顔になった。
「私やちもおべたわね。話がエライとんとん拍子に進んもんだけん」
 後ろから母親が言った。聞くところによると、どうやら知恵は丘野が入隊するずっと前から彼と結婚したいと家族に言っており、彼女の家族もそれに賛同した為に、知恵の家で一方的に結婚の準備が進んでおり、機を見てそれとなく丘野家に伝えたところ、丘野の両親も賛同して結婚が決まってしまったのだ。そして、当の丘野本人はこの時海軍航空隊で飛ぶことに没頭し、ミッドウェーの敗北後は事実をひた隠しにする為に軟禁状態にあった為、完全に蚊帳の外であった。

 一階の六畳間が夫婦の部屋だ。
 並べて敷かれた蒲団のうち片方の上に寝転び、天井を見上げる。
「知恵、なして黙っちょったかや。ほんにおべたで」
 髪を梳いていた知恵の手が止まった。丘野は気付かない。
「……なしてかねぇ」
 はぐらかすような答えを怪訝に思い、丘野は起き上がろうとして、しかし止まった。いつの間にか振り向いた知恵の手が、丘野の肩に触れていた。
 いつも妹分程度に考えていた知恵が、不意に別人に見えた。
 ジメジメした夏の松江の夜は更けていく。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.14 )
日時: 2015/12/23 13:43
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: HijqWNdI)

 「エンタープライズ」は真珠湾に戻らなかった。
 日本軍がガダルカナル島に新たな戦力を送り込もうとしていることを察知したと連絡を受け、ニューカレドニアでの応急修理もそこそこに、ソロモン諸島に急行したのだ。
 ガダルカナル島の米軍基地ヘンダーソン飛行場への艦砲射撃や空襲は数度行われていたが、未だ同基地の機能を完全に奪うには至らず、一方で日本軍は着実に損害を受けていた。今回とうとう業を煮やして陸軍の大部隊を送り込もうとしているのだろう。
 アメリカ軍は巡洋艦「サンフランシスコ」「ポートランド」を中心に防空巡洋艦「ジュノー」「アトランタ」、巡洋艦「ヘレナ」と駆逐艦九隻で編成される別働隊もソロモン海へ向かい、対する日本海軍は戦艦2隻、巡洋艦1隻、駆逐艦13隻を送り込んでおり、11月12日の夜、両軍はガダルカナル島の近海で遭遇し、大混戦に突入した。
 3日間に及ぶ、地獄のガダルカナル海戦の幕開けである。

 「エンタープライズ」は最新鋭の戦艦「ワシントン」「サウスダコタ」を引き連れて13日にこの海域に入った。
 前日の夜間戦闘では米日両軍に凄まじい被害が出ており、この海峡は本格的に「船の墓場」となりつつある。沈んでいるのは船だけではない。連日の飛行場攻撃に失敗して撃墜された日本軍、更にその迎撃の過程で撃墜されるアメリカ軍の航空機も多数沈んでいるのだ。
 コリンは海を眺めながら、そこに仲間入りするのは御免だと思った。まだあのゼロを落としていない。まだ死ぬわけにはいかない。
 「エンタープライズ」の任務はヘンダーソン飛行場の航空隊と協力してガダルカナル島へ向かう日本軍の輸送船団を攻撃することだった。偵察機の情報を元に、コリンは攻撃機隊の護衛として出撃する。
 そこでもまたゼロと戦ったが、いずれもあのマークをつけてはいなかった。中々の腕利きが揃っており、結局コリンは1機も撃墜出来ず、逆に同じ部隊の友人が撃墜される瞬間を目撃した。
 コリンの中で復讐心が燃え上がったが、燃料が心許なくなってきていた。残弾には余裕があるが、飛べなければ意味がない。燃える復讐心を一度押さえ、補給に戻ろうと考えた時、ふと沈みゆく敵輸送船がコリンの目に留まった。そして、つい先程友人が撃墜されたのを思い出し、同時にふつふつと先程の復讐心が戻ってきたのだ。
 輸送船からは幾つか救命ボートが降ろされ、そのボートに向かって乗組員達が必死に泳いでいるのが見て取れる。
 コリンは高度を下げて速度を上げ、照準器にボートの一群を捉えた。乗組員達がこちらを指差して何か叫んでいる様子だが、何も聞こえない。
 引き金を絞る。機銃弾が海面に飛び込んで水飛沫を上げ、数発はボートを直撃し、乗組員達を傷付ける。あまりにも呆気なく、一方でコリンの復讐心は大分治まった気がした。


