複雑・ファジー小説

Re: ワンホット・アワーズ ( No.16 )
日時: 2015/12/10 07:28
名前: 楠木ひよ ◆IvIoGk3xD6 (ID: DYDcOtQz)

 「ふたりとも、お帰り! 英語わかった? 数学もわかった?」

 教室に戻ると、すっかり目が覚めた瀬戸が俺と柚寿にまとわりついてきた。「ただいまー」と微笑む柚寿の顔は、妹を可愛がる姉のようだった。青山の方は、なにかいいことでもあったのか嬉しそうにスマホを見ている。矢桐は、ただ無表情で席に座って本を読んでいた。
 柚寿も席に戻り、「さっき瑛太がわかんないって言ってたとこ、聞いてきたわ」と参考書を開く。しかし青山は数学に関心はないらしく、参考書をちゃんと見るふりをしてうまくスマホに文字を打ち込んでいた。
 あと30分。俺は時計を見て、ツムツムでもやるかとスマホに手を伸ばしたとき。

 「柊治郎くん、ねぇ聞いて」

 突然名前を呼ばれ、声のした方を見ると、瀬戸が笑顔を浮かべていた。瀬戸の笑顔は、ミステリアスで物憂げで裏すら感じられる柚寿の笑顔と比べると、ただ明るくて、春に咲く花のようだ。胸の前で両手を握り、「これから重大発表します!」という雰囲気を体いっぱいに纏わせている。それが俺にとって嬉しいことでも、嬉しくなかったことだったとしても、瀬戸に返事をしないわけにはいかないので、「どうしたんだよ」と瀬戸を見上げた。

 「さっき、瑛太くんが提案してくれたんだけどね、こんどこの5人で週末遊びに行こうって!」

 さも嬉しそうに、瀬戸は笑っている。柚寿をちらりと見ると、たぶん今の俺と同じ顔をしていた。「えっ、マジかよ」的な。俺たちはただバスを待っているだけの5人で、それ以外に関わりは全くない。しかも、そんな提案をなぜ青山がするんだ。当の青山は、スマホから顔を上げて「いいじゃん、楽しそうだし。瀬戸さんも行きたがってるし、行こうよ」と、他人事のように微笑んでいるから、さらにわけがわからなくなる。

 「あー、私は、それ賛成。今週以外だったらいいわよ」

 いち早く我に戻った柚寿が言う。まあ、お前らは今週の週末は記念日で忙しいからな。青山も、「うん、僕も今週は予定有るけど」と付け足した。

 「じゃあ、来週はどうかな? 私は、毎日暇だよ」

 瀬戸がそう言うと、柚寿と青山は顔を見合わせて、「来週なら、空いてるかも」と言った。一応矢桐にも予定を聞いてあげる優しい瀬戸は、「よーし、じゃあ来週だね」と嬉しそうに微笑む。瀬戸は、どうしてこんなに俺たちに執着するのだろうか。いや、執着ではなく単にすぐ友達と遊びたがる人間なのかもしれない。でもまさか、このメンバーで遊びに行こうだなんて言われるとは思わなかった。

 「行くとしたら、どこに行くの? 私はどこでもいいわよ」

 律儀に右手をあげて、柚寿が発言する。それを聞いた瀬戸は、「うーん、えっと、とりあえずみんなで騒げるとこ。あ、食べ放題とかどうかな!?」とはしゃぎだす。

 「僕が店調べてこようか?」

 次は、青山がスマホ片手に言った。交友範囲が広い青山なら、美味しい店を見つけてくれそうなので適役だ。瀬戸や俺はそれに大いに賛成し、「肉が良い」だの「私はスイーツ食べ放題が良い」だの、自分の食べたいものを口々に言いはじめる。
 他にも瀬戸がモールに行きたいと言い出したり、柚寿は帰りの電車の時間を気にしたりし始めたので、とてもこの1時間だけでは話がまとまりそうにない。そこで、俺は思いついたある提案をすることにした。

 「すぐ連絡取れるように、俺らのLINEグループ作ろうぜ」

 俺が言うと、瀬戸が瞳を輝かせて賛成してきた。今まで作らなかったのが不思議なくらいだな。瀬戸みたいな女子は、真っ先にグループを作りたがる印象があったんだけどな。

 「あ、いいね! そうしようよー。私、いま作っちゃうね」

 ピンクのカバーがかけられたスマホをポケットから取り出して、瀬戸はぽちぽちと画面をタッチする。柚寿や青山もそれには賛成だったらしく、「招待して—」とスマホを持って待機している。この場面を切り取って見ると、ただの仲の良い5人組みたいだ。しかしそこに、さっきまでノリノリだった瀬戸がぴしゃりと水を差した。

 「……あれ、そういえば、晴くんってLINEやってないの? クラスのグループにも入ってないしさ」

 突然、瀬戸がスマホを叩く手を止めて、席に座ってただ会話を聞いていた矢桐に問いかける。
 おそらく矢桐をグループに招待しようとして、居ないことに気が付いたのだろう。矢桐はたしか、スマホ自体は持っていたような気がする。今の若者でLINEをやっていないのは意外だな。瀬戸も不思議そうな顔をしている。

 「……あっ、ごめん。僕、やってなくて……」
 「もう、しょうがないなー。私がダウンロードしてあげる! 晴くんとLINEしたいもん」

 瀬戸がおさげを揺らして、スマホを持ったままの矢桐に微笑みかける。「ちょっと貸してね」と機器を借りた後、ぽちぽちと音が聞こえてきそうなおぼつかない指使いで、なんとかダウンロードすることができたらしい。
 適当に設定を済ませて、矢桐はLINEデビューを果たした。せっかく瀬戸に設定してもらったのに、あんまり嬉しくなさそうなのは気のせいだろうか。無理矢理LINEをはじめさせられて、嫌だったのだとしたらお気の毒だ。

 「あ、ねぇ、グループの名前何にする? なんか、良い名前無い?」
 「うーん、そうね。私は特に」

 そういえば、グループの名前を決めなきゃいけないんだったな。青山と目が合う。「ここは、餅田がすぱっと決めてくれるよ」と話題を振られた。無茶ぶりと言うやつだが、乗らないで雰囲気が悪くなるのも嫌なので、無い知恵を絞って考えてみる。
 どうせなら、かっこいいのがいいな。スマホを見ると、聞いていた「One Hot Minute」というアルバムのジャケットである、ピアノを弾いている女の子のイラストが目に入る。そうだ、これにしよう。俺たちが過ごすのは1分では無くて1時間だから、こうだ。

 「ワンホットアワーズ。これでどうだ」


1 ワンホット・アワーズ 完