 結局この海戦はアメリカ軍の勝利に終わった。日本軍はその後の夜戦で戦艦を失い、輸送船団も壊滅、アメリカはガダルカナル防衛に成功した。
 ガダルカナル海戦はミッドウェーと並ぶ戦争の転換点となるのだが、この時彼らはそんなことを知る由もなかった。

               *

 岩国での新人教育は丘野にとってあまりにも退屈だった。飛行の仕方は単調で、新人に合わせる為に退屈なものになる。
 19歳の丘野は、教官としては最年少だったが、空戦の腕は一番だった。元一航戦搭乗員といえば精鋭中の精鋭だが、その中でも多少のムラはある。「加賀」に乗っていたという別の教官は年上だったが、ミッドウェーの直前になって入れられた搭乗員であり、開戦前から「赤城」に乗っていた丘野とは実力に大きな差があった。若くとも、丘野は数々の実戦を潜り抜けたベテランなのだ。
 それも相俟って、丘野は退屈した。決まった時間に訓練を始め、決まった時間に訓練を終えて、時々休暇を取って松江に帰る。これではまるでサラリーマンだ。つまらない。
「丘野教官」
 ある日、飛行訓練終了後に自身の零戦を見回っていると、1人の飛行訓練生が声をかけてきた。脳内で顔を記憶と一致させ、その顔と一致する名前をリストから引っ張り出す。
「藤山か。どうしたんだ」
 柔和な笑みで返す。丘野は教官の中では比較的穏やかな性格で、歴戦の航空兵にしては出雲人特有のゆったりとした口調で話し、歳が近いこともあって訓練生達の相談役となっていた。寧ろ、訓練生達にとって日常的に気軽に話しかけられる教官といえばそれこそ丘野くらいのものだ。
「丘野教官は何故機にそんな目立つ塗装を?」
 丘野はふと自身の零戦を振り返って苦笑した。「海鷲」の零戦はミッドウェーで着水した時にそのまま北太平洋の海に沈んだのだが、岩国に配属されて最初にやったことは新たに受領した零戦にまた「海鷲」を描くことだったのだ。何故そうしたのか、自分でも思い出せなかった。
「分からん。初めて描いたのはセイロン沖の時だったかな、ミッドウェーより前だったのは確かなんだが」
 丘野の答えに、藤山は、はあ、と曖昧な返事をして丘野の零戦を見た。
「貴様も何か描いてみるか?」
「教官のような凄腕でなければ、描かれる絵が可哀相です」
 2人は暫し笑った。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.15 )
日時: 2015/12/23 13:48
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: HijqWNdI)

 昭和19年1月。退屈な教官生活とはおさらばとなった。
 丘野は搭乗員を多く失った空母「翔鶴」の搭乗員となったのだ。「翔鶴」の航空隊には丘野の居た一航戦の生き残り搭乗員達も多く、中には同じ「赤城」に乗っていて見知った顔も居た。
 辞令が下り、出航する前に丘野はもう一度休暇をとって松江へ帰った。新しい小隊長が出航前に休暇を取って家族に顔を合わせてくることを勧め、飛行長にも掛け合ってくれたのだ。
 知恵に「空母勤務になったから暫く帰れない」と伝えると、彼女はにっこり笑って「ここで手紙書いて待っちょーけん」と言って送り出してくれたが、その笑顔に陰が差していたことは丘野にも分かった。彼女とて不安なのだ。寧ろ、丘野の死を、彼自身以上に恐れているといっても良い。

 「翔鶴」は2月からリンガ泊地で訓練に明け暮れ、3月には新設された第一機動艦隊の旗艦となったが、その数日後に新鋭空母の「大鳳」が旗艦を引き継いだ。
 この頃、既に日本は敗色濃厚だった。ミッドウェーの敗北後、ソロモン諸島の戦いは壮絶な消耗戦に突入した。ラバウルの航空隊搭乗員達は560カイリもの長距離を飛んで空戦をし、また560カイリ飛んで帰るという、7時間にも及ぶ過酷な飛行を毎日のように強いられた。ガダルカナル島で戦う陸軍はもっと悲惨だ。補給が滞ったこの島では物資不足による栄養失調と伝染病が蔓延し、多くの日本兵が戦うことなく死んでいった。海上の戦いも苛烈で、第三次にまで及ぶソロモン海戦、サヴォ島沖海戦、南太平洋海戦、ルンガ沖夜戦、レンネル島沖海戦、クラ湾夜戦、コロンバンガラ島沖海戦、ベラ湾夜戦、ベララベラ海戦、ブーゲンヴィル島沖海戦、セント・ジョージ岬沖海戦などの数々の海戦と航空戦で日本軍と連合軍双方の艦艇や航空機が多数ソロモン諸島の海に沈み、特にサヴォ島とフロリダ諸島、そしてガダルカナル島の間の海域は、海底が鋼鉄の残骸で埋め尽くされているといわれ、「鉄底の海峡」などと呼ばれる程である。
 ニューギニア方面でもソロモン諸島作戦の進行の為に苛烈な海上戦闘が行われ、一方で兵站を軽視した日本軍は度々輸送作戦に失敗した。中でも昭和18年3月の「ダンピールの悲劇」は聞くだけでも悲惨なものだった。
 元々が駆逐艦8隻で輸送船8隻を護衛し、敵の制空権下をすり抜けろという無茶な作戦だ。日本側の航空隊はこの護衛にはまるで足りず、現場の将校達は作戦に乗り気ではなかったといわれている。案の定連合軍は圧倒的な航空戦力を以て激しい空襲を行い、作戦に参加した護衛の駆逐艦4隻が撃沈され、輸送船は全て撃沈された。輸送船に乗っていた陸軍兵約3,000名が死亡した上、重装備類を含む物資2,500トンも全て海の底へ沈み、一個師団が戦う前に全滅するという悲惨な結果に終わった。この作戦に参加したある駆逐艦の艦長は作戦後、艦隊司令部に「こんな無謀な作戦は日本民族を滅亡させるようなものだ、よく考えてからやれ」と怒鳴り込んだという。また、この時、連合軍機が漂流中の日本兵達に機銃掃射を行い、殺戮の限りを尽くしたことは被害を増やす原因となった。その後も日本の輸送作戦は度々失敗している。
 そんな消耗戦の末に、日本軍はソロモン諸島方面の戦いに敗北した。
 昭和18年5月には北方アッツ島の守備隊が玉砕し、その先のキスカ島に取り残された守備隊は7月に奇跡的な無事撤退を果たしたが、これによってアリューシャン列島は完全に失陥した。アリューシャン方面への進出は、元々がミッドウェー作戦で米軍の注意を北方に惹き付ける為の陽動で行われた作戦であり、ミッドウェーでの敗北が前提になっていなかったのだ。補給も安定せず、駐留すること自体が厳しい土地であった。
 同月、連合艦隊長官の山本五十六も戦死し、日本軍の勢いは完全に死んだ。
 連合軍は基地機能を失い、孤立したラバウルの攻略はせず、一足飛びにサイパンを狙った。サイパンは日本軍部が考える戦略上の要所である。日本はその「飛び石作戦」に対抗すべく、「絶対国防圏」を設定した。その防衛の為、マリアナ諸島に、ミッドウェー以来の歴戦の空母「翔鶴」と「瑞鶴」、そして「大鳳」を基幹とした日本機動部隊が集結する。
 正に乾坤一擲、一大決戦となるであろう、「あ号作戦」の発動である。


 昭和19年6月19日。
 丘野は乗り慣れた零戦二一型から零戦五二型に乗り換えていた。また零戦に「海鷲」の文字を描き、しかし塗装は緑色の迷彩に変わった。「翔鶴」艦上には「彗星」艦爆や「天山」艦攻が並んでいる。いずれも最新鋭の機体だ。
 皇国の興廃この一戦にあり。
 その言葉を胸に、攻撃隊が発艦していく。
 今回の作戦は完璧だ。日本の航空機に比べて航続距離の短い米航空機が届かない場所から発艦し、敵の射程外から攻撃する「アウトレンジ戦法」。無敵必勝の作戦である。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.16 )
日時: 2015/12/24 18:21
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: YohzdPX5)

 コリンは連日上陸作戦の支援でうんざりしていた。
 戦闘機はF6Fに乗り換え、ゼロを7機撃墜し、中尉に昇進もしていたが、未だあのゼロとは出会っていない。
 この日は上陸支援ではなく、敵攻撃機の邀撃だった。日本の第1次攻撃隊はレーダーで完全に捉えられており、大半が撃墜された。続いて第2次攻撃隊が突っ込んでくる。コリンの戦闘機隊は艦隊の対空砲の射程外でその攻撃隊に襲いかかった。


 丘野は焦った。敵の最初の攻撃で小隊長機が撃墜されてしまった。任務は遂行するべきだ。しかし、この乱戦では冷静に判断など出来る気がしない。事実、小隊の僚機は既に行方不明である。
「……くっ」
 丘野が選んだのは、例え1人でも攻撃機の近くを維持し、乱戦への参加を最低限に抑えることだった。乱戦に巻き込まれると撃墜されるリスクが一気に上がり、それは任務遂行不可能であることを意味する。今回の任務はあくまで攻撃機の護衛だ。
 襲い来る敵機を追い払い、離れていく敵機は追わない。兎に角、攻撃隊が敵艦隊に攻撃出来れば良い。この空で最も冷静な判断であった。
 しかし、突如として1機の敵戦闘機が攻撃機ではなく、丘野の零戦に攻撃を仕掛けてきた。なんとかかわす丘野機。敵戦闘機は素早く反転すると、また丘野機を狙ってくる。こいつの目標は俺だ。瞬時に判断した丘野はその敵戦闘機を排除することを決める。
 高度を下げ、格闘戦に入る。


 コリンは完全に頭に血が上っていた。とうとう見つけたのだ。ミッドウェーで出会ったゼロだ。間違いない。機体は微妙に違うが、同じゼロの系統だ。細身のボディにはしっかりとあの記号がある。
 本来攻撃すべき対象は攻撃機や爆撃機であるが、コリンはそんなことそっちのけでこのゼロに襲いかかった。かわされる。諦めない。
 ゼロは勝負に乗ってきたが、それでも攻撃隊の近くを維持していた。どこまで冷静なのか。まるで任務に縛られている。
 だが、それこそがコリンの執着する理由でもあった。コリンが抱く日本軍へのイメージだ。冷徹に任務を遂行する為だけに命を懸ける、冷酷なるキリング・マシーン。非人間。それを実現するには間違いなく高い技量と相当に冷えた血液が必要に違いない。その点で、奴こそが日本軍を体現したパイロットに違いないと感じたのだ。
「必ず叩き落としてやるぞ、ジャップ……!」
 旋回し、下降し、上昇し、また旋回する。お互いに後ろを取れない、恐ろしく過酷な格闘戦。下手をすれば意識が飛ぶ。低空での空戦は危険だ。
 お互い、無意識に乱戦を避けていた。味方の空戦空域から少し離れたところを舞台として選んだのだ。どちらが選んだのかは分からないが、まるで決闘だった。


 丘野の焦りは加速していた。こいつはしつこい。いくら逃げても、しつこく追って来るのだ。
 急減速と急旋回によってかわそうとしたが、その機動は読まれていた。同じことをされたのだ。機体の性能は敵戦闘機の方が上だ。一瞬の空中への静止のタイミングで照準器に敵機を捉え、銃撃を加えたが、確かに命中した筈なのに火を噴かない。そのまま視界の外に出られてしまった。
 急激な旋回によるGで下半身に血が偏り、視界が暗くなる。仕方あるまい。
 丘野機は本来零戦には不得手な急上昇で乱戦に飛び込んだ。敵は零戦の相手に慣れていると読んでのことだったが、この読みは見事に的中した。相手はまさかそんな苦手な機動を突然するとは思わなかったらしく、振り切れたようだ。何度か旋回して敵味方の攻撃をかわし、反対側に抜ける。そして攻撃隊の方を見た。そろそろ雷撃の姿勢に入る。
 しかし、その直後だった。米艦隊の発砲、一瞬にして数機の攻撃機が落ちた。次々に撃墜されていく。
 これは米軍の新兵器、近接信管によるものだった。近接信管とは、砲弾の先端がレーダーになっており、航空機の数メートル以内をかすめるだけで炸裂し、直撃しなくても敵機にダメージを与えるというものなのだが、この時の丘野には知る由もなかった。
 辺りを見渡す。あの敵機は居ない。丘野は攻撃機の援護に回るべく、少し高度を下げ、最後尾の攻撃機と同高度を飛び始めた。その直後、斜め後ろからまた襲撃を受けた。


 ゼロを見失ったコリンは敵の攻撃機の近くでゼロを待ち受けていた。奴は必ず戻ってくる。そして案の定、攻撃機の援護に戻ってきた。最後尾の奴だ。コリンはすぐさまそのゼロに襲いかかる。味方の対空砲火が始まっており、敵がマジックヒューズ(近接信管)の砲弾で全滅してしまう前にこいつを落とさなければならない。
 先程の急減速と急旋回の合わせ技はある程度予測していたが、以前見た時より確実にキレが増していた。機体性能が同じであれば、確実に振り切られて、下手をすれば撃墜されていただろう。しかし、今回相手が乗っているのはかつての最強戦闘機ゼロ、コリンが乗っているのはグラマン社がそのゼロを殺す為に作ったF6F“ヘルキャット”だ。
 数発の銃弾を浴び、機体に風穴は開けられたがグラマンのデブ猫はこの程度では落ちない。
「落ちろっ!」
 照準器に捉え、掃射。曳光弾が曳く光の筋がゼロの翼に吸い込まれていく。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.17 )
日時: 2015/12/24 18:24
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: YohzdPX5)

「うわっ!」
 機体に走る鈍い衝撃。初めてのことだったが、すぐ被弾したと分かった。すぐに自機の状態を確認する。右の主翼の先端がない。吹き飛んでいる。漏れ出た燃料が翼端から白い筋を曳いていた。操縦桿の感触も変だ。操縦桿を引いているが高度が上がらない。昇降舵がやられたか。
 この時、尾翼の昇降舵は丸ごと抉られており、右の主翼の補助翼も動かない状態だったのだが、丘野は気付かなかった。
 あの敵機はまだ追ってくる。高度はみるみる下がる。しかし、丘野には自爆しようなどという発想は全く出てこなかった。また空を飛びたい。帰艦し、修理し、場合によっては飛行機を乗り換え、また飛ばねばならない。


「しぶとい奴だ……!」
 主翼の先端を失い、しかし諦めようとしない丘野機を追ってコリンは呟いた。兄を、弟を奪った、憎き日本軍の精鋭戦闘機パイロットが目の前を飛んでいる。
「上がれ……上がれェェ!」
 追われる丘野は必死に操縦桿を引く。しかし右の昇降舵と補助翼を抉られた丘野の零戦は高度を上げるどころか、機体の左側のみが上がる為に傾くばかりだった。
「左舷! ゼロが突っ込んでくるぞ!」
 二人の進行方向には米重巡洋艦「ミネアポリス」が航行しており、丁度右舷に向けて対空射撃した直後だった。丘野機は意図せず「ミネアポリス」の艦橋のすぐ前の砲塔に突っ込もうとしていたのだ。対する砲塔は持ち得る最高速度で照準を丘野機に合わせ、持ち得る最高速度で射撃する。しかし、遅すぎた。
 砲弾は傾いた丘野機の腹をすり抜け、発砲直後で「ミネアポリス」に近過ぎた為に近接信管が作動しなかったのだ。そして、丘野機の後方から迫っていたコリン機に反応した。
 炸裂。この時、コリンは初めて深追いし過ぎたことに気付いたが、それに気付くには遅過ぎた。操縦席のすぐ真下の腹部に砲弾が突入したコリン機は機体内部で砲弾が炸裂し、一瞬にして爆散した。「ミネアポリス」の側面に幾つかの破片が当たったが、艦上のアメリカ兵達は真上をすり抜ける丘野機に目を奪われて気付かなかった。コリンは自らの祖国アメリカが開発した新型兵器によって命を落としたのだ。
 砲弾をかわした丘野機だったが、操縦桿を反対側に倒しても傾いた機体は元に戻らず、艦橋の見張り所に右の主翼をぶつけ、そのままもがれた。衝撃で風防と計器類のガラスが割れ、丘野の身体に突き刺さる。思わず左手がスロットルレバーを放し、体を支えようと機内の手近なものを掴む。音の無い世界で、鋭い痛みと自らの血が流れ出る感覚を感じ、同時に視界が真っ赤になっていった。目を瞑ってしまい、最早前は見えていなかったが、激しい震動の中でも右手で操縦桿を引き続ける。
 鈍い衝撃とともに、揺れは静かになった。冷たい。なんとか開いた目で、真っ赤な視界の中に見出したのは目前の海面と操縦席に流れ込む水であった。上に視線を向けると、青空の下で無数の黒煙が上がっている。空中で炸裂した砲弾、それに撃墜される飛行機、被弾した敵艦から上がる煙。その先に広がる大空。あれだけ憧れ、あれだけ飛んだ空が、今更新鮮に見えた。
 あの最後まで追ってきた敵のパイロットはどうなったのだろうか。自分は立派な戦闘機乗りだっただろうか。この戦争はどう終わるのだろうか。遺書でも書いておけば良かっただろうか。松江の両親は元気にやっているだろうか。知恵は、元気だろうか。
 自分はこのまま死ぬのだろうか。自分はもう飛ぶことは出来ないのだろうか。
 静かに目を閉じる。息苦しさを感じ、しかしその意識もすぐに手放された。

 若武者が眠る。
 冷たい海の底で。あの空から最も遠い場所で。乗り慣れた零戦に抱かれて。
 6月20日、丘野は20歳になる筈だった。


 このマリアナ沖海戦は航空母艦3隻、油槽船2隻を失い、450機を超える航空機の喪失と3,000名以上の死者を出した日本の惨敗に終わった。この敗北で日本は絶対国防権を喰い破られ、熟練搭乗員の大半も失って制空権を奪われた。サイパン島からはアメリカの戦略爆撃機が日本本土をその射程に捉え、その後レイテ沖海戦を前に、日本海軍は自爆の体当たり作戦の為に神風特別攻撃隊を編成。この最初の5名の特攻隊は大戦果を挙げ、終戦までに4,000名以上の兵がこれに続くこととなった。次々と新兵器を投入する連合軍に対して、緒戦の勝利を過信した日本は、最後まで有効な打開策を見出せなかったのである。
 零戦も、大きな改良もなく終戦のその日まで使い続けられた。開発された当時は確実に世界最強の戦闘機だったが、終戦まで使い続けることが出来る程、この戦争中の技術の進歩速度は遅くはなかったのだ。


 鋼鉄の海鷲は、今も空を飛んでいる。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.18 )
日時: 2015/12/24 18:26
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: YohzdPX5)

参考引用文献・資料
亀井宏『ミッドウェー戦記』講談社文庫、2014年
黒羽清隆『太平洋戦争の歴史』講談社、2004年
太平洋戦争研究会『太平洋戦争・主要戦闘事典』PHP文庫、2005年
大東亜戦争研究会『大和・赤城と日本の軍艦 新装版』笠倉出版社、2015年
大東亜戦争研究会『写真で見る 激戦!! 太平洋戦争 新装版』齋藤充功監修、笠倉出版社、2015年
河野嘉之「零戦と戦ったアメリカ軍の戦闘機」『零戦の追憶』2013年12月号、モデルアート社

 *この物語は全てフィクションです。実在の人物、事件などとは関係ありません。


『鋼鉄の海鷲』